第6話 男子全員共謀論
翌日の中休み、教室は七夕祭りの話で盛り上がっていた。誰と行く。何時にどこで待ち合わせ。お金はいくら持って行く。スーパーボールすくいをしよう。かき氷が食べたい。わたしには関係のない話。カワイさんがコウくんのところへ行く。わたしは本に目を落とす。
「コウくん、金魚すくいは得意? 今度の七夕祭りで金魚すくいをしようよ。私、赤い金魚を飼いたい」
縁側で陽に照らされる金魚鉢。水面に映る風鈴の影。水の中で気持ちよさそうに泳ぐ赤い金魚。カワイさんの話は、昨日わたしが五六時間目の美術で描いた絵と妙に重なる。
コウくんの声は静かで、騒がしい教室の中で聞き取るのは難しかった。おまけに、うるさい奴の筆頭が仲間を二、三人連れて隣の席に戻ってきた。こうなると耳を澄ませてもコウくんの声は届かない。
「日曜日は祭りだっていうのに、サッカーの練習が六時からだなんてな」
シマと仲のいいタイセイが、がっしりした肩を落としてカラリと晴れた窓の外を見る。
「あーあ、雨降って練習中止にならないかなあ」
「ばーか、雨が降ったら祭りだって中止だろ?」
シマにつっこまれてタイセイが頭を掻き、周りもアハハと笑う。
わたしはシマに話すことがあるのに、シマの休み時間は毎回こんな調子で一人になることがない。最後のチャンス、六時間目開始のチャイムが鳴り、日直が号令をかける前のわずかな時間に切り出した。
「シマ」
呼んでシマがこっちを向いたのを見て、筆箱をこれ見よがしに机に置いた。勘のいいシマは、それだけで大体のことを察したらしい。
「今日、放課後話したいことがあるんだけど」 嫌とは言わせない。
「お、おお。わかったよ」
顔半分を引きつらせて、シマは低い声で返事をした。
帰りの会のあと、シマは友達の誘いを断った。
「今日も居残りだから先に帰って」
事情を知っていると、その顔は「俺も今すぐ帰りたい」と言っているようにしか見えない。わたしはランドセルを背負い、眉を吊り上げてシマに向かった。
その時、思わぬ人から声が掛かった。
静かで落ち着いた声は、シマのすぐ後ろから聞こえた。
コウくんだった。
「天音さん。今日、図書委員の当番だよね」
そう……だった……。
鐘をついたような音が、おでこから後頭部に向かって突き抜ける。
今日は図書委員の当番の日。月イチくらいで回ってくる委員の仕事で、図書室の本を並べ直したり、返却や貸し出しのお手伝いをする。放課後わたしが唯一コウくんと一緒にいられる日で、いつもは指折り数えるくらいに楽しみにしている。これまで一度も忘れたことがなかったのに、それを忘れるなんて。
それ程わたしはシマに対して怒り心頭だったのだ。
「アマネ、委員会か。じゃあ、今日話すのは無理だな」
今がチャンスとばかりに逃げようとするシマ。
逃がすか!
「待ってシマ。ごめん、コウくん。話が終わったらすぐ行くから」
コウくんは眉を下げて微笑むと、「わかった」と静かに答えて教室を出た。
「コウと委員会なんだろ? 俺なんかと話してていいのかよ」
シマが苦い顔をする。
「誰のせいだと思ってるの?」
わたしは盛大にため息を吐いて聞いた。
「シマ、昨日わたしの筆箱の中、見たよね」
シマの顔が一瞬で井戸の底みたいに暗くなる。
「昨日、家に帰って筆箱の中を見たら、紙を貼ったテープの右上に、剥がした跡が残ってた。右上ってことは、左利きの人がテープを剥がしたってことだよね」
「たぶん、そうだろうな」
「それにね、緑の絵具のついた指の跡まで残ってたの。左利きで、昨日緑の絵具を使った人なんて、シマしかいないよね」
「いないだろうな」
シマは大きく一つ呼吸して、深く頭を下げた。
「ごめん、アマネ。俺、あの紙を見たよ」
わたしは肩を落とした。
シマはうるさいし、やかましいけど、悪い奴じゃないと思っていた。
正直、がっかりした。
「いつ?」
「いつって?」
「筆箱を見たのはいつ? 四時間目の体育の前?」
シマはよく分かっていなかったけど、この質問はとても重要だった。
体育前の休み時間、女子は着替えのため更衣室に移動する。
教室は約五分間、男子だけになる。
その隙に筆箱を見られたんだとしたら、最低の、最悪だ。シマだけが見て、他の男子が見ないなんてことは、その状況ではあり得ない。コウくんが他の男子に混ざって紙を見たとは思わないにしても、不可抗力でわたしの好きな人がコウくんだと、本人に知られてしまったかもしれない。
だとしたら、わたしは失恋しただけじゃなく、とことん破滅している。
そして、同じ被害に遭ったのは、わたし一人じゃ済まないだろう。
「シマ、正直に答えてよ。男子って女子が着替えでいなくなったあと、女子の筆箱を見てたの? わたしのだけじゃなくて、他の女子の筆箱も見てたの?」
着替えの時間=見放題。
考えるだけで怒りが沸々と沸いてくる。
なんて卑怯なの……!?
「ちょっと待て」
言われて目を開けた。知らぬ間に怒りで目をつむっていたらしい。
シマが両手を上げている。
降参、ではないようだ。
「確かに俺は、お前の筆箱に触ったし、テープを剥がして紙を見た。それは本当に悪かった。ごめん。心から謝る。だけど、見たのは体育の着替えの時じゃない。他の奴らと一緒に見たってこともない。放課後、俺一人の時だよ」
「じゃあ、なんで左側に筆箱が入ってたの? シマが左利きで、ふだん筆箱を左側に入れるから、わたしの筆箱を戻すときに間違えたんじゃないの?」
「それは違うって。アマネは忘れてるかもしれないけど、体育の前、早く着替えなくちゃって焦ってただろ? 教科書とノートが邪魔して筆箱が右側に上手く入らなくて反対側に放り込んだの、俺、見てたし……だから放課後、もしかしたら筆箱忘れてるんじゃないかって思ったんだし……」
尻すぼみに言って、最後は強い口調を取り戻す。
「それに、テープに緑の絵具がついてたって、さっき自分で言ってたろ?」
「それがなに?」
「体育は四時間目。美術は五、六時間目。テープに緑の絵具がついていたのなら、触れたのは美術のあとってことになる。だから絶対、体育の前じゃないって言える。他の男子が着替えの時に女子の筆箱を見ていたってこともない。俺のことはいくら悪く言ったっていいからさ、他の奴らのことは信じてくれよ」
嘘を吐いている目じゃなかった。
何よりもテープに残った絵具が、シマの言うことが正しいと証明していた。
「わかった、信じる」
「よかったあ……」
シマは魂が抜けたみたいに椅子に腰を落として、机に溶けた。
「別に、シマを許したわけじゃないよ」
「そうだけどさ。俺ひとりのせいで、男子全員共謀論とか、しゃれんなんねーし。信じてくれてありがとう」
シマは首をもたげると情けなく笑って見せた。その顔に嘘も偽りもなくて、仲間の容疑が晴れて心底ほっとしたシマを見たら、なんだか憎めない奴だなと、思ってしまった。
「御礼を言われるところじゃないし。シマの友達を疑ってごめん。わたし、もう行くね」
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