エピローグ




 すでに信号すら止まった、深夜の街の中を走る。

 助手席に座る彼女はこちらを見ず、街の方を見ていた。


「怪我は?」

「手が少し痛むだけです。……あなたは」

「うん、ちょっとあばら折れてるかも」

「は!?」


 あ、こっち見た。


「大丈夫大丈夫、肺に刺さらなきゃどうってことないよ」

「折れてる時点で大丈夫じゃないでしょう! どうして運転してるんですか! 代わります!!」


 それはやめてください。

 彼女の運転は、なんというか、全てを破壊するバッファローみたいなことになる。命がいくらあっても足りない。

 本当に大丈夫だから、となだめて、僕は尋ねた。


「どうやって、あそこに来たの」

「……ずっと、車のトランクに入ってました」


 うっかりアクセルを強く踏むところだった。


「い、いつからいたわけ?」

「寝室に入ってから、すぐ窓から降りて、そこからずっと」

「嘘でしょ!?」


 あの部屋二階なんだけど。飛び降りたら、さすがに音で気づくはず。猫かな?


「忘れましたか? 私の『隠れる』技術の高さを」


 親指を立てて、彼女がキリッとした顔で言った。

 そうだった、この子気配を消すことに関しては一流だった。……いや、それで納得するのはどうかな。


「で、鍵は?」

「知らないんですか? 世の中には、スペアキーがあるんですよ」

「勝手に作るのは犯罪だからね!?」


 殺し屋の僕がこんな言葉を言うとは思わなかった。

 もうやだこの子。ちゃっかり、銃火器の使い方も学習してるし。


「銃は、どこで……君のお父さんも僕も、教えてないよね……?」


 彼は、絶対に彼女に銃を触らせなかった。僕も触らせなかった。

 それが彼女の自衛の手段を奪うことになるかもしれないと思いながらも、この武器を一度扱えば、取り返しがつかないことになると思っていたからだ。

 ウィンドウに頭を預けて、彼女は拗ねるように言った。


「……身近で散々ガンファイトされたら、嫌でも覚えます」


 そう簡単に身につくものじゃないんだけど。

 だけど、その言葉に嘘はないんだろう。あの構えは、紛れもなく彼の姿そのものだった。あの姿勢を得るために、僕はどれだけ彼にしごかれたか。

 それを見ただけで覚えるということは、彼女には才能があったのだろう。だけど。


「もう銃を持たなくていいよ。

 そういうのは、僕がやる」


 多分あの程度じゃ、あの体格の恵まれた男は死にはしないだろう。でも、僕の撃った銃は腱を切ったので、これから仕事は出来なくなる。

 仕事道具を使って、殺人を犯させないでよかった。そう思うのと同時に、躊躇いもなく引き金を引く彼女と、止められて自分のやったことに酷く傷ついた彼女が、頭から離れない。

 ずっと懸念だった。僕らがそばにいることで、彼女の倫理観がこちら側に偏ってはいないか。殺された死体を見続けて、その世界で生きるために、どんどん麻痺していっているのではないか。


 そろそろ、潮時なのかもしれない。

 そう思って、あの男に殺されようと思ったのに。


「そう言って、私から離れようとしているくせに」


 彼女の言葉は、僕の心臓を掴んだ。


「大量の爆薬、少しずつ減っていく私物、何よりあなたの変化。

 これだけ異変があれば、何をしようとしているのか、さすがにわかりますよ」


 父の最後にそっくりです、と、語尾を強めて彼女は言った。


「自分が死ねば、私を守れると思ってる。

 ――父があなたに殺すように頼んだのも、病にかかった自分じゃ、あの男から私を守れなくなるからでしょう」



 彼女は、そこまでわかっていたのか。

 無意識に、ハンドルを握る手に力が籠る。


「父が死んだのは、私のせいです」

「それは違う」

「違いません」


 強ばった声で、彼女は断言した。


「私がいたい場所はここです。カタギとは程遠いことをしてきたし、これからはもっと酷いことをするでしょう。でも、それはもう覚悟の上なんです。

 それなのにあなたは、私をあちらの世界へ行けと言う」

「その方が、幸せだからだよ」

「それで、あなたを失うことになったとしてもですか!」


 彼女が声を荒げた。

 僕は道路のど真ん中で、車を停める。

 彼女は真っ直ぐと、僕を見据えた。


「私が離れたら、あなたは? 本当に一人で生きていくつもりがあるんですか? 別れた後は死ぬつもりだったんでしょう!?」


 その通りだった。

 例え彼女が表社会で生きていくことを選んで、穏やかに別れることになっても、僕は死ぬつもりでいた。

 隠し事は全部、彼女に見抜かれている。



「私を死ぬ理由にしないで!!」



 弾けるような言葉に、ばちん、と叩かれた気がした。

 僕は、彼女に修復されたくない、看取られたくないと思いながら、どこかで彼女を理由に死にたがっていた。その傲慢さを、彼女の目は指摘していた。


「……どうせなら、私を生きる理由にしてください」


 それじゃ、ダメなんですか。

 かすれる声が、静かな車内に消える。


「まるで、プロポーズみたいだね」


 僕がそう言うと、怒った表情で彼女が頬をつまむ。


「わ、た、し、は! まじめに! 話してます!!」

「ごめ、ごめんって! あいたた!」


 つねられたのは頬なのに、なぜか全身が痛い。

 そう言えば、全身叩きつけられていたことを思い出す。今まで極限状態で、脳内麻薬がどばどば出ていたんだろう。


「ちょっと」


 フラフラと、彼女の方に寄りかかる。シフトレバーとシガーソケットのせいで、居心地が悪いけど、なんとなく彼女の体温を感じたいと思った。

 ――ああ。生きてるなあ。


「ごめん、ちょっと休んでいい? 今更ながら痛みが来た……」


 彼女は最初ぎこちなかったが、僕の痛みが冗談の類じゃないことがわかったのだろう。

 わかりました、と言って、


「やっぱり代わってください。私が運転します」

「うん、やめて」


 思わず僕は起き上がった。

 起き上がっちゃダメですよ、なんて言われるけど、彼女に任せたら本当に命が無くなる。二人とも。


「大丈夫、こうしているだけでも回復するから。

あー、後は君がキスでもしてくれたら、治りそうだなー」


 なんて、セクハラまがいなことを言えば、また彼女は怒るか、呆れるかだと思ったのに。

 ゆっくりと彼女の顔が降りてきて、そのまま僕の唇の上に落ちた。

 ふに、とした感触と、少し濡れた感触に、思わず食い入るように彼女を見る。

 彼女は、目を潤ませながら、顔を真っ赤にしていた。


「これでいいですか」

「……もう一回」


 バシ、と強めに叩かれた。痛い。





■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪


 冷たい部屋にいる。

 今日も彼女は、遺体を綺麗にする。

 

「お疲れ様でした。ここ、痛かったですよね」


 そっと触れますね、と、彼女がやわらかく笑う。

 いつもと、仕事のやり方は変わっていない。けど、前とは違い、どこか緊張がほどけ、何だかとても幸せそうな顔をしていた。

 微笑みながら、その体をやさしく拭いている。

 天使さまみたいだなと思う。

 もう動かないはずの遺体も、どことなく幸せそうに微笑んでいるように見えた。





「最近、すごく楽しそうに仕事をするよね」


 僕がそう言うと、彼女はそうですか? と答えて、

「……しばらく、あなたがあそこにいることはなくなりましたし、肩の力が抜けたのかも」と呟いた。

 え、なんて? と聞き返すと、いえ、と彼女が返す。


「あなたも最近、楽しそうですよね」

「そりゃ、可愛い奥さんと結婚できて、」

「まだ引きずるんですか、そのネタ」


 バッサリと、彼女が切り捨てる。

 しばらくはこのネタで顔を真っ赤にしていたのに、今ではすっかりクールに切り捨てる。さみしい。


「それにまだ、結婚してないですよ。結婚指輪ぐらいいただかないと」

「この仕事の給料三ヶ月分、だっけ。僕としては、もう結婚したことにしたいんだけどなあ」


 僕がそう言うと、「本当はもっと引き伸ばしたかったんですけどね」と、彼女は言った。



「結婚指輪を買わないうちは、あの箱に収まることはないでしょう?」



 そう言って、彼女は棺箱を指さした。

 あなたがあそこに入らないうちは、私の機嫌はずっといいです、と続ける彼女に、僕は目を瞬かせる。


 まいったな。

 そんな事を思い浮かべながら、嬉しくて、にへら、と笑った。

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【KAC20243】殺し屋の箱 肥前ロンズ @misora2222

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