後編



 月が綺麗な夜だった。

 扉の向こうにいる彼女は、恐らく寝着いたのだろう。

 僕は外着に着替えて武装し、車に乗り込む。

 荷物は既にまとめて、トランクに入れて置いた。

 ……さて、どうするか。

 下手に動けば、彼女を人質にとられかねない。



■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪



『お前が私を殺してくれ』


 そう言って、伝説の殺し屋は僕に頭を下げた。

 組織に雇われた僕は、組織を裏切って殺し屋を辞めた男を殺せと命じられ、見事に返り討ちにあった。

 正直言って、その時の僕は、そんなに強くない殺し屋だった。もっと言うなら、使い捨てだ。彼がただ隠居しただけの殺し屋だったら、僕は死んでいただろう。

 だけどその時から彼は、『不殺』を貫いていた。どれだけ狙われても、殺さない。ただ、圧倒的な技量で追い払うだけ。

 それどころか、子どもの僕の面倒まで見る始末だ。やれ銃の撃ち方が甘いだの、姿勢が悪いだの、もう少し肩の力を抜けだの、色んなことを言われた。


『こんなに甘いと、いつか殺されるぞ』と僕が言うと、『それは何千回も自分に問いただした』と、彼は言った。


『だが私は、あの子の父親でありたい』


 その時、滅多に表情を変えない彼が、少しだけ笑っていたのを覚えている。

 彼女と会ったのは、それからすぐのことだった。

 そしてその後すぐに、僕は彼の秘密を明かされることになる。



■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪




 とりあえず、ゆっくり人気のない廃工場まで車を動かす。

 狙い通り、追っ手はついてきてくれた。とはいえ、あの家に仲間が留まっていないとは限らないけれど、僕が抵抗しなければ大丈夫だろう。

 こういう時、彼のように後任者僕みたいな子がいたらな、なんて考えるけど、同時に厄介事も引きつけるだろうな、と思った。殺し屋から身を守れるボディーガードなんて、他所から恨みを買ってるに決まってる。

 彼は、どうやってこの不安に耐えたのだろう。

 僕は、彼女と一緒にいる時も、こうして離れている時も不安だった。自分のせいで、彼女が死んだらどうしようと、そればかりが頭をよぎる。


 だけど、多分、今日で終わりだ。


「反抗なんてしないからさー。堂々と出てきたら?」


 わざとらしく間延びをした声が、反響する。

 体格のいい男が一人、入ってきた。

 動きが軍人くさい。奇襲を掛けない所を見ると、腕に自信のあるやつらなのか。

 僕は手を上げた。彼らと比べると、なんと頼りのない腕か。


「この通り、僕は非力なんでね。出来たら僕を狙う目的とか聞かせてくれるかな」


 男たちは答えない。

 僕はへらへらと笑いながら続ける。


「や、組織から連れ戻せ、って命じられたのかもしんないけど、僕当時下っ端よ? 不利益になる情報なんて、なーんも持ってないし、」

「『ゲラ』を殺したのは、お前か?」


 男が口を開いた。


「とても、そうは見えないな」

「いやー、単に運がいいだけだったり」


『ゲラ』は、彼のコードネームだ。

 目に見えぬ速さで眉間に三発打ってなお、ほとんどコイン一枚分の穴しかない。その所業から、キツツキゲラのようだと称され、決まったという。

 殺し屋というのは目立っちゃいけないんだろうに、華々しく名前を貰ってしまったものだ。


「まあいい」


 男はそう呟いて、消えるように間合いを詰める。

 僕は袖口から銃を取り出し、彼に向けて撃った。


 銃弾が男の頬をかする。

 だが、男はまるでひるまず、そのまま突っ込んで来た。

 そのまま、銃を持つ僕の腕を掴み、床に叩きつけるように組み伏せた。


「……おい。お前、やる気がないだろ」


 男が僕を見下ろす。

 その目には、侮辱と軽蔑の色があった。


「そりゃそうでしょ。僕にだって、力量差ぐらいわかるっての」


 男によって、肺を圧迫される。息をするだけで苦しい。

 この男は、武器なんて使わなくても、体術だけで僕を殺すことが出来るのだろう。抵抗すればするほど、痛めつけられて殺されるのがわかるのに、抗う理由があるだろうか。

 そう言うと、男は無言でスマホを取り出した。

 暗闇の中で、画面が煌々と光る。


 そこには、薄い色味の写真。

 彼女と、僕が写っていた。


「家に爆弾を仕掛けた。お前が死ねば、お前の女も死ぬぞ」


 僕の様子が変わったことに気づいたんだろう。


「いいぞ、その目だ。『ゲラ』も娘を盾にした時、同じ目をした。恐怖と怒りが混ざった目だ!」


 男が感極まった声を出す。

 分厚く乾燥した唇から、唾が飛んできた。

 ……待て。

 今、「娘を盾にした時」、と言ったか?


『頼む。娘が人質に取られる前に、俺を殺してくれ』


 ――彼がそう言って、銃を僕に渡したことを思い出す。



「まったくどいつもこいつも、家族ごっこなんかで人殺しの本能を鈍らせて! 忌々しいったらありゃしない!」


 ――本能。

 人殺しに、本能なんてあるものか。そう言い返したかったが、力が入らない。

 久しぶりの無気力感。

 逆らったり、抵抗したところで、何かが変わるわけじゃない。むしろ死ぬより痛い目にしか遭わない。

 子どもの頃にそれを徹底的に叩き込まれたから、例え殺されるとわかっていても殺しに行った。

 壊れている。

 生存するために、生存本能を放棄するなんて。だけど、最初から死んだつもりでいなければ、命を惜しんだ瞬間に殺されている。

 人殺しは人間いきものじゃない。お前も僕も、バグったまま暴走する機械だ。 


「さあ、もっと、もっとだ!! あの男がやらなかったことを、お前がやってくれ!!

 殺し合いを楽しもうじゃないか!」


 それでも、拘束されていない指先を動かす。

 片方にはスリーブガンを。もう片方の袖口には、爆弾のスイッチが仕込んである。

 念の為に、爆弾を身につけておいてよかった。

 この量だったら、死体は木っ端微塵だ。彼女が修復する必要が無い。

 彼女の笑みを思い浮かべて、少しだけ笑みを浮かべた。――その時だった。



 銃声が、廃工場の中で響いた。



 男のこめかみに、血が垂れる。

 男がゆっくりと、音の響く方向へ振り向いた。

 そこには、銃を片手で構えた彼女が立っていた。

 天井から漏れた月光が、彼女の目に差し込む。彼女は獣のように吊り上げた目で、男を睨んでいた。


「……は、はは!! ははは!!」


 男は愉快そうに笑いながら、僕の身体から離れる。

 ひゅ、と空気が一気に入り込んで、咳き込んだ。

 その間に、男が彼女の元へ向かう。

 彼女はそのまま、二発撃ち込む。

 だが、男にはほとんど当たらない。

 男が彼女の腕を掴み、持っていた銃を落とす。

 彼女は痛みに顔を顰めながら、――もう片方の手で持っていた銃身で殴った。

 男は急所であるこめかみを強く受け付けられながらも、打ち付けられた動きに合わせて、ダメージを減らした。

 そのまま、彼女の胸ぐらをつかみ、床にたたきつけ、銃を持っていた手を踏む。


「ったぁ!」


 彼女の悲鳴が響いた。

 男は馬乗りになり、落ちた銃を彼女に向ける。


「恋人のピンチに駆けつけたってか? 健気だね、お嬢さん。

 けど、危険な男と慣れない銃は触るもんじゃねえぜ」


 そう言って、引き金に指をかける。


「じゃあな。死んだ後から、ゆっくり楽しませてもらうよ」

「…………恋人じゃありませんよ」


 小さくも、よく通る声で彼女は言った。


「私は、『ゲラ』の娘です。成長して、気づきませんでしたか?」

「……何?」


 男が眉をひそめた時だった。

 ふらり、と男の身体がゆれる。口から、血が零れていた。


「……な、」


 同時に、僕が三発、彼の足に銃を撃ち込む。

 男が、僕の方を見た。その隙を狙って、彼女が男の体から抜け出す。

 そして、最初に落とした銃を拾った。


「こっちで撃ったの、銃弾じゃないんですよ」


 ダーツガンです、と淡々と彼女が答える。


「薬慣れしていたら効かないかも、なんて思いましたが、効いてよかった。銃弾すら恐れないでいてくれてありがとう」

「っかは、はっ」

「それ、防腐剤として使われているので、死んでもしばらく腐りませんよ」


 でも、暫くはけいれんと吐血で苦しんでください。

 そう言って、また引き金を引こうとした。

 その手を、僕が止める。


「……」


 彼女は無言で、僕を見た。

 怒りと戸惑いと不安と悲しみが、ごっちゃになっている。

 止めてよかったと、その時心底安堵した。

 

「帰ろうか」


 僕は、少し笑って言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る