パンドラの弁当箱
縁代まと
パンドラの弁当箱
旅行先で不思議な骨董屋を見つけた。
大型連休を利用して友人ふたりと足を伸ばした先でのことだ。
古ぼけて見えるが何故か新しい印象も受ける店構えで、もしかしてわざと古く見えるように塗装したのかなと思ってしまう。
お洒落の一環としてそういう手法があるのは知っていたが、骨董屋でそれをするのは少し珍しい気がした。
亡くなった父が古いもの好きだったので興味が湧く。
足がそちらへ向きかけたところで友人の
「
羽畑は昔から第六感が冴えていて、子供の頃から危険を察知してはこうして止めてくれていた。しかし的中率は八割ほどで百発百中ではない。
低いトーンの声音は明らかに警戒を促していたが、それを洗い流すほど明るい声が重なった。
「いいじゃんいいじゃん、面白そうだし! こういうとこってボッチじゃ絶対に入らないだろ? それにほら、一見さん歓迎って書いてあるし!」
もうひとりの友人、
下の名前を呼ぶと怒るが、他は基本的に気さくで付き合いやすい人柄だ。了哉は幼稚園からの付き合いだが、東山とは今通っている大学に入ってから知り合った。
了哉が黒髪なのとは反対に東山は脱色を重ねに重ねた後の派手な金髪で、今日も太陽をきらきらと反射している。
僕は生まれつき色素の薄い茶髪なので、ふたりの間に挟まると間を取り持つ色のようになるのがじつは嫌いじゃない。
この旅行は気分転換目当てのもの。
ならこういう場所に入ってみるのもいいじゃないか。
そう力説する東山に了哉はゲンナリしていたが、突然目を瞬かせると眼鏡を押し上げて「……まあいいか」と折れる。
その様子が少し気になったものの、問う前に東山が「早く入ろうぜ!」と背中を押した。
足を踏み入れた骨董屋の店内は明るく、置いてある品物がはっきりと見える。
骨董屋のイメージにぴったりな大小様々な壺、掛け軸、大皿。
反対に「どうしてこんなものが?」と二度見してしまうような古い焼き芋の機械、自転車、鳥かごなんかもあった。
アンティーク中心のリサイクルショップと呼んだ方がいいかもしれない。
東山が「アイスボックスがあるぞ~!」とはしゃいだ声を出した後、その脇に置いてあったアライグマの置物に奇声を上げていた。
タヌキの置物をそのままアライグマバージョンにしたような代物だ。
「うはぁ、これ面白……ユウマ、これ買わね?」
「旅行先の土産としてはヤンチャすぎる」
「え~、まぁ俺も買わねぇけど」
引いていた僕の袖を離した東山はさっさと他の棚へと向かう。
おかげでついさっきまで東山が前に立っていた場所がよく見えた。年季の入ったアイスボックスの上にも棚があり、そこに色々なものが並んでいる。
小さな輪投げの玩具、打ち出の小槌型の根付、ぐい呑み、木彫りの鷹、そして。
「……弁当箱?」
古い弁当箱があった。
見たところアルミ製で、本体の両左右に付いた金具で蓋をパチンと留める形になっている。角は丸いが楕円というよりは長方形だろうか。
サイズは大食いには「二個欲しい」と言わせそうだったが、僕には丁度いい。
そんなことを考えてしまうほど惹かれていると、突然真横から飄々とした声がして飛び上がった。
「おお、お目が高い! それは西の国で栄えたパンドラという一族のものだと言い伝えられている弁当箱です!」
黒髪をオールバックにしたサングラスのおじさんだ。
ぱんぱんに膨らんだお腹はすべて贅肉らしい。それなのに清潔感があるのは着ている服がシワひとつない綺麗なものだからだろうか。
おじさんはなにかに気がついたようにハッとする。
「申し遅れました、私はここの店主でございます」
「あ、これはどうも」
「じつは当店は現在開店セールをやっておりまして、気に入られたのでしたらそちらの弁当箱……『パンドラの弁当箱』を特別に! 特別に五百円にいたしますよ! いかがですか?」
店主の向こうで了哉が嫌そうな顔をしているのが見えた。
しかし止める気はないらしい。
それなら、と僕は店主の誘いに乗ることにした。
礼を言いながら拍手した店主は「これはサービスです」と薄緑の生地に小花柄の弁当袋を付けてくれる。コレクション目的ではなく自分で使いたいって顔に出てたのだろうか。
ありがたくそれを受け取り、僕たちは骨董屋を出た。
***
その後も旅行で様々な思い出を作り、帰宅後にまず取り掛かったのは弁当箱を洗うことだった。
洗濯や溜まった郵便物の確認、土産物の配分、旅行鞄をしまうことよりも先に手をつけたのは、ずっと弁当箱のことが気になっていたからだ。
休み明けにこの弁当箱に色々と詰めていくのが楽しみだった。
半分は白米で、もう半分は唐揚げや卵焼きを入れようか。
野菜も少しは入れた方がいいかもしれない。
今度新鮮なプチトマトを買ってこよう。
そう色々な想像をしながら蓋を開けると――デカい虹色のエビが飛び出し、部屋の中を跳ね回った。
びちびち、びったんびったんと勢いよく。
磯の香りを振り撒きながら。
ああ、帰ってきたばかりの我が家がくさくなる。
両左右上下から同時に壁ドン床ドン天ドンされたことで、これが現実だと突きつけられた。
それを抜きにしても、なぜか跳ね回るエビを見ていると気分が落ち込み絶望感が心の底から這い上がってくる。まるで僕の体温をすべて奪うかのように冷たい。
その絶望感にはなぜか既視感があった。
「……」
呆然としていた僕は、脳裏に不意に浮かんできた言葉で我に返り、そして――
***
「で、これが出てきたエビ」
「エビフライにしたのか!?」
大学の中庭にて、僕の隣に座った東山が目を剥いてそう言った。
反対側に座っている了哉も口元を引き攣らせている。
あの後、デカい虹色のエビをシメて殻を剥き調理した。更に具体的に言うと衣を付けて油でカラッと揚げた。
ただし衣越しでもわかるほど、それは虹色をしている。
あのエビは剥き身まで虹色だったのだ。
「そんな得体の知れないものを食べるなんて……」
「新品の油を使ったから美味しいぞ」
「もう食べたのか!」
了哉が口元を引き攣らせるどころか口角を思いきり下げた。
この顔をされたのは小一の頃に俺がビニール袋いっぱいのカエルの卵を取ってきた時以来である。
そのままなにか言いたげだったが、諦めたように肩を下げた。
「……なんでそんな事しようと思ったんだ?」
「昔言われた言葉を思い出したんだ」
「昔言われた言葉?」
「うん、母さんから」
あの時、僕はなぜかとんでもない絶望感に襲われた。
すぐにこのまま死にたくなるくらい……死ぬことが救いになると思うくらいの絶望感だ。
しかし、その時にふと思い出した言葉がある。
「――嫌な気持ちは料理に込めて全部食べちゃえばいいのよ」
そんな言葉だ。
昨年亡くなった母のもので、声音から表情まですべてはっきりと思い出すことができた。
母の死後は悲しくて写真すら見ることができなかったのに不思議なものである。
了哉は眼鏡のつるを弄りながら少し迷っている様子だったが、最後には「腹壊すなよ」と言ってくれた。昔から優しい奴だ。
そうしてすべてペロリと平らげると、エビは跡形もなくなり、特に身体に異変もなく一日は終わった。
異変があったのは帰宅後だ。
弁当箱の中を洗おうと蓋を開けると、今度は毒々しい紫色の豚が現れたのである。
豚はエビと異なり手の平サイズだったが、見ていると胸の奥が締め付けられるような苦しみが湧いてくる点は同じだった。
……この生き物たちは一体なんなんだろう?
まあ、ひとまずやるべきことは決まっている。
豚を捌いたことはないが、幸いにもミニミニサイズだったので付け焼き刃の知識でもなんとかなった。
了哉がここにいたら「変な菌や寄生虫がいたらどうするんだ!」とエビの時より神経質になったかもしれないが、そこを気にするならアルミ製の弁当箱から紫色の豚が飛び出してきた時点で気にする。
僕は小さな豚肉をガーリックと共に念入りに炒めた。
昼の弁当用にしてはパンチが効いているが、僕はこの豚肉のガーリック炒めが好きなので仕方ない。ミント系のケア製品を用意しておこう。
豚肉は毒々しい紫色と赤色のまだら模様をしていたが、見た目はともかく香りは最高の出来になった。
翌日了哉にドン引きされたものの、東山は恐る恐る一口食べて「ウッマ!」と嬉しいリアクションをしていたので良しとしよう。
***
その次の日は人間の顔をしたネギ。
顔っぽいだけで喋りはしなかったので、刻んでネギ味噌にした。
次の次の日は一抱えもある血色の卵。
中から変な声がしたが、とりあえず割ると中は普通の黄身と白身だった。
卵焼きオンリーの弁当になったのは言うまでもない。
次の次の次の日は無数の細い足で走り回るホタテ貝。
虫みたいでさすがの僕も少し気持ち悪かったが、とりあえず足を切って殻を外すと大人しくなったのでバター焼きにした。今までで一番美味しかった。
他にも目玉のようなグリーンピースは茹でてミックスベシタブルにし、カラカラに乾いたまま元気に跳ねる煮干しはそのまま美味しく頂く。
種が光っているイチゴもデザートになってもらった。
弁当箱を開けるなり東山が直視してしまい「まっぶし!」と言っていたが、目は無事だったようだ。
綺麗な声で一斉に歌い出すコーンには少々面食らったが、試しに一粒齧ると甘くて美味しかったのでサラダに使った。
健康的な食生活に一役買ってくれて感謝だ。
今日も飛び出してきた牙のあるカボチャを煮たものと、余った分で作ったチーズ入りカボチャ春巻きを弁当に詰めて持っていく。
それでも余ったので昨晩カボチャグラタンにした、と言うと東山が目を瞬かせた。
「なんかどんどん凝ってねぇ?」
「ああ、うん、わりと料理が好きみたいだ」
「へー。でもユウマって趣味が無さそうだったし丁度良かったんじゃね?」
そういえば嫌いなものはないが好きなものもない、そんな暮らしだった気がする。
昔は沢山熱中できるものがあったけれど――もう随分長く、そんなものとは巡り合えていなかった。
了哉が視線を下げて言う。
「あんな変なものでも役に立つんだな」
「それに美味いしな! なぁユウマ、これ一個貰っていいか?」
東山はそう言いながら春巻きを指した。
自分のために作ったものだが、こうして人に食べてもらうのは嫌いじゃない。
これも込みで趣味として気に入っているのかもしれないな。
もちろんOKだ、と言うと東山は春巻きを一本口に運ぶ。ざくりと良い音がした。
そして。
「……うん、やっぱりウッマいっ!」
――そう言ってもらえた時、とても嬉しくて自然と笑みがこぼれた。
同時に東山が目をぱちくりさせ、了哉も同じような顔をする。
なにかおかしかっただろうかと慌てていると今度は東山が破顔した。
「あははっ! 久しぶりに笑ったな、お前!」
「久しぶり……?」
ああ、そうだ。
思い返せば両親が事故で死んでから笑えていなかった気がする。
それに気づけないほど麻痺していた。
死にたいほど辛い気持ちに感じていた既視感は、これだ。僕は思わず自分の頬に触れる。ちゃんと自然に笑えているだろうか?
すると隣から声がした。
「堀越、……その……僕も一個貰っていいか」
「了哉も?」
「へー、珍しいこともあるもんだな。ずっと嫌がってたのに」
うるさい、と東山を威嚇しつつ了哉は「僕はこっちがいい」とカボチャの煮物を指す。
もちろん大歓迎だ。
そういえば付き合いは長いのに了哉に手料理を振る舞った記憶がない。家に遊びに来た時はよくふたりで母さんのカレーライスを食べていた。
今度カレーを作ってあげるのもいいかもしれない。
そう未来のことを考えると心が軽くなる。
了哉はカボチャの煮物を恐る恐る齧ると、何度か咀嚼してから眼鏡を押し上げた。
「……好みの味と固さだ」
「普通に美味いって言えよ~」
「だ、だからお前はさっきからうるさいっ」
了哉は東山に唸ってから「代わりにこれをやる」と僕の弁当箱に自分のトンカツを入れてくれた。おかずの交換なんて中学以来だ。
そう思っていると「じゃあ俺も俺も!」と東山もコンビニ弁当の茹でたサヤエンドウを突っ込んでくる。
僕は知ってるぞ、それは東山が苦手なだけだって。
だが栄養は栄養、ありがたく頂いておく。
賑やかになった弁当箱を見ると再び笑みが浮かんだ。
こうなると箸も進むというものだ。
最後のひとかけらまで胃に収めると、突然弁当箱の底がきらりと光って驚く。
アルミ製だがここまでつるつるではなかったはず。
そう思いながら覗き込むと――そこには僕の笑顔が映っていた。
「絶望の後に希望が残った、か。ここまでパンドラの箱と似てなくてもいいのにな」
「パンドラの箱か……」
店主から説明を受けた際、僕はそれを信じてはいなかった。
ただの誇大広告だと思っていたのだ。
パンドラの箱は浦島太郎の宝箱のように『開けてはならないもの』の代名詞になっている代物だ。
開けてしまえば数多の絶望が災厄として飛び出す。
しかし最後に希望が残る、という箱だ。だが僕はなんとなく、この弁当箱の鏡はもっと悪い感情で作られたもののように感じた。
――本当は、連続する絶望に耐えかねた顔が映るはずだったんじゃないだろうか。
それを以てこの『パンドラの弁当箱』は完成したのかもしれない。
しかし、絶望はすべて食べてしまった。
だから最後に残ったのは……了哉の言う通り、未来を想って紡がれた希望だ。
そう実感しながら「ごちそうさまでした」と言うと、いつの間にか弁当箱の底はいつも通りに戻っており――それっきり、変なものが飛び出すことはなくなった。
***
全国から厄災を安く引き取り、それを別の土地で売り払う悪徳な違法骨董屋が取締られた話がニュースで流れている。
ここ数日はこの話で持ちきりだった。
こういった呪いや霊的なものには懐疑的な世の中だが、それを変えてしまうほどの実害が各地で出たからだ。
いくら超常的な代物でも、現実に影響を及ぼすほど強いものが大挙すれば物的証拠も出る。それはもう山ほど出る。その結果のスピード逮捕となったらしい。
テレビ画面の向こうではでっぷりと太った男がしょんぼりした顔をしていた。
その顔をしたいのは被害者のほうだと思う。
――そんな騒動はさておき、僕は堀越ユウマの家に久しぶりにお邪魔していた。
子供の頃に訪れた家とは異なるが、彼が振る舞ってくれたカレーは昔食べたものとそっくりだった。
三杯もおかわりしていた東山にはツッコミを入れたかったが、まあ堀越が楽しそうだったからいいだろう。
ただ東山が嬉々として四杯目を貰おうとしていた時にはさすがに「やめておけ夢次郎」と言っておいた。
東山は気に入っていない下の名前で呼ぶと怒るので牽制に使いやすい。
なお、べつになにかトラウマがあるわけではないのは下調べ済みだ。僕もそこまで鬼じゃないからな。
背後に笑い声を聞きながらベランダに出て煙草に火をつける。
そして天に昇っていく煙から視線を外さずに口を開いた。
「こうなるってわかってた……わけじゃないですよね?」
返事はない。
「でもアイツなら大丈夫だって信じてたんですか」
骨董店へ入ろうとした時、僕が制止をやめたのは堀越のそばに懐かしい顔を見たからだった。
立ち上っていく白い煙から目を放して隣を見る。
昔、カレーを振る舞ってくれた時と同じ顔がそこにはあった。まるで生きてそこにいるかのように、茶目っ気たっぷりにニッと笑ってOKマークを指で作っている。
そんな彼女の隣には堀越とよく似た笑顔もあった。
あいつは本当に父似だな、とついつい思う。
そして、ふたりはそのまま光の粒になって消えていった。
まるで幻でも見ていたかのようだ。
しかしふたりはずっと堀越の傍にいた。僕はそれを知っている。
堀越たちは僕のことを第六感が鋭いだけだと思っているようだが、子供の頃からこうして生者以外を見ることができた。それを人に伝える手段がないから言いふらしていないだけだ。
……僕はふたりのように堀越を信じてやれてなかったんだろうか。
両親を亡くしてから塞ぎ込み、笑顔を見せなくなったあいつのためにもっと色々できたんじゃないか。
そんなことを思ったが、もうわかっている。
これからは信じてやれる。
弁当箱の件で確信した。
「……そう考えると……あのパンドラの弁当箱、僕にも希望を運んできたのかもしれないな」
想定されていた用途を考えると皮肉なものだ。
思わず笑うと室内から僕を呼ぶ声がし、煙草を消してそちらへ向かう。
最後の煙はふわりと夜空に消え、それは長く息子を見守っていたふたりの最後の姿とそっくりだった。
パンドラの弁当箱 縁代まと @enishiromato
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