心箱

芽春

閉じておけ

数ヶ月前、突然僕の頭が狂った。


理由も原因も分からないが、

たまに人の頭が箱に置き換わって見えるようになったのだ。


箱頭と普通の人の割合は五分五分くらい。

変わった人とそれ以外の違いは分からない。


箱の見た目は人によって違うが、

「チャポン」という水音のようなものが聞こえる事は共通している。


「この書類にサインをお願いします」

「はい。分かりました」


口も無いのに声はちゃんと発してくる。

最初こそ驚いたが、なんだかんだ慣れてしまった。


「君さぁ……昨日も一昨日も私教えたよね?

なんで出来ないの?」

チャポン

「すみません」

「謝罪じゃなくてさ。出来ない理由を聞いてるのよ?」

チャポンチャポン

「すみません」

「はぁー……もういいよ。

やる気無いから覚えないし出来ないんでしょ? 帰れよ」

カタカタカタ……チャポン。

「すみません、やらせてください」

「あっそ、じゃあ適当にやっといて」


最近気づいたのだが、水音が鳴るのには条件が有るようだ。

今のパワハラの様にストレスがかかると水音が激しくなる。

お陰で満員電車などは耳栓が無いとうるさくてうるさくて耐えられない。


「相変わらずだな⬛︎⬛︎さん……」


頭がおかしくなる前からあの御局様は嫌いだった。

なぜなら、彼女が言葉を発する度に職場の雰囲気が悪化するからだ。


チャポンチャポンチャポン……


職場全体からストレスを示す水音のオーケストラが響く。


「すみません、ちょっとトイレ行ってきます」


ここに居たら耳がおかしくなる。

僕は適当な理由で静かな場所に逃げる事にした。


「僕は普通のままだけど、うちの職場は箱頭が多いんだよな……」


洗面所の鏡に写るのは不機嫌そうな僕の顔。

どうしてみんなあんな風になってしまったんだ?

ため息をつきながら、トイレから出る。


「はい……はい……えっ! そんな、嘘でしょ?

あの子が自分で拒否したから? 来週の面会は無しって……」


職場に戻ろうとすると、廊下であの御局様が電話をしているのを見つけた。

ちょうどいい、ちょっと注意しておこう。


「⬛︎⬛︎さん。ちょっといいですか?」

「なんでしょうか?」

「さっきみたいなのは辞めてもらっていいですかね?

最近は世間もそういうのに敏感ですし……」


チャポン。


「……なによ、新人に教育するのは私の役割でしょう?」

「そうなんですけど、パワハラだと言う訴えも結構来てて……

このままだと⬛︎⬛︎さんを雇用し続けるのも会社に

リスクが生まれてしまいますから」


個人的にストレスを受けた恨みもあり、つい意地悪な言い方をしてしまった。

これは完全な間違いで、もっと気をつけるべきだったのだと、僕は後に思う。


「それはつまり……私がクビになるということ?」

「はい、そうなってもおかしくない状況で――――」

「ふざっけんじゃないわよ!!!」


怒鳴り声を挙げた彼女は僕の胸ぐらを掴む。

あまりの剣幕に僕は抵抗が出来ない。


「あんたまで……あんた達まで私を必要無いって言うの!!?」

グシャッ


捲し立てる彼女の箱が、踏み潰されたかのようにひしゃげた。

そして、潰れた箱の隙間から水音を鳴らしていた液体が飛び出し、

僕の胸元にかかった。


「熱っ!?」


液体は硫酸みたいに僕の胸を焼いた。

猛烈な熱と痛みに意識が遠のいていく。


「私は……」


意識が途切れる前に見たのは、

箱の中身を空っぽにして膝を着く御局の姿だった。



「……」

「あっ!? 先生! 目を覚ましました!」


病院で目を覚ますと、看護師が医者を呼びに言った。


「いいですか。あなたは数日前会社で女性に刺されたんですよ」


そんな記憶は無かったが、確かに僕の胸には穴が空いている。


混乱していると見知らぬ見舞い客が病室に来た。


「この度はご迷惑をおかけして……」


彼は御局の旦那だと名乗った。


あの女は昔からああいう性格で家庭内でもトラブルが絶えず、

当然のように離婚となり親権も旦那に渡ったらしい。


それで離婚を機に頭を冷やす……

なんて事にはならずますます悪化したのだとか。


「どうも自分抜きで家庭が保たれる事実に耐えられなかったようです」


なるほどだからクビを匂わせた時にああなったのか。

必要とされなくなる経験が余程トラウマだったんだな。

と、僕はそんな風に納得した。


誰だって心の奥に仕舞っているものはあるだろう。

それを不用意に刺激すれば、溢れ出て他人を傷つける。


僕みたいになりたくなければ、

心の箱をこじ開ける様な行動はやめておいた方がいい。


僕が体験した、あの液体に胸を焼かれた感覚は幻覚だったのか?

結局何も分からない。


「よう、災難だったな」


元旦那が去った後、次に見舞いに来たのは同僚だった。


「今会社じゃ大騒ぎになってるんだぜ?

お前は刺されたし、死人も出るし」

「死人?」

「まだ聞いてなかったのか? あいつ屋上から飛び降りたんだよ」

「えっ」


⬛︎⬛︎さんは頭から真っ逆さまに飛び降りて、

頭の潰れた遺体となって発見されたらしい。


……そういえば僕の目の前で彼女の箱頭は潰れていた。

アレはその暗示だとでも言うのか?


「ま、騒ぎは俺らで何とかするからさ。

お前はゆっくり休めよ」

「あ、ああ……」


上手く返事が出来なかった。

同僚が去った後、静かな病室で胸の動悸がうるさい。

僕のせいじゃない。


「すいません」

「はいっ」

「警察の者ですがちょっとお話よろしいでしょうか?」

「……構いません」


同僚と入れ替わりで刑事が病室に入ってきた。


「先日、⬛︎⬛︎さんと何があったのでしょうか」

「…………僕は何もしてません。

あの人がいきなり激昂して、近くにいた僕を刺した。それだけです」


チャポン。


「何もしてない」そう嘘をついた瞬間、僕の頭の中に水音が響いた。


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心箱 芽春 @1201tamago

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