【SFショートストーリー】『永遠の鏡』

T.T.

【SFショートストーリー】『永遠の鏡』

 鏡の中から、異世界の住人が私を呼んでいた。


「こちらへおいでくださいな。あなたが来るのを、私は何億年も待っていたのです。何億年なんていっても一瞬ですけどね」


 私の名は東雲涼子。

 普通の大学生だったはずが、ある夜、鏡の向こう側から異世界の声が聞こえてきた。

 不思議に思いながらも、何か強い引力に惹かれるように、鏡に近づいていった。


 鏡に顔を近づけると、そこには広大な別次元の世界が広がっていた。透明な大気に包まれ、幻想的な景色が広がる異界だ。空間から時間の流れが歪んでいるようにも感じられた。


 戸惑いながらも、私は鏡の中を越えて、異世界へと足を踏み入れた。すると宙に浮かぶ環状の島に出くわした。遠目には次元が歪んで見えたが、間近で見るとその造形は一種の芸術作品のようでもあった。


 そこには、奇妙な生物が住んでいた。長く蛇腹のような体を持ち、無数の手足を生やしている。しかしその動きは優雅で、幾つもの手足を使って私に近づいてきた。


「ようこそ、インフィニティ・リングへ。この世界は『インフィニティ・リング』と呼ばれる環状世界。永遠のループを描く世界なのです」


 その奇妙な生物、ミクロはそう私に説明した。この世界には無数の並行世界が重なり合っており、過去と未来が共存し、生と死が行き交うという。


「ここにいれば、あなたはずっと永遠に生き続けられるのです。そして、あなた自身のすべてと出会うことができます」


 ミクロに導かれ、私はこの驚異の次元を旅することになる。最初は途方もない光景に戸惑ったが、しだいにその世界の原理を理解していった。


 そこで目にしたのは、想像を絶する光景だった。時間と空間がねじれ、過去と未来が入り交じる無限の連鎖。


 まるで鏡の中の鏡のような無限階層の世界が広がっていた。自分が自分と対話をしている。自らの生まれ変わりと出会う自己同士の対話。古代から未来までの全時空が共存する、時空の万華鏡。過去の自分と今の自分が交差する、永遠の行き場のない道。


 私はそこで無数の自分たちと出会った。まるで鏡に映った自分の姿が、無限に重なり合うようであった。


 まず目に飛び込んできたのは、幼い頃の自分の姿だった。小さな女の子が私の前に立っていた。初めて会う相手のようで、そうでもない。まるで夢の中を歩いているかのような不思議な体験だった。


「ねえ、私、大人になったらどんな人になるの?」


 小さな自分が、そう私に問いかけた。それは私が昔、いつも抱いていた夢への問いだった。


 私は幼い自分にそっと微笑みかけ、そのあどけない瞳を見つめ返した。そして答えた。


「大人になっても、私は夢を捨てていないわ。いつか夢を叶えられると信じて」


 すると小さな自分は、嬉しそうに笑って走り去っていった。


 しかし次に現れたのは、10代の頃の私だった。ショートカットの少女がきつい眼差しで私を見つめていた。


「夢なんて、いつか誰もが捨てるもの。そんなの当たり前。大人になればわかる」


 きつく言い切る少女の言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。あの頃の自分は、そんなに傷ついていたのだろうか。


「でも、捨ててしまったら、人生は味気ないわ。夢は追い続けなくちゃ」


 私はそう答えると、少女は虚ろな眼差しを向けたまま、去っていった。


 するとその次には、20代後半の私が現れた。就職し、少しずつ大人の階段を上り始めた頃のようだ。


「夢を追うのは良いけれど、現実を見据えることも大切。バランスを忘れないで」


 おとなしくも、しっかりとした口調で語りかけてくる。私ももうすぐそんな年頃になるのだと思った。


 こうして無数の自分たちと出会い、対話を重ねていった。


 30代、40代の自分は、少し疲れた様子で私に諭すように言った。


「夢は大切だけど、決して追い求めすぎてはいけないわ。バランスを失っては元も子もない。あなたにはまだわからないかもしれないけど、日常の積み重ねが一番大事何よ」


 50代の自分は、どこか達観した表情で私を見つめていた。


「人生の夢なんてものは、さまざまな局面で変わっていくもの。時と共に変化を続けるのが当たり前なのさ」


 60代を過ぎた自分は、穏やかな表情で私に微笑みかけた。


「あなたが歩む道は、あなた次第。夢を求め続けることも、夢を手放すことも、それはすべてあなた次第なの」


 年老いた姿の自分たちは、そうひとことずつ私にアドバイスをしてくれた。それぞれの人生を歩んできた数多の自分たちの言葉に、私は深い示唆を受けた。


 やがて無数の自分たちが去っていき、ただ一人の白髪の老婆が残された。


「ようこそ、わたしたちの世界へ」


 老婆はそう言うと、私に手を差し伸べた。握った手は骨ばっていたが、暖かだった。


 この老婦は、私がいつかなる最後の姿なのだろうか? 人生の終着点にたどり着いた、果ての自分からの最後の言葉なのか?


 私は戸惑いながらも、微笑みを返した。すると次の瞬間、世界が歪み、時空がねじれた。


 まるで鏡の中を抜けるかのように、私は新たな次元へと足を踏み出したのだった。


 刹那、私はこの世界には因果の連鎖も、時間の順序も存在しないことに気づいた。すべてが自分の中に収斂し、無限に拡がる。


 この世界は、誰もが思い描く"永遠"を具現化したものなのだと。生と死を超越した、究極の世界なのだ。


 時を超えた旅を続ける中で、私は自分自身の根源的な存在と遭遇する。果てしなく続く自己の連鎖に戸惑いながらも、私は歩みを進めていった。


 すると、やがて私は自らの命の本当の意味と使命に気づかされるのだった。


 この世界を旅することで、私は自分が「永遠の命」を持つ存在であることを自覚した。私には過去と未来があり、すべての時空に散らばる無数の自分がいるのだ。


 そしてその目的は、すべての時空を永遠に生き抜き、自分自身と対話し続けることなのだと気づいた。


「私たちは孤独ではない。そしてこの世界は孤独なものではない。なぜなら、この世界には無数の私たち自身がいるのだから」


 私は静かにそう呟いた。永遠の命を持つ者として、ようやくその意味と使命を理解することができた。


 この世界こそ、永遠の鏡なのである。


 この世界の存在を胸に、礎として、私は今日も、「今与えられている世界」を生きるのだ。


(了)

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