第53話 1つ目の終わり
「でも、やっぱりアレクはどうかと思うわ。こんなか弱い女の子を、侯爵でさえ倒せないような魔獣の元へ行かせるなんて!陛下、ちゃんと叱ってくださいませ」
「本来ならば父として、まだ幼い少女を危険に晒すような判断、咎めなければならないのだろうが、皇帝としては結果を見る限り、今回の皇太子の判断は正しかったと認めるしかないだろう」
皇后陛下はとても穏やかで、怒ることなんてないくらいお優しそうに思えたけれど、そんなことはなかったようだ。
今は、皇帝陛下に対して、怒っていらっしゃるようだ。
「あの、私なら、気にしていませんので」
むしろ、私なんかのせいで、皇帝陛下と皇后陛下が喧嘩になってしまったり、皇太子殿下が叱られてしまったりする方が、いたたまれない。
「あら、優しいのね。でも侯爵はきっと、不満だったでしょう?」
「それは、その……」
ジーク様も、さすがに皇帝陛下に面と向かって、ご判断が不満だなんて言えないだろう。
非常に困った表情を浮かべていらっしゃる。
「2人とも、今なら私が許すわ。この機会に、好きなだけ陛下と皇太子に対して文句を言っていいわよ」
「そんな、恐れ多いことで……」
「あら、陛下だって、かまいませんわよね?」
ジーク様がやんわりとお断りされようとしたけれど、見事に失敗してしまったみたいだ。
皇帝陛下でさえ、皇后陛下の勢いに押され、たじたじである。
「わ、私はよかったです。ジークさ……あ、いえ、侯爵様がその、ご無事でしたし、これ以上恐ろしい魔獣が現れることもなくなりましたし、だから、その……」
ご無事だった、と言っていいのかはわからない。
大変な思いをされたし、怪我もされた。
それでも、命を失う可能性もあった中で、ちゃんと今も元気でいられることはとても喜ばしいことだ。
そして、今後は、魔獣討伐でジーク様があそこまで大変な思いをされることもないはずだ。
これが、少しでも私の持っていた知識が役だった結果だと言ってもらえるなら、私には何の不満もない。
「君は本当に優しくて素晴らしい魔法使いのようだ。きっと元の世界でも、素晴らしい功績をたくさん残しているのだろう」
「そうですね。きっとこの帝国を救ってくれたように、いろんな人々を助けていたのでしょうね」
残念ながら、そんなことは何もない。
向こうの世界で私は、ただただ人々に恐怖を与えていたにすぎないはずだ。
多すぎる魔力に皆が恐れる中で、私にできたのはただ魔法を暴走させないよう常に気をつけて魔法を使うことだけだった。
白い部屋に入れられてからは、魔法なんて使っていない。
ただ、他の人が誰かのために魔法を使えるようにと、魔力を供給させられていただけだった。
「ごめんなさい、私たち、嫌なことを言ったみたいだわ」
「え……?」
対面で座っていたはずの皇后陛下が、なぜかすぐそばにいて見上げるように私を覗き込んでいた。
その時私ははじめて、いつしか自分の手にすごく力が入っていて、指先がすごく冷たくなっていることに気づいた。
皇后陛下の手は、冷たい私の手に、まるでぬくもりを分け与えるかのように、私の手を優しく包み込んでくれた。
「あ、あの……」
「悪気はなかったの。でも、嬉しい言葉ではなかったみたい。許して、もらえるかしら?」
「も、もちろんです……というか、お二人が悪いわけではなくて……」
私がただ、お二人にそんな風に言ってもらえるものを、何も持っていなかっただけなのだ。
それで、一人で勝手に落ち込んで、こんな風に心配させてしまった。
むしろ、悪いのも、謝るべきなのも、私の方である。
「わ、私の方こそ……」
「ふふっ、じゃあ、お詫びとお礼を兼ねて、これを貰ってくれる?」
「こ、皇后陛下、それは……っ」
謝ろう、と思ったのだけれど、遮られてしまった。
それからお詫びにと差し出されたものを見て、ジーク様が非常に驚いたように声をあげている。
差し出されたのは、さっきまで皇后陛下が身につけていたネックレスで、ピンク色の石がキラキラと揺れている。
皇后陛下は今にもそれを私の首にかけようとしているが、ジーク様の反応を見ると、簡単には貰ってはいけないもののような気がした。
「えっと、あの、それは……」
「それはピンクダイヤのネックレスだ」
「へ?」
「この帝国では、めったに手に入らない希少な宝石で、皇族であっても簡単には入手できない」
「ええっ!?い、いただけません、そんな貴重なものっ」
ジーク様が傍にいてくださってよかった。
いらっしゃらなければ、価値もわからないまま、雰囲気に流されて貰ってしまっていたかもしれない。
考えただけで、ゾッとする。
「ふふ、いいのよ。だからこそ、今回のお礼に相応しいわ」
精一杯拒否しようと頑張ってはみたものの、皇后陛下を強く押しのける、なんてことができるはずもなくて、結局そのネックレスは私の首にかけられてしまう。
「まぁ、よく似合っているわ」
装飾はとてもシンプルだし、決してとても重たいネックレスではないはずなのに、ずっしりとした重みを首全体を包んでいるような錯覚に陥ってしまう。
「よろしい、のですか?」
助けを求めるように、ジーク様を見ると、ジーク様が皇后陛下にそう問いかけた。
「ええ。確かに私が持っているのはこれだけだったけれど、皇宮には過去の皇后が身につけたものも保管されているし、必要があれば私はそれを身につけられるのだから、大丈夫よ」
皇后陛下でさえ、たった1つしかお持ちでなかったものが、今私の首にかかっている。
それだけで、ネックレスがますます重くなったような気がしてしまう。
「あ、あの、お返ししますっ!こうして少し身につけさせていただけただけでも、私は……っ」
「あら、迷惑だったかしら?」
「い、いえ、決してそんなことは……」
「なら、よかったわ。とても似合っていますよ、ね、陛下」
「ああ、そうだな。よく似合っている」
私は困ってジーク様を見たけれど、ジーク様も困っていらっしゃるようだ。
「あ、ありがとうございます。大切にいたします、皇后陛下」
考えて、考えて、考えて、でもどうしていいかわからなくて。
結局私が言えたのは、それだけだった。
「皇后だけではいけないな。私も皇后に負けないような、お礼を考えねばなるまい」
「いえ、そんな……」
むしろ、もう、やめて欲しい。
すでに過分なものを貰ってしまっている。
これ以上何か貰ったら、罰が当たりそうだ。
そう思うのに、皇帝陛下はうーん、と考えている。
さらに恐ろしいと思ったのは、皇后陛下が皇帝なのだから自分よりもよいものをあげるように、なんて焚きつけていることだった。
***
両陛下に悪意がなかったのはわかっているが、その言葉はどうやらリディアの向こうの世界のよくない記憶を呼び起こしたようだ、というのはすぐにわかった。
強く握りしめた手は、血が通わなくなったのか白くなり、悲しそうな表情から、どんどんと怯えた表情へと変化した。
もしかしら、あの部屋のことも、また思い出してしまったのかもしれない、そう思って呼びかけてみたが、こちらの声は聞こえていないのか返答はない。
その様子に、皇帝陛下も皇后陛下もただ事ではない、と感じたのか訝し気に顔を見合わせた。
一刻も早くリディアの意識を浮上させなければ、と思った時、皇后陛下が立ち上がり、リディアの傍にしゃがみ込んだ。
そして、陛下の手がリディアに触れた瞬間、リディアの意識が浮上したのがわかった。
向こうの世界の話をすることが、あまり好ましいことではなかったということに気づいたらしい皇后陛下は、リディアに謝罪をしたが、リディアは陛下に頭を下げられていることにただただ恐縮し、身を硬くしてしまっている。
そんなリディアを落ち着かせようとするかのように、皇后陛下はあるものをリディアに差し出したが、それがあまりにもありえないもので、俺は驚愕の声をあげずにはいられなかった。
ピンクダイヤはそもそも採掘量が少なく、最近では数年に1度、取れればよい方だと言われている。
採掘されたものは全て皇家に献上することとなっており、皇家が必要に応じて皇族のアクセサリーに加工したり、他国に贈ったりしている。
ごく稀に貴族に下賜されることもあるが、本当に稀なことであり、本来貴族令嬢が簡単に手にできるものではなかった。
皇后陛下でさえ自身の持ち物としては1つしか所有しておらず、他のものを身につけていることもあるが、それは皇家として所有しているものにすぎないということは、貴族ならば皆知っている。
なぜなから、皇后という立場にいる人間は、大事な場面で皇家の威厳を現わすために、ピンクダイヤを身につけることになっているからだ。
リディアの視線が、こんなものを貰えるわけないから、なんとかして欲しい、と訴えているのもまた感じた。
けれど、相手は皇后陛下であり、あまり拒絶するのもまた、失礼にあたる相手である。
そうなると、残念ながらその視線に答えてやることはできず、俺はただ、見守ることしたできなかった。
そして、今度は皇帝陛下が、皇后陛下に負けないものを、と頭を捻っているようだ。
リディアがやはり助けを求めているようだが、皇后陛下がさらにそれを後押しまでしている状況で俺にしてやれることは、やはり何もない。
「うむ、侯爵のように、勲章を貰ってもあまり価値はないだろうし……」
確かに、俺のように爵位を持ち、騎士であれば意味深いものにはなるが、リディアのように社交界にすら出ていないものが得たところで特に役立つことはないだろう。
というか、俺に勲章を用意した時点で、リディアにもすでに何か用意していたのではないだろうか。
先ほどのピンクダイヤも、最初からリディアに渡すつもりであったかのような気がする。
では、こんな風に今陛下が考え込んでいるのも、実は茶番にすぎなかったりするのではないだろうか。
そんな、ことを思い始めた頃、皇帝陛下がまさに今思いついた、というように手を叩いた。
「よし、こういうのはどうだろうか。皇帝として、リディア嬢の願いを、なんでも1つ叶えよう」
「なっ!?」
リディアはぽかんとした表情を浮かべている。
何か高価なものを貰う事にはならなかったから、むしろほっとしているのかもしれない。
だが、皇帝がなんでも願いを叶える、というは本来あまりにも危険だ。
リディアが何か恐ろしいこと願いをするのはとても想像はつかないけれど、権力を欲するものであれば、帝国が傾くかもしれないような願いをするかもしれない。
さすがに玉座をよこせ、というような願いに応じることはないだろうが、それでも国政の一部を好きにできるような役職を求められた場合、なんでもと言った手前応じざるを得ないはずだ。
まぁ、当然リディアはそんなものを望むはずはないし、それをわかっているからこそ言っているのかもしれないが。
「あ、あの、私、特にお願いしたいことは……」
リディアの今の願いは、しいて言うならば、早くこの状況から解放されたい、ということかもしれない。
当然ながら、そんな願いは口にできないだろうけれど。
「もちろん、今すぐにとは言わない」
「へ?」
「私にしか叶えられないような願いができたら、いつでも訪ねてきなさい。皇帝として私が叶えられる願いならば、どんな願いでも叶えると約束しよう」
リディアは、ようやくそれが、高価な品物よりもよっぽどとんでもないという事に気づいたみたいだ。
特に願いはない、と言えば終わると思っていたのだろう。
帝国のトップに立つものの、驚くような言葉に唖然としている。
「私が死ぬまで有効だから、それまでゆっくりと考えてみるといい」
「あ、ありがとう、ございます……」
まぁ、願いを言わない、という選択肢もなくはない。
そう考えてみると、考え方によっては、皇后陛下の贈り物の方が重いかもしれない。
けれど、今のリディアはそこまで考えられてもいなさそうである。
両陛下はとても満足そうな笑みを浮かべてリディアを見ている。
この様子を見る限り、やはり最初から皇帝陛下はこうすると決めていたのではないかと思う。
念のために誓約書も書いておこうか、という皇帝陛下の言葉に、リディアは恐縮しながら必要ないと返していた。
「ふふ、楽しかったわ。お話してくれて、ありがとうね」
リディアにそう笑いかけると、皇后陛下は立ち上がる。
それを見て、皇帝陛下もそれに続いたので、俺も慌てて立ち上がった。
そして、そんな俺に続いてまた、リディアも慌てて立ち上がった。
そろそろ会場に戻られる、ということなのだろう。
正直貴族のほとんどが両陛下に挨拶をできていないから、戻りを心待ちにしているはずである。
「侯爵にも、本当に申し訳なかったわね」
「え……?」
扉付近まで行って、お二人を見送ろうと思った時、皇后陛下が俺に近づいて小さな声でそう言った。
おそらく、リディアはもちろん、皇帝陛下にさえ聞こえてはいないだろう。
「国を治めるものとして、違う世界のことも聞いてみたいという興味本意だったの」
ああ、なるほど、さっきのことか、と理解した。
だからあえて、話題が向こうの世界のことになるよう、2人してあんなことを言い出したということなんだろう。
「きっと、向こうの世界では、想像以上に辛い思い出がたくさんあったのね……」
「そのよう、ですね」
向こうの世界の話題を振られて、真っ先に思い出せるのが幸せな記憶ではないほどに、辛い記憶が多いということになる。
もちろん、振った話題の内容にもよるだろうが、少なくとも魔法に関することは良くない事の方が多いのだろう。
「彼女が安心して暮らせる帝国であるように、私も陛下も努力するわ。だから、侯爵も、ここでは彼女が幸せに笑っていられるように、お願いしますね」
皇后陛下にお願いされるまでもなく、リディアには幸せに笑っていて欲しいと思ってはいるけれど。
ここまで言わせるとは、どうやらリディアは皇后陛下に相当気に入られたようである。
「私たちは会場に戻るが、この後アレクが用があるそうだから、2人はもう少しここに残っていてくれ」
皇帝陛下がそんな一言を残し、2人はこの部屋を後にした。
扉が閉じると同時に、リディアの肩の力が抜け、深く息を吐き出したのが見えた。
「疲れたか?」
「はい。あ、いえ、その……」
「悪かったな、今回はあまり助けにもなってやれなくて」
「いえ、さすがに今回は、仕方がないかなって、思いますし……」
疲れ切ったリディアに声をかけながら、リディアとともに先ほどまで座っていた場所へと戻る。
だが、俺が腰掛けても、リディアは座る様子がない。
「アレクが来るにしても、すぐには来ないだろう。座って待っていたらどうだ?」
「いえ、その、えっと……皴になって、しまいそうで……」
リディアのそんな言葉に、俺はつい笑い声をあげてしまった。
思えばリディアは、俺たちが来るまで立って待っていた。
あれは、ドレスが皴になるのを、恐れていたということか。
「だが、さっきは座っていただろう。それに馬車に乗った時も……」
「そ、それは、その、仕方なかったので……」
1度座ってしまえば、2度も3度も同じのような気がするけれど、リディアは少しでも座っている時間を減らしたいということなのだろうか。
「そんなこと気にしなくて大丈夫だから、座っておけ。何か甘いものでも食べるか?」
皿にリディアが好きそうなお菓子を取り分け、差し出してみる。
リディアはしばらく困ったようにそれを眺めたあと、すとんと腰をおろして受け取った。
その様子に、俺はまたつい笑い声をあげてしまった。
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