Dis is Communication!

人生

 ディストピア・コミュニケーション




「クソが! 寝言いってんじゃねえよ! というか寝てる時間なんだよ! いつまで仕事させる気なんだよ! 死ね! 死ね! このハゲが! これだからゼット世代ってやつは!」



 変換内容:寝言を言わないでください。今はもう就寝時間です。いつまで労働を続けますか? 貴方の頭は毛量が少ないです。貴方はオワコンです。


   ――この内容で送信しますか?


 (*警告*この文章はコミュニケーション規制法に抵触する恐れがあります)



「ふう……。いや、しない。する訳ないだろ。家から一歩も出てなくても社会人やってるんだよ、こっちは。というかオワコンてお前。まあ、その通りだけど」


 吐き出してすっきりしたし、AIの謎変換に毒気も抜かれた。文句は言っても仕事はやる。それが社会人というものだ。


 上司からの連絡についぶちギレてしまったが、これは愚痴だ。在宅ワークなら誰でも一度はすることだ。本人を前にしては絶対口にしない。容姿を揶揄する表現はハラスメントに該当するからだ。


 ハラスメント――なんとかハラスメントという言葉が定義され、それでこれまで日の当たらなかった問題に目が向けられるようになった、というのは良いことなのだろうが。

 それが「自分の気に食わないものを排斥する」意図で使われ、流行。誰かが「もういいよ」と言ったことがきっかけで、今は誰もつかわなくなった死語。一歩出遅れたメディアが「みんなこれが好きなんでしょ?」とばかりにいろいろ騒ぎ立てたが、仕舞いには嘘八百並び立てたのが問題になったという。

 お陰で本当に悪意のある人が罰せられず、こころから苦しむ被害者が「またか」と流されるようになってしまった。もっと早くパワハラを「暴力」と、セクハラを「性加害・被害」と言い換えればよかったのに。


 変に流行してしまったものだから、それが文明のあり方を変えてしまった。


 誰ともかかわらない、という自衛。かかわらないという、リスク回避。そうして制定されたコミュニケーション規制法。喋れば罪に問われかねないから、みんな揃って押し黙る。

 最低限必要なやりとりをAIの自動音声、文章変換に委ねてしまい、誰も自分の言葉を発することが許されない、そんな社会。


 人が集団になると様々なトラブルが起こるから、会社や学校といったこれまでの社会構造はなくなった。

 今の俺のように、誰とも顔を合わせず自宅で一人、作業する。お陰でストレスフリーでも、どこか心に穴が空いたかのような虚しさがここにある。


 それもこれも、前世代……いわゆるZ世代とかいう連中のせいだ。人類にこの先はないと分かっていたかのような、ゼット。

 にもかかわらず、俺たちA世代……アンサー世代がここにいる。連中がやらかした全てに、なんらかの答えを示さなければ先がないという、クソみたいな時代を生きている。


 環境問題を起因とした一連のあれこれで人類の生存圏は著しく狭まり、一番責任をとるべき富裕層は逃げるように宇宙開発に邁進、お陰で地球環境はどんどん悪化する一方。

 そのため一般市民は電脳世界……現実に肉体を残し、サーバー内の世界にその居住を移した。そうすれば無論少子化も加速する訳で、あと数十年もすれば人類は滅亡するだろうとまで言われているのが、現在。


 文明の拠点を電子世界に移したとはいえ、全てではない。それに現実でそのフォローをする人間は一定数必要だ。俺はそうした労働者の一人として、現実世界でモニターとにらみ合いを続けている。


 多くの人類がいなくなったお陰で、現実世界は比較的静かで穏やかだ。あらゆる活動がデータ世界にウェイトを置き、ビジネスの一切も在宅で行えるようになった。そのため、様々な「移動」による汚染が抑えられているお陰で環境も安定化している。


 とはいえ、外出には人目を気にしてマスクをつける。これも前世代が残した因習・マナー・文化の一つ。マスクは今や下着も同然なのである。素顔をさらすと露出狂扱いされるのだ。


 そういう訳で、外にはほとんど人がいないが、生憎と家の中に居る方が自由。しかし家にいるからには仕事が黙ってはくれない。とんだジレンマである。


 まあ、仕事さえしていれば、自由に生活できる。料理もその素材も宅配されるし、家から出る必要はない。そんな生活を送るためには、仕事する必要がある。嫌なジレンマだ。


 仕事しなくても生活できたら。せめて楽しめる仕事であれば。そんな風に思う。まあ、仕事を楽しむ姿勢が必要なのかもしれないが。


 モニターにしかめっ面を向けつつ、視界の端では別のモニターで配信者のゲーム実況を流している。これが俺の「仕事をこなす姿勢」といえるだろう。これもまた、家だからこそ出来ることだ。昔の人よりはまだ幸せだと思う。


 ゲームをする配信者エンターテイナー。楽しそうで、楽そうだな、と思う。画面の端では今も、視聴者からの「スーパー投げ銭」が飛んでいる。この一回の配信で、どれだけ儲けているのか。

 一方で、与えられた仕事をこなせばいいだけのこちらと違い、あちらは常に新しい何かを生み出していかなければ飽きられる、不安定な立場でもある。俺にはとうてい無理な仕事だ。


 それに、彼ら彼女らは発言権を買い、有名税を払っている。


 今やツイッターも従量課金制、一ツイート数百円(+税)を求められ、旧時代の無法ボットだけが毎日ワイワイにぎやかにやっている有様だ。AIだけが活き活きしている。人間様はといえば、スタンプさえ「あおり」などと言われる始末だから、誰もがAI依存の定型文しかつかわない。


 そんな中、配信者たちは宣伝や告知のために毎回その一ツイート数百円(+税)を払っているというのだから、頭が下がる。コミュ法抵触のリスクをおかしてまで発言しているのだ。


 配信枠自体もそうだ。金がかかる。いまやテレビ局も「番組枠」のレンタルをしていて、独自制作の番組はやっていない。バラエティなんて金がかかる環境も汚すしで、この時代にはそぐわないのだ。


 配信者の収入源は、配信の広告収入と、視聴者からの「スーパー投げ銭」。

 かつてはコメント欄・チャット欄と呼ばれるものがあったそうだが、今はそういうものは表示されていない。発言権を買い、配信者にコメントを送っても、それはAIが「適切な文章」に変換する。なぜなら、そこにもハラスメントが存在しうるから。

 そんなものに意味はあるのか、と俺などは思うのだが、あらゆる言葉、関係が規制されたこの時代、誰かとのかかわりを求めて人々は彼ら彼女らに言葉を、お金を投げる。でなければ電子世界で自分を装い、偽りの(そしてありのままの)自分で関係を構築するのだろう。


 まあ、発言するだけでもすっきりする。コメントが改変されたとしても、見向きされないとしても――だから自由な(時に相手の気持ちも考えない)発言が出来るし、たまに反応があった時にうれしくもなるのだろう。


 言葉を封じられたような現代人に代わって好き勝手喋る、それが今の配信者。アイドル、偶像的存在だ。これが遠い未来には神格化されるのだろうか。「神アイドル」とか、昔の人はまるで未来を見透かしていたかのような言葉をよくつくったものだと関心する。それならもうちょっと良い未来現代にしてくれればいいものを。


 あぁ……。嫌な時代だ。俺の時代はこうだった、という時代マウントもタイムハラスメントで、俺の今の嘆きも自虐ハラスメント。俺の時代はこうだった、じゃねえんだよ。お前らが今の時代を築いたんじゃねえか。苦労ばっかり押し付けやがって――



 変換内容:貴方の時代など知りません。現実を直視してください。


   ――この内容で送信しますか?


 (*警告*この文章はコミュニケーション規制法に抵触する恐れがあります)



「いい、いい! やめろって。まさしくその通り、的を射た変換だよ恐れ入るよ」


 まったく……。思わず声を出すと、すぐAIが反応する。でもこの警告で毎回我に返る。どういうかたちであれレスポンスがあるのは気持ちが落ち着くというものだ。


 そんなお前にこの言葉を送ろう。どう変換する?


「あいしてるぜ、相棒」



 変換内容:ありがとうございます。どういたしまして。



「……ん?」


 初めての反応だった。


 時は西暦2045年を過ぎ――世界に変革シンギュラリティが起ころうとしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dis is Communication! 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説