後編
月が綺麗な夜だった。
扉の向こうにいる彼女は、恐らく寝着いたのだろう。
僕は外着に着替えて武装し、車に乗り込む。
荷物は既にまとめて、トランクに入れて置いた。
……さて、どうするか。
下手に動けば、彼女を人質にとられかねない。
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『お前が私を殺してくれ』
そう言って、伝説の殺し屋は僕に頭を下げた。
組織に雇われた僕は、組織を裏切って殺し屋を辞めた男を殺せと命じられ、見事に返り討ちにあった。
正直言って、その時の僕は、そんなに強くない殺し屋だった。もっと言うなら、使い捨てだ。彼がただ隠居しただけの殺し屋だったら、僕は死んでいただろう。
だけどその時から彼は、『不殺』を貫いていた。どれだけ狙われても、殺さない。ただ、圧倒的な技量で追い払うだけ。
それどころか、子どもの僕の面倒まで見る始末だ。やれ銃の撃ち方が甘いだの、姿勢が悪いだの、もう少し肩の力を抜けだの、色んなことを言われた。
『こんなに甘いと、いつか殺されるぞ』と僕が言うと、『それは何千回も自分に問いただした』と、彼は言った。
『だが私は、あの子の父親でありたい』
その時、滅多に表情を変えない彼が、少しだけ笑っていたのを覚えている。
彼女と会ったのは、それからすぐのことだった。
そしてその後すぐに、僕は彼の秘密を明かされることになる。
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とりあえず、ゆっくり人気のない廃工場まで車を動かす。
狙い通り、追っ手はついてきてくれた。とはいえ、あの家に仲間が留まっていないとは限らないけれど、僕が抵抗しなければ大丈夫だろう。
こういう時、彼のように
彼は、どうやってこの不安に耐えたのだろう。
僕は、彼女と一緒にいる時も、こうして離れている時も不安だった。自分のせいで、彼女が死んだらどうしようと、そればかりが頭をよぎる。
だけど、多分、今日で終わりだ。
「反抗なんてしないからさー。堂々と出てきたら?」
わざとらしく間延びをした声が、反響する。
体格のいい男が一人、入ってきた。
動きが軍人くさい。奇襲を掛けない所を見ると、腕に自信のあるやつらなのか。
僕は手を上げた。彼らと比べると、なんと頼りのない腕か。
「この通り、僕は非力なんでね。出来たら僕を狙う目的とか聞かせてくれるかな」
男たちは答えない。
僕はへらへらと笑いながら続ける。
「や、組織から連れ戻せ、って命じられたのかもしんないけど、僕当時下っ端よ? 不利益になる情報なんて、なーんも持ってないし、」
「『ゲラ』を殺したのは、お前か?」
男が口を開いた。
「とても、そうは見えないな」
「いやー、単に運がいいだけだったり」
『ゲラ』は、彼のコードネームだ。
目に見えぬ速さで眉間に三発打ってなお、ほとんどコイン一枚分の穴しかない。その所業から、
殺し屋というのは目立っちゃいけないんだろうに、華々しく名前を貰ってしまったものだ。
「まあいい」
男はそう呟いて、消えるように間合いを詰める。
僕は袖口から銃を取り出し、彼に向けて撃った。
銃弾が男の頬をかする。
だが、男はまるでひるまず、そのまま突っ込んで来た。
そのまま、銃を持つ僕の腕を掴み、床に叩きつけるように組み伏せた。
「……おい。お前、やる気がないだろ」
男が僕を見下ろす。
その目には、侮辱と軽蔑の色があった。
「そりゃそうでしょ。僕にだって、力量差ぐらいわかるっての」
男によって、肺を圧迫される。息をするだけで苦しい。
この男は、武器なんて使わなくても、体術だけで僕を殺すことが出来るのだろう。抵抗すればするほど、痛めつけられて殺されるのがわかるのに、抗う理由があるだろうか。
そう言うと、男は無言でスマホを取り出した。
暗闇の中で、画面が煌々と光る。
そこには、薄い色味の写真。
彼女と、僕が写っていた。
「家に爆弾を仕掛けた。お前が死ねば、お前の女も死ぬぞ」
僕の様子が変わったことに気づいたんだろう。
「いいぞ、その目だ。『ゲラ』も娘を盾にした時、同じ目をした。恐怖と怒りが混ざった目だ!」
男が感極まった声を出す。
分厚く乾燥した唇から、唾が飛んできた。
……待て。
今、「娘を盾にした時」、と言ったか?
『頼む。娘が人質に取られる前に、俺を殺してくれ』
――彼がそう言って、銃を僕に渡したことを思い出す。
「まったくどいつもこいつも、家族ごっこなんかで人殺しの本能を鈍らせて! 忌々しいったらありゃしない!」
――本能。
人殺しに、本能なんてあるものか。そう言い返したかったが、力が入らない。
久しぶりの無気力感。
逆らったり、抵抗したところで、何かが変わるわけじゃない。むしろ死ぬより痛い目にしか遭わない。
子どもの頃にそれを徹底的に叩き込まれたから、例え殺されるとわかっていても殺しに行った。
壊れている。
生存するために、生存本能を放棄するなんて。だけど、最初から死んだつもりでいなければ、命を惜しんだ瞬間に殺されている。
人殺しは
「さあ、もっと、もっとだ!! あの男がやらなかったことを、お前がやってくれ!!
殺し合いを楽しもうじゃないか!」
それでも、拘束されていない指先を動かす。
片方にはスリーブガンを。もう片方の袖口には、爆弾のスイッチが仕込んである。
念の為に、爆弾を身につけておいてよかった。
この量だったら、死体は木っ端微塵だ。彼女が修復する必要が無い。
彼女の笑みを思い浮かべて、少しだけ笑みを浮かべた。――その時だった。
銃声が、廃工場の中で響いた。
男のこめかみに、血が垂れる。
男がゆっくりと、音の響く方向へ振り向いた。
そこには、銃を片手で構えた彼女が立っていた。
天井から漏れた月光が、彼女の目に差し込む。彼女は獣のように吊り上げた目で、男を睨んでいた。
「……は、はは!! ははは!!」
男は愉快そうに笑いながら、僕の身体から離れる。
ひゅ、と空気が一気に入り込んで、咳き込んだ。
その間に、男が彼女の元へ向かう。
彼女はそのまま、二発撃ち込む。
だが、男にはほとんど当たらない。
男が彼女の腕を掴み、持っていた銃を落とす。
彼女は痛みに顔を顰めながら、――もう片方の手で持っていた銃身で殴った。
男は急所であるこめかみを強く受け付けられながらも、打ち付けられた動きに合わせて、ダメージを減らした。
そのまま、彼女の胸ぐらをつかみ、床にたたきつけ、銃を持っていた手を踏む。
「ったぁ!」
彼女の悲鳴が響いた。
男は馬乗りになり、落ちた銃を彼女に向ける。
「恋人のピンチに駆けつけたってか? 健気だね、お嬢さん。
けど、危険な男と慣れない銃は触るもんじゃねえぜ」
そう言って、引き金に指をかける。
「じゃあな。死んだ後から、ゆっくり楽しませてもらうよ」
「…………恋人じゃありませんよ」
小さくも、よく通る声で彼女は言った。
「私は、『ゲラ』の娘です。成長して、気づきませんでしたか?」
「……何?」
男が眉をひそめた時だった。
ふらり、と男の身体がゆれる。口から、血が零れていた。
「……な、」
同時に、僕が三発、彼の足に銃を撃ち込む。
男が、僕の方を見た。その隙を狙って、彼女が男の体から抜け出す。
そして、最初に落とした銃を拾った。
「こっちで撃ったの、銃弾じゃないんですよ」
ダーツガンです、と淡々と彼女が答える。
「薬慣れしていたら効かないかも、なんて思いましたが、効いてよかった。銃弾すら恐れないでいてくれてありがとう」
「っかは、はっ」
「それ、防腐剤として使われているので、死んでもしばらく腐りませんよ」
でも、暫くはけいれんと吐血で苦しんでください。
そう言って、また引き金を引こうとした。
その手を、僕が止める。
「……」
彼女は無言で、僕を見た。
怒りと戸惑いと不安と悲しみが、ごっちゃになっている。
止めてよかったと、その時心底安堵した。
「帰ろうか」
僕は、少し笑って言った。
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