@ns_ky_20151225

 老人は世界を変えようとした。王は民から貪り、民は向上への努力を忘れている。だから努力した。王に諫言し、民に教育を施そうとあちこちで何度も機会を提供したのに、王には身分をわきまえぬと疎んじられ、民は世界の仕組みより明日の麦粥が大切だと石を投げる。

 いまは身を隠すのが精いっぱい。こうして国のはずれの洞窟でひっそりと死ぬのを待っている。いや、ひっそりではなかった。召使いゴーレムががちゃがちゃしている。

 しかし、隠棲するのはいいが、この世になにも残していないのが心残りだった。はるか昔の黄金時代の魔術師のように優れた術式や世界の仕組みを記した大著を置いていければいいのだが、今のままでは肥やしになるだけだ。存在が消え去ってしまう。分かっていたとはいえ今さらのようにそれが恐ろしくなってきた。

 なにかしなければ。世界のために。人々は私を拒否したが、私は世界を見捨てない。残り少ない日々を世界の研究にのみ費やそう。一世一代の大魔術を完成させる。世の仕組みを変えてしまうような。それが生きた証だ。

「なにをなさるのですか」 いつの間にか声に出してつぶやいていたらしい。召使いゴーレムが聞いてきた。自分の意志を持たず、動くたびにうるさいが、指示さえ誤りなければ結構細かい作業も任せておけた。

「研究だ。新しい研究。場所を開けろ」

 ゴーレムはいっそう騒音を立てて研究室を掃除した。それでも本や試薬、瓶や壺の扱いは決して間違えない。こうなるまで仕込むには苦労した。

 部屋が片付くと、魔法使いは研究を始めた。なにを究めるかはもう決まっていた。世界がなんであるか。それをはっきりさせる。そして思うままに操作する。歴史上誰も成し遂げたことのない偉業になるだろう。この世を文字通り作り変えるのだ。

 魔法使いの研究は続いた。健康などという些事はほうっておけばいい。命のすべてを燃料にした。暦が一巡りし、もう寝床から起き上がることも出来なくなった時、小さな箱が出来上がった。手のひらに乗るくらいの立方体。

 かすれる声でゴーレムを呼ぶ。

「なんでしょうか」

「確認するぞ。月が昇ったらどうすればいいか分かってるな」

「はい。教えられた呪文を唱えます。ここで」

「それでいい」

 満足げに目を閉じた。ゴーレムは枕もとでじっと立っていた。もう動かないので音も立てない。静けさの中、月が気をかきわけて天を移動する軋みが聞こえてきた。石の口から呪文が発せられ、中天に達する頃唱え終わった。

 魔法が発動した。世界のすべてが折りたたまれていく。老魔法使いはこの世から魔法をすべて消すつもりだった。魔法のない世界では人々は自分の力だけで生きていかなくてはならない。それはつらいし、一人だけじゃなくみんなで助け合わなければ自然の猛威に立ち向かえないだろう。でも、それがいいのだ。みんながお互いを頼りにする新しい世界はおだやかで平和なものになるだろう。そうしなければ生きていけない。他人を尊重し、常に知識を追い求め、分け与える世界。だれもずるなんかできない。助けてほしければ助けなければならないからだ。新しい世界は優しさと知恵に満ちあふれたものになるだろう。

 もちろんだが、魔法を消すと言っても有るものを無くせはしない。魔力の総量は保存される。だが、魔法使いの魂と霊をかけた呪文は宇宙を折りたたみ、裏返している。枕もとの小さい箱の中には魔法のない世界が作られていた。その箱の内と外を入れ替える。ゆえに魔力の総量は変わらない。それが最後の呪文だった。

 この世のすべての魂を持つ生き物の肉体は滅び、記憶を失った魂だけが新しい世界に転生する。呪文に霊魂を懸けた魔法使いを除いて。

 ゴーレムはもちろん自分の崩壊を認識できなかったが、最後の一瞬、箱の色が変わっていくのを見た。内側が外側になったのだった。

 新しい世界に新しい太陽が昇ってきた。魔法のないただの日光だった。目覚めた小鳥の鳴き声、ねぐらを出る動物たち、そして、まだ野獣のような原始的な人の小さな群れが水を飲みに丘を下って行った。


 裏返った箱はゴーレムだった残骸にくるまれ、地中深く静かに眠っている。


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