第55話 絵本


「この辺りが全て、絵本の本棚ですよ」

「すごい、絵本だけでも、たくさんあるんですね……」


 私は今、ルイスさんの案内で、お邸の書庫へ来た。

 このお邸に来たばかりの頃、ジーク様にも連れて来てもらったけれど、試しに手に取った本の文字がさっぱりわからなくて、結局すぐに立ち去ることになった。

 なので、こうしてまじまじと本棚を見てまわるのは、今日がはじめてである。

 最近非常に慌ただしい日々が続いていたが、ようやく落ち着いた。

 それは非常に喜ばしいことなのだけれど、落ち着いたら落ち着いたでなんだか手持ち無沙汰になってしまい、そんな時にルイスさんが絵本を読んでみてはどうかと薦めてくれた。

 文字もだいぶ覚えてきたし、今後は単語を1つ1つ覚えていくより、絵本を読みながらわからない言葉があれば聞いたりする方がよいだろうとのことだ。

 この世界の絵本を読むのははじめてなので、わくわくしながらついて来たのはいいのだけれど、絵本だけでもたくさんあってどれを読むべきか非常に悩ましい。


「この辺が、旦那様やユリシスお坊ちゃまが幼い頃に読まれたものなので、比較的新しいですかね」


 なるほど、歴代のこの家のお坊ちゃま、お嬢様が読まれた絵本が保管されているのか。

 それならばこれだけの量になるのも、納得である。

 とても個人のものとは思えず、私の世界でなら図書館でも運営できそうな蔵書量だ。

 確かに、ルイスさんが仰っている辺りの絵本は他のに比べて、比較的新しいように見える。

 けれどその中に1冊、少しくたびれたような絵本が目に留まり、私はそれを手にとった。


「ああ、それは旦那様のお気に入りの一冊ですね。お小さい頃は、そればかりをよく読んでいらしたものです」


 だから他のよりくたびれていたのか。

 それほど、ジーク様に愛された絵本ということなのだろう。


「これ、お借りしても、よいでしょうか……?」

「ええ、ここにある本は全て、お嬢様に好きに見ていただいてよいと、旦那様から許可をいただいておりますので」


 ジーク様のお気に入りのお話、今の私ではまだまだ読めない単語もあるかもしれないけれど、読んでみたいと思った。


「じゃあ、最初はこれにします」


 私は大切に絵本を抱えて、ルイスさんとお部屋に戻った。




 絵本なので、絵から物語が想像できたり、文字もそんなに多くなかったこともあって、知らない単語があってもそこまで読むのに時間はかからなかった。

 内容は1人の小さな男の子が、人々を苦しめるドラゴンに立ち向かうため、勇者の剣を探すところからはじまる。

 様々な困難を潜り抜け、無事勇者の剣を手に入れた男の子は、剣の力で無事にドラゴンを倒し、世界は平和になったというお話だ。

 私の世界にも、内容は少し違うけれど、悪いやつをやっつける男の子の物語の絵本はあった。

 似たようなお話は、どこにでもあるものなのかもしれない。

 それにしても、幼い頃に勇者の剣でドラゴンを倒すお話が好きだったとは、さすがは後に優秀な騎士になられるジーク様らしい。

 きっと、こういったお話から、幼いジーク様は騎士への憧れを強くされ、剣術を頑張ったのではないだろうか。

 そんな幼い頃のジーク様を想像しながら、私はもう一度絵本を最初から読み返してみた。




「それ、読んだのか?」

「はいっ、ちょっと時間はかかりましたけど、ちゃんと最後まで読めました」


 何度か読んだので、ルイスさんに許可を貰って、別の絵本を貸してもらいに書庫へ向かう途中、偶然にもジーク様に出くわした。

 ジーク様は、なぜかとても意外そうに、私が持っている絵本を見ている。


「これ、ジーク様がお好きな話だったと……」

「ああ。だが、女子向けの話ではなかっただろう」


 絵本だったから、正直そこまで気にしていなかった。

 確かに、男の子が悪者をやっつけるような話は、私の世界でも女の子より男の子の方が好んでよく読んでいたかもしれない。

 だが、私は現在、本来なら絵本を好んで読むような年齢でもないし、文字のお勉強のためでもある。

 女の子向けのお話かどうか、は正直そんなに重要ではないはずだ。


「おもしろかったですよ。男の子が冒険したり、悪いやつを倒したり、そういうお話は私の世界にもありましたし」


 何より、小さい頃のジーク様に、少しだけ近づけたような気がして、それが嬉しい。

 さすがにそんなことを、ご本人に伝える勇気はないけれど。


「だが、女子なら王子や姫が出てくる話が好きなのではないか?」


 男の子がよく好む話が似ているなら、女の子がよく好んで読むお話もまた、私の世界と似ているようだ。

 ジーク様の仰る通り、確かに幼い頃は王子様とお姫様が出てくるお話を読んだ。

 お姫様が王子様と結婚し、幸せに暮らして終わるのがセオリーである。


「小さい頃は好きでしたけど……」


 今はそんなことは関係ない、そう伝えようと思ったのだけれど、その前にぐいっと腕が引かれた。

 そのままジーク様が歩きはじめるので、ただ遅れないようについていくと、あっという間に先日ルイスさんが教えてくれた絵本の本棚にたどり着いた。


「この辺のものは、俺やユースが買ってもらったものだから比較的新しいが、男子向けのものばかりだろう」


 ジーク様がそう言って、指し示したのは、先日ルイスさんが教えてくれたのと同じ本棚だ。

 今私が持っている、幼い頃のジーク様のお気に入りの1冊も、そこから拝借したものだ。


「こっちは少し古くなるが、叔母上が読んでいたものもある。こちらの方が女子向けのものもあるから、好みのものが多いだろう」


 別に、女の子向けの絵本に拘っているわけではないのだけれど。

 それに、ママが読んでいた絵本があるなら、それはそれで気にならないわけではないけれど、やっぱりジーク様がお読みになったものの方がずっとずっと気になる。


「ほら、これなんてどうだ?」


 ママが読んでいた絵本もある、と教えてくださった棚から、ジーク様が取り出した一冊の絵本。

 表紙にティアラをつけてピンクのドレスを着た女の子の絵があるところを見ると、間違いなくお姫様が出てくる話だろう。


「あ、あの、私は別にお姫様が出てくるお話に拘っているわけでは……あくまで、文字を覚えるために読んでいるわけですし」

「そう、か……確かにこの本は、少し古びているしな……」


 いや、そこは全く気にしていないのだけれど。

 それがママの読んだ絵本ならば、いつかは読んでみるのも悪くない、と思ってもいるのだけれど。

 せっかくこうして一緒に絵本の棚の前にいるなら、ジーク様が読んだおすすめの絵本の方が聞きたいと思った。

 ただ、それだけのことだったのに。


「新しい絵本でも買いに行くか」

「ええっ!?」


 とんでもない提案が飛び出してきて、ぎょっとする。

 別に、絵本を買ってほしいなんて思っていない。

 こんなにたくさん絵本があるのに、これを読まないまま新しいのを買うなんてもったいない。


「せっかくなら、気に入ったものを選んで読んでみた方がいいだろう」

「い、いえっ!大丈夫です!」


 今さら絵本を選んで買ってもらうような年齢でもないはずだ。

 何かを買って欲しいと思っているわけではないけれど、せっかく買ってもらうなら正直もっと違ったものを買って貰った方がよいとも思う。


「遠慮しなくていいんだぞ」

「いえ、遠慮しているわけではなくて……本当に新しい絵本が欲しいとは、思っていないので……」

「そうなのか?」

「はい!それより、小さい頃のジーク様が読まれていた絵本が知りたいです!」

「俺の……?」


 ジーク様は私の言葉を聞いて、持っていたお姫様の絵本を本棚へと戻した。

 それから、3冊ほど絵本を手に取って私に見せてくれた。


「最もよく読んだのは、おまえが今持っているやつだが、それ以外だとこの辺の絵本をよく読んでいたはずだ」


 3冊とも、表紙にしっかりと剣の絵が描かれているのが、なんともジーク様らしい気がする。

 私は持っていた絵本を本棚へ戻し、ジーク様から3冊の絵本を受け取った。


「見ての通り、どれも剣が出てくる話だ。元々父上が買い与える絵本が、そういったものが多かった所為もあるが、俺自身もいずれ父上の跡を継ぐのだと幼い頃から思っていたこともあって、自然とそういった本ばかり読むようになっていた」


 やっぱり、これを読んでいたお小さい頃から、ジーク様は騎士に憧れ、騎士を目指していらしたのだ。


「次はこれ、頑張って読んでみます」

「そんなので、いいのか……?」

「はい、これがいいです。ジーク様が小さい頃に読まれた本がどんなのだったか気になりますし、それに、私も剣は好きなんですよ?」

「そういえば、そうだったな」


 騎士を目指すような方には、到底敵わないけれど。

 私だって、少しは剣術を学んでいるのだと、そうアピールすると、ジーク様がふわっと笑った。


「本当に新しい絵本はいらないのか?」

「はい、もうそんな年齢ではないですし」

「それもそうか。なら文字がちゃんと読めるようになったら、きちんと年齢に見合った本を買ってやろう」


 何かを強請る気はなかったけれど、それは、ちょっと嬉しいかもしれないと思った。

 この世界の文字がちゃんと読めるようになれば、きっと頑張って覚えた分、本を読むのも楽しいだろうし、何より文字を覚えたご褒美みたいで。


「いいん、ですか……?」


 私がそう問えば、ジーク様は驚いたような表情になった。

 あ、やっぱりダメだっただろうか、と少し不安になったけれど、ジーク様はすぐに微笑んでくれた。


「ああ。いくらでも買ってやる」

「い、一冊で、一冊で十分ですっ!」


 返ってきた返答が恐ろしくてぎょっとする。

 ジーク様なら本当に、強請ったら強請っただけ買ってしまいそうだ。

 私が本屋さんの本全部、なんて言ったらどうするつもりなのだ。


「そんな風に、物を素直に欲しがったのは、はじめてだな」


 くしゃっとジーク様の手が、私の頭を撫でる。

 果たして、そうだっただろうか……

 割といろんな物を、今までも買ってもらっているような気がするのだけれど。


「わがまま、だったでしょうか……?」

「いや、いい傾向だ」


 そうなのだろうか。

 物を欲しがってばかりだと、困りそうな気しかしないけれど。


「その絵本、リディアも読んだと知れば、父上は喜ぶだろうな」

「え?あ……」


 そうか、きっと、おじ様がジーク様のためにお選びになった絵本だから。

 もしかしたら、ジーク様が読まれた後、ユースお兄様も読んだかもしれない。


「読んだら、おじ様にお手紙書いてもよいでしょうか?」


 まだ、簡単な文字しか書けないけれど。

 ジーク様のお誕生日に来ていただくようお願いして以降、ちゃんとお手紙を書けていないし、この機会にチャレンジしてみるのも悪くないのではないかと思ったのだ。

 そして、絵本を読んだことも、ご報告できればいいと思った。


「いいんじゃないか。きっと喜ぶだろう」

「よかった」

「なら、便箋でも買いにいくか。せっかくなら父上も味気ないものより、おまえが選んで買った便箋で送られて来る方が喜ぶだろう」


 そういえば前回は時間もなくて、お邸にある封筒と便箋を分けていただいた。

 今後やり取りを続けるなら、ちゃんと買ってもらった方がよいかもしれない。

 また、ジーク様に買っていただくことになるかと思うと、非常に申し訳ないけれど。


「あ、あの、その、ご迷惑でなければ……」

「買うのはかまわないが、条件がある」

「条件?」

「ああ。ユースにも書いてやってくれ。ちょうどあいつから手紙が来ていたところだ。その返信におまえからの手紙も添えてやれば、あいつも喜ぶだろうから」

「そんなことで、いいなら……」


 まだまだ文章を書くことには慣れていないけれど、ユースお兄様ともお手紙のやり取りができるなら、むしろ私としても嬉しい限りである。

 こんなことでいいなら、むしろありがたいくらい……

 そこまで考えて、ハッとした。

 ジーク様はきっと、私が買って貰うことを気にしないように、条件だなんて仰ったのだ。


「ジーク様、ありがとうございます」

「なんだ?まだ何も買ってないぞ」

「いいんです」


 私はもうすでに、いろんな物を貰ったような気分だった。

 今抱えている絵本の存在も、文字を覚えたら本を買ってもらえる約束も、おじ様やユースお兄様にお手紙が書けるのも、便箋を買ってもらえるのも、全部とても嬉しい。


「また、一緒に街に出かけるか」


 さらに嬉しいお誘いが続いた。

 もちろん、私は二つ返事で頷いた。


「せっかくだから筆記具も買おう。自分のは持っていないだろう」


 確かに明確に自分の、というのは持ってはいない。

 ペンも紙も、お邸にあるものの中から、ルイスさんが使って大丈夫なものを持ってきてくれて、それをずっと自分のもののように使わせてもらっている。

 自分のものがあれば便利かもしれない、とは思うけれど、無いからといって現状困っているわけではない。

 あれもこれも、と買ってもらうのも申し訳ないし、そこまでは甘えられない。


「お借りしているもので、十分……」

「なら、それはすぐに返してもらうことにしよう」

「えっ?」

「新しく買わないと、困るだろう?」


 そう言って笑ったジーク様は、ちょっとだけいたずらっ子のように見えた。

 大人の人にそんなことを思うなんて、とっても失礼かもしれないけれど。


「あ、あの、その……」


 ジーク様が私から全て回収するように言えば、ルイスさんはすぐにでもそうしてしまうだろう。

 新しく別のものを借りようにも、きっとジーク様の許可なしには貸してくれない。

 ルイスさんにとって、ジーク様のお言葉が何よりも優先されるというのは、このお邸で何か月もお世話になって身をもって何度も実感している。

 そして、ジーク様は私が自分のを買わなければならない状況を作るためにも、絶対許可してくれない。

 ということは、文字を書きたいなら、私に選択肢などないということだ。


「お、お願い、します……」


 私の言葉を聞いたジーク様は、とても満足そうに笑った。

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