【KAC20243】殺し屋の箱
肥前ロンズ
前編
とても冷えた部屋だった。
「お疲れ様でした。これから身体に触れます。すぐに終わらせますので、気を楽にしてください」
彼女は、そう言って、ぎこちなく笑みを浮かべる。
不思議な匂いがする。甘いような、少し怖いような匂い。それでいて、しばらくこびりついて離れないことを、僕は知っていた。
彼女は肌を傷つけないように、時折生きているみたいに話しかけていた。
――元来、人間とは戦争をしない生き物だったらしい。
狩猟の道具を武器にし、人を殺すようになったのは、人類史五百万年の歴史において、たったの一万年しか占めないという。
それが今じゃ、わざわざ殺しを生業にする人間が、指先をほんの少し動かすだけで殺せる時代となっている。
人が人を殺すのは本能ではなく、煩悩をこじらせた単なるバグだ。生まれた時から殺しの世界に身を委ねた僕は、そう自分を断罪している。
だから、あの綺麗な箱の中に収められて眠るなんてことはないだろう。
そう思っていたのに、彼女はそういう人間を看取り、葬式するのを生業としていた。
葬式社の職員しかいないそのお葬式は、よく晴れた日に行われた。
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仕事が終われば、僕は彼女を車で送り届ける。葬式社とは、そういう契約だ。
「なんでわざわざ、死体を綺麗にするの?」
僕がそう言うと、助手席に座る彼女は目を瞬かせた。
「いや、手伝うのはいいんだけどさ。正直、無駄な仕事じゃない? すぐ土の中に埋められるし、腐るし、生きてないし」
「……容赦なく言いますね。それを生業をしている人間相手に」
「……うん、ごめん。今口にしてから、自分でも無神経だなって思ったよ」
確かに、と彼女は答える。
「エンゼルケアに、今のところ医学的な根拠はありません。一応、感染症の予防が挙げられますが、その多くは残された遺族のケアが占めていると思います」
「でも、君のする仕事は、そうじゃないだろ。悲しむ遺族なんて、ほとんどいない」
彼女が看取るものは、ホームレスなどの無縁仏、裏社会で使い捨てにされたもの、表社会では看取ることができない人間ばかりだ。おまけに、きれいとは言い難い遺体を綺麗に整えて、さらにシャワーをしたり、化粧をしたりしている。
死後硬直した遺体を動かすという、かなり重労働なわりに、給金はほとんど入ってこない。
そう言うと、「偉い方のお葬式代で、なんとかまかなっていますよ」なんて言う。
「……育ての父は、私に過去の仕事を打ち明けたあと、こう言いました。『俺は必ず最後には殺される。例え昔のことだとしても、ずっと殺してきたんだから、人並みに死ぬことはないだろう。それを悲しむことはしないでくれ』、と」
でも、と彼女は続けた。
「父の予言どおり殺されたあと、今の上司が、『ケアをしないか』と言ってくれたんです。
もちろん、遺体の修復じゃなくて、シャワー浴だったんですけど、私にとってはとても必要でした。
父が望んだとおり、殺されたことは悲しまない。でも、私は私のために、大切な人を失ったことを悲しんでいいのだと。
同時に、死んだ人にとっても、必要な行為だと思ったんです。……今まで散々死ねばいいと言われてきた人でも、最後ぐらい、惜しまれることを許されてもいいじゃないですか」
結局、自己満足なんですけど。
そう言って控えめに笑う彼女に、素っ気なくふーんと返した。
「それって、僕の仕事、責めてる?」
「え、いや、そんなことは……ないとは言えないですけど」
そう言って、彼女はうつむく。
「……すみません」
「なんで謝るの。君のお父さんの言う通りだよ」
人を殺せば、人として死ぬことは許されない。
清く正しく生きてきた人間ですら、ゴミグズみたいに殺されるんだから、僕らは当然、ゴミグズみたいに殺されないといけない。
「……でも、私は、清く正しい人には助けられず、清くも正しくもない人に助けられました」
彼女は微笑む。
「正しいことばかりが許されるなら、私は今、ここにはいません」
僕には、全く理解できなかった。
僕が彼女の養父を殺したことを、彼女は気づいている。それなのに、どうして僕を憎まず、こうやって微笑んでいるのかわからなかった。
殺しを良しとしているわけじゃない。彼女の感性は善良な一般市民のものだ。彼女の養父が、そう育てた。
だから一般社会で普通に暮らせるはずなのに、彼女はわざわざ表と裏の狭間の仕事を選んだ。身の危険もあるというのに。
だから僕は、こうして時折彼女の仕事を手伝いながら、彼女の護衛をしている。
それが、僕が殺した相手の望みだったから。
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