つっこめ! 箱の中身は何だろなクイズ研究会の青春
杉林重工
燃やせ! 青春の箱の中!
「箱の中身は何だろなクイズに興味はありませんか?」
あくまで明るく、彼女は彼に声を掛けた。
「箱の中身は何だろなクイズが好きな奴なんてこの世にいるわけがないでしょう」
罪斗罰高等学校一年生、堂神放大はまるで汚物でも目の前にしたような声色で、自分の席の前わざわざやってきた少女二人を見上げた。セーラー服のスカーフの色からして二年生と三年生。一年生の教室には本来存在し得ない。それが、わざわざ休み時間に揃ってやって来たのだ。
「あれ? もしかして、箱の中身は何だろなクイズ、ご存じありませんか? これくらいの大きさの箱に……」
二人のうち一人、髪を後ろに縛った方、蔵地海歌が、わざわざ胸の前で箱の大きさを両手でもって示す。大体五十センチメートルほどだろうか。
「これくらいの正方形の箱に、道具や動物を閉じ込めて、それを解答者に当てさせるクイズですよね。大体の場合、箱の両側に穴が開いていて、そこから解答者は手を突っ込んで手触りで答えを推測します。それくらい知ってますよ」
放大は言う。少女二人は静かに息を呑んだ。
「お詳しいですね。公式大会では業界大手のキットボックス株式会社製の箱の中身は何だろなクイズ専用特製ジュラルミンケースが使用されます。防音性と正面のアクリルの透明度が高くて……」
海歌は自身を箱の中身は何だろなクイズ研究会の会長と紹介した。一応それらしくよく喋る、と放大は思った。一方で、たったこれだけのことで褒められては、馬鹿にされているとも感じた。
「誰も箱の説明なんて訊ねていません。箱のセールスなら他所でお願いします」
「違います。堂神さん、どうか、わたし達、箱の中身は何だろなクイズ研究会に入ってくれませんか」
海歌は真っすぐそう伝えた。その言葉にも、姿勢にも、一切のぶれはなく、堂神放大に向いていた。
「入る意味もないし、興味もないです。他を当たってください」
そっけいない態度に、もう一人の少女、寄辺すずめが前に出る。放大の席に来るなり、副会長だと名乗っていた。
「ちょっと、会長の前なのに……」
「いいの。寄辺さん」すずめは不満そうに頬を膨らませた。
「堂神さんは確、中学生の時は大変博識で通っていたとか。その知識を、箱の中身は何だろなクイズ研究会に活かしませんか」
「嫌です。クイズなんてくだらないですよ」
「ですが、クイズを勉強することでまた、新しい知識とは生まれるものです。ぜひ、一緒に箱の中身は何だろなクイズを……」
「オレはもう知りたいものは知ったし、知らないものはありませんから」
堂神放大は顔を背けてそう言った。その態度に、すずめはいよいよ我慢がならなかった。
「最初にアカデミー賞で……」
「どうせハティ・マクダニエルだろう。オスカー、黒人、女性、と続けるつもりなんじゃないか」
すずめの言葉を遮って堂神放大は答えた。すずめは口に手を当て、目を見開いた。
「違うか? 昨日テレビで特集が組まれていたな。それに感化されたとか、そんなとこだろう」
「寄辺さん?」不安そうな顔で海歌はすずめの顔を覗き込んだ。
「……正解です」寄辺すずめは全身を震わせながらそう答えた。
「すごいですね。知識だけじゃなくて洞察力にも優れている。間違いなく箱の中身は何だろなクイズの才能が有ります」
「そんな才能いりません。毎日、新聞をテレビ欄まで読んでいるだけです」
「いいえ。それが今必要なんです。わたし達箱の中身は何だろなクイズ研究会は今、廃部、廃止の危機にあります。せめて三人いれば、研究会として何とか形を保てるので……」
「興味ありません。確かにクイズは得意ですし、誰かに負ける気もありませんが、もう飽きたんです。休み時間が終わりますよ」
はっとして少女二人は教室の時計を見、
「わかりました。ありがとうございました。また、興味があればいつでも会室にきてください」
と、蔵地海歌は告げて、チラシを一枚置いていく。堂神放大は一瞥もしない。少女二人は軽く頭を下げた後、早々に教室を立ち去った。
「会長、やっぱりあいつは駄目ですよ」
二年生の教室と三年生の教室は階が違う。階段の前ですずめは海歌の肩を掴んでそういった。
「そうかな。わたしは堂神さん、クイズ好きだって思うけど」
「どこがですか。SNSの情報提供なんて、やっぱ当てにしちゃだめです」
「がんばって運営してるんだけどな」
海歌はスマートフォンを取り出し、その画面に視線を落とす。罪斗罰高等学校箱の中身は何だろなクイズ研究会のSNSのホーム画面を開いている。
「前にも言ったじゃないですか。SNSのDMなんて見ない方がいいって。閉じましょうよ」
「でも、ファンサービス、っていうのかな。そういうのって大事でしょ。応援してくれる人もたくさんいるし。そういう人がいると、頑張ろうって思えるんだ」
海歌はスマートフォンを大事そうに胸に抱いた。
「だとしても、相手を考えてください。相変わらず変なのに粘着されっぱなしじゃないですか」すずめはぴしゃりという。
「……気を付けます」
しぶしぶ、といった口調で海歌は答え、じゃあね、と三年生の教室へ急ぐ。その背中を寄辺すずめはじっと見つめた。
『どうせハティ・マクダニエルだろう。オスカー、黒人、女性、と続けるつもりなんじゃないか』
『違うか? 昨日テレビで特集が組まれていたな。それに感化されたとか、そんなとこだろう』
『そんな才能いりません。毎日、新聞をテレビ欄まで読んでいるだけです』
箱の中身は何だろなクイズはただのクイズではない。知識や経験だけではなく、バラエティ発祥のこのクイズは、観客の表情や司会者のにやけ面まで考慮し、その答えを推察することが重視される、総合推理クイズなのだ。その点、堂神放大という少年は、その要件を完璧に満たしている。そして、知らないものはないといいつつ、新聞に徹底的に目を通し、知識を吸収し続けることを忘れないその姿勢も。
寄辺すずめは静かに拳を握り、そして決意した。彼を、何とかして箱の中身は何だろなクイズ研究会に入れなくてはならないと思った。
「どうせ帰るだけなら、ちょっと一緒に来ませんか」
放課後。誰よりも先に一年生の教室を訪れたすずめは、すでに帰ろうと鞄を背負っていた堂神放大に声をかけた。
「部活見学すらしたくないです。箱の中身は何だろなクイズ研究会なんて……」
「バラエティ崩れのくだらないゲームだと思っているんですか」
彼女の言葉に、思わず放大は目を丸くした。その通りであったし、なにより箱の中身は何だろなクイズ研究会の会員の口から、自分の部活を侮辱するような言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
「その通りです」しかして、落ち着きを払って放大は言う。
「そう思うのは勝手です。ですが、見てほしいものがあります」
「見学も興味はないって……」
「今日の研究会は休みです。いいじゃないですか。どうせ家に帰って本でも読んだりするだけでしょう。それより、面白いものが見れると思います。あなたが知らないものですよ」
「そんなものあるわけがない」むっとしたように放大が言う。
「じゃあ、当ててみてください」
すずめは挑発するように両手を広げた。じっと放大は彼女を見つめ、
「少なくとも、あの会長には秘密のことですね。そうじゃなかったら二人で勧誘に来るはず。あなたが会長に秘密にすることと言えば……あなた自身のことは、嫌いなオレに見せるわけがないでしょうし。学校や研究会のことで、会長に秘密にすることもない。会長を随分買っているようだから。つまり、会長本人のことですね。そうでしょう」と、推理した。
「正解です。それで?」
ふん、と鼻を鳴らし、どこか愉快そうにすずめは訊ねた。
「それで?」つい、放大は聞き返した。
「会長本人のこと、確かにその通りです。それで、どうしたのですか。わたしの見せたい、面白いものとは一体何ですか」
「そんなものは……」
なんだろう、と放大は考えてしまった。放課後、部活はない、勉強でもしているのだろうか。だとすると図書館だろうか。仮にもクイズ研究会なら、知識量は絶対だ。だとして、勉強する彼女の姿など、見せられたってなにも思わない。
「答えなくてもいいです。堂神さんのプライドを傷つけるつもりはないですから」
「なんだと!」煽るような寄辺すずめの言葉に、堂神放大は噛みついた。
「とにかく、わたしは会長の秘密を見に行きます。一緒に答え合わせ、しませんか」
そういって、彼に背を向け歩き出した。堂神放大は逡巡したが、爪先が勝手に彼女の方を向いていた。小さく舌打ちし、彼女の後ろを付いて歩く。箱の中身は何だろなクイズ研究会の会員なんて言う、奇怪も奇怪、奇妙奇天烈な女子生徒の問いかけなんて気にする必要はないはずだが、放大の足は止まらない。それは、彼の生まれ持って好奇心だった。一年生の教室は三階にある。そのまま下り、図書館がある二階を通り過ぎ、すずめは玄関に来た。
「一年生の下駄箱はあちらですよ」すずめはふと後ろを振り見、放大へ告げる。
「下校するんですか」反射的に放大は質問をぶつけた。
「そうですよ。わからなかったんですか?」楽しそうに寄辺すずめは答えた。
「そういう意味じゃない!」思ったより大きな声が出て、放大自身が驚いた。一方、何がおかしいのかすずめは微笑んでいる。それがなんとも彼の神経を逆なでした。
「わかってますよ。さあ早く」
そうして連れられるまま、学校に一番近い駅のすぐ傍にある商店街に来た。
「たこ焼き二つ」
「なんでだ……あっ」
商店街のたこ焼き屋の前で立ち止まり、買い食いを始めたすずめに、堪らず堂神放大は突っ込みを入れ、己の愚かさを呪った。見よ、したり顔の彼女の表情。わからないものが、やっぱりあるじゃないかと言わんばかりだ。
「会長のお気に入りです。どうぞ」とはいえ、勿論すずめはそんなことはいわない。
「ありがとうございます。お金は……」
「『先輩』の奢りでいいですよ」
有無を言わさぬその雰囲気にのまれつつ、放大はたこ焼きを一つ口の中へ。
「熱っ」
「でしょう? 気を付けてくださいね」
それ以上、寄辺すずめは何も言わない。何を考えているかのかは、さっぱりわからなかった。しかし、そんな彼女の内心を考察するよりも、放大の心を惹くものがあった。それが、このたこ焼きだった。弾力が強く、しかし噛めば、ほどけるように消える絶妙な食感のたこにと、熱々でとろとろな中身に交じり、弾ける様なソースの香りと鰹節のうま味、青のりの風味が迸る。
「先に行っちゃいますよ」
知らない間に足が止まっていたらしい。慌てて堂神放大は寄辺すずめの後をつける。この商店街は学校から一番近い駅に面していて、しかし駅の改札へ行くには別に通る必要もなく、故に、放大は存在こそ知っていても、通り過ぎることすらなかった。だから、こんなたこ焼きの店があるとは知らなかったし、そのほか、クレープ屋や本屋、怪しげな中華料理屋、スポーツ用品店、楽器屋、果てはパンツ屋なんて変なものまで、様々な商店がぎっしり詰まっているとは思ってもみなかった。
「こっち」
意識したこともなかった商店街の様子に目移りばかりしていると、すずめの声が急に耳を刺した。彼女に合わせて、忍び足気味についていくと、一つのスーパーへ入っていった。
「ほら、あそこです」
彼女の指す先に、精肉コーナーでせっせと品出しをしている蔵地海歌の姿があった。なんとなく、堂神放大はがっかりした。
「なんだ、ただのアルバイトですか」
「そうです。ちなみに、会長は毎朝、豊洲でもアルバイトしてます」
「豊洲で?」
大声を上げてしまった。素早く、すずめは彼の鞄を掴み、引きずるようにスーパーを出た。
「大声を出さないでください」
「すみませんでした」放大はさすがに素直に謝った。
「ちなみに、会長のアルバイトはそれだけではありません。一時は猫カフェやハリネズミカフェなどにも」
「なんでそんなわけのわからないことを……否」そこまで口にして、それが愚問だと放大は気づいた。
「わかるでしょう。会長は、箱の中身は何だろなクイズに本気なのです。実体験に勝る箱の中身は何だろなクイズの攻略方法はありません。ありとあらゆるものに触れ、知ること。それが会長の強さです」
「正気じゃない。確かに、ほかのクイズと比較して、箱の中身は何だろなクイズは手で触れる経験が正答率に直結する。だけど、そのために毎朝豊洲でアルバイトして、放課後もこんなことを?」
「そうです。会長はこのスーパーだけでなく、商店街の様々な商店でアルバイトをしています。すべては、お金ではなく、箱の中身は何だろなクイズの為です」
「どうしてそんな……」
「好きだからでしょう」
あまりにも簡潔な答えに、放大は絶句した。
「会長は本気です。ですが、問題が発生しています。わたしは、それをどうしても解消したい」
すずめは言葉を強くそう言い切った。
「廃部、否、廃会ですか。でも、どうして」考えるまでもない。勧誘するとは、そういうことだろう。
「夏には、箱の中身は何だろなクイズ全国高校生大会があるのは周知の事実と思いますが」
「本当に?」恥も何も捨てて堂神放大は口走った。知識欲と好奇心が勝ったのだ。聞いたことがない大会だ。そんなものがこの世界にあるとは思えなかった。箱の中身は何だろなクイズなんて、ただのバラエティの賑やかしか、サムい動画配信者たちの苦し紛れの一企画に過ぎないはずだ。そんなことにわざわざ全国大会をやろうだなんて人間がいるなどと堂神放大には理解ができなかった。
「本当です。そんなこともご存じないとは。毎年やってますよ」
「そんな馬鹿な」
「ですが、出場資格は三人以上の部活や研究会であること、です。このままでは、会長は夏の大会に出ることができません。どうか、お願いします。最悪、その場にいるだけでいいのです。どうか、会長の最後の夏に、協力いただけませんか」
そう言って、寄辺すずめは頭を下げた。
「しません。申し訳ないですが」
「そこをなんとか! 会長はずっと、箱の中身は何だろなクイズだけでなく、なんとか会員を確保しようと、ずっとSNSでも頑張ったりしているんですよ。アルバイトのお金はホームページの制作にも使ったりして、少しでもみんなに知ってもらおうと……」
「関係ないです。たこ焼き、おいしかったです。ごちそうさまでした。やっぱり今度、お金は払います」
放大は丁寧に頭を下げ、寄辺すずめに背を向けた。すずめは全身を震わせていた。それが怒りなのか、好意を無碍にされたことに対する恥辱なのかはわからなかった。
「くそ! 頭でっかち! バカ! お前なんてな、いくら知識が詰まっていようと、頭の中は空箱より空っぽなんだよバーカ! どうせ、『風と共に去りぬ』だって、ウィキペディアのあらすじぐらいしか読んだことないんだろ! そんなことでなんになるんだ、バーカバーカ! お前なんて倍速で映画観て、SNSのTLに流れてくるスクショで、何でも知った気になって、満足してればいいんだ! そうやって、空っぽばっかり集めてればいい!」
背中にびっくりするほどの量の罵倒の言葉を受けながら、堂神放大は帰路に着いた。
「何が、空っぽだ。SNSだかホームページまで作って、無駄なことを……」
帰り道、電車に揺られながら、放大は試しに、罪斗罰高等学校箱の中身は何だろなクイズ研究会を調べてみた。フォロワー五千人という、思ったよりも規模が大きいアカウントがヒットしたことには素直に驚いた。
『大会頑張ってください』
『お祝いにマグロのカマ、用意してます!』
『ハリネズミのくりまろも応援してます!』
なるほど、会長の幅の広いアルバイトのお陰で、知名度が高いようだった。スマートフォンの画面の中に、自分の知らない世界が詰まっている。四角い画面が、なぜか箱を彷彿とさせる。放大は派手に首を振った。
「知らないこと、か」
夕暮れ、自分以外ほとんど乗っていない空っぽの電車の中で、堂神放大は独り言つ。
一方で、箱の中身は何だろなクイズ研究会のSNSには、なぜか誹謗中傷も寄せられていた。
『マイナー競技』
『暇人のやること』
『バカの遊び』
まったく、その通りだと放大も思った。世の中にはいろんな人間がいる。暇人に食って掛かる暇人なんてそれこそ、適当にSNSのTLを転がせば、五つに一つはそういうものだ。常に世界には、火のないところに煙を立てたがるような暇な奴は、案外どこにでもいるものだ。
「なんか騒がしかったね」
「逆上瀬だろう。あいつ、声だけはやたらとでかいからな」
「あー、納得」
堂神放大の登校は早い。今日は改めて『マネジメント』を読んでいたところ、遅れて登校してきたクラスメイト達の様子がいつもと少し違うことに気付いた。まだ、ホームルームまでは時間がある。なんとなく気になって、放大は席を立った。
噂話をしていたのはバレーボール部の三人組。確か、水曜日は朝練をやっていたはず。普通に考えれば体育館方面だろうが、会話内容からして音しか聞いていないのが気になる。体育館までの道のりは開けていて、異常があればよく見える。となれば、見通しは悪いが声だけは良く響く、部室棟が怪しい。そう思って、滅多にいかないそちらへ足を向けると、すぐに大声が聞こえてきた。
「だから、いい加減部屋を空けろ。生徒会からも言われているだろう」
「だけど、先生も別にいいって」
「いいや、よくない。なんで野球部が窮屈な思いして、お前達みたいな変な部活がそんな広い部屋使ってるんだ」
「普通です! むしろ、野球部は倉庫も、ミーティング用の部室も持っているじゃないですか」
野次馬しに来たことを、堂神放大は後悔した。箱の中身は何だろなクイズ研究会の二人を、揃いのユニフォームを着こんだ男達が囲んでいた。罪斗罰高等学校野球部の面々だ。その中の一人、野球部部長逆上瀬或都は、ずい、と前に出て、バットを床に叩きつけた。廊下が、否、部室棟自体が大きく揺れ、蛍光灯が明滅した。少女二人は反射的に頭を抱えて身を縮めた。
「違う違う。お前達みたいな、研究会にすらなれないゴミ屑どもが部室棟の貴重な部屋一つを浪費していることが我慢ならんのだ」
「ですが! 校則には仮入部期間である六月三十日までは部員数を満たしていなくても存続が許されています」
震える声を抑え、箱の中身は何だろなクイズ研究会会長、蔵地海歌は言い放つ。
「そうです。まだ、後二週間ぐらいは……」やや消えりそうな声で寄辺すずめも言葉を紡ぐ。
「こんな部活、入るやつはお前らぐらいだろ」
逆上瀬或都の言葉に、彼女らを囲む野球部の男達も深く頷く。堂神放大も同じ気持ちだった。
「こっちは今年、期待の新人欧谷勝兵が来てくれた。来年からは、否、夏前にも勝ち馬に乗りたい野球目当ての転校生がどんどんやってくることになっている。お前らみたいなやつらに、お遊び感覚で部室を消費されては困る」
「百歩譲ってわたし達が部室を譲ったとして、あなた達はその部屋を、どうせ漫画置き場にでもするのでしょう」寄辺すずめは噛みついた。
「まさか。甲子園に向けてマネージャーも大幅増員するつもりだ。そしたらやることは決まっているだろう。そうだ、そんなにこの部室が好きなら、潰した後も使わせてやってもいいぞ。オレ達のマネージャーとして、たっぷり『奉仕』させてやるよ」
逆上瀬或都のにやけ面が、周囲の男達にも伝染していく。思わず蔵地海歌の顔が強張った。
「そんなこと、許されるはずが……」
「期限はまだありますし、それ以前にわたし達がここを去ることもありません。部員だって……」
「オレ達は一刻も早く部室を確保して、部員の拡充とマネージャーの増員を検討せにゃあならん。お前達はただただ邪魔なんだよ。そもそも、お前達こそ部室で何やってんだ」
「箱の中身は何だろなクイズの練習です」
真顔で海歌は言い切った。すると、堪らず野球部員達は笑い出した。下品な笑い声が部室棟全体に反響し、まるで世界のすべてが二人の少女を嘲笑しているように錯覚する。
「あんなものに練習もクソもあるか。誰だってできる。ますます部室はいらねえな」かっかっか、と引き笑いをずるずると逆上瀬は続けている。自然と海歌とすず
「必要です! 先輩達が部費をやりくりして用意してくださったお題になりうる道具がたくさん詰まっているんです!」
「知るか。しかも、お前達はその大会とやらでも大した成績を残せていないしな」
「それは……」
「あんなたかがお遊びで、なんの成績も残せないなんて終わってる。やっぱり潰れた方がいい」
「そんなことはありません! やったことがないからそう言えるんです!」
海歌が叫んだ。その声に、野球部の面々が、そして逆上瀬或都も目を丸くした。
「まさか。あんなもん、誰だってその場でやったらできるだろ。練習なんかいらない。なんなら、今すぐにでもボコボコにしてやる」
一回表でコールドゲームだ、と逆上瀬或都は言い切った。
「そんな……」
急に勢いづいた彼の言葉に、海歌は一歩二歩と後退った。その様子に、逆上瀬は醜く笑んだ。
「箱を用意したらどうだ? なんだって入れろよ。全問正解してやるぜ」
「できるわけがない……」言葉と裏腹に、弱弱しく海歌が言う。
「そう思うんならいいだろ? だが、それだけだと詰まらんなあ」
「何が詰まらないって言うんですか」海歌を守るようにすずめが前に出る。だが、その足が震えている。
「決まってるだろ。せっかく勝ったのに、なんの賞品もないってのは詰まらないだろう。オレ達が勝ったらお前達の研究会は潰して、部室はオレ達のモノ、ついでお前ら二人はマネージャーにして可愛がってやるよ」
「そんな、滅茶苦茶です!」すずめは精一杯の大声で反抗する。
「では、一つでも間違えたら?」
大声ではない。しかし、よく通る強い声で海歌は逆上瀬を見上げる。
「そんときはまあ、お前達の研究会が潰れるまで待ってやるよ」
「いいでしょう」海歌は頷いた。
「会長!」すずめは海歌を振り返る。
「構いません。では、さっそくお題の準備を……」
「だが」部屋に戻ろうとした海歌を逆上瀬は止めた。
「せっかくなら、お前らも解答しろ。楽勝ってのを証明せにゃならんからな」
「え?」虚を突かれ、海歌が振り返る。
「テーマは野球で、それぞれ三つずつ問題を用意し、互いに出し合えばいい。一問でも間違えたら負けだ。負けたら、お前達はあと二週間を待たずに、会員がそろわないことを理由に廃部だ。勝ったら見逃してやるよ。解答者はオレとお前でいいな」逆上瀬は蔵地海歌を指した。
やけに具体的だな、と階段の陰で堂神放大は思ったが、口を押えて、何とか音として漏れ出すのを堪えた。
「横暴です! テーマまで用意して、それだと野球部が有利ではないですか!」
すずめは声を震わせ抗議した。しかし、逆上瀬は首を横に振る。
「それがどうした。それでも答えられるのが箱の中身は何だろなクイズ研究会だろ。それとも、自信がないのか?」
「くっ……」すずめは悔しさを飲み込んだ。
「わかりました。それでは、今すぐに準備をしましょう」すぐさま海歌が提案した。
「箱をとってきます。早く野球部の皆さんは、お題を取りに行ったほうがいいのでは?」すずめもすぐに会のドアに手を掛ける。そのスピードに気圧されたのか、逆上瀬は驚いたように目を見開いた。
「いや、もう時間がない」
「では、今日の休み時間に対応しましょう。それか、放課後……」
「今日は練習があるし、やるなら明日でいいだろう」逆上瀬は慎重にそういった。
「ですが、野球部は明日も活動が……」他の部員が口を挟む。
「別に構わん。明日の放課後、すぐに始めよう。それでいいな?」
逆上瀬が下卑た笑みを浮かべ二人を見下ろす。そこへ丁度、チャイムが鳴った。二人を残し、野球部員はぞろぞろと教室へ帰っていく。残された海歌とすずめはその場でへたり込む。
「会長……」
心配そうな声をすずめが出す。その様を階段の陰から堂神放大はばれないようにそっと覗いた。
「ええ。寄辺さん……やりましたね」
にっ、と笑って海歌は親指を上げた。放大は首を傾げた。
「ええ。こちらの弱みを見せつけてジャンルは野球で固定、あえて今日の放課後を指定することで、無意識のうちに不安感を煽り、逆に相手に時間的猶予を作らせました。この隙を使って観客をSNSで呼び込んで不正ができないようにしましょう」
「ついで、今日の放課後を使って商店街のスポーツ用品店にお願いして道具を調達して、一夜漬けの準備をします」
「不要ではないでしょうか。会長が触れてわからない野球用品などあるわけがないです。アルバイトは経験済み、部室にも野球道具はたくさんあります」
「その通りですが、念には念が必要です。わたし達こそ、油断しないように」
「はい」
思ったよりも強かな奴らだった。心配して損したと、放大は溜息をついた。しかし、一方で気になることもある。時計を見上げると、もう少しでホームルームどころか授業が始まってしまうことに気付いた。
一夜明けて、当日の盛り上がりたるや、誰もが目を疑った。校庭の片隅とはいえ、五十人以上が集まり、いつの間にか用意されたブルーシートや雛壇状に組まれた台の上に腰かけ、箱の中身は何だろなクイズが始まるのを固唾をのんで見守っていた。観客席の前にはご丁寧に、背景付きの舞台が組まれており、PAセットやライトなさながらバラエティ番組の様相を呈していた。その舞台の上に、長机が二つ、それぞれに三個、計六個の箱が乗っている。
今は逆上瀬或都が解答の番で、彼は手をそれに突っ込んでいる。問題は二問目に突入していた。
野球部部長、逆上瀬或都は動揺を隠せなかった。中身がわからないわけではない。ただ、箱の中身は何だろなクイズ研究会とかいう腑抜けた奴らをコテンパンにしてやるだけのつもりだったのに、なぜこんなにも観客がいるのか、それが理解ができなかった。なにせ、学校外からの顔までいる。なんと、普段使っている商店街のスポーツ用品店の店長まで観客席にいたのだ。箱の中身は何だろなクイズ研究はSNSの活動もしっかりしているとはわかっていたが、想像以上だった。
『部長、どうしますか? 今からでも……』始まる前に、野球部員がこっそり逆上瀬に耳打ちした、その言葉が蘇る。逆上瀬は首を振った。もう戻れない。やるしかないのだ。
「さあ、答えはどうでしょうか? 今回のお題は野球です! 野球部の部長としては外せない問題ばかりです! ですが! 解答に時間がかかるのも恥ずかしいですよ!」
司会を担当しているのは、公平を期すためか映像研究会会長のスピ子・スティーブンだった。普段から学校行事の配信や映像記録をしているおかげで、溌溂とした様子で逆上瀬を煽り、観客の緊張感を高めている。
「バッティンググローブだ。誰にだってわかるぞ」
逆上瀬はつまらなさそうに答えた。これなら、一問目の汚れ落とし用のブラシの方がまだ緊張感があった。
「さあさあ、どうでしょう。当然、一回戦同様、わたしは答えを知りません! さあ、蔵地さん、正解をどうぞ!」
スピ子は蔵地海歌へ正解を促す。
「……正解です。バッティンググローブです」
彼女の言葉に、観客席が沸いた。多分、観客席のうち何人かに、サクラが仕込んであるのだろう。しかし、正解するのは当然として、ただ箱の中身を当てただけなのに観客が沸くのは少しだけ胸がすく思いがあった。さらに、映像研究会が用意したのか、正解を示すピンポーン! なんていう景気のいいSEまでついてきた。
「さすがキャプテン! 普段使い慣れているだけあって、澱みない解答でした! かっこいい! 拍手!」
声高らかに、観客席から拍手を引っ張り出す。やるなー! すごいぞ! などという歓声も混じっている。もしかしたら、サクラなんて一人もいなくて、本当に皆が皆、スピ子・スティーブンの言葉に惹かれているだけかもしれないと、逆上瀬は頭の片隅でそんなことを考えてしまった。
「当たり前だ、こんなのわからなくてどうする」
少し恥ずかしくなって、逆上瀬はそう呟いた。
「おっと、もしかしたら箱の中身は何だろなクイズ研究会の皆さんは、解くのは得意でも出題は苦手なのかもしれませんねー?」
にやにやしながら、隣の蔵地海歌にスピ子が迫る。
「うーん、難しいと思ったのですが、残念です……自信はあったんですが」
芝居がかった様子で、すっかり肩を落として海歌は言った。
「がんばれー!」
そんな彼女の様子に、客席から声がかかる。はっとして海歌は顔上げた。
「はい! 負けません!」
「そう! その意気が大事です!」そしてスピ子はさらに拍手を煽り、観客席が答える。
どこまでが蔵地海歌の『本当』なんだろう。なぜか逆上瀬の内心に疑問が浮かぶ。そも、野球というものも騙しあい化かしあい、駆け引きが当然ある。そんな彼の、ベースボーラーの勘が、彼女を最大限に警戒する。無垢でものを知らない少女に見えるが、その実、不思議と全てが計算ずくなのではないか、という底知れぬ疑念が逆上瀬を包んだ。
――まるで、中身のわからない、この箱のようだ。
逆上瀬は目の前の箱と、蔵地海歌を交互に見て、それから、そんな荒唐無稽な考えを、頭を振って吹き飛ばした。
「さあ、第二問! 箱の中身は何だろなクイズ研究会の蔵地さんです! 準備はいいですか?」
海歌は、再び、はい、と元気良く手を上げた。
「それでは! さあ皆さん、ご一緒に! 箱の中身は~っ!」
「何だろな!」
数十名の老若男女の声が校庭を揺らした。箱の正面は蓋がしてあり、クイズが始まるまで見ることはできない。スピ子は掛け声に合わせて蓋を外し、それを観客へ示す。同時に海歌は箱の中身に手を入れた。そして、一瞬。その中身を揉んだり引っ張って、ただそれだけ。
「バッティンググローブです」
すぐさま海歌は答えた。会場が息を呑む。
「おっと、まさかの野球部の二問目と同じ答えだ! 逆上瀬さん、正解は……」
そういいながら、スピ子は箱の前に回り込み、透明アクリル板の蓋を開け、中身を取り出そうとした。逆上瀬も、正誤を告げようと口を開きかけた。しかし、その前に海歌は言葉を続けた。
「ちなみに、メーカーはリクノ、製品番号2212Aです。サイズは二十四センチ、といったところでしょうか。しかも新品ではありませんね」
「え?」思わずスピ子は目を丸くする。
「ど、どうでしょう?」そして、逆上瀬に質問を振った。
「え、えーっと……リクノのバッティンググローブですが……」
思わず逆上瀬或都の目が泳ぐ。製品番号もサイズもわからない。誰かが部室に忘れていったグローブを、拾って箱に入れただけだ。
「じゃあ、正解、ということでいいでしょうか?」
「あってるよ、海歌ちゃん! ウチで売ってるからね!」
観客席から声が飛ぶ。商店街のスポーツ用品店『イダテンスポーツ』店長宮本五輪だった。
「お、イダテンスポーツさんからのお墨付き! これは正解ですね! 拍手!」
そして、盛大にSEが鳴る。自分が間違えたわけでも何でもないはずなのに、逆上瀬或都の心臓がやかましい。ちらと蔵地海歌の顔を覗き見ると、にんまりとしたり顔でこちらを見ていた。どうしてか、悔しさがこみ上げ、全身が震えた。
「では、第三問! 箱の中身は~っ!」
「何だろな!」
未知の感情に心身を揺さぶられていた逆上瀬だったが、その言葉で現実に戻される。慌てて箱の両側から手を突っ込んだ。
『スパイクだ』
それはすぐにわかった。そして、その言葉が口の先まで出かかった。だが。
『ちなみに、メーカーはリクノ、製品番号2212Aです。両手用、二十四センチ、といったところでしょうか。しかも新品ではありませんね』
海歌の言葉が頭を過る。べたべたと、手汗の吹き出る両手で、慎重にスパイクを精査する。重さから言って、別に高級なものではない。スパイクの棘が程よく指に刺さる。側面を撫でて、それがきっと、スポーツメーカー、アレックスのものだと感じた。だが、疑念は尽きない。リクノのマークもそこそこ複雑だし、横に長いという意味では、ナイクのマークだって間違えかねない。靴底はどうだろう……駄目だ、複雑に凹凸がついていて、それがマークなのかなんなのか、さっぱりわからない。右足か左足か、それすら自信が持てない。こっちに湾曲がついていて、きっと爪先がこうで……だが、言い切る勇気が沸かなかった。そう思うと、あそこまで解答を絞って言い切った、蔵地海歌という少女が化け物に思えた。あんなに弱くて御しやすそうな少女なのに、箱の中身を答えるときは一切の躊躇いがなかった。
――箱の中身という未知の存在に対する、自分の感覚へ絶対的自信。それが箱の中身は何だろなクイズ研究会の会長たる器。
「おっと、時間がかかるようですね。意外に難しいのでしょうか?」
状況が状況だったら、怒りに耐え兼ね、司会進行のスピ子へ吼えて掴み掛っていたかもしれない。だが、期待のまなざしを送ってくる観客達の前で、そんなことができるわけがない。拭うこともできない汗がぼつぼつと箱の上に滴った。
「……スパイクだ」
「スパイク?」どこかスピ子はつまらなさそうに首を傾げる。
「スパイクシューズ、靴だよ、靴!」
「それが、解答でよろしいですか?」
まるで疑うようなスピ子の視線。
「そうだよ! 間違いない!」彼女や、観客の視線を吹き飛ばし、威圧するように怒鳴りつけた。
「では! 正解をどうぞ!」
さっきまでの不審そうな視線を一瞬で捨て去り、彼女は海歌を振り見た。不思議な間が置かれた。まさに、クイズ番組。
「……正解です。アレックスのスパイクシューズ、製品番号171725の、製品名はフィールドマスター。二十六センチ。提供は『イダテンスポーツ』さんからです。軽くて、人気、お値段も据え置きです。しかも今ならセール中でもっとお求めやすいですよ」
正解ならそれだけでいいはずなのに、まるで嫌みのように海歌は詳細を付け足す。日和った逆上瀬の解答に対する、まるで当てつけだった。当然、逆上瀬は海歌の目を直視できなかった。ただ、彼女が正解と認めてくれたことに安堵していたことが、自身でも意外だった――見逃されたというのに。
「正解です! 皆さん拍手!」
さっきと同じ流れ。それなのに、ずんと重く、逆上瀬の胸に何かがぶら下がった。
「では、箱の中身は何だろなクイズ研究会にとっての第三問です。これが答えられなければ、箱の中身は何だろなクイズ研究会の負けになってしまいます!」
「自信のほどはいかがでしょうか?」
「野球用品は、あまり専門分野ではありませんが、とにかく頑張ります! 当てて見せます!」
「ありがとうございます! それでは皆さん、準備はいいですね?」
スピ子が観客に向かって声を張る。観客達の目からは、期待と好奇が溢れている
「箱の中身は~っ?」
「何だろなっ!」
その言葉と同時に、海歌は手を箱の中へ。そして、硬直した。
「さあ、どうでしょう? 蔵地さん、感触はいかがでしょうか?」
「……難しい、ですね……」
明るいスピ子の言葉と対照的に、蔵地海歌の言葉は歯切れ悪く、沈んでいた。その様子を理解し、逆上瀬は下卑た笑みを浮かべ、海歌を見る。解答開始と同時に中身を知った観客席の様子も、動揺を隠せないようだった。
「えっと、これは……」海歌の目が泳ぐ。
「どうだ? わからないのか?」
つい、逆上瀬はそう口走った。だが、それとは対照的に、彼の額に脂汗が浮かぶ。しかし、もう彼は引き下がることなどできないのだ。
「すぐに答えると思ったが、違うみたいだな。よく触って確かめるといい……箱の中身は何だろうな?」
「だって、これは……」
箱の中、海歌は思案した。
「まあ、精々悩めよ。製品番号まで当てなくったっていいんだぜ」
「おやおや、箱の中身は何だろなクイズで舌戦が始まりました! 蔵地さん、いかがでしょうか?」
「これは……」
海歌の額にも汗が浮かぶ。
「解答時間は二分です。熟考もいいですが、ここはひらめきも大事にした方がいいと思います!」
空っぽなアドバイス。まあ、せいぜい悩めよ、と逆上瀬は肩を竦めた。そんな彼の余裕たっぷりな様子と対照的に、海歌は困惑のまま箱の中身を揉んでいる。
「答えてやろうか」
その時、堂々と舞台の上に少年が現れた。司会も解答者も、そして観客席からも視線が集まる。
「あなたは……」スピ子は困惑し、
「なんだこいつは」逆上瀬は不快感を隠さず、
「堂神さん!」蔵地海歌は彼の名前を呼んだ。突如として壇上に現れた堂神放大は盛大に咳ばらいを一つ。
「オレは観客席に回ってないから、当然答えは知らない。だが、箱の中に手を突っ込まなくたって答えはわかる。寄辺先輩、箱の中身は何だろなクイズなんて、やっぱりくだらない。何が実体験だ。頭の中で答えは『組める』それを今証明してやる」
張りぼての背景の向こう側に向かって、堂神放大は言った。
「まず一つ、答えは箱の中に入るものに限定される。テーマは野球とはいえ、バットやホームベースなんかは無理だろうな。あとキャッチャーのプロテクターも。それから」
堂神放大は、机の上の野球道具を見下ろす。一問目と二問目の答えだった道具達だ。
「硬球にバッティンググローブ。全部汚れている。つまり野球部の今までの答えは全て、部室から適当に取ってきたものだ。新品はない。多分、お前達は昨日の部活の後に、クイズの問題を集めていた。お前達は箱の中身は何だろなクイズ研究会を舐め切っている。その辺にあるものを適当に三つ持っていけば勝てる、そう思っていたのだろう」
「なんだお前。探偵気取か」
イライラをそのまま逆上瀬は吐いた。放大は彼の言葉を無視して続ける。
「そして、もう一つヒントになるのが、こいつが学ランを着ていることだ」
放大が逆上瀬を指した。
「今日もお前達は部活だが、あんなに熱心なお前達がいまだに制服なのは気になるな。さっさと倒すつもりだったら、着替えてここにいるのが一番効率がいい。なのに、そうしないのはちょっと違和感だ」
「何が言いたい!」
「すぐに野球できる姿が、正しいんじゃないか?」
逆上瀬或都の爪先から頭のてっぺんまで、じっくりと舐めるように見つめ、堂神放大は言った。
「待っ……」海歌は思わず口を開いた。
「ユニフォームだ」放大はきりり、と言い切った。
「おっと、乱入してきた堂神さんが、華麗な推理で解答を……」スピ子がほとんど反射で会場を盛り上げようとセリフを紡ぐ。
「と、思っていたが」
放大は言葉を継いだ。観客達とスピ子は首を傾げ、海歌と逆上瀬は唾を飲んだ。
「その程度、わからない会長ではないだろう。そして、もう一つ面白いものを見つけた」
放大はスマートフォンを取り出した。
「ちょっと前に、箱の中身は何だろなクイズ研究会のSNSに熱心に粘着してコメントで誹謗中傷を送っている、随分と熱心なファンを見つけた」
「何?」
なぜか逆上瀬の顔が一瞬で青ざめた。その場の視線も、全て彼に注がれる。
「まあ、個人を特定するような要素は全くない。でも、登校時間はこの学校の時間割に相当する。あと、とある部活の活動時間にも連動していることが分かった。試合がある日なんかは、特にコメントもつけないみたいだ。まあ、本当に、総じてただのクソコメントを量産するアカウントだったんだが、試しにパスワードをいくつか試してみたんだ」
「なんだと?」
「『B、A、S、E、B、A、1、1』馬鹿だろう、頭の中は箱みたいに空っぽなんだろうな」
「逆上瀬先輩……」
蔵地海歌が不審そうな目で彼を見る。
「どうやら、このクソコメント量産アカウントは野球が大好きらしい。そして、箱の中身は何だろなクイズ研究会に粘着している。そんな奴が、今日、そのSNSで、最低なものを触らせてやる、とだけ書いている。気になるな?」
放大は逆上瀬を一瞥もせずに、あくまで観客に向けていった。
「こいつが、何らかの手段で、単に屈辱的な目に合わせるためだけに、最低な手段を今日、用いることも、十分に考えられる。例えばそれは、箱の中身に、触れることも悍ましいようなものを仕込むとか、そういうことだ。もういいですか、蔵地先輩」
「えっと、これは……」
さすがの司会者も、突然の堂神放大の登場に困惑しっぱなしでついていけていないようだった。彼女は仕切りに、蔵地海歌と、逆上瀬、堂が見
「……わかりました。答えます」
重々しく、蔵地海歌は言った。
「それでは、答えは……」スピ子が声を落として訊ねた。
「野球部の、勝負トランクス、です。確かに、その……イダンテスポーツさんで、売っています……隣のパンツ専門店パワーパンツさんと提携していて……」
消え入りそうな声で、全身を微かに震わせながら、蔵地海歌は答えを告げた。
「せ、正解、でしょうか……?」
動揺をそのままに、スピ子・スティーブンは逆上瀬或都に訊ねた。彼はしばし黙った後、
「正解だ」
とだけ言った。一応、SEが盛大に鳴り響き、控えめな拍手が沸く。ただ、イダテンスポーツ店長宮本五輪だけが、申し訳なさそうに黙って席を降りて行った。
「えっと、これで勝負はイーブンです。えっと、これからサドンデスとか……?」
「待て、こいつはヒントを貰って解答したんだ。無効じゃないのか!」
唸るような声で逆上瀬は言う。
「確かに、それは……」
スピ子はつい、助けを求めるように蔵地海歌を見た。海歌は目に涙を浮かべ、両手をだらんと垂らして動かない。スピ子も、そしてその場にいる全員が、海歌に同情した。彼女はついさっきまで、他人のトランクスに手を突っ込んでそれを弄っていたのだ。
「勝負は無効だ。勝ちでも負けでもない。もう一回やるなら、日を改めるんだな」
はっきりと、堂神放大が言った。
「ふん。自分でぶち壊しておいて、こいつらの味方はしないのか?」
逆上瀬或都は威圧するように言う。
「いや、不本意だが、味方はする。ついさっき、入会届を出してきた」
「何?」その場にいる全員が、堂神放大に注目した。
「これで、箱の中身は何だろなクイズ研究会は三名。潰せるもんなら潰してみろ。野球部が勝ったときの報酬は、二週間早く『廃部を認める』だったな? 残念だが、廃部を認めることはできない。存続がたった今、決まったからだ。だから、この箱の中身は何だろなクイズ大会自体が無効だ。オレの言う『もう一回』は、お前たちがまた、オレ達と遊んでほしい場合、って話だよ。いつでも可愛がってやる」
「お前、なんてことを!」
逆上瀬が放大に掴み掛る。だが、それより早く、放大は箱の中から真っ赤なトランクスを取り上げると、逆上瀬へ投げつけた。
「もういいだろ。早く帰れ」
顔面にトランクスを浴び、逆上瀬は長机を大いに叩いた。
「覚えてろよ、このクソガキ」
「物覚えは良いから安心しろ。その真っ赤な顔と一緒に忘れない」
捨て台詞にわざわざ返事をする。逆上瀬はそのまま、するすると消えていった。それを堂神放大はしばし見送っていたが、
「それでは、色々とありましたが、ひとまず、お開きということで! 勝負はこれ、引き分けかな! それでは皆さん、ありがとうございました!」
という、スピ子の明るい声で、放大も海歌もひとまずセットの裏側に消えることにした。放大は一瞬観客席をふり見、彼らもまた席から降りていくのを確認した。
こうして、箱の中身は何だろなクイズ研究会VS野球部の箱の中身は何だろなクイズ大会は終了したのである。
「どうでしたか。箱の中身なんて、知らない方がいいこともあるんじゃないですか」
セットが片付けられる中、その裏で呆けている海歌へ、放大は声をかけた。
「ちょっと、堂神さん」寄辺すずめは、素早く反応した。
「実体験を大事にする気持ちもわかりますが、概してその全てがいいわけじゃない。箱の中にしまっておいた方がいいものもたくさんある。オレはそう思います」
すずめの制止も聞かず、放大は続けた。すると、静かに海歌は放大を見上げ、ゆっくりと立ち上がった。その様子に、なぜか放大は気圧されて、一歩二歩と後退った。
「アームチェア・パネリスト」そして、呟く。すずめは意味が分からず首を傾げたが、一人、露骨に焦りを隠せない人物がいた。それは、他ならぬ堂神放大だった。
「な……」海歌の言葉に、彼は言葉を詰まらせる。
「あ、知ってます!」
急に、セットの片付けの指示を出していたスピ子が距離を詰めてきた。
「たしか、二年前にネット配信サイトAMIIVAで行われたクイズ大会で、驚異の正答率を叩き出した謎の解答者ですね! しかも、解き方を訊ねると、直接的な知識ではなく、問題の周囲に付属する状況を推理して、答えを導き出すっていう独特の方法で解いていたのが話題で、ついたあだ名がアームチェア・パネリストだって……あれ?」
スピ子はまじまじと堂神放大を見た。
「別に。知りませんよ、そんなこと!」放大は顔を赤くして声を張る。
「ええ。知りません」はっきりと、海歌は言った。
「ただ、ちょっと推理が滅茶苦茶じゃないですか。かなり賭けというか。言い切るにはちょっと情報が足りていませんでしたね。結局、核心的な情報が欠けていました。わたしは『イダテンスポーツ』さんで、ユニフォームと一緒に勝負トランクス売っていたのも知っていましたが」
「最後の箱が発表されてから、一人だけ様子がおかしい人がいました。『イダテンスポーツ』の店長です。だから確信した。それだけです。それは、舞台から見てもすぐにわかる」
すると、海歌は首を振った。
「でもそんな賭けに、あなたがベットするとは思えません。だから、わたしの答えはこうです。あなたは、実際に、事前にチェックしていたんです」
「まさか」スピ子の視線は海歌と放大の間を行ったり来たり。
「何を根拠に」
「あのトランクス、新品だったんですよ」
「え? なぜそれを!」虚を突かれ、放大が間抜けな声を上げる。そして、はっとして顔を伏せた。一方、海歌はにこにこと微笑んだ。
「触ればすぐにわかります。でも、逆上瀬さんの反応や考えからして、あれは新品ではない、というのが正しいはず。ということは、誰かがすり替えてくれていたんじゃないか、わたしはそう思います。多分、事前に野球部の部室に忍び込んで、です。それに、堂神さんは勝負トランクスを逆上瀬さんに投げつけていました。普通は触りたくもないはずです。それなのに、あんなにがっしり掴んで投げつけることができるということは、事前にあれを新品にすり替えていたからにほかなりません。そうじゃないんですか?」
海歌は自慢するでもなく、しかし淀みなく放大の行動を指摘した。彼の顔がどんどん真っ赤に染まっていく。だが、そこであることに彼は気づいた。
「それは……っていうか、勝負トランクスのことを知っていたなら、すぐに解答すればよかったのに……まさか!」
「おやおや、面白くなってきましたね」からかうようにスピ子は言った。
「さあ、どうでしょう? 当ててみてください」
試すように海歌はそう言い、放大は何も返せなかった。
「どうですか、まだまだあなたの知らないこと、世の中にはたくさんあるって思いませんか?」海歌は両手を広げた。
「箱の中を知りたいと思えば思うほど、外の世界の広さを痛感します。あなたみたいな人が、箱の中身は何だろなクイズ研究会に入ってくれて、わたしはとても嬉しく思います」
あくまでにこやかに海歌は言葉を紡ぐ。堂神放大は、全てが茶番であったことを悟った。この状況すら、ただ一人、堂神放大という少年を研究会へ引き摺り込むための罠だったのだ。堂神放大は悔しさに歯を鳴らし、この目の前に立つ、二つ年上の少女を睨みつけた。にこにこと裏表のなさそうな少女であったが、正体不明の底知れなさがある。今更ながらに、彼もまたそれを理解した。この少女こそ、底知れぬ不気味な箱なのだ。
箱の中から、手が伸びる。
「堂神さん、歓迎します。箱の中へようこそ! この暗くて何も見えない箱の中身は何なのか、知りたいとは思いませんか?」
放大は自然と、引かれるように手を伸ばし、闇の中に手を差し出した。
つっこめ! 箱の中身は何だろなクイズ研究会の青春 杉林重工 @tomato_fiber
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