生き様の価値

多賀 夢(元・みきてぃ)

生き様の価値

 徳を積めば、天国に行ける。

 そう思って生きてきた。人生のすべてを両親に捧げ、他人に尽くし、恋もせず遊ぶこともせず、常に控えめであることを心がけてきた。

 両親が嫌うから宗教に傾倒する事もなく、神頼みは失礼だからと神社にも行かず、それでも慎ましやかに生きていれば神様が見ていてくれると信じて生きていた。

 不幸せばかり感じた一生だったけれど、きっと死後は幸せなはずと耐えていた。



 何かの拍子に、私は死んだ。

 死んだと思ったら、なんだか役所のような場所に立っていた。薄暗い広間に長く古めかしい石のカウンターがあって、その向こうでスーツ姿の男性が何人か忙しそうにしている。

「山田桃子さん、いらっしゃいますか」

「は、はい」

 呼ばれた方に慌てて赴き、そこにあった椅子に座る。カウンターの向こうで、四十路くらいのくたびれた男性が書類に目を通していた。

「えー、ご生前の行動を元に、死後の行先が決まりましたのでお伝えいたします」

 私はわずかに緊張したが、不安はなかった。今までただ徳を積むことだけを念頭に、ひっそりしっかりと生きてきたのだから。

 男性は興味なさげにこちらを向いた。

「次の居住世界は、Eランクとなります。そちらで言う地獄みたいなものです」

「は!?」

 私は椅子を蹴って立ち上がり、男性に食って掛かった。

「私が地獄って、そんな事ある訳ないじゃないですか!私は親に尽くし、他人に尽くし、自分を後回しにして喜びも幸せも求めずに生きてきたんですよ!」

 男性は面倒くさそうな顔をして、大げさなため息をついた。

「あー、いるんですよねぇそういう勘違い。それは生前世界で周囲に嫌われないための手段であって、来世を決めるポイントとは関係ありません」

「そんな、だって神様とか仏様とかも、徳を積めって」

「山田さんは、徳を積んでらっしゃらないようですよ」

「そんなはず――」

「ああ、山田さんは完全な無宗教ですね。じゃあ『徳』の言葉の意味を分かってなくて当然か」

 男性はしたり顔でうなずいて、目の前の書類を机面でトントンと揃えた。

「まあ宗教によって表現は異なりますが、『徳』とは何か新しい事に挑戦することです」

「挑戦?」

「新しい行動を起こすことで、他人もそれぞれのために動き出し、世の中が好転する。それが『徳』です。生前のあなたの行動には『徳』と呼べるものがない。だからEランク行きなのです」

 私は絶句した。確かに私は、親や周囲の言いなりだった。彼らが自分でやるべきことを、私は率先して代理していた。奴隷みたいで嫌だったけど、頑張れば死後に天国に行ける、それだけが救いだったのだ。

 ふとあることが頭に浮かび、私は男性に質問した。

「なら私の両親も、Eランクなのでしょうか」

「守秘義務がありますので、お答えはできません。が」

 男性は少し悩む様子を見せながら、慎重に答えを探した。

「女性の方が、ややランクが上の傾向がありますね。出産という、命をかけた挑戦を行いますから」

「何よそれ!」

 私は思いっきり机面を叩いた。私は結婚もできなかった、恋もできなかった。両親の面倒を見ろという言葉に従うために、自分の一切合切を諦めてきたというのに。

 なのに、母は私より上。

 私をこき使った母が、私より上。

「まあまあ、あくまで傾向を言ったまでです」

 男性は無理に作った笑顔で、右側を手でさし示した。矢印がそちらに続いている。

「行先の時代や場所は選べませんが、生き方は自由です。努力が実れば来世のうちに、ランクが上がる事もありますよ」

 私は思わず男性を振り返った。男性は、相変わらず嘘くさい笑みを浮かべている。

「Eランク――地獄行きの方対象に、アドバイスがあります。ここまでの記憶は、来世に移って一年のうちに上書きされてしまいます。しかし忘れたくない事を強く念じておけば、一つ二つはなんとか覚えていられると思います」

「はあ」

 私はよくわからないままうなずいた。それはいったい、どういう意味なのだろう。

「では、そろそろお時間ですね。こちら右に向かって頂きまして、矢印に沿ってお進み下さい。Eランクへのゲートがございます」

「え、ちょっと」

 心構えができず慌てたが、私の体は強制的にゲートへと向かっていた。真っ暗な穴の向こうにいかなる地獄があるのか、血の池地獄か針の山か。私の心は恐怖におののいた。




 次の瞬間、私は真っ白な空間にいた。

 正確には白しか見えない。何もかもかすんでいる。

『元気な女の子ですよ』

 優しい声が聞こえたあと、壮大な舌打ちが響いた。

『いるか!!男以外はいらん!!』

 その怒号に、私は戦慄した。

 これは母の声だ。私はまた母の子に生まれのだ。

『山田さん、そんな事言っちゃいけませんよ』

諭す看護師さんの言葉に被せるように、母が気だるげに言い返した。

『看護師さん、私もう眠いから。私が寝てる間に捨ててきて、旦那には流産だって言って』

 うっすらと思い出す。前世で母が言っていた、お前は捨てるつもりの子だったと。それを我慢してあげたのだと。


 ーーここは、前世だ。来世の幸せしか望まめなかった、地獄のような世界だ。

 そうして私は、生まれた瞬間から愛されてなどいなかった。


 思わず号泣しながら、私はたった一つのことだけを念じた。何もかも忘れ去っても、これだけは絶対に忘れないように。この地獄から必ず抜け出すために。


【私は、私のためだけに行動する。】








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生き様の価値 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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