中編
バックミラーを見ると、さっきからずっと追いかけている車があった。
黄昏の時間。
西日が強く、影が濃く映る時間は、奇襲をかけるのに丁度いい時間帯だ。
「……すぐ車から出る。いいね?」
「……はい」
強ばった顔で、彼女がうなずいた。
追いかけてくる車の死角になる場所に入る。車を停め、すぐに彼女は路地裏に消えた。
彼女は徹底的に、隠れることと、逃げることを養父から叩き込まれている。護衛する身としては、とても楽だ。
さて。
敵の標的は、彼女なのか、僕なのか。
車を走らせようとした時、すでに追っ手はすぐそばまでやってきた。
そして、助手席から迷わずタイヤを狙って撃ってくる。
――よかった。どうやら、狙いは僕のようだ。
僕はドアを開け、そのままフロントガラスを撃つ。
ただの威嚇だ。今のフロントガラスは中間膜によって破片が飛び散らないようになっているし、貫通もしづらい。それでも、動揺を誘うには十分だ。
僕はそのまま、狭い道の中で車を走らせる。遅れて向こうも追いかけてきた。
開けた場所まで速度を落とし、わざと相手との距離を詰める。追っ手がスピードを上げた瞬間、僕はハンドルを切った。
丁度西日が差し込み、暗い道を通っていた運転手は、その明暗差に確認できなかったのだろう。また、フロントガラスがひび割れたのも視界の自由を奪った。
ブレーキを踏む余裕もなく、そのまま袋小路へ突っ込んだ。
まるで空き缶を潰したように、車がクラッシュする。
僕はトカレフを構えて、車の中を見た。
どちらも即死だった。エアバッグと破片に潰されて、ひしゃげたカエルのように、手足が曲がっている。
なんだ。あっけない。
「おかえりなさい」
エプロンをつけた彼女が待っていた。
キッチンからは、カレーのいい匂いがする。
「え、作ったの? あんなことがあった後に?」
「いや、お腹すいているかなと思ったから……ところで、その手にあるものは……」
「え、お惣菜のコロッケ。お腹すいていると思ったから」
「あんなことがあった後に???」
お互いの肝の太さに驚く。
「……食べましょうか」
「……だね」
そんなに広くないキッチンに入り、僕と彼女は食事の用意をした。
カレールーから作ったカレーをご飯の上にのせて、その上に買ってきたコロッケを乗せる。
「いただきまーす」
両手をあわせて、二人で声を揃えて食べ始める。
とろりとしたカレーと、ほどほどの辛さ。
「うん、美味しい」
心の底からそう言うと、よかった、と彼女は顔を緩めた。
「父が作ると、本当に辛くて……」
「確かにあの人のカレー、本当に辛かったよね……」
あのカレーは辛いというか、痛い。
水を飲んだら逆効果。慌てず騒がず牛乳をのむこと。それなのに、平気で食べるあの人の舌は、多分モルヒネか何かで出来ている。
「それでも、たまに食べたくなるんですよね」
「それもわかる」
僕がうなずくと、ふふ、と彼女は笑った。
そして、よかった、とつぶやく。
「父との思い出を共有できる、あなたがいてくれて、よかった」
「何、急に。らしくないこと言って」
彼女の言動にざわりとして、反射神経で茶化すようなことを言ってしまう。
「……どうしたんですかね。私。父の話をしたからでしょうか」
カタン、とスプーンを皿の上に置く。
「父のことを思い出すたび、懐かしい気持ちと、無性に会いたくなる気持ちになります」
「……そうだね」
それは僕もだった。
自分が殺したくせに、どうして死ななければならなかったのか、今更になって思う。
彼との時間より、彼女と二人きりで過ごす時間が増えていくほど、その想いは強くなった。
受信料がもったいなくて、テレビがない部屋。少し歪な形をしたソファ。表面が剥がれたテーブルと椅子。針の音がうるさい時計。目の前で、リラックスする彼女。
僕が死ぬなら、棺箱じゃなくて、この箱がいいな。
そんな事を考えるたび、無理だな、と思いなおす。僕が死ぬ時なんて、このダイニングを血で汚す姿しか想像できない。
そんなみっともない姿を、彼女に見られたくなかった。
きっと彼女は、ぐちゃくちゃになって血と汚物を垂れ流す僕を、綺麗にしようとする。その時の彼女が、どんな表情をするかなんて、簡単に想像がつく。
想像しただけで、僕は胸が潰れるほど痛くなった。
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