禁断の箱、思い出の宝箱
依月さかな
「なんだよ、スライディング土下座って」
ある日突然、オレのもとに一つの箱が届けられた。
「なんだそれ」
誰かさんのせいで入院と手術で長い休暇をもらっていたもんだから、とにかく書類がたまっていた。警邏組からの報告書に、街道整備や水路の工事関係の申請書類とか。部下たちは気を遣ってオレにしか処理できないものだけ残してくれていたものの、束にすると結構な量だった。
そろそろ後回しにしていた総帥への報告書を手につけねえとな——などと、思い始めて片手間にブラックコーヒーを飲んでいたら、門扉の警備に割り当てていた部下が大きな箱を持ってきたのだった。
両手に抱えるほどの箱は上品な淡いブルーの包装紙に包まれていた。その上から大きな金のリボンで飾られている。明らかにギフトボックスなんだけど、誰に宛てたもんなんだ?
「妙に姿勢が低い
「なんだよ、スライディング土下座って」
そんな言葉、大陸の
首を傾けて考えていると、部下は箱を抱えたまま忍び笑いをしていた。
「あまりにも流れるような動作で土下座するから、逆に面白すぎて笑いを堪えるのに大変だったっす」
あー、そういうこと?
滑るような動作、みたいな?
「頭下げてんのに笑ってやるなよ。可哀想だろ。たぶん、ウチに詫びに来た……ってことだよな? 全然覚えがねえんだけど、そいつの名前は聞いたのか?」
「聞いたんすけど、なかなか教えてくれなかったんすよねー。レガリー地区の者だとしか教えてくれなくて」
「レガリー地区ぅ!?」
思わず立ち上がって、オレは素っ頓狂な声をあげた。その拍子にがたんと大きな音がしたけど、気にしている場合じゃない。
レガリーの名は忘れもしない。まだこの頭の中に嫌な記憶が鮮明に残っている。
そもそもオレが入院と手術をするきっかけになったのはその牙炎なんだ。そいつはいきなりウチの縄張り——《闇竜》地区に侵入してきたかと思ったら、オレを狙いに定めて襲いかかってきたんだからな。
オレが住むこのシーセスは遠い過去に王権が崩壊したせいで無法地帯と化している王様がいない国だ。そのため、それぞれの縄張りを自治区として首領が支配している。ウチの縄張りはこの《闇竜》地区。オレが所属している闇
縄張りという境界線を自ら定めた
なのに、あの馬鹿デカい狼はオレに襲いかかり、あろうことか大事なオレの尻尾を力任せに引っ張ったのだ。その結果、脱臼してしまい、手術することになってしまった。
あー、嫌だ。思い出したくもない。あのくそ狼。せっかく幻術で隠してんのに、尻尾がうずいてくる。
「そうなんすよ。レガリー地区といえば牙炎でしょう? だからいきなり支部長に渡すのもどうかと思ったんすけど、今、副支部長も留守ですし……」
「あー、ロンファンにはティーヤ地区へ使いに行ってもらってんだよなあ」
「ああ、そうなんすか。そういえば、今日は同盟の首領会合の日でしたっけ」
ひと昔前は別地区の首領たちは互いに歪み合うばかりだったらしいけど、今はそうじゃない。長らく王がいないこの国を王政を復活させようという動きが出ていて、オレたち《闇竜》もその同盟に参加している。
今日はその大事な会議だったわけなのだけど……。
「そうそう。今日はオレ、たまった仕事を片付けねえといけないから、代理としてロンファンに行ってもらったんだよ」
「む? 我の名を呼んだか?」
会話に低い声がするりと入り込んできた。耳に心地いいテノールヴォイス。顔を上げれば見覚えのある褐色肌の男が立っている。
彼はものすごく背が高くて、程よく鍛えた身体を持っている。姿勢がいいから立っているだけで絵になるんだよな。
くせがないクリーム色の髪をオールバックにしていて、こっちに向けてくるオレンジ色の目は鋭い印象だ。端正な顔立ちなんだけど、目つきが鋭いから初対面だと怖気付くやつも多い。
白と赤の立襟の上着はこのあたりではあまり見ないデザインで民族風の衣装だ。そして腰にはこれまたこのあたりではあまり見ないタイプの愛剣を挿している。なんでも青龍刀という剣なんだとか。
「副支部長、お疲れっす!」
立っているだけで存在感があるからか、門番担当の部下は姿勢を正してしまった。やっぱりどう見ても、彼はオレよりも支部長っぽい気がするんだけど。
「おかえり、ロンファン。ティーヤ地区での会合はどうだった?」
「うむ。滞りなく終わったぞ。先方がおまえの身体を心配していた。ミラ、もうすっかり経過はいいのだろう?」
ロンファンは中央のソファにどかりと座り、ふんぞり返った。その姿はまるでどこかの国の王様みたいだ。上司に報告をする部下の姿じゃねえ。
にも関わらず、ちっともロンファンを怒る気になれないのは付き合いが長いからなのか。こいつが子どもの頃から面倒を見てるわけだしな。
「もう完治してるって。診療所にはちゃんと行ってるんだぜ」
「ならば良い。ミラは昔から何事に関しても真面目だからな。心配はしておらん。それで、何があった? 二人顔を付き合わせて難しい顔をして、一体どんな厄介ごとが舞い込んできたのだ?」
両目のオレンジ色が深みを増した。我に話してみよと言わんばかりにロンファンは獰猛に笑う。
見目麗しい偉丈夫、貴人のような堂々としていてどこか品のある振る舞いは相変わらずだ。これで今や剣の達人だと評価されてんだから、頼りになる構成員に育ったなあと思う。人を惹きつけるカリスマ性を持っているし、道を歩けば誰もが振り返る。オレより支部長に向いてるんじゃねえか?
だというのに、こいつは昇進する欲まではないらしく、総帥に推薦してやろうかと言っても支部長はミラがやればいいと言うのだから困る。特に今回みたいな得体の知れない代物が舞い込んで来たような場合は、ロンファンが一番頼りになるんだけどな。
「レガリー地区の使いの者が箱を置いてったんだと。この間の詫びかなにからしくて」
「レガリー地区の使い……、あの挙動不審な
「ええええっ、開けるんすか!? あの牙炎の部下ですし。何が入ってるかわからないですよ!?」
平然と言うもんだから、部下は慌てふためくし、オレも心配になった。ほんとに開けて大丈夫なのかよ。
そんなオレたちの様子を面白そうに眺めた後、ロンファンはソファに身を沈めたまま首を傾げた。
「あの脳筋狼が回りくどい策を弄するはずがなかろう。毒でも盛るくらいなら、また正面から奇襲をかける。奴はそういう馬鹿正直なタイプだ」
「……おまえ、いくら本人がいないからって馬鹿って言ってやるなよ」
なにも、そんな本当のことを言わなくても。
「我らが支部長に深手を負わせたにも関わらず、こちらは沈黙を貫いてやっているのだ。少しの悪口くらい多めに見ろ。こちらはおまえが放っておけと言うから何もせずにいるんだぞ」
「はいはい、わかったよ。ありがとな。オレの指示に従ってくれて」
「ふん」
ま、向こうに治療費だけはきちんと請求したけど。金は払ってもらってんだし、これ以上なにもする必要を感じないんだよな。
納得いってないのか、ロンファンの顔は不満げだった。オレにとってロンファンは弟分だ。逆を言えば、彼にとってオレは兄貴分ということになるわけで。そりゃ腹立たしくもなるか。
とは言っても、ロンファンはいつもオレの命令には素直に従ってくれる。今回もそうで、いつまでも文句をつぶやくわけでもなかった。咳払いをして話の本筋を元に戻してくれたんだ。
「箱の件についてだが、牙炎の従者がよこしたのだから、おそらく菓子折りかなにかだろう。あの
「うう……副支部長がそこまで言うなら……」
堂々と言い切られるともう嫌とは言えなかったらしい。部下はロンファンにおずおずと箱を差し出した。まるでその姿は王に贈り物かなにかを献上する臣下のようで、ちょっと妙な光景だった。
王のようにふんぞり返ったまま、ロンファンはギフトボックスを受け取ると、長い指でリボンを解いた。丁寧に包装紙を開いていく。
オレだって、何が入っているのか気にならないわけではない。結局後ろから近づいて、箱を開けるロンファンを見守る。
彼は何の迷いもなく箱を開くと意外なものが目に入った。串入り団子と大福、そしてコーヒー豆の袋が所狭しと詰められている。マジでギフト品っぽい。
「……えっ、こわ……」
それがオレの正直な感想だった。
「これ、支部長の好物じゃないです?」
「オレの好物だから怖いんだよ!! 和菓子はオレが妖狐だって知られてるから仕方ないにしても、コーヒーの豆入ってんの怖くないか!? しかもこれ、オレがめちゃくちゃ欲しかった限定もんだぜ!?」
「あの従者、牙炎には勿体無いくらい優秀な秘書だからな。あのレガリーが首領としてやっていけているのは、あの
「いや、オレもそれは知ってるけどさ! それにしてもオレの嗜好品を熟知しすぎだろっ」
これでもオレ、情報屋でもあるわけだし。特に牙炎の奇襲以来、レガリー地区の情報は集めまくってる。
オレが叫んでいるのがおかしかったのか、ロンファンは大きな声をあげて笑った。笑われるのは癪だが、楽しそうな仲間の姿を見れるのは悪くない気分だ。
かつて、この両手に抱えるほど小さかった
オレは妖狐の
こうして一緒に過ごせる時間は永遠に続かない。だからこそ、思い出は宝になるんだよな。
「良いではないか。ありがたくもらっておけ」
しまった。つい感傷にふけってしまった。
ひとしきり笑ってから、ロンファンそう言ってくれた。
「えー。そりゃせっかく買ってくれたもんだし、無駄にはできねえけど。特に和菓子なんか長くは保存きかねえもんな……」
「それより我は少し休みたい。おまえが淹れたコーヒーが飲みたいのだが?」
ソファに身を沈ませたまま、ロンファンが見上げてきた。甘えてくるような上目遣いをしてくるところは、子供の頃から変わらない。不覚にも、胸の奥がきゅんとないた。
「しょうがねえなー。じゃあ休憩にするか。とびきり美味いやつを淹れてやるぜ」
「ふふん、楽しみだ」
ロンファンの腕の中にあるギフトボックスから、コーヒー豆の袋を一つ取り上げた。
我ながらすげえ単純だと思う。大好きなコーヒーを口にされれば、すぐにのせられちまう。それでも甘えられると応えてやりたくなるのも、オレの性格なわけで。
積み上げた記憶はその人だけの宝だと、オレの恩人は言っていた。金で買うことのできない、かけがえのない宝だと。
誰かと一緒にいられる時間なんてずっとは続かない。だからこそ、楽しい時間をたくさん積み上げて、記憶の宝箱に入れておけばいい。
いつか、隣に立つこいつらがいなくなっても、きっとオレは忘れない。だって、もういなくなった恩人の顔だって今も鮮明に覚えているのだから。
そう考えると、口もとが緩んだ。
棚の中から魔法製のコーヒーメーカーを取り出して、オレはさっそく準備に取りかかったのだった。
禁断の箱、思い出の宝箱 依月さかな @kuala
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