第54話 2つ目の終わり


「えっ、それ、なんで……?えっ!?」


 両陛下が離れて少し経ってから、ようやくこの場へ戻ってきたアレクは、リディアのつけているネックレスを見て、驚きに声をあげている。

 まるで、信じられないようなものでも、見たかのように。


「それ、母上の、だよね……?」

「は、はい、先ほど皇后陛下にいただいて……」

「ええっ!?」


 あまりのアレクの驚き様に、リディアは数歩下がった。

 何か悪いことでもしてしまったかのように、申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「あ、ああ、ごめんね。リディア嬢が悪いわけじゃないんだ。当初の予定とあまりに違ってたから、俺も驚いちゃって」

「予定と違う、とは?」

「母上、もう1個ネックレスつけてたでしょ?おっきい石が何個かついたやつ」

「ああ」

「あれをそのままリディア嬢にあげてくる、って聞いてたから。まさか、ピンクダイヤの方を渡してるとは、俺も夢にも思わなくて」


 最初から決めていたのだろう、と思っていたけれど、違っていたようだ。

 それを思うと、あの場で全く声をあげることなく平然と見ていた皇帝陛下は、やはりすごい人だと思った。

 アレクがよく敵わないだなんだと愚痴っているが、そうだろうなと思わされる。


「父上からのプレゼントも、もしかして変わった?」

「ちなみに、それ、当初の予定は、なんだったんだ?」


 なんとなく変わっているような気がして、俺は逆にアレクに問いかけてみる。


「欲しいもの、なんでも買ってあげるって言ってなかった?ドレスでも、アクセサリーでも」

「あ、その、ちょっと違うというか……」


 まぁ、遠くはないかもしれない、というのはリディアも思っているだろう。

 そういう願いを言っても、おそらくは叶えてもらえるのだろうし。


「皇帝として1度だけ、叶えられる願いならなんでも叶えてくれるそうだ」

「はぁ!?スケール、でかくなったなぁ……まぁ、父上がそれでいいなら、俺は気にしないけど」


 皇太子がそれでいいのか、とか、もう少し心配した方がいいのでは、と思わなくもなかったが。

 リディアが無理難題を突きつけるような場面は、やはり想像がつかないので、アレクが気にしないならそれでいいのかもしれない。


「おっと、そうだ。こんなことのために来たんじゃなかった。伯父上、入って」

「ああ、失礼するよ」


 アレクの言葉に応じるように部屋に入ってきたのは、アレクの伯父でもあるハインミュラー公爵だった。


「ご無沙汰しております」

「ああ、久しぶりだね、シュヴァルツ侯爵。少し見ないうちに、また立派になられたようだ」

「いえ、俺などまだまだです」

「あー、もうっ、堅苦しい挨拶はいいからっ」


 相手は爵位が上の人間だったため、自然と頭を下げて挨拶をする形になった。

 ただ相手は相手で、俺の幼い頃も知っているためか、当主の座を継いだ今でも、どこかまだ子どもを見るような目で俺を見ているような気がする。

 そんなことを考えていると、俺たちの間に割り込むように、アレクが声をあげた。


「彼女がリディア嬢だよ」

「あ、はじめまして、リディア・エルロードです」


 アレクに紹介され、リディアは状況もよくわかっていないまま、慌てて覚えたてのお辞儀をまた披露する。

 両陛下にした時同様、手も足もやはり少し震えているようだ。


「先日利用させてもらった別荘の持ち主だ」


 リディアにだけ聞こえるように言えば、リディアはああ、と小さく声をあげて頷く。


「先日は、素敵な別荘を使わせていただき、ありがとうございました」


 リディアは、先ほどのお辞儀はすっかりと忘れ、いつものようにペコペコと頭を下げている。

 最早これは癖になってしまっているのかもしれない。


「どうか顔をあげてほしい。私はハインミュラー家の当主だ。先日うちの娘が失礼をしたようで、本当に申し訳ない」

「え?えっと……?」


 そのまま、別荘の話題になるだろうとでも、思っていたのだろう。

 全く違う話題に、まるで身に覚えがないと困った顔を浮かべている。

 つい先日のことだったと思うが、記憶からなくなっているのだろうか。


「覚えてない?先日俺の宮の庭園で、会ったでしょう?ハインミュラー公爵令嬢に」

「あ、ああ!それなら、私は何もされていません。なので、謝っていただくようなことは何も……」

「何も……?殿下のお話では、熱いお茶をかけられるところだった、と」

「皇太子殿下のおかげで、私にはかかってないんです。だから、私は何も……」

「かけられそうには、なったのだろう?それにうちの娘のことだ、酷いことも何か言ったりしたのではないかな?」


 それがわかっていても、娘を上手く制御することはできていないのだな、と思う。

 公爵にはたしか、公爵令嬢とかなり年の離れた、幼い長男もいたはずだ。

 そっちは子どもながらに非常に礼儀正しいと評判で、厳しく躾けられているのだろうと言われているのに。

 娘には甘いのか、公爵令嬢はいつまで経っても変わることがなかった。


「い、いえ、大丈夫です。本当に何もなかったので……」

「君はとても器が大きいのだね。娘にも見習ってほしいものだ」

「あ、あの……」


 リディアは、何もなかったという自分の主張が通らない事を不思議に思っているようだ。

 まあ、アレクが全てを話しているから、リディアがいくら主張したところで公爵が何もなかったと考えることはありえないだろう。

 あれが何もなかったことになるのは、リディアだけである。


「今日はきちんと詫びを入れたくて来たのだ。侯爵にも、迷惑をかけたようだし」

「俺は本当に何もされていませんので、お気遣いなく」


 リディアと違い、俺は本当にその場に居合わせただけ。

 なんなら自らその場に行ったのだから、気にする必要などない。


「お詫びに何か差し上げたいのだが、何がよいだろうか。やはり、鉱山……」

「い、いりませんっ!」


 かつてのルビー鉱山を思い出したのが、リディアが食い気味に声をあげた。

 俺は公爵の前であるにもかかわらず、耐えきれず吹き出してしまう。

 なぜ、笑いだしたのか、唯一理解しているだろうリディアが、恨めしそうにこちらを見た。


「す、すみません、少し思い出し笑いを……っ」

「君がそのように笑うのは、珍しいな」


 笑いが治まらず、声を震わせながらしか謝罪の言葉を言えなかったが、公爵は少し不思議そうに見たものの咎めるような態度は見せなかった。


「鉱山は不要か。確かにうちが主に所有しているのは、宝石のものではなく金属が多いからな……」


 いや、リディアは決してそういう意味で言ったわけではないのだけれど。

 公爵はそれなら何にしようか、と思案されている。

 リディアの回答は聞かなくてもわかる、何もいらない、の一択だろう。

 だが、公爵もこういう場合、きちんとしなければ気がすまないタイプの人間であるので、簡単に引き下がるとも思えない。


「では、先日の別荘はいかがかな?気に入ってくれていたようだし……」

「こ、困りますっ!」

「そ、そうか……」


 今、困っているのは、公爵かもしれないな、と思う。

 金属の鉱山や別荘をお詫びに渡すと公爵が申し出るのであれば、たいていの貴族令嬢は喜んで受け取り公爵令嬢の一件は水に流すとでも言ったことであろう。


「では、何か希望はあるかね?」

「何も必要ないです。私は特に何かされたわけではないですし、それなのに公爵様がわざわざいらしてくださっただけでも、十分です」


 だからもう、早く解放されたい、と訴えているようにも見えた。


「しかし、そういうわけにはいかないだろう。やはり何か相応の詫びを……」

「リディア嬢、君は受け取る権利があるんだから、遠慮しなくていいんだよ?とりあえず欲しいものとか、言ってごらん?」


 埒が明かないと思ったのかアレクが口を挟んだが、当然ながら伯父である公爵側の言葉である。

 そのためか、またリディアが助けを求めるように俺を見た。


「何か適当なものを言った方がいい。何もなし、で引き下がる方ではない」


 俺はリディアにだけ聞こえるようにそう言った。

 終わらせたいのなら、下手にいらないというより、何か軽いものを貰ってしまった方がいいだろう。

 リディアがなるべく気にならないような、あまり高価ではないものを貰っておくのが、一番無難に終わる方法だろうと思う。


「あっ!」

「ん?何か思いついたかね?」

「また、別荘を貸してください!」

「それだけ……かい?」


 公爵は何かを渡したことなっていないから、納得がいってなさそうに見える。

 きっと貸して欲しいほど気に入ったなら、この機会にもらっておけばよいものを、と思っているのだろう。

 だが、リディアはきっと、そんなのも貰っても困るだけだと言うのだろう。

 そう思っていると、やっぱりリディアそう言った。


「はい。私が持ってても、困りますし。今度また使わせて欲しいです」


 リディアは公爵にそう言った後、なぜか俺の手を取る。


「そうしたら、また、連れていって、くださいますか……?」


 リディアの瞳が、見上げるようにして、真っ直ぐと向けられる。

 そのくらいのこと、確認するまでもないというのに。


「ああ、それはもちろんかまわないが……」

「なるほど、そういうことか!いいだろう、あの別荘はいつでもお二人に使ってもらえるよう、しっかり管理しておくよ。使いたくなったらいつでも連絡してくれ」


 先ほどまで納得していなさそうだったのに、なぜか公爵は1人、妙に納得したような表情になり、今はものすごく満足そうだ。

 だが、これで、これ以上何か、と言われなくなったのでリディアも一安心だろう。


「私の持っている別荘なら、あの別荘でなくてもいつでもお貸ししよう。彼女と出かけるために、是非とも使ってくれたまえ」


 非常にありがたい提案だと思う。

 しかしながら、公爵はなぜこの提案を俺にだけ伝えるのか。

 確かにリディアが実際に別荘を貸して欲しいと公爵に連絡を取るのは難易度が高いだろうから、依頼するとなれば俺がすることになるだろうけれど。

 別に、リディアにも伝えてよいはずだ。


「彼女は別荘より、君と出かけたことが気に入ったようだから。君と出かける機会が増えるようにしてあげた方が、何かを渡すよりも喜んでもらえそうだ」

「っ!?」


 公爵の予想しなかった言葉に、俺は声をあげてしまいそうになるのを必死に耐えた。

 公爵はそんな俺を面白そうに見やった後、ぽんっと肩に手を置いた。


「他にも彼女のことで、何か力になれることがあれば気軽に声をかけてくれたまえ。彼女はどうも、普通の貴族令嬢が喜ぶようなものを渡しても、喜んでくれなさそうだ」


 それをこの短期間で見抜いたというなら、公爵も侮れない人間だなと思う。

 俺のことを、未だに子どものように見ているのも、致し方ないのかもしれない。

 しかしながら、リディアは今日だけで、少なくとも、皇帝陛下、皇后陛下、そしてその皇后陛下の兄である公爵にまで気に入られたようだ。

 貴族令嬢らしからぬところが、新鮮に映ったのかもしれないが、なかなの才能である。


「では、私の用件はこれで済んだので、失礼するとしよう。殿下は?」

「あ、俺も戻るよ。リディアちゃん、料理は好きなだけ食べて帰ってね、今日はお疲れさま!」


 嵐のように現れた2人は、嵐のように去っていた。

 それを見送ったリディアはようやく一息つけたということか、深く息を吐き出した。






 ***


 お、終わったぁ……


 思わず床に座り込みたいような気分になったけれど、ドレスを汚してしまうからそんなことはできない。

 今にも力が抜けそうな足に、必死に力を入れてなんとか踏ん張っている。

 皇帝陛下と皇后陛下だけでもびっくりだというのに、公爵様までだなんて聞いていなかった。

 公爵といえば、貴族の中でも最も身分の高い方だったはずである。

 皇太子殿下もいらしたし、そんなに次から次へと身分の高い人が現れては心臓がいくつあっても足りない。

 それでも、公爵様とのお話は、ジーク様の助け船もあって、何かとんでもないものを受け取る、というのは回避できた。

 その上、もしかしたら、またジーク様とお出かけできるかもしれない。

 この前は少し寒い時期だったから、今度は温かい時期に行けたら素敵だ。

 もちろん、ジーク様のご都合もあるだろうから、わがままは言えないけれど。

 ただ、いつかまた行けるかもしれない、そんな想像ができるだけで今はすごく嬉しい。


「座らなくていいのか?」

「だ、大丈夫です」

「足が震えているようだが……」


 必死に踏ん張っていたのだけれど、いつもよりあちこちに無駄に力が入っていたのと、全て終わって気が抜けてしまったことで、思ったより足は限界だったみたいだ。

 自分でも気づかないうちに、ぷるぷると震えてしまっていて恥ずかしい。


「大丈夫、です……」


 言いながら、震えないように、必死に力を入れなおすけれど、一度こうなってしまうとなかなか上手くいかないみたいだ。

 くすっというジーク様の笑い声が聞こえてきて、より一層恥ずかしくなる。


「無理はしなくていい」


 ジーク様がそう言うと、ふわりと身体が浮いた。


「ひゃあっ」

「大丈夫だ、落としたりはしない」


 私が座らない、と言ったからだろうか。

 そう言ったジーク様の腕に、座らされているかのように抱っこされているようだ。

 この体勢になっている所為で、ドレスがくしゃくしゃになっていないか心配だ。


「ドレスなら心配しなくていい。皴になったとしても、後でなんとかなる」


 そういう、ものなんだろうか……

 こんなお洋服着たことないから、それが本当なのかどうか判断できないけれど。

 でも、ジーク様がそうおっしゃってくださるだけで、安心できて。

 私はようやく、身体の力を抜くことができた。


「つ、疲れた……」


 思わずそんな言葉が出てしまって、慌てて口元を押さえたけれど、もう遅かった。

 ジーク様はまた、くすくすと笑っていらっしゃる。


「せっかくの新年だ。あとはうちでのんびり過ごそうか」

「はい」


 豪華なお食事よりも、恐れ多いプレゼントよりも、このお誘いが一番嬉しいと思った。


「あ、あの、このまま行くんですか……?」


 私の返答を聞いたジーク様は、私を抱えたまま歩こうとしていて……


「何も問題ないだろう?」


 私には、問題しかないような気もしなくはなかったけれど。

 結局そのまま馬車まで運んでもらうことになった。

 しかも、恥ずかしながら、気づいたらそのまま眠ってしまっていて、いつ馬車に乗ったのか、またいつ馬車から降りたのかさっぱり記憶がない。

 私の次の記憶は、ジーク様に今と同様に抱えられて、ちょうど私の部屋の扉の前に着いたところだった。

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