【KAC20244】あおくん、私に任せて!

涼月

トゲ

『木と対話することを忘れんようにな』


 それがじいちゃんの口癖だった。木にはそれぞれの生きてきた年月と個性がある。それをじっくりと見極めて、適材適所に配置する。

 時間はかかるがそうやって作り上げれば、どんな木もしっかりと役割を果たしてくれるのだと教えてくれた。


 そんなじいちゃんの後を継いで大工になったことを、あおいは誇りに思っている。


 古民家の再生現場で、古材の上を滑るように鉋掛けしていく。乾燥や衝撃で変形し、でこぼこギザギザになった表面を削ることで中に守られた白い幹が現れ出る。仕上げは優しく丁寧に、その柔肌を撫でるように。


 その時、「つっ」と微かに顔をしかめた。


 鍛えられ厚くなった手の皮は、ちょっとやそっとのトゲには慣れてしまっている。だが、今日は珍しく作業するたびに入り込んだトゲがチクチクと痛みを放っていた。


「帰ったら抜いておかないとだな」


 薄皮の中側にすっぽりと収まった茶色の欠片を見つけてそう独りごちた時、ふっとその手が温もりに包まれたような気がした。


『あおくん、私に任せて』


 そう言って丸い瞳を輝かせながら見上げてくるようの幻影。


 そういえば、あいつに抜いてもらったことがあったな。


 今は亡き想い人の思い出に、しばし身を委ねた―――



 葵と陽は小学一年の時からの付き合いだ。告白なんて小っ恥ずかしくてしたこともないが、いつの間にか二人は寄り添い、周りからも付き合っていると認識されていた。

 まあ、それは共通の友人でお節介焼きのあかねのプロデュースのお陰でもあるのだが。いつもは憎まれ口しかきかないが、本当はちゃんと彼女にも感謝している。


 その頃、葵はじいちゃんの家に住んでいたので、時々一階の作業場で木材をいじっていた。そして昨日も。


「あおくん、どうしたの?」


 指先を気にする葵の様子に目ざとく気づいた陽が覗き込んできた。


「別に、何でもない」


 仏頂面で答える葵に、何故か自信満々に言ってくる。


「分かった! トゲが刺さって痛いんでしょ」

「痛くない」

「私に任せて!」


 そう言うと、陽は自分のロッカーから裁縫セットを取り出した。


「行こう」


 葵の手を掴むと、昼休みの廊下をズンズン進んで行く。


「おい、どこに行くんだよ」

「家庭科調理室だよ」

「はぁ?」


 トゲを取るために、何故裁縫セットを持って家庭科調理室へ向かっているのか、理由わけがわからないと思った。


「勝手に入ったら怒られるかな」


 扉の前でキョロキョロと周りを見回す陽。廊下の突き当りにあるこの教室は、皆の喧騒からはだいぶ離れている。それでも念には念を入れなければ、気が済まないらしい。その後も、泥棒のようにそろりそろりと音を立てないように扉を開いていった。


「良かったぁ。先生いなくて」


 うふっと笑うと、シャキーンという感じに裁縫セットから縫い針を一本取り出して見せる。


 縫うような怪我じゃねえんだけど。っていうか、やっぱりなんか勘違いしてるんじゃないか。まあ、こいつのボケはいつものことか。


 葵はピクリとも表情を動かさずに陽を見下ろしていた。


「ね、ね。あおくん座って」


 ニコニコしながら近くの椅子を指差すと、徐ろにガス栓を開いてカチカチとコンロに火をつけた。そして、持っている針の先を炙り始めた。青い炎が鋭い針先を真っ赤に染め上げ、やがて黒く焦がしてゆく。


 ああ、そういうことか。


 針先を焼くことによって消毒してから使おうとしていることに気がついた。


 準備が終わると、隣の席に腰掛けた陽が葵の右手の人差し指をつまみ上げた。


「私に任せて! なるべく痛くないようにするから」


 ターゲットのを確認すると、チマチマと針先でつつき始めた。


「くすぐったい」

「え?」


 真ん丸の目を更にまん丸にして、「じゃあ、もうちょっと痛くするよ」と理由のわからない宣言をしてくる。この調子じゃあ昼休み中には終わらないなぁと思った。


「一気にいっていいぞ」

「······分かった」


 覚悟を決めたようにそう答えると、突かれている葵よりも痛そうな顔をしながら、懸命にトゲの周りの薄皮を剥がし始める。一生懸命な顔がどんどん指先に近くなって、寄り目気味になった陽の顔が可愛くて面白くて、葵は笑いそうになった。


 自然と上がる口角。

 自然と下がる目尻。

 柔らかな眼差し。


 その時、ひょいと陽が顔を上げた。


 二人の視線が重なる。

 ぱぁーっと花咲く陽の笑顔。

 そのまま吸い込まれるように見つめる葵。


 ああ、この笑顔さえ見られれば······俺は······


「スマホ、持ってくればよかった」

「?」 

「笑顔のシャッターチャンスだったのに」


 心の底から残念がりながらも、陽はまた刺抜きに専念し始める。

 葵も直ぐに顔を引き締めると、いつもの仏頂面に戻ってしまった。


 そうして、しばらく無言でチクチクと刺され続けている間に、予鈴の鐘が鳴ってしまった。


「もう、いい······」「取れたぁ、あっ」


 指を引き抜く間はなかった。

 柔らかくて温かなそれが、ぬるりと指先をなぞるのを感じた。


 かぁっと熱を帯びる身体。

 無意識に止めた呼吸。

 大きく目を見開いて固まる葵を上目遣いに見上げながら、陽が指先から口を離した。


「ごめんね。血が出ちゃった」

「······いや······大、丈夫」


 それだけ言うのが精一杯だった。


 陽のヤツ!?

 いくら血が出たからって、いきなり舐めるやつがいるかよ!

 これだから······ああっ、くそっ。


 任務完了とばかりに満足そうに縫い針を裁縫セットへと戻した陽に、気恥ずかしさを必死に抑えて左手を差し出す。


「ありがとな」


 小さくて柔らかな陽の右手が、待っていましたとばかりにスポっと収まった。



 無口ゆえ口に出したことはないが、葵にとって陽はだった。

 好きとか、愛しているとか、そんな葉の浮くような言葉で言い表せるような感情ではなくて、心の奥深くで欲し渇望する半身のような存在。


 だから、高三の夏に彼女が病で帰らぬ人となった時、もう、これから先、笑うことは無いと思っていた。


 でも、今はわかっている。

 陽は生きていようといまいと、葵を生かしてくれていることを―――


 陽!


 葵は窓辺から青い空を見上げると、降り注ぐ太陽に微笑みかけた。



            了


 

 


 



 

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