第7話 図書委員
図書室では、学年がまちまちの生徒が五、六人、机で本を読んだり宿題をしたりしていた。コウくんは本棚の高いところに手を伸ばし、本を並べ直している。わたしに気付いて控えめに微笑む。コウくんが誰にでも向ける微笑みだ。
「島との話はもういいの?」
「うん。遅れてごめんね。わたし、下の段をやるね」
わたしはしゃがむ。いつもそうする。赤くなった頬に気付かれないで済むから。
日ごろ司書さんが手入れをしてくれているお陰で、ほとんどの棚は左から右へ点検するだけで済む。先に作業を終えたコウくんが貸出返却カウンターの席に座って文庫本を読み始めた。コウくんが落ち着いて本を開く姿を久しぶりに見た気がした。
わたしは最後の棚を整理して、コウくんの邪魔をしないようにそっと隣の席に座る。ランドセルを膝の上に乗せてフタを開けた時、コウくんが読んでいたページに指を挟んでわたしを見た。
「天音さんって島と仲がいいよね」
「え?」
いきなり何だろう。コウくんと話せるのは嬉しいけど内容がシマというのはとても微妙だ。特に今は。
「そんなに仲良くないよ。席が隣なだけ」
「でも七夕祭りに島と二人で行くんでしょ?」
そんな馬鹿な。一体誰がそんなデタラメを。
まさかシマが?
いや、シマはお祭りの日にサッカーの練習があると開けっぴろげに話していたから違う。もしかして、わたしがシマに『放課後話がある』って言ったのを誰かが聞いて、勝手な想像を膨らませたのか?
「コウくんはその話、誰から聞いたの?」
「河合さん」
カワイさんが?
わたしは眉をひそめた。
「カワイさんは何でそんなこと言ったんだろう。二人でお祭りなんて、まるでわたしとシマが両想いみたいじゃない」
「違うの?」
「違うに決まってるよ!」
驚いたせいで膝に乗せていたランドセルが転がるように落ちた。
中身が床に散らばる。
「ああ、ごめん」
椅子から降りて真っ先に筆箱と中身を回収する。コウくんも拾うのを手伝ってくれた。昨日のシマの話を思い出した。カワイさんが筆箱を落としてコウくんが拾ってくれた。その時におまじないの紙を見て、二人は両思いになったという話。
偶然同じような状況になってみて分かった。あのおまじないは相手に見られることで願いが叶うのかもしれない。それなら、わたしの願いが叶うはずもなかった。わたしの願いは万一にも見られないようにテープで留めてあるのだから。
筆箱をランドセルにしまい、教科書とノートを集めて、コウくんからワークを受け取る。
「ありがとう」
椅子に座り直してお礼を言うと、コウくんは顔を逸らして何も言わなかった。変だな。気のせいか、コウくんの耳が赤いような気がする。
「天音さん、これ……」
顔を逸らしたままコウくんがわたしに何か差し出す。指に隠れてしまう程小さなそれ。わたしはみるみる青ざめる。まさかそんなはず――!
大急ぎでランドセルに入れた筆箱を取り出し、ふたを開けて確認する。
――ない。どうして。
……そうか。昨日シマが剥がしてテープの粘着力が落ちていたんだ。筆箱が落ちた拍子に剥がれて――。
わたしはコウくんから紙片を奪うようにして受け取り、顔を両手で覆った。
「ごめん、変なもの見せちゃって」
コウくんは何も言わない。わたしは何か言わなくちゃと考えがまとまる前に口を開いた。
「コウくんがカワイさんと両思いなの知ってる。どんな切っ掛けだったかも知ってる。でも、今のは別にカワイさんの真似をしたんじゃないから――」
なんの言い訳をしたいのか、自分でもよくわからなかった。
「天音さん」
「はい」
「その紙に書いてあったのは、天音さんの好きな人?」
確認なんて拷問だ。顔だけ火あぶりの刑にされたみたい。両手の中でぎゅっと目をつむる。これでわたしの恋は終わり。こんなことにならなければ、もう少し時間をかけて忘れることができたのに。やっぱりおまじないなんてするんじゃなかった。
「天音さん、花火は好き?」
コウくんは静かに聞いた。少しの物音でかき消されてしまうくらいに小さな声。
「好き……」
こうして別の話題に変わり、さっきの紙のことはなかったことになる。
「日曜日うちの庭で花火をするんだけど、よかったら天音さんも来ない?」
「え――?」
今、なんて言った?
「その……島と七夕祭りに行かないのなら、もしかして都合がつくかなと」
日曜日はカワイさんと七夕祭りに行くんじゃないの? それよりもまず、カワイさんと両思いなのにわたしを誘う理由が分からない。わたしは顔を覆っていた両手を外す。コウくんが肘をつき口許をその手で隠してる。きれいな指。赤い顔。ちらりと視線をこちらに向けて目が合った。わたしは反射的にうつむいて頭の中は混乱したまま、声を搾り出すように聞いた。
「なんで、わたしを誘うの? コウくんはカワイさんと付き合ってるんだよね」
コウくんは口許から手をどけて回転椅子を回し、すらりとした長い脚を組む。
「付き合ってないよ」
さっきまでの赤ら顔は平静に戻っていた。
「……でもカワイさんとコウくんが両思いになったって、シマから聞いた」
「島は……天音さんのことが好きだから」
「そんなはずは」
ない、と言いかけて黙った。シマが仲間とふざけたわけでもなく放課後ひとりの時にわたしの筆箱の中身を見たのは、そういうことだったんだ。
「でも少し引っかかる。僕の知る限り、島は嘘をつくような奴じゃない。本当に島がそんなことを?」
「シマは……シマはカワイさんが友達に言っていたのを聞いたって……そう言ってた」
「そういうことか」
コウくんは疲れたようにため息をつく。
「どういうこと?」
「僕は島が嘘をついたとは思わないけど、河合さんが嘘をついたというなら信じるってこと。さっきの、島と天音さんが二人で七夕祭りに行くって話も、河合さんの嘘だったしね」
コウくんは、ほとほと困っていると言いたげだ。
「河合さんは僕が天音さんを好きだって知ってるよ。教室で告白された時にそう言って断ったから。でもそれからは天音さんの真似をしようと彼女なりの努力を始めてしまった。休み時間の度に天音さんの読んでいる本の話をしてみたり、赤い金魚がほしいと言ったのも、たぶん天音さんの描いた絵を見たからだろうね。何度も断ってるのにやめてくれなくて」
コウくんがこんなにしゃべるのは珍しい。でも、わたしの中では最初の一言がループするばかりで、あとの話はほとんど耳に入らなかった。
「コウくん、あのさ」
「ん?」
コウくんがわたしを好きだなんて――
「あ、ごめん。僕ばかり話して」
「それはいいんだけど、コウくんはその……わたしのことが……」
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