コバコ

「……この店か?」

 薄闇に溶け込むような建物を胡散臭そうに睨む。

 ここは骨董店らしい。

 らしい、というにはそれなりに理由がある。来たくて来た店だが元々知っていたわけではない。正確な店名は分からない。何故なら、店名が書いてあるべき看板は煤け、挙句何の植物かも分からない蔦っぽい物で覆われている為だ。

 では何故、明け方近くにおれはこんな妙な店の前に突っ立っているのか。理由は昨日の深夜に入った立ち飲み屋まで遡る。


 ⬛︎


 昨日は仕事終わりに一軒目・二軒目と後輩を連れ回していた。ベロベロに酔った後輩をタクシーに放り込んだら、すっかり酔いが覚めてしまった。このまま帰ったところで、おれを待ってる人もなし。実につまらない。

 そこで、一人で飲み直そうと近くにあった立ち飲み屋に飛び込んだ。小汚い……もとい、いい具合に草臥れたビニールカーテンを潜ると、もわりとした、出汁のあったかくていい匂いがおれを迎えた。

 上機嫌でレモンサワーとおでんをいくつか頼み、いそいそとビール箱にベニアを乗せただけのテーブルへと移動する。狭い店だ。遅い時間にも関わらず、客はそこそこいて、完全に空いている卓は無かった。構わず相席をさせてもらう。上機嫌で酒とおでんをいただいているときに、ふと隣に立つ男が気になった。

 理由は大したことじゃあない。

 何となく薄汚れた風貌の男の手に、およそ似合わない可憐な小箱が握られていたからだ。

「失礼。その手に持っているのは何ですか?」

 深夜と酒の勢いで聞いてみた。

 すると、何やら含みのある笑みを口の端に乗せて、男はぼそりと応えた。

「……コビトの入ったコバコだよ」

 それは男の掌に収まりそうな大きさで、指の隙間から上品な桜色が見える。

「小箱?」

 しかも、小人入りとな?

 どうやらこの男は随分と酔っているようだ。

 さっきまで自分も酔っ払っていたことを棚に上げて、男の言葉を鼻で笑った。

「へぇ?そいつぁ珍しい。ぜひ中を開けて見せてくださいよ」

「それはできんがよ」

 そう言って男は猫背気味の背中を更に丸めて、箱を握った掌ごと抱き込んだ。

 (随分と勿体ぶるじゃん。)

 俄然興味が湧いてきた。酔っ払いが吐く嘘にしても些か陳腐だが、それがより一層好奇心を刺激した。

「またまたぁ、勿体ぶらずにチラッと!ほんの一瞬だけでもっ」

「だから、できんて」

 ブチブチと歯切れの悪い言い訳が、男の黄ばんだ歯から漏れるようだ。

「……そんなに中が見たけりゃおまえさん、アンタだけのコバコを買いにいきゃあいいだろが」

 まるで羽虫でも追い払うかのように手をパタパタと振りながら、男はおれの目をじっと見つめてきた。


「店くらいなら教えてやらぁ」



 ⬛︎



 そして今に至る。

 酔っ払いの戯言ほど、当てにならないものはない。

 だが、酔いは覚めたが、好奇に湧いた熱は一向に冷めない。寧ろ教えられた店のことが気になって気になって、薄汚い男と飲んだ立ち飲み屋からこの店まで一睡もせずに歩いてきてしまった。事実を言うなら、本当はタクシーを使いたかったが、生憎捕まえることが出来なかったのである。


 蔦と埃を被った扉らしき場所を押し開ければ、確かにそこは店だった。大きな柱時計に、うず高く積まれた本。天井から吊るされた大量の鳥籠には何もおらず、その下には陶器のバレリーナが今にも踊り出しそうな姿勢でこちらを見ている。棚という棚、壁という壁に、ありとあらゆる物が所狭しと並んでいて、そのどれにも値札と思われるタグが付いていたから。ただ、取り扱っている品物の統一感がなさすぎて、何屋なのか全く分からない。

 手近な品物を見るともなしに眺めていると早朝にも関わらず、胡散臭い色付き眼鏡をかけた和装の男が、揉み手をしながらニコニコと近付いてきた。

「お兄サン、何かお探しで?」

 男の、独特のイントネーションがより胡散臭さを際立たせた。多分、店員だろう。だが、この胡散臭い眼鏡の男の出現は渡りに船だった。早速、あの男から教えられた小箱について聞くことにした。

「小箱だよ。なんでも、この店に行きゃ、中に小人の入った珍しい箱を譲ってもらえるって聞いたんだ」

 店を教えてくれた男性の特徴を話せば、眼鏡の男は心得たように頷いた。

「……嗚呼、あのコバコねぇ。お兄サンには、あの御仁ハ幸せそうに見えたのかイ?」

「幸せそう……?」

 そう問われて、おれは記憶を掘り返した。


『おれにゃあ、おっかなくて開けられん。だが捨てることも、誰かにやることもできん。なんたってこんなかにゃあ……』


(……あれ、あの小汚い男はあの後、何と言っていたんだっけか?)

 なぜか、男の言葉の最後が思い出せない。熱を帯びているようだった気もするし、何かに怯えているようだった気もする。どちらにせよ共通することは、ひとつ。

「幸せそうかは判らんが、大事そうに抱えてたな」

「ソうですか」

 うむうむ、と何回か頷くと眼鏡の男は先程とは違った笑みを浮かべた。

「でハ、。お客サンもコバコをご所望ということで宜しいでしょうカ?」

 突然本題を投げかけられハッとしたからか、無意識のうちに声が大きくなった。

「そうだ!小人が入っているっつー箱だ!」

 見せてくれ、と言おうとした瞬間。眼鏡の男の顔が眼前に迫ってきて、思わず口を噤んだ。

「それデしたら、お静かニ。お客サンを呼ぶ声ガ、聴こえなくなってしマう」

 唇の上に人差し指を立てて、薄く開いた唇から微かに空気の抜ける音がした。まるで小さい子どもに言い含めるみたいな男の所作に、何となく苛立ちを覚えた。

 それでも何か言い返すことは憚られたのでゴクリと唾をのみつつ、眼鏡の中を少し睨む。

「でハ、こちらへ」

 案内された棚にはサイズも色もバラバラの箱が十個程度並んでいた。どれもデザインが異なり、花や動物、幾何学模様など様々な装飾が施されている。

 ただ、どの箱も蓋が上から被せる物ではなく、上部が観音開きになっていた。すぐ開かないようにするためか、扉の真ん中には鎌のような形の引っ掛かる鍵がついている。

 繁々と眺めていると、眼鏡の男がおれの右側ににじり寄って耳打ちしてきた。

「貴方ヲ呼ぶハコは、いますカ?」

「呼ぶ箱?なんだそれ」

 男につられるように思わず小声で話す。

(野郎と近い距離で内緒話なんて、なんてキショいことを……。)

「言葉の通リ、貴方ヲ呼ぶ声がするハコのことでス。是非耳ヲ澄ましてみてください」

 子供騙しのような内容に眉が歪む。

(呼ぶ声が箱からするだぁ?)

 いよいよ担がれているような気がして、男に体ごと向き直り何か言ってやろうと口を開いた。

「っあのなあ……」

 その時だ。


『…………ぇ……』


 声が、聞こえた。

 女の声だ。何と言っているかは分からない。

 微かな声に導かれるように、おれは紫色の箱を手に取っていた。それは本当に小さくて、おれの右手にすっぽり収まってしまうほどだった。他の箱と比べて派手な装飾は無かったが、蓋には小さな花の飾りが二つ付いている。

「これだ……」

 手に取った瞬間、先程まで聞こえていた声は聞こえなくなったが、確かにこの箱だと思った。

 眼鏡の男が傍からおれの手の中を覗き込んだ。

「……ほホぅ。スミレ、ですネ。一体どンな声でお話ししてれるんでしょうネ?」

 さして驚いた様子もなく、再び男は頷いた。

「でハ、注意事項ヲお話ししマしょ」

 呆気に取られるおれをよそに、男はポンポンと説明をはじめた。

「どんなにわれテも、蓋は開けないでくだサい」

「こわれても……?お願いされるってことか?」

 えぇ、と口が三日月型に引き結ばれる。

「コレは呼箱こばこでス。そしテ、錮箱こばこでもアる」

 謎かけみたいな単語を並べる男を不気味に思いつつ、一番気になることを問いかけた。

「……開けたら、どうなる?」

 さぁ?と男は首を振った。

「大丈夫でスよ。開けなければいいだけなんでスから」

 冗談めかした手振りを交えて、それから、顔を合わせてから一番綺麗な笑顔で続けた。

「この中のコビトは、呼人こびとかもしれませんし、応人こびとかもしれまセん」

「……なんだかよく分からんが、とにかくコイツをくれ。幾らだ?」

 右手に小箱を握り締めたまま、おれは会計を急かした。目の前の男が何となく気持ち悪くて、不快に感じだから。

「お代は既ニ、いただいておリます」

「……は?」

「既ニお代はいただいておリますので、ドウぞお持ち帰りくだサい」

 おれの右手に収まる紫色の小さな小さな小箱を、男の細い指が指差した。

「貴方ニだけ聞こえる、小さな話し声。その方ハ何ヲ話しテ、その方ニ何ヲお願いされルんでしょうネ?」

 男はそう言って出口へと促してきた。

 言い表せない気持ち悪さを感じつつも、おれは貰った小箱を両手で抱えて自宅へ向かった。

 そして店を出ればその気持ち悪さは霧散し、手の中の小箱が気になって仕方がなくなっていた。何より先程の声がもう一度聞きたくて、抱えた小箱に耳を寄せた。その姿は、あの立ち飲み屋で遭った男みたいに背中を丸めていた。


 ⬛︎


 帰宅するまでの間、小箱はしんと静まり返っていた。


 開けてはいけない。

 そう言われると開けたくなるのが、人情ってもんだ。

 着ていたスーツもそのままに、中身が気になって迷わず蓋についている鎌状の鍵に爪を引っ掛けた。その時。


「…………ぇ……」


 再びあの声が聞こえた。

 耳を澄ませて、声を聞こうとした。グッと体を近づけたせいで引っ掛けていた爪が鍵をずらした。

 カタン、と耳のそばで小さな音がした。


「……どうシてえぇ?なんでえ助けテくれなかったのお?」


 突如、酷く怨みのこもった女の声が耳を貫く。

 ビクリと体が硬直しておれは動けなくなった。耳を寄せた体勢から、横目でチラリと見た小箱は蓋が開いていた。そこから響く声は、あの微かな声とは似ても似つかなかった。


「ねェどうシてえ?まサかずううゥうぅぅゥ!」


 おれの名を呼ぶ声。

 知らない声のはずなのに、とてもよく知った女の声。

(なんでアイツの声がする?!だってすみれアイツは、一年前に……!)

 見てはいけない。いやだ。

 そう思うのに、なぜか首だけがギシギシと箱の中身を見せつけるかのように動く。

 必死に抵抗するが、何かによって首を無理矢理動かされているかのようだった。


こたえテよ、ねえ?」


 なす術もなく覗き込んだ小箱の中では血走った人間の目玉がこちらをジッと見ていた。ドスの効いた声と小箱の中から睨む目と見つめ合い、そしておれは意識を手放した。


 ⬛︎


 男が出て行った扉をジッと見つめ、眼鏡の男はあの箱に入ることを願った女に向けて呟いた。

「良かったですねぇ、すみれさん。やっとが迎えに来てくれて。一緒に待った甲斐ガありました」

 一年前、近くの雑木林で一台の乗用車の単独事故があった。

 道の端に設置されていた電柱に衝突したと見られる車は助手席側が激しく損傷しており、助手席に乗っていた女性は発見後死亡が確認されたが、運転席に乗っていたはずの人物は行方不明になっていた。

 車の持ち主は死亡した●●すみれさん。

 配偶者はおらず、親族もすでに亡くなっている為、彼女の人間関係を追求することが出来なかった。また人通りの極端に少ない地区であるため目撃者は出ず、ドライブレコーダーも積んでなかった為、それ以上の捜査は進まず不幸な事故として処理されてしまった。


 怨みの籠った菫色の小箱。

 それは、飲酒して運転席に座り、事故を起こしたうえ助手席に重傷の恋人を置いてを呼ぶ呼箱こばこで、その男に呪いの言葉を紡ぎ続けるを閉じ込める錮箱こばこ


「あとは、すみれさん彼女の願いが叶うといいですねぇ」


 此処は待ち人骨董店。

 店が手伝えるのは人待ちまで。

 女の願いに応えるかは、あの男次第。

 もしも箱を開けてしまったならば、そこから先は彼女の領域だ。

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待ち人骨董店 ヒトリシズカ @SUH

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