蹴られる女

海沈生物

第1話

 目を覚ますと、真っ暗なダンボールの中に閉じ込められていた。授業をサボタージュして学校の屋上で昼寝をしていたはずなのだが、どうしてこんな所に入れられているのか。誰のイタズラか分からないが、いつまでもダンボールの中にいるわけにはいかない。放課後には友人たちとバイクを乗り回す用事があるし。さっさと出よう。


 拳を突き上げてダンボールを破壊しようとした瞬間、同時に箱の上から圧力を感じた。あっ、と思った時にはもう遅い。


「ダンボールに痴漢されちゃった!?」


 彼女はまるで尻に火が付いたような声を上げ、勢い良く飛び上がった。不味い。非常に不味い。このままでは先生に通報され、「ダンボールに隠れて痴漢しようとしたエロ女」とありもしない風評を受けることになる。来年には受験が控えている中で、サボり以外の理由で内申を下げたくなかった。


 今すぐにダンボールから出て釈明したかったが、どんな説明をしても「ダンボールに隠れていた人間」など信じられるわけがない。どうしたものかと思った時、ふと一つの「案」が頭に過ぎった。ものすごくバカらしいが、これしかもう方法はない。私は唇をギュッと噛むと、意を決した。


「あー……えっとな。すまんな、お嬢ちゃん」


「なになに!? またまた痴漢する気なの!?」


「ちゃうちゃう! そうやなくて、その……実は私、箱のなんや」


「せい……れい……?」


「そうそう、精霊精霊。そもそも、ほんまに痴漢するならこんな見るからに怪しいダンボールの中になんて入るわけないやろ? もっとマシな方法を取るわ」


「それは……確かにそうかも。そうだよね。ダンボールの中に入るようなこと、普通の人間がするわけがないよね。疑ってごめんね、箱の精霊さんっ!」


 彼女はそう言うと、本気で泣き始めてしまった。まさか、こんなあからさまな嘘を信じる程に純粋な高校生が現代にいるとは思っておらず、嘘をついた当事者である私も動揺した。この感じだと、未だにサンタの存在も信じていそうなのが危うい。もう高校生だろうに。


 しばらくして泣き止むと、彼女……名取彩音なとりあやねは、軽い自己紹介と共に箱の精霊とはどういった存在なのかを尋ねてきた。私は適当に考える。


「箱の精霊とは、神から遣わされた精霊である」

「箱の精霊には、人を幸せにする責務がある」

「箱の精霊は、人を幸せにしないと天界に戻ることが許されない」

「だから、彩音を幸せにしてあげたい」


 三秒で思い付いたでっち上げである。この場さえどうにか乗り切ることができたのならそれでいい、という雑な嘘である。適当に彩音の願いを叶えてあげて、満足したら天に戻ったフリをして屋上から去ってもらう。あとはダンボールから脱出すれば、作戦成功である。


 そんなことを頭で考えつつ、こんな明らかな嘘を彩音は全て「うんうん!」と頷いて信じてくれた。あまりにも素直に言うことを聞いてくれるので、かえって弄ばれているのではないかと疑ってしまったぐらいだ。だが、彩音の柔らかな声に曇りはなかった。彼女の声を聞いていると、まるで催眠にでもかかったように「彼女が嘘をつくわけがない」と思えた。


「……それで、なんやけど」


「うんうん」


「私が天界に戻るために彩音を幸せにしてあげたいんやけど、何か望みはないか?」


「なんでもいいの?」


「私に出来る範囲なら、な。無理なもんは無理やで?」


 彩音は「うーん」と少し悩む声を上げると、しばらくして「あっ」と声を上げた。


「あるある、一つある! 彩音の望み!」


「おっ、なんやなんや。箱の精霊サマに言ってみ?」


 すっかり彩音の純粋さに絆されていた私は、冤罪とは関係無しに彼女の願いを叶えてあげたいと思っていた。それがどんなことでも、この身体で出来る限りは。


 だから、突然彩音が私の入っているダンボールを「ゴツン」と蹴り上げた瞬間、一体何が起こったのか分からなかった。蹴られた部分にあったお臍の辺りがじんわりと痛み、苦痛からダンボールの中でよだれを垂らす。その一方で、外にいる彩音はケラケラと嬉しそうに笑っていた。


「彩音、精霊さんをいたぶりたい! 蹴って、蹴って、蹴って、痛めつけたい! 精霊さんは人じゃないから、何をしても犯罪にならないでしょ? だから、その……蹴り飛ばしまくっても、良いかな?」


 まるで「ぎゅーとしてほしい!」と頼むように暴力行為の許諾を得ようとしてきたのに、さすがの私も動揺してしまう。このようなこと、受け入れるべきではない。断るべきである。


 だが、どうしてだろうか。私の身体は先程の彼女からの蹴りで熱くなっており、この痛みを、苦痛を、彼女の柔らかな声を欲していた。彼女に蹴られたい。蹴られるのであれば、ここでくたばっても良い。そんな快楽に支配された奴隷になっていた。


「……。好きなだけ、殴って、蹴って、蹴り飛ばしても」


「本当!? 彩音、とっても嬉しい! 大好きだよ、ちゃん!」


 思わず「えっ」と声を漏らすよりも先に、彩音は私の入っている箱を何度も何度も蹴り飛ばしてくる。その度に身体中に快感が迸り、もっとキツい蹴りを、苦痛を、求めるようになってきた。


「アハハハハハハハハハ!」


 彼女の喜びに満ちた狂気の声が嬉しいきもちいい。もはや精霊がどうであるとか神がどうであるとか、どうでもいい。ただ、彼女の暴力がとにかく嬉しくてきもちよ嬉しくてきもちよ堪らなかった。加害されることに激しい喜びを感じていた。


 やがて箱に穴が開くまで蹴り飛ばされると、隙間から彩音は中の私を見下ろしてくる。茜色の夕陽に照らされた彼女の姿はとても眩しく、まるで神様のように神々しく思えた。


「そろそろ辛いかな? もうやめてほしいかな?シ……でも、だーめ。沙綾ちゃんは私のだから。だからまだまだ、私の部屋で続き……よ?」


 彩音の柔らかくて蠱惑的な声に、途切れかけた意識で私はゆっくりと頷く。その姿に「やったー!」と子どもみたいにコロコロと喜ぶと、ダンボールの中の私の唇にキスをして、眩しい笑みを漏らした。

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