お稲荷さんちのアライグマ

右中桂示

アライグマとキツネ

 静かな鎮守の森にかすかな金属音が響く。

 稲荷神社の一角に箱罠が仕掛けられており、中ではアライグマがかかっていた。


「ようやく捕まえました……!」


 白衣に袴、神職らしき男性が喜色もあらわに罠へ駆け寄る。若く整った美形だが妙に苦労がにじんでいた。

 臆せず箱罠からアライグマを引っ張り出し、毛並みを見て少し考え、鋭い目を向ける。


「……ふむ、では『薄墨』としましょう」


 それは命名であり儀式。

 途端、アライグマに変化が起こる。


 姿が消え、代わりに現れたのは人間の女子だ。

 元の毛並みと同じ灰色の髪はゆるいふわふわとしたショート。瞳はココアブラウン。

 服装はカーディガンにショートパンツ、スニーカーというラフなもの。

 アライグマ特有の縞模様の尻尾だけはそのままだった。

 彼女は自身の体をあちこち見回して呟く。


「わ。なにこれ」


 その自分が出した声にも戸惑ったか口を押さえ、それから手の匂いを嗅ぎ、更に混乱を深めていく。

 そんな彼女の態度にも構わず、男性は冷たく語りかける。


「あなた達アライグマには随分と社殿を荒されました。なのであなたには修繕費分働いてもらいます」


 静かな怒りを感じる宣告。

 被害を受けた神社からすれば当然と言える要求ではあるだろうか。

 しかし動物にそんな都合は関係ない。薄墨と名付けられたアライグマは口を尖らせて不満を吐く。


「えー。やだ。あたし人間の事情なんて知らないもん」

「これは温情ですよ。嫌なら役所に連絡して引き取ってもらってもいいんです」

「なにそれ。働かなくていいならそっちがいい」

「本当ですか? 殺処分ですよ?」


 一瞬時が止まったかのよう。

 そして薄墨はつぶらな瞳で睨む。


「ひどい。おのれ人間めぇ……」

「いえ、私も人間ではありませんよ」


 思いもよらぬ方向から男性は抗議を否定した。

 次いで瞬時に変化。黄色のフサフサした狐の耳と尻尾が出現した。

 目を見張った顔がぽかんと見つめる。


「わ。キツネだぁ……」

「稲荷神の神使です」


 納得された事でまた人間の姿に戻り、淡々と言葉を重ねていく。


「この神社は人間だけでなく我々にとっても大切な場所。動物のやる事だといっても見過ごす訳にはいかないのですよ」

「むむ……」


 相手も動物では話が変わってしまう。

 それ以上に、本能的に敵わない、と感じ取っていた。大人しく従うしかないと不機嫌そうに頬を膨らませる。


 神使は満足した風に頷き、しかし薄墨の姿を改めて眺めると眉根を寄せた。


「服装が少しカジュアル過ぎますね。あなた、なにか思い入れがあるのですか?」

「見た事あるかも。……うん、そういえばこの格好の人間に食べ物もらった気がする」

「外来種に餌付けする者がいるとは嘆かわしい……っ! ……まあ注意喚起は後日するとして、とりあえず尻尾も含めて大人しい格好になってもいましょうか」


 薄墨の頭へ手をかざす。

 しかし何も起きない。しばらく気まずい沈黙が続いた。

 神使は悔しげに唸る。


「くっ。稲荷神からお借り出来る神力が足りません……。参拝者も年々減ってきていますし……やはり社殿の汚損も影響が……」

「なんかキツネも大変そうだね」

「だからあなた達のせいでもあるんですよっっ!!」


 声を荒らげて爆発。余程鬱憤が溜まっていたのか、雰囲気にそぐわない大声と表情が凄まじかった。

 薄墨は知った事ではないと平然と受け流していたが。


 こほん。一度心を落ち着けてから神使は話を進める。


「仕方がありません。この方が動きやすくていいでしょうし……さ、まずは畳につけた足跡を綺麗にしてもらいましょうか」


 にこやかに室内を指し示す。

 その先にはアライグマの足跡がくっきり残っている。

 それを掃除する苦労を、薄墨はまだ知らなかった。




 慣れない体で掃除に励むと、すぐに薄墨は疲労困憊となった。

 畳を綺麗にし、改めて乾拭き。

 屋根裏にも仲間が侵入した跡があったのでピカピカに磨く。

 手水舎で水をバシャバシャとぶちまけて怒られ、賽銭箱に手を突っ込んで叱られる。

 穴の空いた壁は業者が来るまでの応急処置。

 祭りが近いからと準備を手伝い、その他の雑事も山程。

 神使の隙をついて逃げようとしてもすぐに捕まる。

 文句を言いながら渋々とこなしていけば、あっという間に夕方になっていた。




「つかれたあ」


 薄墨は社務所にぐでんと横たわる。なんとかやり遂げた達成感はなく、ただただしんどいと身を投げ出していた。

 そこを神使が穏やかに注意する。


「いけませんよ。女の子がそんなだらしない姿勢をしては」

「あたし人間じゃないもん」

「神社で働くのならば気品は必要です」

「でももう終わりでしょ?」

「いいえ。たった一日では修繕費にはとても足りません」

「えー」


 ぶーぶーと寝たまま不満をぶつける。


 しかし良い匂いがするのに気付くとガバっと顔を上げた。

 神使が持つ重箱からだ。

 興味を引かれて尋ねる。


「なにその箱」

「ふふっ。気になりますか。これは稲荷寿司というものです」


 重箱の中には稲荷寿司が詰まっていた。

 よく分からないがとにかく食べ物。薄墨は目を輝かせ、飛びつこうとしたところを強めにたしなめられた。

 ちゃんと座った後で丁寧に渡されて、一つ噛じる。


「美味しい」


 目を見張って感想をこぼす。

 そして行儀は悪いが次々と手に取っていく。今度は温かく見守られた。


「そうでしょう。そうでしょう。いや全く以って絶品です」


 神使も美しい所作で味わえば、至福の表情。美形と相まって人を虜にするような妖艶な雰囲気を醸し出している。

 が、アライグマはなんとも思わない。稲荷寿司に夢中だった。


 すぐに二人で重箱いっぱいの稲荷寿司を平らげてしまう。


「満足したましたか? 野生に帰ればなかなか味わえませんよ。どうです、働き甲斐が出てきたでしょう」

「むう」


 薄墨は心を動かされていた。

 自由に遊んでいたいが、食べ物は魅力的だ。最大の欲求でもあり、抗い難い。

 ただ、迷った後に違う物を要求する。


「ならアレがいい。箱に入ってたいいにおいのやつ。コレも美味しいけどアレが好き」


 彼女がかかった箱罠にはキャラメル味のスナック菓子が入れてあった。油分を好むアライグマにはうってつけだと罠への使用に推奨されている物だ。

 人の姿、人の味覚となっても、好物は変わらないらしい。


「……アメリカ出身のジャンキーな味覚には稲荷寿司の良さは理解出来ませんか」


 神使はこの日一度の不満げな顔をしていた。己の好物に絶対の自信を持っていたのだろう。非常に残念そうだった。


 気を取り直して、餌で釣る。


「まあいいでしょう。ちゃんと働いてくれるのならそのお菓子をこの箱いっぱいにして差し上げますよ」

「ホント? そんなにたくさん?」

「ええ。約束は違えません。ちゃんと働いてくれるのなら毎日でも」


 その報酬に薄墨の心は完全に傾いた。


「……じゃあ、頑張る」

「はい。よろしくお願いします」


 両者は笑顔で言葉を交わす。

 騒がしく賑やかな、新たな生活の始まりだった。

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お稲荷さんちのアライグマ 右中桂示 @miginaka

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