生きる証 ~Fairies 短編~

西澤杏奈

悪癖

 ぺりっ、ぺりっ、ぺりっ。

 夜中、廃墟となったビルの中で、まったく知らない赤の他人が寝ている間で、少女はささくれを剥がしていた。

 皮膚が裂ければ、裂けるほど、赤い肉が見え、微妙な痛みが走る。能力者にとってささくれなど、数秒で治せるものではあったが、少女はわざと自分の手の傷を再生させなかった。逆に、痛みを感じることこそが、ささくれを剥がすことの目的だったからである。


(あっ……)


 大きな皮膚の塊が取れてしまい、指先から赤黒い血がぽたりと地面に落ちる。痛みはますますひどくなり、ひりひりと少女の指を苦しめる。だが、彼女は大してそれに反応せず、ぼんやりと傷だらけの手を自分の顔の前にあげただけだった。


(今日も……生きている)


 痛みのみが、彼女に生を伝えさせるものだったのだ。


 少女の名前はキム・ハヨン。生まれは韓国だったが、自分が12歳のときに、ロサンゼルスに引っ越してきた。

 平和な毎日を過ごしてきたが、ある日交通事故にあった彼女は、そこで能力者化してしまう。

 火・水・闇・風・大地という強力な魔法を使う能力者は「Pest害虫」と呼ばれ、生きることを許されない。人間の脅威となるからだ。

 安全保障隊というペストを殺すために組織された軍から娘をかばったことで、ハヨンの両親は死んだ。


 そのときから心が死んだまま、ハヨンは復讐をするという決意としてなんとかここまで生き延びてきた。だけれどもときたま、悲しみと怒りと寂しさで、自分が死んでいるのか、生きているのかわからなくなる。だから彼女はささくれを剥がすのだ。痛みで自分を覚まさせるために……。



 それから約一年後、なんだかんだいろんなことがあり、組織を去らなければならなくなったハヨンは、死ぬ前に安全保障隊の奴らに一矢報いようと、ニューヨークにある彼らの本部を攻撃した。


 だが結局、駆けつけた別のペストの団体に敗れ、はたまた様々なことがあり、彼女はその組織に参加することになった。不動産会社の下で、マンションを守る警備の仕事をしている彼らのチームの名前はフェアリー団。ハヨンはそのうち、ニューヨークを担当する第三班に入った。


 ぺりっ、ぺりっ、ぺりっ。

 新しい居場所は見つかった。しかし、少女は引き続き、自分の皮膚を剥がしていた。

 復讐という人生最大の目的がなくなった今、彼女は自分の生きる意味がわからなくなっていたのだ。

 ただ無言で、作業のように皮膚を剥がし続けていると、手が血だらけになってしまった。


 そこで、三班のメンバーの一人、ハヨンと同じく数学が得意なインド人の少年、クリシュナ・シャルマが通りかかる。彼はちらっとソファに座っている仲間を見たが、真っ赤になった彼女の手を見ると唖然としてしまった。


「ハヨン! 大丈夫?!」


 彼はすぐに駆け寄ると、彼女の手を取る。慌てふためいているクリシュナを、ハヨンを不思議そうに見つめた。


「怪我したの? なにかにあたった? 早く治療しよう! それともヴィルを呼ぶ?」


「別に何もしなくていいよ。これ、わざとだから」


「え?」


 少年はぽかんと口を開ける。


「昔からささくれをはがす癖があってさ。気づいたら血だらけになるんだ。痛覚は人間の二分の一だし、どうせ再生できるからどうでもいいよ」


「なんで……、そんなこと……」


 クリシュナは眉を下げて悲しそうな顔をした。


「ダメだよ、自分の大切な指を傷つけては」


「なんで?」


「だって……痛いよ……。病原菌とか傷口から入るかもしれないし……」


 ハヨンは目を瞬かせた。表情に一切の変化はない。


「ぼく、痛みを感じないと、たまに生きているのかわからなくなるんだ」


 クリシュナははっとしたように、わずかに目を見開いた。思い当たることがあるようだ。しかし、彼はハヨンの手を離さなかった。


「ダメだよ……。この指はお父さんとお母さんがくれた大切な体の一部だろう?」


 ハヨンはそこで一瞬息を止める。

 クリシュナにも両親はいない。だからこそ、出た言葉なのだろう。


「そんなことをしたら、きっと天国で悲しんじゃうよ。それに……」


 クリシュナの焦げ茶色の目が、ハヨンのを貫いた。


「僕も悲しむ。だから、もうやめてほしいな」


 少女は俯き、「わかった……」と小さく返事をした。少年はそれを聞くと、安堵の笑みを見せる。


「生きる意味が見つからないのだったら、僕と一緒に研究をしようよ。僕、自分でペストの調査をしているんだけどさ、ハヨンも数学とか得意だから、一緒にやってくれると嬉しいなーって」


 いつものおしゃべりが復活したのか、クリシュナは早口で少女に語りかける。

 ハヨンは少しだけ笑って、笑顔を見せた。


「わかった、いいよ」


 キム・ハヨンは生き延びてしまった。だから今度は両親のためにも、好きなことをして生きようではないか。新しくできた仲間とともに。


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