第9話 おまじない

 七月七日、コウくんと花火をするのにぴったりの晴天。待ち合わせは公園に七時。ベッドにうつ伏せになってクッションに顔をうずめる。早く時間にならないかなあ。やっと六時をまわったけれど、窓の外はまだ明るい。


 あ、と気付いて座り直す。ワンピースがしわになったらいやだ。本当は浴衣を着せてと言いたかったけど、お母さんは車で出たり入ったりして忙しそうで言えなかった。その代わり、クローゼットの中で一番可愛いワンピースを選んだ。


 これを着るのには勇気がいった。胸の前で白いボタンの並んだ水色のワンピース。この前お母さんが勝手に買ってきて、『こんなの着れないよ』と言ってつっぱねた。わたしが着るには可愛すぎると思ったから。でも、いつもの服じゃコウくんと釣り合わない。


 まだ、カワイさんとコウくんが付き合っていると思っていた頃、お祭りに行くふたりの姿を思い浮かべた。並んで歩くふたりは、とてもよく似合っていた。コウくんのとなりに立つなら可愛くないと、と思う。服でどうにかなるものなら、どうにかしたいと思った。


  ◇


 七時に公園。約束の時間よりかなり早く着いたのに、コウくんはもうそこにいて、わたしを見つけて軽く手をあげた。白いボタンシャツに紺色のズボン。いつもと変わらない外遊びとは無縁の恰好。わたしは駆け寄り、待たせてごめんね、と言う。「僕も今来たところだから」とコウくんは答える。それから、なんだかじっと見られているような気がした。顔がほてる。この服、変……だったかな。


「かわいい」


 と、コウくんが言った。まるで風でささめく木の葉のように心地のいい声だった。顔を上げると、コウくんは向こうをむいて口許を片手で隠していた。あの日、図書館で見たのと同じ、コウくんが照れた時の仕草。


「ありがと」


 顔から火が出るほど恥ずかしかったけれど、思い切ってこの服を着てきてよかったと思った。


「それじゃ、行こうか」

「うん」


 わたしを導くように歩き出したコウくんに、小走りに追いつき隣を歩く。


 遠くに祭りの音が聞こえた。



 ◇



 翌日、教室の壁に美術で描いた絵が飾られていた。

 コウくんの絵のタイトルは『銀河鉄道の夜に』

 満点の星空の下、影になった丘の上、ジョバンニとカンパネルラが花火をしている。ため息がもれたことにあとで気付くほど見惚れてしまった。だから隣に人が立ったことにも、声を掛けられるまで気付かなかった。


「皇くんと両想いになったんだって?」


 冷たく透き通るような声がわたしの胸に刺さる。

 わたしはなんだか申し訳ないような気がして、それに、カワイさんの方がやっぱりコウくんに似合ってるという気がして、下を向き赤い上履きのつま先を見ていた。


「皇くんの描いた絵、丘の上の子供は、皇くんと天音さんなんだって」

 さっき本人から聞いた、とカワイさんは言った。わたしは口を開いたけれど、何を言ったらいいか分からなかった。そうしているうちにカワイさんがつぶやいた。


「筆箱のおまじないなんて信じるんじゃなかった」


 顔を上げてカワイさんを見たら、今にも泣き出しそうな顔をしていた。わたしが見ていることに気付いて、カワイさんは涙を隠すみたいにわたしを睨んで、教室に入っていった。


 カワイさんは知らなかったけど、わたしもおまじないをした。わたしとカワイさん、筆箱に秘めた想いは同じだったのに、一体なにが違ったんだろう。



  了

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筆箱の中に秘めた想いは あしわらん @ashiwaran

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