第14話 『まさかまさかの新入部員』 その2
「そーいえばさ。お兄さんはいつも朝はやくに出るけど、朝練とかやってるの?」
夏海は向かい側で、色の良い卵焼きをハムッと口の中に入れると、可愛らしく顎を動かす。
対する俺は、鰹出汁が心地良いお椀から口を離すと、夏海を見る。
ちなみに、今日も今日とて、夏海の作ったアオサの味噌汁は、美味しかった。
「文芸部に朝練があるわけないだろ……逆に、あったとしたら何するんだよ」
「え、ん〜……みんなでお花愛でるとか?」
「それは園芸部だ」
「ふへへ」
そうやって、にへらと笑った夏海は、「じゃあさ」と、言葉を続けた。
「朝早くに何しに行ってるの? そんなに急がなくても遅刻しないよね?」
「まぁ、話せば長くなるんだが……完結に話せば、部活継続のための朝清掃、だな。部員が2人しかいないから、そういう約束になった」
すると夏海は「へー、それは大変だ」と言いながら、もう一つ、卵焼きを口に運ぶ。
その興味があるのか、ないのか分からない反応に、俺も小さく息を吐くと、お椀を傾ける。
「……ってことはさ、部活中、お兄さんと美也子ちゃんは、2人っきりなの?」
そんな声に、お椀をゆっくりと口から離す。
開けた視界の先では、どこか真剣そうな表情で、夏海はこちらを見ていた。
「まぁそうなるよな、必然的に」
「ふーん。それじゃ、朝も美也子ちゃんと2人っきりなんだ」
夏海は、少し不機嫌そうに言って、卵焼きを大きく頬張る。
一体彼女は何に怒っているのだろう。
そんな風に思っていると、彼女は言った。
「……今日はさ、私も朝、一緒に行くから」
「え? いや、いいよ。ちょっと掃除するだけだし、それに意外と暑いぞ?」
「いいの。てか別に、そう言う問題じゃないし」
そう言って、残っている白米と、味噌汁を一気に口に頬張った夏海。
食べ終わった食器をシンクへと運ぶその横顔は、やっぱりどこか不安とも、真剣とも取れるような表情をしている気がした。
「美也子ちゃん、こっちは終わったよぉ〜!」
そんな華奢な声が聞こえたのは、野球部の朝練の声がかすかに聞こえた校舎前。
オレンジ色の大きな塵取りに落ち葉やら、枝やらを乗せた夏海は、その綺麗な前髪を揺らしながら、こちらへと近づいてきた。
「うん。ありがとね夏海ちゃん、すごく助かっちゃった」
「いえいえ〜♪ 」
短い会話を交わし、お互いに笑顔を浮かべた2人。
そんな2人を見て、俺は安堵のため息を吐いた。
まぁ、やはりと言うか、必然というか。
夏海が急遽、朝清掃に参加するという事に対して、美也子からのツッコミは少なからずやあった。
なんで夏海が参加する話になったのか。とか、そもそも、なんで2人で登校してきたのか、とか。
とりあえず荒波を立てないよう、立ち寄ったコンビニで偶然会った。という事にしたが……。
まぁ、半分ぐらいは納得してくれた。という事でいいのだろう。
時々チクチクと刺さるような視線を向けられることはあったが、夏海のコミュニケーションスキルのおかげで、美也子もなんだか楽しそうだった。
すると美也子はこちらに顔を向け、小さくため息を吐く。
「夏海ちゃんは仕事も早くてテキパキしてて、ほんと、どっかの誰かさんにも見習って欲しいなー」
「確かに、夏海を見習って欲しいもんだ。うんうん」
そう俺は頷くと、周りを見渡す。そのどっかの誰かさんとやらはどこにいるのだろうか。
と、まぁ。そんなやりとりをしたあと、大きなビニール袋に集めたゴミを入れると、その口をキュッと結んだ。
そして、俺と美也子で使ったほうきや塵取りを持つ。
「それじゃ、最後は俺とコイツで片付けるから。ありがとな夏海」
「え、いいの? 私も最後までやるよ?」
「ううん。大丈夫だよ。むしろここまで手伝ってくれてありがとね」
そう、彼女に背中を向けて歩き出した。
しばらく足を進めると、横から美也子が言う。
「てかさ、アンタまた首掻きむしったの?」
横から伸びてきた指が、そっと俺の首筋を撫でて。
絆創膏越しの感触に思わずピクリとすると、俺は彼女から一歩離れる。
「まぁ、なんつーか……最近、うちの付近で蚊が大量発生してるらしくてな」
「ふーん。そうなんだ」
……。
「……なんだよ」
「いや、なんかそれにしては、前とほとんど同じ位置っていうか、そもそも絆創膏に血が滲んでないなーって」
なんだよこいつ、名探偵かよ。
「たぶん吸い付いた蚊が同じやつだったんだろ……てか、それ重いだろ、俺が持つよ」
やや誤魔化し紛れに、彼女の手からパンパンに膨れたビニール袋を抜き取る。
「なんか今、誤魔化されたような気がするんだけど……」
そんな風に、目を細めた美也子。だけど、すぐにふふっと鼻を鳴らすと、
「それじゃ、そのチリトリは私が持つね」
俺の左手に持っていたチリトリを抜き取り、華奢な体の前で抱えた。
その様子はまるで、プレゼントを買ってもらえた小さい子供のように見えて、
「……ふふっ」
思わず俺は鼻を鳴らしてしまった。
すると美也子は、こちらにぎろりと視線を向け、
「なんで今笑ったし」
と、俺の足をコツンと爪先で突くのであった。
なんとなく、お兄さんは私のことが好きなんだと思ってた。
……いや、それは言い過ぎかも。
天秤があったとしたら、『好き』の方に傾いているぐらい。
きっとそれぐらい。
でも、その傾きは、お姉ちゃんの次か、それと同じぐらいだと思ってた。
だけど。
「それじゃ、最後は俺とコイツで片付けるから。ありがとな夏海」
「ううん。大丈夫だよ。むしろここまで手伝ってくれてありがとね」
そう言って、私の手から塵取りや箒を抜き取って、離れていったお兄さんと、美也子ちゃん。
その2人の背中の距離は、私の思っている以上に近くて。
「なんか今、誤魔化されたような気がするんだけど……それじゃ、その塵取りは私が持つね」
「……ふふっ」
「なんで今笑ったし」
そんな風に自然な感じで笑い合う2人に、私は小さく舌打ちをする。
「……私の前で、イチャイチャすんなし」
上手く言えないけど、無性に悔しくて仕方がなかった。
いや、お兄さんが私以外の人と仲良くしていると、正直嫌なまである。
詰まるところ、私は嫉妬しているんだ。
昇降口の下駄箱の上に置いていた鞄を取ると、その足取りで私は職員室へと向かう。
職員室のドアを開けた瞬間の、もう染み付いてしまったような、インスタントコーヒーの香りを吸い込みながら、担任の先生の机の前で足を止めた。
「ん? どうした香坂。てか、さっき掃除してただろ、お疲れ様」
「はい、おはようございます……あの、入りたい部活決まったので、入部届ください」
すると、不思議そうな表情を浮かべながら、引き出しから一枚の紙を取り出した先生。
私はその紙を受け取ると、すぐに『文芸部』と書いて、先生に返した。
「文芸部って……ほんとにいいのか? 部員が足らなくて、廃部寸前の部活なのに」
「はい。そこがいいんです」
失礼しました、よろしくお願いします。
そう頭を下げて、先生の机を後にした私。
職員室の外に出て、教室に向かう途中。
また、お兄さんとその隣を歩く美也子ちゃんの背中が見えて。
私は足は、自ずと止まった。
「そ、粗茶ですが……」
そんな風に、美也子はアイスカフェオレ入りの、ガラスのコップを机に置く。
いや、なんだよそれ。
なんて、思わずツッコミを入れたくなってしまったが、小刻みに震える美也子の様子から、誇張とかではなく、本気で緊張している事が読み取れた。
放課後、旧校舎の図書準備室。
少し古い本の匂いがする部屋では、美也子と俺と、そして少し黄色がかった日光に照らされた、金色の髪の毛があった。
夏海は、苦笑を浮かべながら「ありがと美也子ちゃん。てか、そんなに緊張しなくてもいーよ」と、コップに口をつける。
刹那、ガラスのコップの水滴が机に落ちて、日光を反射させた。
「いや、しかし夏海が文芸部に入るなんてな。さすがの俺も驚いたわ」
「えー。私だって結構本、好きだったりするよ?」
ほら、この前発売したラノベとか。と、人差し指を立てた夏海。
まぁ、彼女がラノベをよく読んでいること自体は知っている。だって、まだコイツが受験生で、俺が手伝いで塾の講師をやっていた時。
俺たちの一番初めの接点はラノベだったから。
「まぁ。でも、文芸部っていうのは読むんじゃなくて、作る側の活動だ。それでも本当にいいのか?」
そこで息を切って、「正直、合わないと面白くないぞ」と付け加える。
書く側に回ってみてわかったことがある。それは、小説は誰かの反応がないと、思っている以上に辛いこと。そして、何よりも、1作品作るまでの労力が半端じゃないことだ。
すると向かい側に座る夏海は一瞬、美也子の方へと顔を向け、
「……うん。それでも入るよ。だって、色々と後悔したくないから」
再び、こちらに顔を戻すと、少しだけ微笑む。
上手く説明はできないのだが、その表情には、微笑みに混じって半分ほど、何か別の……。
プラスかマイナスかで言えば、マイナス寄りのものを感じた。
小さく息を吐いて、俺は口を開く。
「……そっか。まぁそれなら」
だが、その瞬間だった。
「……っ!」
そんな声にならないような悲鳴を上げたのは、向かい側に座る夏海で。
そして、そうなったに至る要因というのは。
「……夏海ちゃんっ! ようこそ文芸部へ!」
机に前のめりになり、夏海の手を両手で掴む、美也子だった。
「あ、あはは」と苦笑を浮かべる夏海に構わず、美也子はその華奢な手をブンブンと上下に振り続けた。
「もうほんっっっっっっとに入部してくれてありがとう! 私は絵が下手くそだし、遥灯は友達がいないし」
「おい」
「もう、そんな中でも一生懸命、ポスター作ったり、チラシ作ったりしてたんだけど、誰も入ってくれなくて……だから、私、本当に嬉しくて!」
と、言い切った瞬間、「遥灯!」と声を上げ、顔をこちらに向ける。
その勢いに、俺は思わずのけぞった。
「な、なんだよ」
「今日は早めに上がって、喫茶店で歓迎会!」
「え、やだよ。今日は家に帰ってゆっくりと……って、いててて!」
「ん〜っ!」
頬を膨らませながら、俺の腕をつねる美也子。
きっと、その様子から俺が行くと言うまで絶対に離さないのだろう。
「わかった、わかったから。行くよ歓迎会」
「え、くるの? まぁ、遥灯がそう言うなら、別にきてもいいけど」
「なんだお前」
と、そんな会話をしているうちに、いつの間にか置き去りにしてしまってしまった夏海が、「あはは」と、苦笑する。
そんな彼女に美也子は顔を向けた。
「ってことで急なんだけど、夏海ちゃんは来る? まぁ、夏海ちゃんが来ないと本末転倒になっちゃうんだけど……あはは」
「すまんな、もし何か用があったら無理しなくていいから」
俺がそういうと、また少し困ったように笑った夏海。
そして、一瞬小さく息を吐くと。
「……じゃあ、私も行こうかな」
そう、つぶやいた。
「やったぁ! それじゃ、今日はこれで終わりにして……早く行こう!」
嬉しそうに飛び跳ねる美也子。
それを横目に、ふと夏海を見ると。
「……」
なぜか、浮かない顔をしているような気がした。
カノジョにフラれた俺、翌日から元カノの妹に懐かれる。 あげもち @saku24919
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