箱、開けて
森陰五十鈴
中身はなんでしょう
その神社の階段を上がった先の参道は、左右に楓の木が植えられていた。平らに
とはいえ、鳥居を潜ってしまった以上引き返すのも気まずく、千景は黒のワンピースの裾を翻して人混みを掻き分けていく。人の多さに反して手水は
石畳を外れ、白い玉砂利を踏みしめて、境内の隅に行く。参道から見ると御神木の影に当たる場所に、石でできたベンチがあった。そこに腰掛け、一息吐く。が、すぐに不快に眉を顰めた。参拝客のはしゃぎ声は、人が
やはり帰ろうか。腰を浮かしかけたとき、ふとこちらに近づいてくる影に気がついた。白い着物に浅葱色の袴を纏った、角刈りの中年男性。
権禰宜は千景の前まで来ると、笑みを貼り付けた細い目で彼女を見下ろした。
「よろしければ、如何ですか?」
千景は首を傾げた。差し出されたのは、その銀の箱だ。アルミでできたそれは、如何にもおせんべいやクッキーが入っていそうな、厚みのある正方形の缶だった。お菓子を勧められたのかと思ったが、蓋はぴったりと閉ざされていて、中身が見えない。結局意図が分からず、千景は権禰宜を見上げた。
「どうぞ」
権禰宜は千景に箱を押し付けた。仕方なく箱ごと受け取る。
箱は、存外ずっしりと重かった。何かがみっちりと詰められている重みに、千景は膝の上に箱を落としかけた。
両手で箱を押さえつけながら権禰宜を見上げると、彼はやはり糸目を細めて千景を促した。
「開けてください」
千景は蓋に手をかけた。左手で箱を抱えて、蓋の縁に右手の指をかける。そのまま一ミリほど浮かしたところで、ふと千景は手を止めた。陽光を弾く銀の蓋。薄っぺらいそれを、中を見透かすように凝視する。
何も、視えない、が。
千景は蓋から手を離した。権禰宜を見上げれば、驚いたように箱を見つめている。そんな彼に千景は問いかけた。
「何が入っているの?」
「それは、開ければ分かりますよ」
権禰宜は再び笑みを貼り付けて答える。
千景は膝から箱を浮かせた。相変わらず重い。両手にずっしりと重みが加わる。少し傾けて見るが、中身が動いている様子はない。やはり何かがみっちりと詰められている。
「……振っても?」
尋ねると、権禰宜は細い目をまんまるに見開いた。
「駄目ですよ! 乱暴なことをしたら、可哀想じゃないですか!」
可哀想。
決定的な表現に、千景は箱を開ける気を失くした。
じとっと権禰宜を見上げると、彼は一向に蓋を開けようとしない千景に焦りを覚えたようだった。
「ほら、早く開けましょう?」
急かす権禰宜を無視して、千景は箱に頭を近づけた。息を潜め、耳を澄ます。重い箱は、口を噤んだままだった。生き物が入っている可能性はなさそうだ、と頭を上げかけたとき。
――コンコン。
内側からアルミの蓋が叩かれた。握り込んだ指の関節で、そっと二回、窺うようなノック。
遠慮がちなそれは、周囲の喧騒に紛れてしまいそうなほど微かなものだったが、箱に手を当てている千景には確かに箱が叩かれた衝撃を感じられた。
「さあ」
――コンコン。
先程よりも強く、蓋が叩かれる。開けろ、と無言で訴えかける。
千景は箱を持ち上げた。眉を顰め、唇を引き結び、焦りと苛立ちを人の好さそうな顔に浮かべた権禰宜に差し出す。
「返すわ」
権禰宜の太い眉が垂れた。
「そんな」
権禰宜はだらりと両脇に手を下ろしたまま、受け取ろうとしない。
このままでは埒が明かないと判断した千景は、立ち上がった。ベンチに箱を置く。すると権禰宜は慌てて箱を拾い上げて、もう一度千景に差し出した。
「開けましょうよぉ」
縋るような権禰宜に醒めた眼差しを投げ、千景は踵を返した。
開けましょうよ、開けてくださいよ。権禰宜の声が追い掛ける。しかし千景は気に掛けることなく、紅葉を揺らす風のように境内を去っていった。
家に帰った千景は目を
炬燵の周りには、誰もいない。テレビも消されている。
不気味な沈黙を湛える箱の存在に、千景は障子ガラスに手をかけたまま、立ち竦む。
「おかえり、千景ちゃん」
背後からお手洗いに行っていたらしい祖母が声を掛けてきた。立ち竦んだままの孫娘に小首を傾げると、わずかに腰を曲げて千景の横を通り過ぎ、居間に入っていく。
「お入りなさいな。炬燵、温まってるよ」
祖母は千景を先導するように炬燵へと向かい、途中で「あっ」と顔を上げて行き先を変えた。足向ける先は、
「お茶を淹れるからねぇ、おやつにしよう」
朗らかな声を上げて、祖母は珠暖簾の向こうに消えていく。
祖母が茶葉を急須に入れている音を聞きながら、千景はそろりと畳を踏みしめ、炬燵の一辺に正座した。外光を弾く缶の箱に相対する。蓋はぴったりと閉じられて、何が入っているのか分かりやしない。
膝立ちになって、そろりと白い手を伸ばす。
指先が、冷たい箱の肌に触れる。
「おせんべい、好きなのを食べな」
珠暖簾を潜ってこちらへと姿を現した祖母に、千景は振り向く。祖母は急須を握りしめながらにこにことして、台に載せた電気ポットの前に立った。曖昧に頷いて、箱に目を戻す。
蓋に手をかけ、そっと持ち上げる。
軽さもあってすんなりと開いた箱の中には、緩衝材に包まれて敷き詰められた、個包装の
「さっきねぇ、お客さんが来て――」
湯呑に緑茶を入れながら、祖母はのんきに箱の由来を語り出す。
なんとも平和なその話を聴きながら、千景は人知れず、ほう、と溜め息を漏らした。
箱、開けて 森陰五十鈴 @morisuzu
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