三.暁に
星姫様が扉を開け、儀式が無事終わったと告げると、オイゲンとエルヴィラ様が廊下の方へそれを伝えた。そして、その向こうからわっと声が上がる。仕え人たちも皆待っていてくれたのだ、とじんと胸が熱くなった。
「さて、私はここで諸侯の挨拶を受けねばな。お前たちは少し休め」
一気に宮が騒がしくなる。兄上に促され、私はジルケと別室に移動して朝食をとった。侍従がカーテンを開けてくれて、空が白んで星の輝きが薄れていくのが見えた。
もう夜明けがすぐそこに来ていたのだ。
兄上は簡単なものをつまんで水を飲む程度で謁見の間へ戻ってしまう。鐘前は何度か短い休憩を挟みながら、諸侯や諸外国の者たちのあいさつを受けることになるのだ。
私はエルヴィラ様に昼前の時間帯に呼び出され、兄上の横に立ってあいさつを受けた。諸外国の代表の方々で、即位の祝いを告げに来てくれたのに、顔を見せようとしてくださったらしい。
ジョルベーリからは国王の側近だという壮年の男性が訪れていた。ティエビエンからはもちろんペルペトゥア様とイサアク殿、それにヘマが。ヘマにはこっそり微笑みかけておいたら、まぶしいほどの笑みで返された。
モウェルからの使者はエルヴィラ様の甥御だという青年で、私よりは年上だが兄上よりは幼いくらいの年だ。他国の王子殿下と会うのは滅多にないことなので、中々おもしろかった。
セゼムからも一応使者が来ていた。常は山脈に阻まれ交流が薄いからと度々こちらの要求を無視するくせして、礼儀は忘れておらぬらしい。
軽い昼食のあと、兄上は披露目と称して王都を馬車で回ることになる。衣装を直している兄上も格好よかったが、どこかいつもと違う気がした。何だろう、と考えていると、わずかに髪型が違うことに気づく。
「前髪を変えられたのですか、兄上?」
問うてみると、
「冠を被っていると少々邪魔なのだ。似合わぬか?」
「いえ、よくお似合いです」
これまでは自然に下ろしておられたから気づかなんだが、真ん中で分けて額を出しているのもその緑玉の瞳が目立っていい。
「お時間です、陛下。馬車へどうぞ」
近衛の正装をしたジークが迎えに来たので、余計な忠告をしておくことにする。
「兄上をきちんとお守りし通すのだぞ、ジーク。このめでたい日に兄上がおけがでもなさったら目も当てられん」
「言われずとも、無論の事ですよ、殿下。アレク様の御身はこの私が絶対にお守りしますから」
と兄上の優秀な近衛は半分怒ったような調子で誓ってきた。これだから真面目な者はからかいやすい。今日はめでたい日ゆえ、この辺でやめてやろう。……報復が怖いしな。
エルヴィラ様と姫たちと一緒に見送りに行くと、玄関前に騎士隊が用意を整えて並び、豪奢な白の馬車があった。
冠も白の上着もきらめかせて兄上がその真ん中を歩いていくと、一斉に声が上がる。
「アレクシス三世国王陛下、万歳!」
気づけば、騎士たちだけでなく王宮の仕え人たちもその歓呼に加わっていて、私はにやける顔を抑えきれなかった。
腰のあたりにしがみついてくる姫たちを見やれば、二人もうずうずとしている。せえの、と声を合わせて、私たちも皆の声に紛れて叫んだ。
「国王陛下万歳!」
ふっと笑みを浮かべて馬車に乗り込み、都の民に会いに向かう兄上は、まことに絵になるというべき格好よさであった。
私は兄上のおらぬ間の留守を預かるという
暇なので、騎士の正装をしたカスパーとイグナーツの珍しい髪型をからかっていたら、ジルケとアルマに見つかって三人それぞれにほめ倒された。
「ヴィンあにうえさまもきしさんたちも、いつもとちがってかっこういいですわ!」
「本当、お兄様はすてきですわよね。カスパーもそちらの、イグナーツというの? 二人とも髪を上げてるのも、きりっとしていてかっこういいわ」
「待て、待ちなさい姫たち」
真っ直ぐにほめられる方が恥ずかしいとは……。カスパーも顔を赤くしている。イグナーツだけはありがとうございます! と素直に礼を言って、姫たちににこにことされていた。
「全く……お前たちもよく似合っておるぞ」
年長者を手玉にとりおって、と文句を言いながらもほめると、姫たちは胸を張って当然ですわ、と自慢げだ。ジルケは今朝も見た通り正統派だが、アルマは珍しく空色のドレスで、
「今日は薄紅や黄のドレスではないのだな?」
と問うと、
「アレクあにうえさまのたいかんしきなのですからっ、わたしも王家の色を着るのですわ!」
と言われた。我らが末姫も成長しているようだ。
王都中からの歓声を浴びて、兄上と騎士隊の一行が戻ってくる。少しの休息の合間に支度は整えられ、夜会の運びとなった。
招待客からの礼は朝のうちに受けたことになっているので、玉座に腰かけた兄上の隣に立っていても、軽く声をかけられる程度で楽なものだ。
王都から招いた楽団の音楽が心地よく耳に入ってくる。長机をおおいつくすような料理と、侍従たちが振る舞っている杯に、客も皆満足げに歓談している。
後宮制が廃止され、自身も宮の外に出たために夜会に正式に参加を許された姫たちは、目の前にした人々のきらびやかな様子と、豪華な食事と音楽に目を輝かせている。十くらいまでの子どもたちは自然集まるところがあるようで、以前に会った友人を見つけたのか、気づけば私も知らぬ子らと楽しげに話し込んでいて、頼もしく思う。
私も、なぜか壁際に一人たたずんでいるカサンドラ殿を見つけたので、声をかけに行った。
「ご婚約者殿には会えなんだか、クローデル嬢?」
ふざけてそう話しかけると、涙目でにらまれてどきりとした。怒らせたか?
「……会えはしましたわ。ですけれど……」
「けれど?」
「やはり母君の体調が不安だとかで王都の館に留まっているのですわ。わたくしは……わたくしは、彼と踊るのを楽しみにしておりましたのに……!」
「またか」
婚約者殿にはどうしようもないことでけんかをするな。
「いいですわね、殿下は! ご婚約者殿と踊れて!」
「子どもか? そうすねるな」
「ヴィン様にはわかりませんわ! わたくしの努力ではどうにもならないことで約束を反故にされたわたくしの気持ちなんてっ」
ほとんど泣きそうになりながら責められるので、呆れながらも私は侍従を呼び止めて、成人前の子らにも配っている飲み物の杯を二つもらった。片方を目をうるませているカサンドラ殿に差し出す。
「どうぞ。私では婚約者殿の代わりにはなれぬが、一杯分くらいはつき合ってやってもよいぞ?」
と小首を傾げると、むくれた顔をしながらも彼女は優雅な手つきで杯を受け取った。
「……ありがとうございます。そうですわね、今宵は祝うべき夜ですもの」
言って、すっと私の方を向いて杯を掲げてくれる。
「我らが陛下の星冠に」
赤紫の大きな瞳がきらりと光る。ああ、とうなずいて私も杯を掲げた。
「我が君の戴冠に、乾杯」
「乾杯」
冷たいグラスに口をつけ、一口のどに滑らせる。不快でない程度に口の中に残る甘さに笑んでいると、同じようにグラスを口に近づけたカサンドラ殿が、ぐっとそれを傾けて中身を飲み干した。
「⁉ 何をしておるのだ……」
「同情の一杯分など、悔しいだけですわ」
きっぱりと言い切り、空のグラスを侍従に渡して、彼女はくるりと背を向ける。
「殿下よりなぐさめの上手い友人を探して参りますわ。邪魔しないでくださいまし。ヴィン様はご婚約者殿にうつつを抜かしておられればよいのですわ」
「何だ、応援してくれておるのか?」
「わかったらさっさとお行きなさいまし」
素直でない人だ。わかりにくい応援の言葉に笑って、ありがとう、とその背に声をかけ、私もグラスを干して目当ての人のもとへ向かうことにした。
ユースフェルトの夜会にティエビエンの王族が姿を見せることなど、友好国たる隣国とはいえ、その独立的な成り立ちと一年前の事件もあって、このところめったになかった。そういう理由で我が国の貴族に群がられ、その一人一人に対応しておられるペルペトゥア様と、その背に控えめに立っているイサアク殿の、さらにその背に隠れて彼女の白いドレスが見える。
私が歩いていくと、気づいた貴族たちが道を開けてくれた。その間をすり抜けて、どうにかペルペトゥア様のもとへたどり着く。微笑んでくださる隣国の君に、まずは一礼した。
「夜会にご出席いただきありがとうございます、王女殿下」
「陛下の戴冠を祝わぬわたくしではございませんもの。それで、ご用があるのはわたくしに、ですの?」
からかわれている。
頬が赤くなっていないか少し気になりつつ、いえ、と私は首を振った。
「よろしければ、巫女殿を少しお借りしても?」
「……だそうよ、ヘマ。よろしくて?」
同じようにからかう声音で、ペルペトゥア様は振り返ってヘマに尋ねる。身軽にイサアク殿の影から顔をのぞかせたヘマは微笑んで、
「よろしくないわけがないわ、姉様。行きましょう、ヴィン!」
とびきりの笑顔で私の手を引いた。
導かれるまま、少し離れた壁際に移動する。
「やっと話せるわね。姉様ったら一歩歩いたと思ったらすぐに別の方に囲まれるんだもの、抜け出せなくて驚いたわ!」
とヘマが目を丸くしてみせる。いつもの白いドレスに、今夜は髪を青の髪留めでまとめていて、耳には金の耳飾りをしていて、私の贈ったものを身に着けてくれている彼女に胸が熱くなった。
「すごく、似合っているよ、ヘマ」
脈絡なく思ったことを告げた私に、ヘマはつないだ手に込める力を少し強くして、
「気づいてくれたのね? ありがとう……お前もよく似合ってるわ」
とはにかんだ。かわいらしい。
玉座の方がざわついて、目をやると兄上が楽団に踊りの音楽を、と頼んだようだった。
「今宵は私のための宴に集ってくれて、ありがとう。踊るも、飲むも、話すも、共に楽しんでいってくれ」
兄上の穏やかだが凛と響く声。玉座から立ち上がって宰相に金杖を預け、冠を被って命じるさまは本当に欠けることなく我が王だというもので、私は見ているだけで嬉しくなった。
流れ出した調子の早い曲に、さっそくにもジルケが少し年上くらいの少年と輪に入っていくのが見えた。ヘマはと見ると、広間の中央に踊りの輪ができあがっていくのを目を輝かせて見ている。
「ヘマ。私たちも踊らぬか?」
手を差し出すと、彼女は嬉しそうにうなずいた。
「ぜひ!」
手をつないで輪の中に踏み入る。二人が手を重ねて身を寄せ合い踊るのはジョルベーリやユースフェルトの踊りだから、ヘマはどうかと思ったが、そんな心配は無用だった。最初は少し慣れぬ様子だったが、すぐにたわむれる子猫のように軽々とした足取りになる。
ヘマと身を寄せ合える温かさも、くるりと回った時の風の感触も心地いい。いたずら心がわいてヘマが回る番の時、少し風で後押ししてみると、ヘマは楽しそうに笑い声を弾けさせた。
「ふふっ、いい風ね、ヴィン! こんなにお前の風をまとって帰ったら、ヴェントゾにねたまれそう」
「好きなだけ持って帰ってくれ。ヴェントゾにも会いたいものだな」
そんな軽口を叩いていると、ふわりと視界の端を薄紫の花弁のようなドレスが舞って、目を惹かれる。視線の先にいた満面の笑みのジルケは、私と目が合うと少々恥ずかしげにはにかんで、離れていった。
「ジルケ様は踊りが上手なのね、とってもきれいだわ」
「そうだろう?」
「どうしてお前の方が自慢げなのです、ヴィン?」
一曲目が終わる。息を弾ませて輪を抜けると、イサアク殿に手を引かれたペルペトゥア様と、兄上がエルヴィラ様をお誘いして輪に加わるのが見えた。ヘマがこれ以上ないくらいに目を輝かせている。私も似たようなものだ。
兄上に玉座を離れられたオイゲンのもとへ、カミラ殿が話しかけにいったのが見えた。誘え! と心の中で応援してみるものの、動く気配はない。かわりに、一旦子どもの集まりの中へ戻っていたのだろうジルケが、恥ずかしがるアルマを引きずって踊りの輪へ戻っていくのが見えた。まだ踊る気なのか。
二曲目は先のよりは穏やかなもので、兄上と踊るエルヴィラ様は温かな目をなさっている。
「すてきね、皆。陛下とお母様を見た? ヴィン」
「ああ。お二人が想い合っておられるのがよくわかる」
ペルペトゥア様とイサアク殿の組は、動きのいいペルペトゥア様を、イサアク殿がさりげなく支えてやっているように見える。
「イサアク殿もお上手だな」
「兄様は、そうは見えないけれど、武術の達人ですもの。姉様は殿方を翻弄するのがお好きだから、丁度いいのではないかしら」
そういえば、とうなずく。ジルケとアルマの姉妹は、まだ練習中のアルマをジルケが導いてやって、時々くすくすと笑い出しながら踊っていた。
「アルマも踊りを教わるのは好きなのだが、こういうところではまだ気が引けるのかな」
「かわいらしいわね、お二人とも。さすがはユースフェルトの宮殿だわ、皆優雅で」
ほう、とヘマが溜息をつくので、気になって尋ねてみる。
「ティエビエンの宴の踊りは、どのようなのだ?」
「基本は同じです。大体は男女の二人で組んで、輪を作って踊るのですが……皆、宴となればお酒が入っているものだから……。大きな笑い声はするし、楽隊も即興で変な工夫を入れてくるし、たまに輪の回る方と逆方向に回る者までいるし」
「はは、それは一緒に踊るのは苦労しそうだな」
ヘマが心底うんざりしたような声で言うので、つい笑い出してしまった。彼女は頬をふくらませて、私の肩に肩をぶつけてくる。
「夏になればお前にも味わわせてやるわ。ティエビエンで暮らすことの苦労の少しくらいはね」
「おや、もうそちらに行くことは決定事項なのか?」
「私が来ると言ったらお前は来ることになるのですよ。覚悟しておきなさいね?」
と怖い声を出して、すぐにいたずらっぽく笑い出すので、私も噴き出してしまう。
「楽しみにしておくよ」
実際、楽しみなのだ。
ほんの一年と少し前までは後宮の籠の鳥でしかなかった私が、王宮に出て、外を知り、国を歩いた。そして隣国の巫女姫と恋に落ち、今度は国の外へ出ていこうとしている。
あまりに多くのことがあって、この一年のことはこれから年を重ねようとも、それほど薄れることはないようにさえ思う。それにはいいことばかりでなく、思い出すだけで胸が痛むようなこともあったけれど、今、目の前で輝いている光景も、隣に彼女がいてくれる温度も、ひどく満たされた幸福を私にもたらしてくれているのだ。
これから生きていけば、どれほどの数え切れぬ出来事と幸福に出会えるだろう。
二曲目も終わり、兄上はペルペトゥア様に踊りのお相手を申し込んで、祝いにと受けていただいたようだった。ハイスレイ公が別の諸侯と杯を片手に話し込んでいるのも見える。それだから独身なのだぞ、オリヴァー。
「もう一回踊りに行くか?」
休憩は充分できたと思って隣に立つ顔をのぞき込むと、ヘマは少し考えるようにして、それから開かれた大窓の外を指差した。
「春先の宵よ。風を感じたいと思わない?」
ああ、少なくとも彼女の隣で生きることが許されていれば、嬉しい驚きにだけは事欠かぬに違いない。
「やはり貴方は最高だよ、ヘマ。風と遊びに行こうか」
笑って彼女の手を取り、私は星々の輝く暗い外へ踏み出した。
エピローグ 星冠を戴く者 了
ユースフェルト王国星冠記 ヴィンの物語 完
ユースフェルト王国星冠記 ヴィンの物語 中川光葉 @rainyberry
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