ノアの箱庭

そばあきな

ノアの箱庭

 同じ部活の桜庭さくらば望空のあくんには、くちづけた大切なものを自身の「箱庭」にしまう力がある。


 初めて彼の力を見たのは、部活中のことだった。


「科学研究部」という名ばかりで、実際は特にやるべきことも決められていなくて放課後にただダラダラしている部活で、部員の私と彼はいつものようにぼんやりと部室の椅子に座っていた。

 部活として活動が認められるには最低四人は必要なのだけれど、私と彼以外は幽霊部員の上、顧問として名前を貸してもらっている先生は他の部活と掛け持ちしてほとんど顔を出さないため、基本的に部室には私と彼しかいない。


 そんな、ある日の部活の時間のことだったと思う。

 唐突に桜庭くんから「実は僕、マジックができるんだよね」と言われ、彼は部室の棚に置きっぱなしになっていた誰かのボールペンを取り出した。


「今からこのボールペンを消すよ」


 そして実際に目の前で彼がくちづけたボールペンが跡形もなく消えた時、私は素直にマジックだと信じたし、おそらく褒めたのだと思う。


 ただ、それが「私を騙している」という彼の罪悪感を刺激したらしい。


「ごめん、マジックっていうのは嘘なんだ」と謝って、彼は自分の力を丁寧に教えてくれた。


 いわく、その力は物心がついた時は分からなかったけれど、成長に伴って気付いたものだということ。

 くちづけすると、彼のイメージする箱庭にその対象をしまって保存することができるということ。

 ただしくちづけしたもの全てではなく、しまいたいと強く願いながらじゃないといけないこと。

 そしてその「箱庭」は彼しか見ることができないため、何があるのかは彼以外の人には分からないこと。


 彼の説明を聞いて私が相槌を打っていると、途中で桜庭くんは不思議そうに私を見て口を開いた。


相園あいぞのさんは驚かないんだね。物理的におかしいことが目の前に起きているはずなのに」

「まあ、科学で説明できないことってたくさんあると思っているからね。桜庭くんの話を聞いて、そういうこともあるのかなあって思ったよ」

「科学研究部の部員がそんなこと言ってたら、顧問の先生が泣いちゃうよ」


 そうたしなめる桜庭くんも、表情は笑っていたので本気ではなかったのだろう。


 その日の部活が終わって別れるまで、桜庭くんから特に口どめなどはされなかった。

 とはいえ、私はこの話を誰かに言いふらしたりもしてないので、結局私しか桜庭くんの力を知る人はいなかった。


 後々聞いたけれど、どうやら桜庭くんは、家族にも自分の力のことは伝えていないらしい。

 それは、彼の家庭環境が理由の一つなのだろうと思う。


 あまり詳しくは聞いたことはないけれど、桜庭くんには年の離れたよく出来た兄がいるらしい。

 よく言えば世渡り上手、悪く言えば猫かぶりだった兄は、弟の望空くんの前だけはいい人ではなかったようだった。

 弟の大事なものを奪い、それを自分のものにしてしまうような兄と、そんな兄の肩を持っていた彼の両親に囲まれ、彼はだんだんと大事なものを隠すことを覚えたのだという。


 与えられず、奪われるだけの彼には、誰にも干渉されず、自分だけが覗ける「箱庭」がほしかったのだと思う。


 それからは、二人きりの部活中にだけ、私はたまに桜庭くんの箱庭の状況について聞くことにしている。


「桜庭くんの箱庭には、どんなものが入っているの?」


「もし相園さんに見せられるようになっても見せてあげないよ。だって僕の箱庭だからね」


 彼はそう言っていつも逃げてしまうけれど。


 私はいつか、彼の大事なものに溢れた箱庭を見てみたいと思うのだ。

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