新米魔術研究員の家探し

杉野みくや

新米魔術研究員の家探し

「うーん。たしかに部屋は広くて綺麗だし、王宮にもめっちゃ近いんだけど……」


 ダークブラウンを基調とする広々とした室内を見回しながら、考える素振りを見せる。


「ここの家賃、おいくらでしたっけ?」

「月16万Gゴルですね」


 不動産屋のお兄さんはなんてことないという感じで軽々しく答えた。


(ううっ、手取りの大半持ってかれるのはさすがにきついわね。ひとまず、希望条件優先で案内してもらったけど、さすが一等地……)


 思わず渋い表情になってしまう。家探しでまさかこんなに苦労することになるなんて。


 思えば、この春に学校を卒業し、晴れて王国の魔術研究員になることができたまでは良かった。けれど、魔術の研究に没頭しすぎて、家探しを全くやっていなかったのは失敗だった。

 案の定、家を探し始めたころには城下町にある優良物件のほとんどが成約済み。私の求める条件に合う物件は全くといっていいほど存在しなかった。寮の申請もとっくの昔に締め切られていたらしく、のこのこと訪ねてきたズボラな私は慈悲なく門前払いされてしまう始末。


 このままでは、惨めな『家なし魔術研究員』になってしまう。のっけから笑いものにされるのはたまったもんじゃない。

 こうなるなら、早々に家探しを始めるべきだった。


「もう一度確認しておきたいのですが、イェレナ様のご予算はおいくらまででしょうか?」

「えっと、月8万Gゴルまでには抑えたいですね」

「それで、希望条件は『8帖以上』、『家具付き』、『王宮から10分圏内』、『ごく小規模の爆発OK』でよろしかったですか?」

「はい、間違いありません」


 そう答えると、お兄さんは手元に携えた分厚い本をバサバサめくりだした。ステーキ3枚分はありそうな厚みを持つあの本の中からよく探せるものだ。

 やることがなくなった私は、希望条件について今一度考えてみることにした。

 魔術の研究は自主的にもやりたいから『爆発OK』という条件は譲れない。家具を全て新調できるほどの予算は無いから、『家具付き』であることもほぼ必須。

 そうなると、広さや王宮までの距離はある程度妥協しないといけないかも。

 理想の城下町生活が手元から遠のていく感じが強まった頃、お兄さんの紙をめくる手がピタリと止まった。


「ありました。ですが……」


 お兄さんは急に言葉を濁し始めた。その表情はどこかためらっているようにも見える。


「どうかしたのですか?」

「あ、いえ、なんでもありません。では、次の物件に参りましょう」


 そう言うと、お兄さんはそそくさと外に出て行ってしまった。諸々の反応が少し気になりはしたが、おとなしく後をついて行った。



「続いてはこちらになります」


 案内されたのは、王宮から歩いて8分のところにある集合住宅の一角。築20年ということで、塗装がいくつか剥がれていたり、時代を感じるどこか無機質なデザインだったり、なにかと年季を感じる。

 だが、いざ部屋の扉を開けると、外見に反してなかなかにきれいな玄関が私たちを出迎えた。


 少なくとも10帖はありそうな広々とした室内。窓からは日の光が明るく差し込み、爆発耐性の薬剤でコーティングされた木製の床を照らす。それに備え付けの家具はどれも真新しいものばかりだ。

 さっきの月16万Gゴルの物件と比べても決してひけはとらないように見えた。そうなると、気になるのはやはり、お家賃である。


「でも、さすがにお高いんじゃ?」


 おずおず尋ねるとお兄さんの口から予想外の答えが返ってきた。


「いえ、こちらは月4万Gゴルとなります」

「え!?」


 つい声がうわずってしまった。

 想定していたよりもずっと安い!こんな優良物件が隠れていたなんて思いもしなかった。なるほど、あのお兄さんの反応はこんな素晴らしい物件を私なんぞに紹介するのをためらっていたからだな?

 とすれば、その安さの裏には紹介をためらうような理由があるはずだ。

 率直に尋ねてみると、お兄さんは困ったように唇をもごもごし始めた。


「それが、その、非常に申し上げにくいんですが……、出るんですよ」

「出るって?」

「これです」


 お兄さんは暗い顔を作り、両手首を胸の前で折り曲げて見せた。

 その仕草を見て、思わず息をのんだ。


「い、いやまさか、そんな」


 口ではそう否定したが、意に反して体は正直だ。頬が完全に引きつっている。

 たしかに考えてみれば、こんな優良物件が誰の手にもついていないというのは至極おかしな話だ。それこそ、お化けの類いが現れても不思議ではない。

 そう考えると、新築同様のこの綺麗さもなんだか不気味に思えてくる。

 足早に立ち去ろうと決めたそのとき――。


 パリン!


「ひぇっ!?」


 思わず尻もちをついた。反射的に魔法が飛び出しそうになったのをなんとかこらえる。その代わり、床に散らばったガラスの破片に目を奪われた。


「コ、コココップが、か、かか勝手に、」

「やっぱり、やめておいた方が良さそうですね」



 外に出ると深く息を吸い、得たいのしれない悪い気とと共に深く吐き出す。自分が呪われてないか心配になり、そのまま何度か深呼吸を繰り返す。


「落ち着きましたか?」

「は、はい。なんとか」


 引きつったままの頬で「ははは」と愛想笑いを返す。

 ちなみに、危うく魔法を打ちかけた自分のテンパり度合いが脳裏に蘇り、ほんの少しだけ恥ずかしさを覚えたというのはここだけの話。

 その間、お兄さんは分厚い本をパラパラとめくっては「う~ん」と小さくうなってみせた。


「イェレナ様の希望になるべく沿うような物件となりますと……。あとは城下町から少し離れた場所にしかありませんね」

「少し、とはどのくらいですか?」

「城門から歩いてざっと20分、王宮からですと30分ほどかかるかと」


 お兄さんは眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情を見せた。

 30分、という言葉が頭に重くのしかかる。

 でも、背に腹はかえられない。


「そこに案内してもらうことってできますか」

「はい、もちろんです」


 城門を出ると、私の故郷がある方角とは真逆の方に向かっていった。整備された道を数分ほど歩くと、まもなくして思いもしない光景が目に入った。

 脇に広がるはどこまでも続く色とりどりの花畑。昼下がりに照らされるそれらは宝石にも引けを取らないほどきれいだった。

 遠くの方では学生らしき女の子たちが楽しそうに花冠を作っている。風が吹くと、花々の甘い香りが私たちのいる沿道まで漂い、春の匂いの中に包み込んでいく。

 とても、気持ちが良い。


 花畑の横をしばらく歩いていると、今度は大小さまざまな畑が姿を現し始めた。小麦や野菜を丁寧に収穫していく農家の人たちを横目に捉えながら、小さな川のせせらぎに耳を澄ます。

 のどかで良い感じだ。どこか故郷に似ている。

 王都に上京してからはまだ3日と経っていない。けれど、少しだけ故郷が恋しくなった。

 もしかすると、これが「郷愁」というやつなのかもしれない。

 お母さん特製の温かいシチュー、また食べたいな。よし、今日の晩ご飯はシチューにしよう。


 そんなことを考えていると、お兄さんが足を止めた。


「着きました。こちらになります」


 お兄さんが向けた手の先には、レンガ造りの小さな一軒家が建っていった。

 そのこじんまりとした見た目に反して家の中は十分に広く、一人で暮らすにはややもったいないぐらい。備え付けの家具は少し古めのものが多いが、普段使いする分には申し分なさそうだ。


「良い家ですね、ここ」

「はい。それにここなら家々の間隔が離れていますので、多少大きな爆発が起きてもあまり問題はありませんよ」

「え!ほんとですか!?」


 まるで流れ星が頭上に落ちてきたかのような感覚だ。

 魔術の研究には多少なりとも危険がつきまとう。異なる属性同士の魔術が意図せぬ反応を起こすことだって珍しくはない。

 近所迷惑にもつながるから城下町では自主的な研究の規模を小さくしなきゃ、と肩を落としていただけに、これは願ってもいない報せだった。


「それで、家賃はどのくらいでしょうか?」

「こちらですと、月6万Gゴルでご案内できますよ」


 お兄さんはにこやかにそう答えた。

 家賃も広さも申し分ないし、家具も十分使える。

 王宮まで時間がかかるのは仕方ないけれど、あの景色に包まれながら王宮に向かうのも悪くない。


「決めました。ここにします」

「ありがとうございます。城下町に戻られるご用などはございますか?」

「いや、ないです」

「でしたら、ここで契約の手続きを済ませてしまいましょう」


 たくさんの書類に目を通した後、契約書にサインを書き入れる。これでようやく家探しは完了だ。

 紆余曲折あったけど、無事に家が決まって良かった。計画性のないズボラな私の家探しを案内してくれたお兄さんに最大限の感謝を伝え、姿が見えなくなるまで見送った。

 扉を閉めると、荷物を机の上に置いてベッドの上にごろりと寝転がった。


「あ~、良かった~」


 大の字になりながら思ったことをそのまま言葉にする。同時におなかの虫がはしたない鳴き声を上げた。

 外を見ると、日は地平線の彼方へと沈みかけていた。もうそんな時間かと思いながらぐっと立ち上がる。「シチューシチュー♪」と鼻歌交じりにつぶやきながら、持ってきた荷物をごそごそと漁っていく。そして、「あっ」と声を漏らした。


「食料買うの忘れてた……」


 力が抜け、その場でがっくりうなだれる。ぺこぺこになったおなかの音が新居の中にむなしく響いた。

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