「もうアンタ入れるわ」「いいけど」
住礼ロー
夏、冷房音、窓辺のベッドにて
「終わったわ」
外に出るどころか、冷房の効いた通天閣を臨む子供部屋で
無論、本当に世を儚んでいるわけではない。来年通うつもりの進学校にA判定を取っていてもどうしようもない課題にぶつかっているだけである。
『10年後も手元にあってほしい物を箱に入れてください』
このご時世、タイムカプセルを埋めるようなイベントの代わりなのか、ともかく勉学でどうにもならない課題が出された時、富士井 結依はウッキウキの夏休み気分を破壊されたのだった。
あまりにも何をすればいいのかわからないので、これが何の授業で出されたのか完全に忘れている。
「15年しか生きてない生物に出す課題じゃないやろ~!」
時は午前11時すぎ。富士井 結依は塾の夏期講習から帰ってきて着替えもせずに机の前に座り、両手の広さに乗るような箱を15分ほど見つめていたが、今はベッドにうつ伏せに倒れ込んでいるのであった。
「世の中の問題、全部勉強の範疇で解決させろ~、マジで~」
白いソックスをまとった足が、枕の反対側に転がっている大きなサメのぬいぐるみをけたぐる。最近、ぬいの縦横比に戻るのが遅いので、間食の内容や頻度を見つめ直す必要がある。
とはいえこの優先度は『箱』の問題に比べれば非常に些細である。未来の体重計を見たくないことを除けば。
「ぐあ~!も~!」
ついに人間の言葉が無くなり、サメも縦横比が1:16になろうとしていた時、唐突に富士井 結依の部屋の扉が開けられたのだった。
「……また怪獣なっとるね」
座るまで待ちきれなかったのか、トレイからグラスを1つ手に取り、飲みながら入ってきたのは近所に住む同級生の藤井ヤマトであった。既に半分飲み終わっている。
「ノック!」
「したら待たせるやん。あとおばさんが掃除に入った言ってたし」
以前に床に落ちてた下着を見られたのは、10割で富士井 結依が悪いのだが、藤井ヤマトも男性アイドルみたいな端正な顔しながらもデリカシーがあるわけではない。野球部という体育会系の局地にいる、いやいたからだろうというのは偏見ではあろうが。
「……箱のやつまだ終わっとらん仲間おったわ」
藤井ヤマトが富士井 結依の机に2つグラスを載せたトレイを置きながら、空の『箱』を見つけて呟いた。
「適当なもん入れて茶を濁すタイプじゃなかったんや、意外」
「ガサツって言うてるんか?」
「勉強上手いから、効率良くやってるかと思っとった」
「勉強上手いて、野球か」
「あそこのA判定とれたら上手いでいいやろ」
「……なら、上手いでええよ」
サメを抱えて上体を起こして上機嫌になったところで、富士井 結依はハッとした。度々ではあるが、また自然に
「何しに来たん」
「麦茶持ってきた」
「その前!」
「暇」
「暇で親がいる女子の家来れるのはハートが強すぎるわ」
「いつでも来てええよって、おばさんもおじさんも言うから」
「額面100で受け取らんで、消費税ぐらいにしとく謙虚さは持って?」
「もらえるもんはもらっとけってオカンが言うからな。それでオトン盗られていなくなったけど」
「ツッコミ辛!」
「ああ、おじさんに来週の甲子園行きますって言うといて」
「自分で言いよ」
「男子とはいえ、同級生とメッセージやりとりする父親は嫌!言うてショゲさせたん誰よ」
「富士井キラーが悪いわ」
富士井キラーとは、富士井 結依が妙に両親に気に入られている藤井ヤマトに付けた称号である。「殺して無いわ」「悩殺しとるやろ!」というやり取りで与えたのは中学最初の梅雨の時期だったはずだ。セクシーヤマトにしといてやれば良かったと、富士井 結依は未だに思っている。
「俺が何かしてるんでなしに、おばさんとおじさんが聖人すぎるんよ」
「それを言えるのが一番タチ悪いわ、なんでカノジョ作らんでウチにくるかね?」
「……野球で忙しなかったからな」
「ほな、もう作れるやん」
「いや、今は課題で忙しい」
「ならウチ来んでやっといたらいいのに」
「……そういう自分も終わってないやん」
「ゔっ」
背中を刺された富士井 結依が唸ると、藤井ヤマトは自分の掌に載せて、机の上の箱を持ち上げた。
「このサイズじゃ、たこ焼き8個も入らんしな」
「なんでたこ焼き換算しとん……それこそ野球ボール入れたら?」
「あー……ベタすぎて被らんかもしれんね。でもなあ……別に10年後無くても普通にデスクワークでも、良いからなあ」
「高校、それなりに強いとこ行けるのに?」
「ドラフトで言うたら5位指名よ」
「謙虚風に言うてるけど、上澄みだからね?」
「そうかな?」といった具合にしっかり日焼け止めが塗られて、あまり灼けていない首を掻く藤井ヤマトに、富士井 結依は膝に肘を立てて、両方頬杖ついて見つめる。
そして、脈絡も無くポツリと言ってしまった。
「ハァ、もうアンタ入れるわ」
「いいけど」
しばし静寂。そしてそれを切り裂いたのは、ポカンと口を開いた富士井 結依の顔を写真に収める藤井ヤマトのスマホのシャッター音だった。
「ハ、ハァ?」
「いや、そしたら……結衣がいいかって」
静寂。これの意味することを理解した富士井 結依はサメのぬいに顔を埋めた。
「……名前で呼んだことないやん」
「いや折角だったし……」
「……出てって」
「ごめ」
「部屋の外で、待ってての、意味」
うん?という顔を上げた藤井ヤマトは、真っ赤な顔の富士井 結依にサメぬいを投げつけられて顔面でキャッチした。
「デート!!」
「あ、うん」
「着替える!」
「口から出るの、そっちが先やったな」
「ハリー!」
「USJはちょっとお小遣い足りんわ」
「はよ!!」
富士井 結依に怒鳴られた藤井ヤマトは、いそいそと飲みかけのグラスを取ると、サメを抱えて部屋を出ていった。
「……この富士井キラーめ」
まだ熱を帯びた嬉しそうな顔で、富士井 結依は制服を脱ぎ捨てると、服という服を部屋中に広げ始めるのだった。
「もうアンタ入れるわ」「いいけど」 住礼ロー @notpurple
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