ただ取り残され、ささくれて血の滲んだ僕の心

川線・山線

第1話 満月になり切れなかった月の光は、少しだけ私に優しい

「今日の演奏会、山野さんの彼氏らしき人が来ていたらしいよ。クラブの同級生で、学科も一緒なんだって」


と、友人の寺田が僕に耳打ちをしてくる。


「あぁ、そうなんだ」


と生返事を返しながら、自分の心がささくれ立って、荒れていることに気づいている。


高校時代に所属していた室内楽部の卒業生たちで結成している「OBアンサンブル」。彼女は現役で大学に合格し、OBアンサンブルに所属していた。俺も、寺田も、身分は浪人生。OBアンサンブルに参加することはできないが、先輩方から定期演奏会へのお誘いとチケットが送られてきた。部活のメンバーみんなが情熱をもって活動していた室内楽部である。定期演奏会に行かない、という選択肢はない。


先輩方、そして現役生で大学に進学した同期も参加しているOBアンサンブル、やはり高校時代のアンサンブルとはレベルが違う。ハーモニーも美しく、演奏のレベルも段違いだ。山野さんは、僕ら同期の中でも最も演奏の美しかった人だ。先輩方に引けを取らない演奏をされる。


高校に入学してすぐ、在校生と新入生で行なう「新入生歓迎式」という伝統行事があった。各クラスごとに整列して、まだ名前も顔も一致していない時期に行われる行事だった。その時にたまたますれ違ったクラスに、一人だけ強く心に残った人がいた。言葉を交わしたわけでもない。ただすれ違っただけなのに、彼女だけが心にこびりついて、忘れられなかった。


弦楽部の新入部員歓迎会で、彼女の姿を見つけたときには、正直に「運命」というものが確かに存在する、と強く思ったことを覚えている。


清水の舞台から飛び込む思いで、彼女に自分の思いを伝えた。彼女も私のことを心憎からず思ってくれていたようだ。舞い上がるほどうれしかった。


でも、3年生になり、部活を引退するころから、「僕たちはダメになる」と感じるようになった。僕の想いは変わらない。彼女も私のことを嫌いになったわけではないが、それ以上に受験のことなどが彼女の中で優先されるようになった。互いに「嫌い」になるわけではないが、いわゆる「自然消滅」パターンである。


いくらこちらが恋しくても、二人の関係は二人で育てていくもの。片方がその情熱を失えば、いくら悲しくてもそれを受け入れざるを得ない。


彼女が新しい恋を始めたことを、責めるつもりもなければ、それを邪魔する気持ちもなかった。僕の想いはただ一つ。


「彼女が幸せであれば、それでいい」


それでも、寺田の話を聞いて冷静にいられるほど、僕の心は強くない。「運命」とはいえ、それでも身を切られるより強い痛みが心を切り裂いていく。どんどん僕の心はささくれ立っていく。まるで世界を敵に回したような思いになる。しかし、それでも私は、私の冷静さを保たなければならない。


演奏会が終わり、「OBアンサンブル」メンバーは打ち上げに。俺たち観客は、このまま帰宅、である。


帰り道、確か、寺田や、他の同期、後輩たちと一緒に帰ったはずなのだが、どんな話をしながら帰ったのか、全く記憶に残っていない。何気ない会話は私の心の中をただ通り抜け、ささくれ立った私の心はうっすらと血がにじんでいて、ちょっとした刺激でもひどく痛んだ。空には満月にはなり切れていない、少しだけ欠けた月が浮かんでいて、月明かりは少し僕に優しかった。


ただそれだけの話である。

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ただ取り残され、ささくれて血の滲んだ僕の心 川線・山線 @Toh-yan

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