【KAC 20243】 箱廻しの記憶

小烏 つむぎ

 箱廻しの記憶

 孫娘の結婚式に参列するため上京した高木安江は、地下鉄から地上に上がって来たところでテレビカメラとマイクを向けられ、「『箱』と言って思い付くものは何ですか?」と聞かれて戸惑った。『おおよそ100人に聞いてみた!』いうクイズ番組らしい。

 

 『箱』と言われて咄嗟に安江が思い付くのは、もうぼんやりとしか思い出せないひとつの光景だった。


 ◇


 セビア色に変色したの古い写真のようなその風景。川の近くの小さな集落に繋がる道を背中を見せて去り行く男女。天秤棒を肩にかけ棒の両端に木箱を下げた男と、その隣の女性は大きい風呂敷包み背負っていた。


 両親は『箱廻し』を生業としていた。両親だけでなく祖父母も曾祖父母も。この集落の多くが農業のかたわら『箱廻し』をやっていた。季節になると大人は門付けに出て行き、集落は年寄りと子どもだけになった。


 『箱廻し』というのは、木偶でこ人形を箱に入れて各地を回り、三番叟さんばそうや寸劇をして門付かどづけする芸能である。


 木偶でこは人形浄瑠璃に用いられるようなカシラに簡素な手足を付けもので、浄瑠璃を語りながら一人が数体の木偶でこあやつりもう一人が鼓を打つ。江戸から昭和の初期までは全国に見られたが、年々衰退し現在では四国の一部地域に細々と残るのみである。


 幼い安江は古い木偶人形でこにんぎょうを相手に、よくままごとをしたものだった。


 それが安江が小学校に上がった頃だったか、家から木偶でこが消えてしまった。両親も門付けに出ることもなくなった。しばらくして仕事を探すと家族で大きい町へと引っ越した。


 それが何故なのか安江にはわからなかったが、両親が留守をしなくなったのは嬉しいことで新しい生活も新鮮だった。ただ、曾祖父は時に沈みこんでいたことをおぼろげに記憶している。


 ◇


「ねぇ、おばあさん。『箱』って言われてさ、パッと思い付くのモノ、何かないかなぁ。

ほら、誕生日とかさ、えーとそんな時にさぁ。ねぇ、ほら」

マイクを持った男が困った顔でこちらを見ている。


「あ、えーと、そう。

オルゴールです。」

安江はもうひとつの『箱』の思い出を口にした。


「オルゴール?」

「はい。孫がね、中学生の時に家庭科だったか美術の授業だかで作ったのをね、キレイな菓子箱に入れて、ピンクのリボンをかけてプレゼントしてくれたんですよ。」


 マイクの男はニコニコと人当たりのいい笑顔で安江の思い出話しをひとしきり聞き、孫やオルゴールの曲、箱の様子を聞き取るとと、「いい話しですね」と礼を言って離れて行った。安江の手にはクイズの放送予定日が書かれたメモが残された。


 オルゴールの思い出話しを語る安江の背後には大きなスクリーンがあって、その時はワイドショーで地方からの話題を流していた。


 四国のとある海沿いの古い神社の建て替えでのこと。片付けをしていたら、神殿に納められていた古い木箱から木偶人形でこにんぎょうが出てきたというのだ。人形浄瑠璃のかしらに簡素な衣裳を着けたその人形は何なのか。もったいぶってリポーターが指差す先には、二体の古びた人形があった。


 CMを挟んで芸能の専門家が出てきて、「これは60年ほど前の『箱廻し』の人形です」と解説をした。

曰く。


 江戸時代以前から芸能は人々にかかせない楽しみであったが、その芸能に携わる人々は身分の低いものとして差別されていた。江戸から昭和半ばまで被差別部落の出身者が多く『箱廻し』に携わっていたことから、子どもたちへの差別を恐れて親の世代は『箱廻し』を廃業するものも多かった。


 とはいえ、家に人形があると『箱廻し』であるとわかってしまう。当時それを心配した家人が人形を川に流すことも少なくなかったと言う。


 ナレーションが重々しく、地方に伝わる芸能が寂れる一方だと語ってコーナーは終わった。

 

 ◇


 「おおよそ100人に聞きました!」の番組が放送される日、安江はウキウキとテレビの前に座った。


 そして安江の姿が映ると、離れて暮らす家族や友人からラインが一斉に届いた。その返信に忙しく番組を見るどころではない。たぶんそうなるからと笑って息子が録画してくれていて良かったと、安江は思った。


 日を改めて見た番組の自分の後ろに映る木偶人形でこにんぎょうに、安江の心には懐かしさが湧き出した。同時に今は亡き両親や曾祖父母の顔、山あいの茅葺き屋根の下での生活がハッキリと浮かんだ。


 今の今まで忘れていた幼い頃の日々。ナレーションが口にした地名は故郷の近くであった。


 「行かなくちゃ」


 そして、海辺に奉られることになった木偶人形でこにんぎょうに会わなくちゃと、安江はそう思った。

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