クラピカタイム
あまくに みか
クラピカタイム
中学生の頃。
私は漫画『HUNTER×HUNTER』に登場するクラピカというキャラクターが大好きで大好きで仕方がなかった。
クラピカは中性的な顔立ちをした、それはそれはイケメン美少年である。頭の回転が早く、孤独を好むが人に対して礼儀正しい。けれども、彼には過酷な生い立ちがあった——。
「冨樫先生、クラピカにそんなに試練を与えないで!」
漫画を読み進めながら、私は目を潤ませていた。いつかクラピカが死んでしまうかもしれない、という不安で次巻を買うのを躊躇うほど、クラピカの身の安全と幸せを第一に願っていた。
当時の私は、そう、クラピカガチ勢だったのだ。
漫画のキャラクターが好きだ。
ということを誰かに打ち明けるのは、とても恥ずかしいことだと思っていた。
我が家では、漫画を読むことを良しとされていない風潮があった。だから貯めたお小遣いでこっそり漫画を買って、薄暗い部屋の中で読んでは、教科書と教科書の間に隠して保管していた。
紙の上に描かれた人物が好きだなんて、どうかしている!
そう思えば思うほど、私は「好き」をコロコロとこねくり回し、あらぬ方向にみょーんみょーんとせっせと伸ばし始め、最終的にこじらせていった。
ある時、姉の部屋にイヤーカフが落ちているのを発見した。それは、まさにクラピカがつけているイヤリングと似ていた。
「これ、もらってもいい?」
ドキドキしながら姉に尋ねると「いいけど、それ耳たぶ痛くなるよ」と返事があった。
それがなんだ。
耳たぶが痛くなろうと、私は負けない。
クラピカだって、戦っているのだ。
耳たぶがなんだというのだ!
私はイヤーカフを制服のポケットに大切にしまった。そこにクラピカとお揃いがあると思うと、嫌な部活もがんばることが出来た。毎日が少しだけ楽しくなっていった。
それも、クラピカのお陰である。
嗚呼、クラピカはなんと偉大な人なのか。
JR桜木町駅。
夜の六時三十分。
京浜東北線を降り、友人に手を振る。
扉が閉まり、友人を乗せた電車が出発する。
駅のホームに立つ私。
両側を人が流れていく。
私は左手を制服のポケットに差し入れる。
イヤーカフを取り出すと、それをそっと耳に装着した。
一呼吸おいて、一歩踏み出す。
夜の風がふわりと髪を揺らす度に、クラピカのイヤリングがこの世界に現れる。
そう。私は今、クラピカなのだ!
東急東横線桜木町駅の改札を抜けると、そのままホームを真っ直ぐに歩く。
いつもより、堂々とした歩き方で。
大観覧車のネオンが、視界の隅で踊っている。
ここは桜木町であって、桜木町ではないという別世界。
「渋谷行き、ドアがしまります」
けたたましいベルの音に私の輪郭は突如弾けて、元の女子中学生に戻る。一番前の車両に滑り込むと、端っこの席に小さくなって座った。イヤーカフをとって、ポケットに戻す。
私のクラピカタイムは、終了した。
JRのホームから東横線のホームまでの距離が、クラピカと同化できる許された時間であった。今思い返しても、よくわからないマイルールである。
隠していた漫画が姉の手に落ちると、我が家は漫画を読んで良いという風潮になった。
「キルア、かっこいいよね」
姉は言った。なぜだか私は頬がカッと熱くなった。
「クラピカもかっこいいよ」
そう言えたのなら、どんなに良かったことだろう。
私はただ黙ってうなずいた。
なにかが空気のようにプシューっと音をたてて体から抜けていった。
イヤーカフがどこへいったか、私はもう覚えていない。
クラピカタイム あまくに みか @amamika
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