小さなハコで見た夢

のざわあらし

小さなハコで見た夢


 天から降り注ぐスポットライトの光は、きっと私の頬を伝う汗を輝かせている。それは舞台役者にとって最高の祝福。客席のスタンディングオベーションと、鼓膜から心臓へ伝わってくる約2000人分の拍手が、その煌めきに華を添えてくれた。

 正面に向かって一礼すると、拍手の勢いは更に強まった。深々と下げたはずの頭に、ふわふわと浮き上がりそうな感覚が宿る。念願だった帝国劇場の舞台に座長として立ち、無事に初演を終えた達成感が、私の脳を包み込んでしまっているようだ。

 そんな瞬間に100パーセントの満足ができない私は、自分勝手な人間だ。これほど大きな劇場ハコの舞台に立てている理由も、私の自分勝手さにあると知っている。

 一礼から顔を上げるとすぐに、私は結衣ゆいの姿を探し求めて客席を眺め回した。



 2年前、私は観客として帝国劇場を訪れていた。5000円のB席のチケットは大学生の懐に厳しい金額でも、勉強代と割り切れば苦にならなかった。


「小劇場の芝居とは違いすぎて、あんまり参考にならなそうだねぇ」

「確かに。圧倒されたけど、あの演技参考にしたらオーバーアクトになっちゃうし」

千明ちあきみたいだよね、声も大っきいし、気を抜くと大袈裟になりがちだから」

「何それ!私そこまで大袈裟かな?」

「もしかして、小劇場よりこっちの方が向いてるんじゃない?」


 結衣と私は大学の演劇サークルで出会った。似た嗜好と感性を持っていた私たちが意気投合し、無謀にもサークルを独立して二人だけの劇団を立ち上げるまでに、長い時間は掛からなかった。

 旗揚げ公演に選んだ場所は、パイプ椅子をぎっしりと並べても20人しか入らない、カフェを兼ねた劇場だった。大道具を置けず暗幕すら張れない狭苦しい舞台は、当時の私たちにとっても広すぎる場所だった。

 無事に千秋楽を終え、パイプ椅子を片付けながら、結衣と私は言葉を交わした。椅子から取り外した薄い座布団からは、まだ少しだけ温もりがあった。


「この前みたいなさ、大きな劇場ハコに立ったら気持ちよさそうだよね。ドームシティホールもサントリーホールも2000人超えてるけど、やっぱり帝国劇場テイゲキがいいなぁ。車椅子席合わせてMAXキャパ1899人だって」

「キャパ20人の小さな劇場ハコも埋められないんじゃダメでしょ。3ステ合わせて48人のお客さん、ほとんど私たちの関係者じゃん」

「そこは一歩ずつ階段を登ろうよ。色んな人に客演してもらって、お客さん増やして、王子で公演打てるようになって、ゆくゆくは下北しもきたの劇場借りて、それから──」

「まあ、確かにそうなれたらいいけどさ」


 結衣の語る夢はいつだって無謀で、甘い香りのする魅力を放っていた。その夢を奪い取ったのは、私の軽率な行動だった。

 ベストセラー小説の舞台化で、プロアマを問わないオーディションが行われた。主人公の役柄は新人役者、条件は20〜25歳までの女性。気の遠くなるような倍率が予想されるオーディションに、私は軽い気持ちで願書を出した。

 結衣に何も告げず、軽い気持ちで出した願書は、書類審査を通過した。


「そっか」


 審査の話を結衣に伝えた時の反応で、願書を提出すること自体が結衣への裏切りだったと、愚かな私はようやく気が付いた。


「応援するね」


 結衣は私を咎めなかった。私はオーディションを辞退しなかった。当然のように、私たちの間には壁が生まれた。それはきっと第四の壁。役者と観客の間を隔てる透明な壁が、私たちの関係を阻んでしまった。

 それから結衣とは連絡を取っていない。それでも、結衣のことを考えなかった日は一度もない。あらゆる感情を押し殺そうとして、それでも涙を止められなかった結衣の痛々しい表情を、忘れられるはずもない。

 だからこそ、私は結衣を見つけることができた。上手かみて寄りのC列、20000円もするSS席の中に、確かに結衣の姿があった。その表情に痛々しさは見られず、もっと昔に見た気がする懐かしさがあった。



 ぺちぺちと軽い音を立てる拍手と、憎らしい程の熱を放つ照明が、2年前の私たちを讃えた。流れたメイクが衣装に付くことも汗の臭いも気にせず、初演が終わって感極まった私たちは、舞台の上で抱き合った。

 輝く結衣の表情を、私は誰よりも間近で目の当たりにした。顔をほころばせながら瞳の中に涙を溜めた顔が、記憶の中から蘇る。私も同じ顔を結衣に向けていたはずだ。

 客席の結衣から第四の壁越しに見える今の私は、あの日よりも輝いているだろうか。小さな劇場ハコで結衣が見た夢を奪った私の姿は、汚れてしまっているのだろうか。

 結衣が向ける表情に答えがあると、自分勝手な私は信じていたい。

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小さなハコで見た夢 のざわあらし @nozawa_arashi

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