令和六年、桐の小箱
大田康湖
令和六年、桐の小箱
令和六年三月八日。春の雪が東京に降った朝、久しぶりに息子の
『喫茶店の名前は「リッチ」。昭和時代からあるクレープとコーヒーの店で、
「陽光原市」という名前を聞き、私は驚いた。今日届いたハガキにその住所が載っていたのだ。
『
亡き義叔父、
私にとって横澤康史郎は、父方、母方とは別のもう一人の祖父である。そのことを知ったのは、私が小学校六年生の時だった。
小学校の卒業アルバムに自分史を載せることになり、先生から昔の写真や思い出の品を持ってくるよう言われた私は、アルバムから昔の写真を数枚持ってきた。しかし、赤ん坊の自分と母の
しかし、私の持ってきた写真を見た友人の
「お前、本当はもらいっ子じゃないか」
「何言ってんだ、ここに母さんと僕が映ってるだろ」
私は写真を指さして反論する。
「だったら家にへその緒の入った箱があるはずだよ。桐の小さい箱に入ってる。俺は見せてもらったよ」
「分かったよ、家で探してくる」
私は南海夫に宣言した。
帰宅した私は、母が三歳の妹、
(僕が見たことがないってことは、きっと奥の方にしまわれてるんだ)
そう思ってタンスの引き出しをあさったが、それらしい物はない。私は椅子を持ってきて、手の届かない上の棚に手を伸ばした。すると、上から裁縫箱くらいの大きさの桐箱が落ちてきた。落ちた拍子に箱が開き、中身が畳に飛び散る。そこにはマッチ箱サイズの桐の小箱と母子手帳、私が見たことがない写真、そして一通の手紙が入っていた。
桐の小箱の中には、干からびた何かの切れ端が脱脂綿に包まれて入っている。これがへその緒なのだろう。そして、箱には名前が書かれていた。
「
「坂」というのは母の結婚前の名字だ。どうして「鳥居」ではないのか。さらに母子手帳を見ると母の名前は記載されているが、父の名前の記載はない。そして、写真の中にはセーラー服姿で微笑む母と学生服姿の男の子、病室らしき場所で私を抱いた母と、見覚えのない男女が映っている。
さらなる手がかりを求めて、私は手紙を封筒から取り出し読み始めた。差出人は「
「広希」
悲しげな声にふり返ると、妹の手を握ったままの母が立ちすくんでいる。
「あなたはそんなことする子じゃないと思ってたのに」
母の目から涙が溢れていた。
父が帰宅した後、私は改めて両親から、実の父である
「でもね、広希は道也さんをすぐに『パパ』と呼んで仲良くなったから、安心したの。佳枝のこともあるし、本当のことは広希が大人になってから話そうとお父さんと決めてたのよ」
母は写真を指さしながら言った。
「この学生服の男の子が横澤一希君。そして、私の後ろにいるのが一希君のお父さんの康史郎さんとお母さんの柳子さんよ。あなたにとってはおじいさんとおばあさんね」
「一希君がいなかったら、君はこの世に生まれてこなかった。そして迷子になった君を私が助けたことがきっかけで、母さんと結婚することもなかっただろう」
父は私を見つめると頭を下げた。
「私はこれからもずっと、君のお父さんでいたいんだ。どうかお母さんを許してやってくれないか」
「分かったよ」
私はそう答えるしかなかった。
翌日、登校した私は南海夫に明るく呼びかけた。
「へその緒、見つけたぞ」
「なあんだ、もらいっ子じゃなかったんだ」
南海夫は私の肩を叩く。だが、私は知らなくてもいいことを知ってしまったことを密かに後悔していた。
成人後、私は母から桐の箱を譲り受けた。その後、祖母の柳子さんが亡くなり、去年の四月五日に康史郎さんも亡くなったのだ。遺言書にはたった一人の孫として私の名前が書かれており、私は初めて横澤家の親戚と顔合わせをした。そして形見分けとして、母が毎年送っていたという私の写真のアルバムをいただいた。
『広希はもう鳥居家の人間なので迷惑は掛けたくない。息子の名前を引き付いでくれただけで十分だ』
遺言状に書かれていた祖父の言葉は、私の心に強く残った。
(翔ももう大人だし、そろそろもう一人の父の話をしてもいいだろう。今度母さんを誘って三人で陽光原へお墓参りに行こうか)
私はそう思いながら、返信用ハガキの「出席します」に丸を付けた。
おわり
令和六年、桐の小箱 大田康湖 @ootayasuko
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