待ち人骨董店

ヒトリシズカ

眼鏡

 偶然見かけた骨董店。

 何を探すでもなく、ただ冷やかしで入ったその店で、ある棚の上に並んだ物に何故か興味を惹かれた。

 小さな丸レンズのレトロな眼鏡。

 成人しても裸眼で2.0を叩き出す私にとって、眼鏡は縁のない物のはずなのに目が離せなかった。

 気がつけばそれを持ち、一直線にレジへ向かっていた。

「おや、お客さん。お目が高いネェ」

 胡散臭い色付き眼鏡をかけた和装の男が、そう言ってニコニコと笑う。愛想はいいが、あまり関わりたくない印象の男性だ。だが言われた内容は少々気になった。

「そんなにいい物なんですか?」

「ああ。コレのお眼鏡に適うお人なんざ、今までいなかったヨ」

 そして、布張りされた古風な木箱に収めた眼鏡を愛おしそう見つめる。

「良かったねぇ、ずっと待ってた甲斐があった」

 その言葉は果たして、無機物に投げかけられているのだろうか。まるで、旧知の友を労るような、そんな声音だった。

 こちらが困惑した気配を察したのか、男性はパッと顔を上げると先ほどの少々胡散臭いニコニコ笑顔で木箱を差し出した。

「はい。大事にしてやってくださいナ」

 その笑顔を見送られて、店を後にした。


 ⚪︎-⚪︎


 帰宅し、カバンから先程の木箱を取り出して、改めて観察する。

 何故だろう。先ほどの店でも思ったが、この眼鏡が気になって仕方ない。蓋を開けて眼鏡を取り出す。

 フレームは銀色で細く、ピンポン玉より小さな丸いレンズフレーム。はめ込まれたレンズは度が入っているようで、向こう側が微かに歪んで見えた。耳にかける部分も銀色で、鉉は柔らかくカーブしている。少しだけ右側が歪んでいるように見えた。

 銀色で、小さく、なんの変哲もないレトロな眼鏡。稀少な宝石や金属が使われているわけでもなく、アンティークであること以外価値などないように思えた。

「……なんで買ったんだ?」

 全くもって自分が理解できなかった。

 別に生活に困っているわけではないが、特別裕福でもないので、無駄な物は買わない主義だ。それなのに、本来の自分には必要無いはずの眼鏡を買ってきた。ハッキリ言って謎である。

「眼鏡、ねぇ……」

 度は入っているがレンズ越しの景色の歪みを見る限り、度数は弱そうだ。何となく、掛けてみようと思った。

 ……それがそもそもの間違いだった。

 掛けた途端、視界が回り、私は床へと昏倒した。


 ⚪︎-⚪︎


「ほら、タ江たえ、大丈夫かい?」


 呆れたような、クスクスと笑うような声が聞こえる。目を開けると目の前で歪んでいるのはフローリングでなく、何故か畳だった。

「きみは目が良いんだから、私の眼鏡でも目が回ると言ったじゃないか」

 歪む視界の端から手が伸びてきて、私の顔から眼鏡を外した。穏やかな声だった。

「うぅ。だって、ちょっと気になったんですもの」

 自分の方から自分でない声が喋る。びっくりして、口を押さえようと思ったが、自分の意思とは関係なしに、私の右手は眼鏡を取り上げた人物の肩にヨロヨロと掴まった。

「眼鏡なんて掛けなくていいのなら、掛けないに越したことはないだろうに」

 そう言って声の主は、取り上げた眼鏡を自分で掛けた。

「そんなことないわ。わたし、竹二郎たけじろうさんの眼鏡姿、知的で格好いいと思うもの!」

 私の意思に反してまたも声を発し、ガバリと顔を上げた。すると竹二郎と呼ばれた男性は、少し驚いたような顔をし、そして少し照れたように顔を背けた。その顔を見て、何故か私は嬉しくなり口角を上げた。

 幸せだと感じた。


 急に視界が暗転した。

 手に握られているのは国からの召喚状。

 恐れていた召集令状が遂に来てしまった。

 竹二郎さんは、確か厠に行っている。今、これをわたしが破り捨ててしまえば……。いいえ、いっそ竃へ……!

「嗚呼、遂に来てしまったか」

 真後ろで声がした。飛び上がり、振り返る。

 竹二郎さんが立っていた。

 困ったような諦めたような笑顔で、私の手元を見つめる。

「タ江、そんなに握り締めては破れてしまうよ」

「なん……」

 なんで、そんなに冷静なんだ。

「次男なんだ、寧ろよくここまで召集が掛からなかったのか不思議なくらいだ。大地主のお祖父様とご先祖様に感謝だな」

「なんで……」

 なんで、なんで。

「なんで!」

「私の番が来ただけだよ」

 静かな笑顔だった。はしたなく大きな声をあげたわたしを、そっと包むような笑顔。いつもの穏やかで、大好きな笑顔。

「御国のためだ」

 その大好きな笑顔が涙で滲む。

 出立のその日まで毎日泣くわたしを、竹二郎さんは何度も抱きしめてくれた。



 竹二郎さんは、軍から支給された帽子と眼鏡だけになって、終戦と同時に帰ってきた。

 遺品があるだけマシだと言われたが、納得なんて出来なかった。

 ただただ哀しかった。



 戦後、竹二郎さんとの子を一人で育てていた時に、家に泥棒が入った。盗まれたのは僅かに蓄えていたお金と食料、そして竹二郎さんの眼鏡だった……。


 ⚪︎-⚪︎


 気がつけば、私はフローリングの上で眼鏡を掛けたまま泣いていた。

 頬がカピカピに乾いて痛い。

 酷く重い体を起こし、眼鏡を外す。僅かに歪んだ右側の鉉を、指の腹で撫でる。

『竹二郎』さんに、『タ江』さん。

 私は、古い記憶を掘り起こした。

 お盆の度、お祖父ちゃんがしてくれた、自分の母親が生涯気にしていたという自分の父親の眼鏡の話。

 戦争が終わって盗まれてからずっと探していたらしいが、終ぞ見つからないまま二十年程前に他界してしまった。

 その時墓石に刻まれた名前は『タ江』と、随分前に刻まれた『竹二郎』という名前。

 その様を鮮明に思い出し、コトン、と自分の中で静かに納得した。


「……そっか、これ、ひいお祖父ちゃんの眼鏡なんだ」


 ⚪︎-⚪︎


 その週末。

 私は溜まりに溜まった有休を使って祖父母の家を訪ねた。

 木箱に収めた眼鏡を持って。

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