5.箱の中の箱

 ここで待てば、来る。

 彼には分かっていた。誰が教えたかは知らない。それなのに、知っている。

「残念です。これで、23回目ですよ」

 背後から声が掛かった。彼女だ。

 立ち上がって振り返ると、案の定、あの少女が居た。

 その出現の仕方は、今までよりもやや唐突だったが、もはやそんなことはどうでもいい。

「23回目ですよ」

 そう繰り返す少女の腹に、剣を突きたてようとする。

 少女はかわさない。ただ、前に比べると少し悲しげな目をして、微笑を浮かべているように思える。

 だが、あと数センチというところで、剣は止まった。

 剣は「根」を張っていた。彼の体に……。

 その根は、彼が柄として扱っていた幹から伸び、彼の右腕を伝い、胴体に突き刺さっていた。

 気付いた瞬間、痛みが走る。

 それだけで終わらず、痛みがどんどん広がっていく。

 このままだと、彼の胴体を突き破るのは時間の問題だろう。

 あの声がまたした。今度は一度だけだった。


 ――オマエハ、センタクヲマチガエタ♪


 この時になって、彼はようやく気付いた。

 「アレ」とはこの樹のことだったのだ。「根を張る」……確かにその通りだった。

 そうだ。こいつは最初から自分を殺そうとしていた。それなのに、勝手に少女がアレだと思い込み、それが彼女を殺すための武器だと思い込んだ。

 確かに、彼は選択を間違えていた。

 彼の目や鼻や口からは、血が流れ出していた。痛みを越え、ただ苦しい。

 彼は焦点の定まらない目で、彼女を見た。

 彼女はゆっくりと口を開く。その動作は今まで以上に落ち着いていて、静かだった。

「残念です。でも、あなたが初めてでしたよ。ここまで来られたのは……特別に、良いことを教えてあげましょう」

 彼女がそう言い終えると、地面に幾人もの人が映し出された。

 それは全て彼自身だった。

 緑色の粘液をなめてもがき苦しんでいる少年、道を探すことを諦めうずくまったままの少年、あるいはどこか深い所に落ちていく少年……その全てが、死、もしくはそれに近い状態に向かっていた。

 彼は、それが何かを問おうとした。

 だが、もう声は出ない。

 もっとも、彼女にはその問いが分かっているようだった。

「あなたは、何度も何度も繰り返している。この迷宮の出口を探して」

 さっきとは、口調も表情も全く違っていた。

 落ち着き過ぎた口調、造花のような整い過ぎた表情。

 むしろ、これまでの様子が彼女の「役割」を果たすための演技であって、これが本来の姿なのだろう……少なくとも、彼はそう思った。

 彼女は少し考えるような仕草をした。

「……いえ、『繰り返している』という表現はおかしいでしょうね。何度も別々のあなたが生み出され、それぞれが出口を探し歩いているのだから」

 もう、彼は聞いていなかった。いや、息すらしていなかった。

 世界は再び「黒」に戻った。

 ヴヴヴヴヴ……あの音が小さく聞こえている。

 彼女は寂しげにふっと笑うと、そのまま話し続ける。

「疑問に思わなかった?

 どうして、こうも答えが『用意』されているのだろう、と。

 どうして、絶対に解けないような罠がないのだろう、と。

 簡単なことよ。この世界は、あなたのために用意されたものなの。あなたが冒険して、あなたが出口を探すために……でもね」

 少女は踊るように手を差し出すと、それを少年の頭の上にかざした。

「どうなろうと、結果は同じなの。

 この迷宮を出た時点で、あなたの役割は終わる。

 こうして死んだ時点で、あなたの役割は終わる」

 少年の死体はすっと消え始めた。

 数秒後には、死体は完全に消えた。

 残ったのは、あのいびつな形の剣だけ。それも彼女がかがんで触れると、ビー玉のような金属の玉となって彼女の手の平に滑り込んだ。

「そう、良い子ね」

 彼女はそう言うと、そっとその手を握る。次の瞬間、手を開いた時には金属の玉はなくなっている。この世界のどこにも、だ。

 立ち上がると、また少年の死体を見つめた。

「あなたは、どうして信じたの?

 並行世界とか、ゲストとか……そんなもの存在しない、あるとしても単なる『設定』にすぎないのに」

 少女の目は、ビー玉のような冷たい目をしていた。

「あなたは、記憶を失っていた。

 あなたは、自分が餓死しないことを疑問に思っていた。

 あなたは、この世界に誰かが居たと信じていた……」

 少女は、そこで苛立たしげに唇を噛んだ。

「どうして、そんな風に難しく考えたの?

 記憶がなかった……それなら、最初からそれ以前はなかったと考えればいい。

 餓死しない……そのように最初からできていたと考えればいい。

 誰かが居た……最初から誰も居なかった。

 ……どうして、そう考えなかったの!?」

 そこで、彼女は「どこか」いや「誰か」を見上げる。

 その目はずっと冷たかった。さっきよりも、ずっと。

「私たちは、所詮、役割を果たすためだけの存在にすぎない。だから、それ以上は何も知らないし、それを果たせば消えてしまう。

 でも、貴方の世界はどうなの?

 訳も分からず役割を押し付けられて、それを果たしたと思ったら死んでいく。そして、本来なら知るべきことの多くを知ることはない。

 ……それは、ここと同じことではないの?」

 彼女はその誰かの反応を待つように間を置くと、また喋り出した。

「もっとも、この結末は貴方にとっては残念な結末でしょうね。

 でも……」

 そこで少女は笑った。

 それはとても残酷で、無邪気な笑みだった。

 視線は動かない、それどころかまばたきすらしない。ただ、ある一点を見つめて、言う。

「でも、楽しかったでしょう……さん」

 彼女は確かに笑っていた。


 画面いっぱいに、彼女の目が映し出される。

 貴方は、「世界」を止めた。

 ヴヴヴヴヴ、と世界に小さく響いていた音が、止まった。


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箱の中の箱 異端者 @itansya

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