【短編】思いを封じた寄木細工の秘密箱

Edy

お題「箱」

 1939年 冬


 様々な色合いの木を使い、張り合わせて規則正しい模様にしたものを寄木細工という。


 ヨシエは自分の育った箱根で生まれた寄木細工が好きだ。中でも秘密箱は特に気に入っていて数多く所持していたし自分で作ることもある。


 ヨシエ自身、なぜ好きなのかわからない。きっと、寄木細工は異なる考え方や生き方の人たちが手を取り合える証みたいに思えた。開けるのに複雑な手順がある秘密箱にも、心の壁をひとつひとつ取り除いていくようだ、と考えたこともある。


 そんな彼女が好きな人へ秘密箱を贈った。


 相手は日本の伝統工芸を買い付けに来ているアメリカ人で、名はジョンという。正しくは商売をしているのはジョンの父親で、息子は手伝いを名目に同行しているだけだ。


 彼らは箱根を、というより温泉を気に入り、滞在するようになって半年経つ。そこで働くヨシエとジョンは、二十歳前と歳が近いこともあり、すぐ親密になった。


 いつものようにヨシエが親子の部屋へ朝食を運ぶと、ジョンは新聞を見て難しい顔をしていた。彼は配膳しているヨシエの手を握る。


「話がある」

「あとにしてくれない? 朝は忙しいのよ」


 ヨシエが気さくな言葉使いなのは、ジョンの父親がいないからだ。彼は東京へ出かけており、三日前から宿を開けている。


 いつもは笑顔を絶やさないジョンが深刻な顔をしているのと関係があるのだろうか、とヨシエは思う。そして、その予想は当たった。


 ジョンはヨシエの手を握ったまま、離さない。


「今じゃなくてもいいけど、早い方がいい」

「じゃあ、話して。手短にね」

「日本を離れなければならない。ヨシエにも着いてきてほしい。僕の妻として」

「本気で言ってる?」


 ヨシエは突然の求婚に驚いたが、必死に心を落ち着かせた。


 しかしジョンのさらなる追撃は続く。


「ああ、離れたくなくて言ってるだけじゃないだ。生涯を共にしたいと思えるのはヨシエしかいない。どんな困難が待ち構えていようが僕は君を愛し続ける。君を守り支える。僕にとってヨシエは――」

「ちょっと待って!」


 情熱的な言葉が永遠に続きそうだったからヨシエは慌ててさえぎる。このままでは彼女の精神がもたない。


 ヨシエは大きく深呼吸して、尋ねた。


「急に帰るって、どうして?」

「これさ」


 ジョンは新聞を見せてくれた。しかし全て英語で書かれていたので、簡単な会話ができるだけのヨシエは読めない。それを知っているジョンは丁寧に説明してくれた。


「イギリスとフランスがドイツに宣戦布告、つまり戦争が始まったんだ。このままだとドイツの同盟国である日本も動く」


 箱根の外をあまり知らないヨシエでも、それらの国の名前ぐらいは聞いたことがある。しかし何ひとつ現実味のない遠いところの話でしかない。


「でも日本は中国と戦争してるのよ。そんな遠いところでも戦争するとは思えないわ」

「そうだといいんだけどね。きっとアメリカも動く。そうなれば僕たちの国は敵同士。父はそれを危惧しているから、日本を離れる手配のために東京へ行ってるらしい。……僕は何も知らされていなかったよ」


 ジョンは悔しげに座卓を叩く。新聞と共に置かれていた便箋が揺れて畳に落ちた。きっとそれで知ったのだと、ヨシエは察する。


「たぶん、何が起きようとしているのかはわかったと思う」

「じゃあ、僕と来てくれるね?」

「……ひとつだけ、確かめたいことがあるの。また、後で来るわ」


 それだけ言って、ヨシエは配膳して部屋を出る。


 その日の夜、ヨシエはジョンに会いに来た。寄木細工の秘密箱を手にして。ヨシエが作った中でも、この箱は最高に出来がいい。


「これを受け取って。私が作ったものだから雑だけど」

「秘密箱だね。これをヨシエが? 雑なんてとんでもない。とてもきれいだよ」


 受け取ったジョンは慈しむように撫で、軽く振る。中でカサカサとこすれる音がした。


「何か入っているね」

「今朝の答えが入ってるわ。出発まで、まだ何日かあるんでしょ?」

「数日はいる。だけど、どうしてこんな回りくどい事を?」

「開けたらわかるわ」


 ヨシエはそれだけ言うと逃げるように去る。彼女にとって、呼び止めるジョンの声を振り払うのはとても苦痛だった。


 ヨシエは、それほどジョンを好いている。知り合ってからそれほど時間は経っていないのに。


 なぜ寄木細工を好きなのかは、もっともらしい理由をつけられたが、なぜジョンを好きなのかには理由をつけられない。しいてあげれば、日本人にはないはっきりした物言いだろうか。しかしジョンが奥ゆかしい性格でも好きになったに違いない。


 こればかりは理屈じゃなかった。


 では、ヨシエはなぜ答えを秘密箱へ封じたのか。


 言葉が通じない異国へ行く勇気がなかった。愛する土地を離れたくなかった。不安の材料はきりがない。


 ジョンが箱根に根を張り、共に生きてくれたら。そう思うことは数え切れないほどあった。しかし戦争がそれを許してくれない。


 だから答えを封じ込めるしかなかった。秘密箱が開けられることがないとわかった上で。


 翌日、ヨシエは温泉宿の女将のもとへ行った。休みを数日もらうために。


 急な話にも関わらず、ヨシエを娘のように可愛がっている女将は快く認めてくれた。


 その間、宿を離れてしまえばジョンと顔を合わせずに済み、戻ってきた時に彼はいなくなっているはずだ。


 つまり、秘密箱は答えを先延ばしにする小細工。ジョンは箱を開けるようと躍起になっている間は答えを追求してこない。そう考えてのことだ。


 宿を離れる仕度を進めながらヨシエは思う。自分はなんて卑怯なんだろうと。ジョンから逃げることもだか、まだある。


 あの秘密箱は絶対に開けられない。仕掛けの一部をニカワで固めたからだ。


 こんな臆病で卑怯な人間はジョンにふさわしくない。そう自分に言い聞かせて、ヨシエは宿をあとにした。


 寒々しい空の下、曲がりくねった箱根の山道をヨシエは下る。


 後ろ髪を引かれる思いだが、ジョンに出会う前に戻るだけだと、強く自分に言い聞かせた。


 しかし、そんな決意を無視してジョンが追いかけてくる。


「ヨシエ! 君は僕と来るんだ!」


 息を切らせ、肩を大きく上下させていだ。その手に強く握られていたのは一枚の紙。秘密箱へ封じたヨシエの思いだ。


「どうして、それを?」

「開けたんだ。僕の国の流儀で」


 ジョンは人差し指を伸ばし、拳銃の形にした。


 それを見てヨシエは思い出す。鍵が紛失して開けられなくなった扉に対して彼が言ったことを。


 銃で撃つのが一番早い。


「まさか、秘密箱を壊したの?」

「ああ。少し気が引けたけど、もっと大切なものがあるからね。僕にとってはヨシエが一番なんだ」

「そんなやり方――」

「駄目だとは言わなかっただろう? それに、嫌ならどうしてこれを書いた?」


 ジョンは握りすぎてしわくちゃになった髪を広げた。


 見せられなくても、書いたヨシエにはわかる。


 『ジョンと一緒ならどこへでも』


 何も言えずにいるヨシエのもとへジョンは歩みより、抱きしめた。


「愛してる。神に誓って必ず幸せにしてみせる。一緒に行こう」

「……わかったから離れて。昼間から往来で抱きつくなんて恥ずかしい」

「そうだね。日本人は奥ゆかしいんだった」


 離れようとするジョンだが、ヨシエが背に回した腕で動けない。


「待って。もう少しだけ、このままで」


 ヨシエは抱き合っているのが恥ずかしかったが、それ以上に真っ赤になった顔を見られたくなかった。


 そうして二人は固く結ばれるが、予想されていた困難が現実のものとなる。二年後の1941年、日本とアメリカは戦争になった。


 アメリカに渡ったヨシエも、敵国の人間を妻にするジョンも、つらく厳しい思いをすることになる。



 1985年 夏


 カリフォルニア州の外れに、にぎやかなダイナーがあった。


 常連の長距離トラッカーが集まり、ビールで喉を麗している。


 店の奥では若い男がジュークボックスの蓋を外し、中に手を突っ込んでいた。汚れた手で額をぬぐう。


「……よっと。これでどうだ?」


 操作パネルに触れると、レコード盤がセットさる。ノイズがブツブツ鳴ったあとにソウル・ミュージックが流れ出した。


 トラッカーたちは指笛を鳴らし、青年の仕事を称える。


「やるじゃねえか、JJ。次はマイケル・ジャクソンをかけろ」

「店同様に古い機械でずっとレコード変えてないの知ってるだろ。そんな新しいのねえよ」


 JJはトラッカーをあしらい、カウンターに座る。


 ひと仕事終えて満足気な彼の前に冷えたコーラが置かれた。


「親父、俺もビールがいいんだけど」


 ぼやくJJを、店のマスターである父親がたしなめる。


「そういうのはこっそり飲むもんだ。ガキのうちはな」

「親父もそうしてたのかよ」

「俺も、お前の爺さんもそうだったろうよ。そうそう、機械いじりの好きなお前に良いもんがあるぞ。婆さんが久しぶりに作ったんだとよ」


 そう言って、父親はJJの前に箱を置く。寄木細工の秘密箱だった。


「へえ。きれいだ。ん? 開きそうで開かない。どうなってるんだ?」

「頭を使えば開くらしい。爺さんに聞けばこっそり答えを教えてくれるんじゃないか? 婆さんはヒントすらくれないだろうがな」

「頭か……。親父、銃貸してくれよ。その方が早い」


 父親は渋い顔になり、首を振った。


「いくら爺さんと同じ名前だからって、同じことをするのはやめておけ、JJジョン・ジュニア

「どういうことだよ」

「俺から言えることは、ひとつ。強引なやり方を許されるのは一度だけだ。尻にひかれてる爺さんを見ていればわかるだろう」

「あれは尻にひかれてるんじゃなくて、自分から尻の下へ行ってるだけな気がする」


 両親の経緯を知っているJJの父親は、ビールを取り出し勢いよく栓を抜く。


「国は違えど共に歩む二人に」


 そして高らかにかかげて、あおった。

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