私の家の、ちょっと昔の話。
柚城佳歩
私の家の、ちょっと昔の話。
毎年、春になるとふと思い出す。
私が大学四年生になる年に父が告げた「店を畳もうと思う」という言葉を。
* * *
高校卒業後、大学に進学した私は一人暮らしを始めた。と言っても実家からそう遠くない場所だったから、長期休みの度に実家に戻っていた。
なんだかんだ落ち着くというのと、普段レトルトやインスタントものばかり食べていると、父の作る料理が無性に食べたくなる時があるからだ。
うちは、曾祖父の代から和食屋をやっている。
老舗とも言える店には常連のお客さんもいて、小さい頃、私が店にいるとよく話し掛けてくれた。
同じ空間にはいても私に構う暇のない両親に代わって面倒を見てくれていたんだなと、大きくなった今はわかる。
みんな気さくで優しかったから、私は親戚のおじさんおばさんがたくさんいるような気持ちだった。
三年生の課程を修了した春休み、また帰る事を伝えると「はいはいわかった。気を付けて来てね」と至っていつも通りの返事があった。
だからその時はまさか突然店を畳むなんて話をされるとは全く思っていなかった。それも改まってではなく、明日の天気でも話すかのような気軽さでだ。
「ここ数年、特に腰にきててな。長時間立ってるのが結構きついんだ」
「えっ、と、待って。それは知ってるけど、でもなんで急に店を畳む事になるの。ていうか決める前に私にも相談してよ」
「言ったら気にしてどうにかしようとするだろう。せっかく大学に入れたんだから、今はそちらを頑張りなさい」
「大学なら来年には卒業するよ。その後私が手伝うんじゃダメなの?あ、そうだ!森さんは?店は森さんに任せるって前に言ってたじゃん」
森さんというのは長年店で働いてくれている従業員さんで、料理はもちろん経理なども手伝ってくれている店の中心的な人だ。
そんな人だから、父が引退したら店を引き継いでくれるように以前からお願いしていたのだ。
「彼も了承してくれていたし、そのつもりでいたんだがな、奥さんの実家が旅館をやってるそうなんだ。ここ数年旅行自粛なんて風潮もあってお客さんが来ないもんで辞めていった人もいたが、また客足が戻って来て、今度は人手が欲しいらしい。森くんは料理も経理も出来るから、そういう事情ならうちで引き止めておくわけにもいかないだろう。元々俺の代で終わらせてもいいと思ってたしな」
父の顔を見れば、本心から言っているとわかる。
……でも。頭では仕方がない事だと思っても、心が納得出来ない。何かないのかな。まだ続けられる方法が。
「それなら私がやる!私が店を継ぐよ」
そう言ったのは決して衝動的なんかじゃない。
やっぱり店をここで終わらせたくなかった。
だって小さい頃から今までの思い出までもが店と一緒になくなってしまうような気持ちになったから。
「やるったって……、お前普段料理なんてしないだろう」
「い、今どきの冷凍食品は種類も豊富で美味しいんだよ!時間がない時とか便利だし。それに休みの日ならちゃんと自炊してるもん」
「それは料理しているうちに入らん」
「お父さんからしたらそうかもしれないけど!」
「店を継ぐなんて、本気で言ってるのか?」
「もちろん本気だよ」
「……わかった。その気持ちは嬉しく思う。でもな、自分の将来に関わる事だ。一週間じっくり考えろ」
ここで一日ではなく一週間と言ったのは、私がその場の思い付きや衝動で動いてしまうところがある子どもだったからだと思う。
実際さっきのやり取りだって、落ち着いてから客観的に見れば、私が感情任せに言ったと思われても仕方がない。
だからここは父の言う通り、一週間本気で考えてやろうと決意した。
元々、大学卒業後の進路に具体的なビジョンがあったわけじゃない。
どこかのブラックじゃない企業に就職したいな、くらいは考えていたけれど、和食屋を継ぐという方向転換をしても大きな影響はない。
もし本当に店を継いだとしたら。
店の経営は、今いる従業員さんたちがある程度はサポートしてくれると思う。というかありがたい事にそう言ってくれている。
そうなると一番の課題は料理の味だ。
今は父と森さんの二人が料理を担当している。
この二人が抜けるとなると、新たに誰かがお店の味を提供できるようにならなければならない。
じゃあ誰がやるのか。ここは言い出した私が責任を持ってやろうと思っている。
私の本気を伝えるために、この数日間考えたあれこれをレポートにまとめてみた。出来る限り具体的に、ちゃんと想いが伝わるように。
その甲斐あってか、父は条件付きで私が継ぐ事を了承してくれた。
その条件というのは、うちで出しているメニューを全て作れるようになる事。
これはただ同じメニューを作るだけじゃなく、味も再現しろという事だ。
与えられた期間は一年。大学の授業もあるから、こちらにばかり掛り切りになるわけにはいかない。
ここからが正念場だった。
まず最初にネイルをやめた。
ほんのりと桜の香りがするハンドクリームがお気に入りだったけど、それも寝る時に付けるだけにした。
食事も週の半分以上を買ったもので済ませていたのを、出来るだけ毎日、簡単なものでも何か作るようにした。
実際にやってみて一番感じたのは、“わかる”と“出来る”は全くの別物だという事。
見た目だけなら父がお手本として作ったものと大差がなくとも、食べてみるとなんだかどこか物足りなさがある。
同じ材料、同じ場所、同じ工程で作っているのに違いが出るというのは、技術に差があるという事だろう。これはもうよく見て只管真似するしかなかった。
ケアを疎かにしているわけではないけれど、以前までと比べると手が荒れ気味になった。
前はなかったささくれだってある。
でも、なんだか努力の証のようにも思えて不思議と嫌じゃなかった。
実家に帰る頻度も増えた。
そしてその度に父のテストを受ける。
当然初めは不合格の連発だった。
それでも夏頃になると、少しずつ合格をもらえるメニューも出てきた。
うちの店は定食、単品料理を合わせると全部で四十くらいのメニューがある。
だから三つ四つ合格がもらえたとしてもまだまだゴールは遠かった。
周りが就職活動を本格化させる中、私は料理に集中し続けた。
周りと違う行動をする事に焦りがないわけじゃない。でも「それも就職活動の一つなんじゃない?」と言ってくれた友達がいたから少し気が楽になってまた頑張れた。
秋が過ぎ冬になると、合格をもらったメニューは三分の二ほどに増えた。あと一息。ゴールが近いと思うと改めてやる気が出てくる。
この頃になると、私も時々お店の調理を任せてもらえるようになってきた。
「美味しい」の一言がこんなに嬉しいなんて初めて知った。
そして春、約束の一年が来た。
最後のメニュー、煮魚定食を父の前に置く。
「いただきます」
箸を取り、魚に手を伸ばす。
父の一挙手一投足に緊張してしまう。
ゆっくりと飲み込んだ後、父が穏やかに笑った。
「本当によく頑張ったな。合格だ。文句なしに美味い」
「……っありがとうございます!」
こうしてあの時言った通り、私が和食屋を継ぐ事になったのだ。
あれから五年が経つ。
何年経っても日々修行の気持ちは変わらない。
昔からの常連さんも変わらず通ってくれて、喜んでくれるのが本当に嬉しい。
父はと言うと、完全に引退したわけではなく、腰の調子が良い時にたまにふらりとやって来ては厨房に立ち手伝ってくれたり、試作品と称して気紛れに新しい料理をお客さんに提供したりしている。
そんな様子だから常連さんの間では今の父の料理は「幻の料理」なんて呼ばれている。
やっぱり父は根っからの料理好きなんだと思う。
そんな父の血を受け継いだ私も同じだ。
大変な事があっても、美味しく食べてくれる人たちの顔を思い出すとどこまでも頑張ろうと思えてしまう。
だから今日も元気に開店する。
「いらっしゃいませ!」
私の家の、ちょっと昔の話。 柚城佳歩 @kahon
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