第8話 七夕祭り

「好きだよ」

  と、コウくんは言ってくれた。

 どうしてコウくんがわたしなんかを好きなのか、ちっとも心当たりがなくて、自分で思うよりも先に口から質問が転がり出た。

「わたしのどんなところが好きなの?」

「天音さんの好きなところは」

 コウくんはいつもの落ち着いた声に戻って、指折り数えながら、ゆっくり時間をかけて教えてくれた。

「他人と群れなくても平気でいられるところ。普段は何も言わないけど、言うべきときはっきり言えるところ。物静かで大人しいけど弱くない。そういうところが格好いい」

 あと、小さくてかわいくて優しいと、コウくんにはあまり似合わない単純な理由を、こんなこと言っていいのかという風に顔を赤らめて早口で付け足した。


「なんだか物語のヒロインみたい」


 自分のことのように感じられなくて照れくさい。コウくんはそんなわたしに柔らかく微笑んで言った。


「僕にとってはそうなんだ」



  ◇ ◇ ◇


 

 七月七日(日)七夕祭り当日


 浴衣を着て、巾着袋を指に引っかけて、履きなれない下駄を鳴らして歩く。細い路地から神社へと集まる町の人々。ひとりで歩いているのは私くらい。神社を彩る幻想的な提灯。立ち並ぶ屋台の看板とまばゆい裸電球。光の中には楽しそうな話し声。友達同士。親子。恋人同士。


 こんなところに一人で来て、私は何がしたいんだろう。

 今まで何がしたかったんだろう。


 皇くんと両想いなんて嘘だった。でも、両想いだと言えば他の女の子はそれを信じて皇くんを諦める。付き合ってなくても付き合っているように周りから見えれば、それが事実になる。そういうのを既成事実というんだって、インターネットで知った。


 最初はあんまり良い方法だと思わなかったけど、筆箱のおまじないをしたその日に知ったから、上手くいく方法を暗示しているのかもしれないと思った。試してみたら、すごく効果があった。特に天音さんとコウくんのつながりは、ほとんど切れるところまで行った。あと一押しだと思っていたのに。


 わたしは浴衣の膝を折り、金魚すくいの屋台の前にしゃがんで、おじさんにお金を払った。水槽に群れる赤や黒の金魚を、和紙を張った蛍光オレンジの丸い輪っかで追いかける。和紙の半分が水を吸い、色を変え、弱くなる。一番小さい金魚を狙ったのに、すくい上げた瞬間ぴちぴちと勢いよく跳ねて、私の和紙を破って逃げてしまった。ぽちゃんと水に落ちた音が、私を笑っているみたいに聞こえた。


 神社に来る前、この格好で、皇くんの家に行った。お祭りには行けないと断られていたけど、浴衣姿の私を見たらコウくんの気が変わるかもしれないと思った。


 家のチャイムを押したら、皇くんは居留守を使わずに出てきてくれた。でも、門は開けてくれなかった。黒い洋風の鉄柵の向こうから、皇くんは言った。


『天音さんと両想いになったんだ。だから、河合さんとはお祭りに行けない』


 嘘をついた罰が下ったのかな。筆箱のおまじないなんて効かなかった。それとも、やり方が間違っていたのかな。


 浴衣で家を出たのに、すぐに家に戻るわけにもいかなくて、お祭りに行く人の波に流されて神社に辿り着いた。金魚すくいだけやって帰ろう思った。本当は皇くんとやりたかったな……。


「お嬢ちゃん、泣かないで。ほら、もう一回やっていいから」


 金魚すくいのおじさんが、私が金魚をすくえなかったから泣いているんだと思って、もう一回チャンスをくれた。私は和紙の輪っかを差し出されるままに受け取った。そしたら余計に泣いてしまって、浴衣の袖で涙を拭い、反対側の袖でも拭いた。


「そんなに金魚がほしいのか? 俺がとってやろっか」


 聞き覚えのある声。顔を上げると、蛍光オレンジのTシャツを着た島が、隣にしゃがんでにっと笑った。私がうんと頷くと、島は「貸してみ」と言って私の手から金魚すくいの道具を取り、器用に金魚をすくってお椀に入れていく。私は「すごい」と声をもらして目を丸くするばかり。最後は六匹目で出目金を狙って和紙が破れた。

「最後に出目金って、大きいの狙いすぎじゃない?」

「最後くらいダメ元で挑戦したっていいだろ?」

「でも破れた」

「出目金は取れなかったけど、頑張ったから、それでいいじゃん」

 島はさっぱりした顏。こういう人は、好きな人に告白して破れた時でも同じことを言うんだろう。

 おじさんが島のすくった金魚のうち、二匹を水と一緒にビニール袋に移して、細いピンクの紐をしぼって私にくれた。


「じゃあな」

 すっと立ち上がった島。足元はビーチサンダルで、足首に包帯を巻いている。

「足、どうしたの?」

 私も立ち上がり金魚すくいの屋台を離れる。島は少し足を引きずって歩いた。

「これ? 今日学校から帰る時、階段でひねったんだ。そうじゃなかったら、俺は祭りに来てないよ」

「運動神経が良い人でもそういうことがあるんだ。早く良くなるといいね」

「おう、さんきゅー」


 島は「じゃあな」ともう一度言って、屋台と人の群れの中に紛れて消えた。私は神社の鳥居をくぐって境内の外に出る。お祭りの空気は一歩外に出ただけで夏の夜の風にかき消された。


「頑張ったんだから、それでいい、か――」


 私は島の取ってくれた金魚を連れて、人の流れに逆らって歩いた。


 家に帰ろう。帰って泣こう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る