幕間

第23話 魔王国と勇者

 セラフィナ達は、源の足止めの甲斐あって、無事に魔王国の森まで逃げのびていた。

 収監されていた獣人たちは消耗しており、セラフィナが用意した食事を摂ると、早々に寝床に潜り込んでしまった。

 火の番を受け持ったセラフィナは、薪をときおり火にくべながら、ぱちぱちと火の爆ぜる音をぼんやり聞いていた。

 そんな折に、がさがさと誰かが近づいてくる音がする。


「ゲン?」

「あ……ううん。僕、です。すみません」


 待ち人が追い付いたのかと、セラフィナは思わず源の名前を口走ってしまう。

 しかし、そこにいたのはイルミだった。

 源を呼んでしまった恥ずかしさを誤魔化すように、セラフィナはイルミに尋ねる。


「どうかした? あ、寝床が合わなかったとか?」

「あ、いえ。すごく快適です。その、こんなふかふかなところで寝るの初めてです。なんか、王様みたいになった気分です」

「ハハハ。それは流石に大げさだよ。けど、気に入ってくれて良かった」


 セラフィナが用意した寝床は、人をすっぽりとくわえこむハエトリグサだった。品種改良により、その口の中はもこもこの綿で覆われている。その綿は、最適な寝心地になるよう、体の形に合わせて密度を変化させる。エルフたちが生みだした最高級の寝袋だ。

 その名もネトリグサである。


「眠れない?」

「……はい」

「そっか。じゃあ、火でも見てると良いよ。結構飽きないもんだよ」


 セラフィナがぽんぽんと隣を叩いて座るのを促す。イルミは一瞬逡巡するが、そこに座り込む。

 パチパチと、火の爆ぜる音を聞きながら、形を変え続ける炎を二人は眺める。

 何か言いたそうにするイルミを、セラフィナは辛抱強く待つことにする。


「あの、魔王国のこと聞いてもいいですか」

「ああ、そっか。ごめんごめん。半分くらい、無理やりみたいに連れてきてたね。うっかりしてた。教会の教えでは、人を食べる悪い亜人たちが住んでるところみたいな感じだっけ」

「はい。神の威光を恐れた亜人たちが群れになって、本来は僕たち人間の土地を不当に占拠してるって」

「ハハ。そこまで行くといっそ清々しいね」


 セラフィナが薪を勢いよく投げ込むと、炭化した薪が崩れて火の粉が舞う。


「それで? さっき一緒にご飯食べたけど、獣人たちはどうだった?」

「あ、いや、その……」


 イルミは、グガーといびきを立てる獣人たちの方を向く。口を閉じた二メートルほどのハエトリグサが並ぶ異様な光景だった。


「なんか、普通だなって」

「ふふ。そうだよ。教会は亜人がどうとかって言うけどさ、人と別に変わんないよ。お腹が膨れたら幸せだし、仲間に何かあれば悲しい。どうでもいいようなことでうじうじ悩んで、一晩寝たら、コロッと忘れる。何も変わらないんだ。ま、たまに変なのもいるけどさ、それって人でも同じでしょ」

「……はい」


 セラフィナは、自分の言葉をイルミの中で反芻はんすうさせるため、しばらく黙る。

 ちらりとイルミをうかがうと、少し俯いて、ぼんやりと炎を眺めていた。その瞳の中に、教会を妄信する信者たち特有の狂気が無いことを確認して、セラフィナは安堵する。

 大丈夫。イルミは、自分の目で見たものをしっかりと信じられる人間だ。


「それで、魔王国がどういうところか、だっけ」

「はい」

「うーん」


 セラフィナは少し考える。

 分かりやすく言うならば亜人たちが集まった連合国だが、それはあくまで結果に過ぎない。魔王国の根本とは別物だ。


いて言うなら、そうだね。はぐれ者のたまり場、かな」

「はぐれ者?」

「うん」


 自分で言っておいてなんだが、はぐれ者という言葉が妙にしっくり来て、セラフィナは深く頷く。


「魔王国ができる前はさ、亜人たちは人間たちの侵略を受けて絶滅寸前になっていたんだ。ほら、勇者って聞いたことがあるだろ?」

「うん」


 幼い頃に母親に聞かされた話をイルミは思い返す。


「神の加護を受けた勇者たちが、神の敵である亜人たちを倒すために来たって」

「まあ、教会視点からすると間違ってないのか。亜人たちは、人と比べると力も強いし、癖はあるけど、強力な魔法を使える。だから、教会が勇者召喚の術を編み出す前は、亜人たちの方が領土は広かったんだ」

「え? そんな……」


 教会が隠す歴史の裏側を知って、イルミは驚く。


「そんな訳で、亜人たちも、人間なんか自分たちの種族だけで倒せるって変な意地があってね。とんでもない力を持った勇者たちに押されても、亜人同士で協力することは無かったんだ。その結果、各個撃破されて行って、気付いたころには絶滅寸前って訳さ。ほんと、馬鹿だよね」


 オババ様から聞いた当時の事を思い出しながら、セラフィナは自嘲する。

 今でこそ教会にうまく取り入っているが、当時はエルフも亜人で、迫害の対象だった。

 長命種ゆえに当時の生き証人も多く、人に対し良い感情を抱けないもの達も多い。そういう訳で、不死の樹海は現在も鎖国状態にあるのだった。


「そんな時にさ、変な勇者が現れたんだ」

「変な勇者?」

「ああ」


 その変な勇者について、オババ様が嬉しそうに話すのを思い出して、セラフィナの口調が柔らかくなる。


「召喚されてすぐに、教会に真っ向から楯突たてついたんだ。もふもふをいじめるなんて、人でなし! お前らみたいな腐った奴らになんか、協力するもんか! てね」

「へ? いや……え?」


 物語の中の勇者とあまりに違っていて、イルミは開いた口がふさがらない。

 その様子を見て、セラフィナは、オババ様に聞いた時の自分も同じような反応をしたのを思い出して、微笑む。


「びっくりするよね。けど、本当にそう言ったんだってさ。ほら、私らエルフは長く生きるからさ、当時を体験した人に聞いたんだ」


 オババ様は、その勇者を召喚するときに、奴隷として召喚陣に魔力を供給していたのだという。オババ様お気に入りのエルフたちは、耳にタコができるほど聞かされる話だった。


「教会も他の勇者をけしかけて、すぐに処分しようとしたんだけど、ことごとく返り討ち。それで、教会は間違っていると各地で触れ回りながら、亜人たちを助けに向かったって訳さ」

「それは……すごいですね」

「ふふ。だろう。最初は神敵だとか、人でなしとかののしられてばっかりだし、助けようとした亜人たちにも罠だと思われて攻撃されたりしたんだけどさ、それでもその勇者は笑いながら、亜人たちを解放し続けようとしたんだ」


 オババ様の話では、獣人に攻撃される時に、むしろご褒美です、と叫んでいたそうだ。猫がじゃれついてきているような感覚とのことだった。

 さすがにそれはイルミに隠しつつ、セラフィナは続ける。


「そうやって活動していくうちに、亜人たちもその勇者に心を開いて行ってね。それだけじゃなくて、教会の教えに薄々疑問を持っていた人たちも、味方するようになっていったんだ」

「教会に疑問?」

「ああ。勇者召喚で絶大な支持を得ていたとは言え、当時は教会も急に勢力を拡大したわけだからね。亜人とこっそり交流している人たちもいたし、その教えを疑う人も多かったんだ。ま、大っぴらには言えなかったけどね。教会は、亜人たちの脅威を取り除いてくれたヒーローだ。それを非難したら、石を投げられるって訳さ」

「そっか。教会にもそんな頃があったんだ。想像もつかないや」


 生まれた時から教会の教えが絶対のものとして根付いていたのだ。イルミの感覚も至極まっとうなものだろう。


「最初は小さかったんだけど、そのうちどんどん大きな勢力になっていってね。気づいたら、その勇者は解放の勇者なんて呼ばれて、反教会の一大勢力って訳さ」

「解放の勇者……」


 感慨深そうにつぶやくイルミを見て、セラフィナは笑いをかみ殺す。

 解放の勇者などと呼ばれていたが、彼のスキルは簒奪さんだつ。解放という前向きな響きからは程遠く、皮肉なものだった。


「だけど、教会としては面白くない。だってそうだろう? 亜人は神敵で、抹殺まっさつすべき対象。そんな教えを、これまで教会が旗印にしていた勇者が真っ向から否定して来るんだ。しかも、解放の勇者だなんて、大層な名前の勇者がね」

「フフ。それはなんていうか、傑作けっさくだね」

「ああ。まさに飼い犬に手を噛まれるってやつさ」


 セラフィナとイルミは二人で肩を震わせる。


「そうして教会が情報操作をした結果、解放の勇者は教会にあだを為す魔の首魁しゅかいである『魔王』、魔王が率いる勢力は『魔王軍』ひいては、『魔王国』になったって訳さ」

「ふーん。その勇者さんは否定しなかったんですか?」

「ああ。勇者より魔王の方がカッコイイとか言って、むしろ乗り気だったらしい」

「え……」


 軽く引くイルミを見て、セラフィナも共感する。勇者たちの感覚は、時々よく分からない。

 イルミの意識を戻すため、ポンと柏手かしわでを打って、セラフィナが話を締めくくる。


「はい。そういう訳で、これが魔王国の成り立ち。亜人たちの集まりってわけじゃ無い。人を含めて、教会の教えを受け入れられなかったはぐれ者たちが身を寄せ合ってできた国なんだよ」

「そっか。教会の教えを受け入れられない……それで、はぐれ者か」

「ああ。当然、色んな種族がいるから、それぞれにゆずれないものや、受け入れられないものもある。でも、みんな迫害される痛みを知っているからね。魔王のカリスマもあってだけど、不思議と落としどころが見つかるんだ。ま、小競り合い位ならしょっちゅうだけどね」

「痛みを知ってる……」


 イルミが自分の胸に手を当てる。

 病気魔法という力のせいで、イルミも教会から迫害を受けていた。

 源のお陰で魔法を制御する糸口を見つけ、教会の監視から逃げることに決めたが、その先どうするかまでは決めていなかった。

 セラフィナから話を聞いて、その答えを見つけるのに魔王国は最適の場所だとイルミは思い始めていた。

 イルミが魔王国への移住に前向きになったのを察して、セラフィナは再度イルミに語り掛ける。

 ここまでは、魔王国への勧誘で、かつて世話になった魔王への義理も入っていた。

 ここからは、セラフィナ個人がイルミへ贈る餞別せんべつだ。


「さて、イルミ。ここからは深刻な話だ」

「……はい」


 セラフィナが前かがみになるのを見て、イルミも居住まいを正す。


「単刀直入に言うよ。イルミ、あんたの命はもう長くない。自分でも分かってるね?」

「……はい」


 アマルナの地下通路でイルミの手を引いた時、セラフィナはイルミの中に寄生植物が宿っているのを感じ取った。

 見つけたからには放ってはおけない。すぐに解除したが、その植物は特定の魔力を受けると宿主の魔力を暴走させるというもので、教会がイルミを使って魔王国を攻撃しようとしているのは明らかだった。

 そうした事情もあって、セラフィナはイルミを魔王国へかくまおうとしたのだった。

 そして、寄生植物を解除する過程で、イルミの体の状態も診察していた。


「余命は、長く見積もって……一年半くらいかな。というか、それだけ持つだけでも奇跡だよ。あんたの体の中で、色んな病気がお互いを抑制し合って、症状の進行を抑えてる。まったく、これを意図的にやったんだとしたら、とんでもない精度の魔法制御だよ」

「そう、ですか……」


 イルミも、自分の余命については薄々と気付いてはいた。しかし、他の人にはっきりと言われると、やはりショックだった。


「イルミ。私はエルフだからね。これでも数百年は生きている。変な話で、長く生きてるからこそ言えるんだけどね、死んだように惰性で生きる百年なんかより、何かを残そうと必死にあがく一年の方がよっぽど価値があるよ。保証する」

「……」


 俯いて歯を食いしばるイルミを見て、セラフィナは抱きしめたくなる衝動に駆られる。

 しかし、その衝動を押しとどめる。

 自分は源と一緒にいると決めたのだ。魔王国にこのまま留まって、イルミの生き様を見届けることは出来ない。

 なにより、ここでイルミを甘やかすのは、幼いながらも過酷な運命に立ち向かおうと、必死に歯を食いしばって涙をこらえる少年の決意に泥を塗るようで、イルミに対する最大の侮辱のように思われた。


「ごめん。イルミ。ちょっと、トイレ行ってくる。しばらく火を見てて」

「……ん」


 セラフィナはゆっくりと立ち上がる。立ち去るとき、イルミの頭を撫でたくなるが、軽く肩に手を置くにとどめる。

 セラフィナが暗がりに消えると、嗚咽おえつが聞こえてきて、なんだかやるせない気分になる。


「いるんでしょ」


 苛立ちを隠さず、セラフィナが吐き捨てるように言うと、他の獣人たちに隊長と呼ばれていた狼系獣人が姿を現す。


「ああ。久しぶりだな、フィー」

「フン。正直、あんまり戻って来たくは無かったんだけどね、魔王さん」


 姿かたちは狼系獣人のままだったが、その中身は今代の魔王エルヴィン。魔王に代々受け継がれるスキルによって、獣人の体を借りて話しかけているのだった。


「私のことは、この国を出る時に散々話したでしょ。今更結論を変えるつもりは無い。今回は、案内に立ち寄ったってだけ」

「ああ。分かってる。あの子……イルミの事情も、こっそり聞かせてもらった。魔王の名にけて、イルミを全力でサポートする。正直言って、喉から手が出るほど欲しい逸材いつざいだしな」

「……そう。安心した。色々」


 気まずい沈黙が再び訪れる。それに耐えられなかったエルヴィンが、せき払いしてセラフィナに語り掛ける。


「んんっ。それでだな。フィーが追っている源だったか、次は教会の総本山に行くそうだ」

「はぁっ!?」


 セラフィナが嫌そうに顔をしかめる。


「あそこに行くのは魔王国と帝国を周ってからにしようと思ってたのに。全く! ゲンは全く!」


 ぷりぷりと怒るセラフィナを見て、エルヴィンは安心すると共に寂しくなる。セラフィナが立ち直ったのは嬉しいが、自分たちはセラフィナのために何もできなかったという事実を突きつけられているようで、複雑な気分だった。


「良かったら、近くまで送るぞ。そうだな……アング王国の首都なんかどうだ。あそこからだったら、半日もすれば神聖国だ」

「……良いの?」


 気遣うような声色のセラフィナに、エルヴィンは軽く笑う。


「そのぐらいなんてことないさ。昔の仲間のよしみだ。これぐらいはさせてくれ」

「……ありがと」


 エルヴィンが頷くと、セラフィナの目の前に光の壁が現れる。その壁が映し出す景色は、アング王国首都近郊の丘の上だった。


「それじゃ……また、ね」

「ああ、また、な」


 素っ気ないが、再会の約束の言葉をセラフィナから聞き、エルヴィンは顔をほころばせる。

 そのエルヴィンを振り返りもせず、セラフィナは光の壁に足を踏み入れると、周囲の景色が一変し、王国首都を見下ろす丘へ転移する。


「よし」


 エルヴィンとイルミに後ろ髪引かれる想いはあるが、自分は源を選んだのだ。

 振り切るように気合を入れて、セラフィナは前に踏み出した。

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ギャグ補正の勇者の世直し道中~無意識のうちに異世界救済~ 明日葉いお @i_ashitaba

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