【KAC20242】②内見とは、名ばかりで

蒼河颯人

内見とは、名ばかりで

 常にスチームドミルクのような霧に覆われている、薄暗い街。

 気を抜くと、漆黒の闇の中へと引きずり込まれてしまいそうな街。

 ここはマルフェアナ。

 規模は大都市の十倍以上もの規模であるが、生活水準は限りなくどん底に近い街だ。

 都心部で当たり前のように見える運送用のチューブも、空中浮遊する乗り物も、何一つない。一気に時代を遡った感覚へと陥りそうになる。


 街中にはトタンを使った簡易的な建物で、バラックのような長屋があちこち立ち並んでいる。しかしそれは、大雨や台風によって全壊してしまいそうな位に、大変脆い作りだ。時々見かける住人達と思しき者達は、おどおどとしており、常に何かに怯えて暮らしているように見える。頬はこけており、皮膚は垢で黒ずんでるところを見ると、恐らく、彼らは何日も風呂にさえ入れていないだろう――衣服もあちこち継ぎがあててある。街全体から鼻を突くような臭いが漂ってくるようだ。


 (初めて訪れた街だが、想像以上にしなびた街だな……)


 俺が思うに、街内の上下水道の整備は充分に行われていないだろう。排泄物が流れる川がこの街の傍を沿うように流れていて、どぶの腐ったような臭いが周囲に充満している。疫病が蔓延していても、おかしくない劣悪な環境だ。疫病にかかっても、治療を受け入れてくれる病院さえなさそうである。


 言うまでもなく、こういう規模ばかり大きくひなびた街は、犯罪の巣窟となる。麻薬密売組織が絡んだ事件や、荒くれ者達同士の勢力抗争が昼夜問わず発生しており、常に犯罪にまみれていると言っても良い。銃声の響かない日はほぼない。住民は事件に巻き込まれることを恐れ、住まいからほとんど姿を見せようとしない状態だ。


 (正直言って、あまり長居したくない街だな)


 俺はその街中へと足を踏み入れていた――都市部で事件を引き起こし、この街中へと逃げ込んだ犯人を追っているのだ。仕事でなければ、こういう場所へはまず立ち入らないだろう。誰だって、危険は避けたいものだ。


 街中の一角に、古びた建物があった。ヒビの入った窓ガラスから中を覗いてみると、人の影はなく、どうやら空き家のようである。それを確認した俺は戸を開け、その建物の中へと入り込んだ。軋む音が響き渡り、思わず耳を覆いたくなった。


 身体中が埃臭いのとかび臭い臭いに包まれそうになり、思わず眉をひそめたくなる。恐らく、ここ何年も換気がなされていないのだろう。水道管は錆びついており、蛇口はすっかり干からびてしまっている。四隅には真っ白な蜘蛛の巣がかかっていて、家具はそのままの状況だが、使い物になるかも不明だ。椅子は足がかたついているし、戸棚の戸はガタピシと音を立てている始末である。俺は気分を変えたくなり、懐のポケットの中にあるシガレットに手を出しそうになったが、ぐっと堪えた。


「なあ、おっさん。この街のどこの建物に目星をつけているのか?」


 俺の直ぐ側で、生意気そうな声が聞こえてきた。やや高めの声だ。下から見上げてきている二つの瞳は、高貴な宝石を溶かしたようなウルトラマリンブルー。艷やかな黒髪で、きめ細やかな色白の肌を持つ彼は、まだ声変わりしていないためうっかり少女と勘違いしそうだが、れっきとした少年だ。眉目秀麗な口を開かなければ、精巧なフランス人形のように、美しい。


 彼は、先日俺が保護した少年だった。金品強奪事件を引き起こした挙げ句、俺から財布をスろうとしたのをその場で捕まえた。彼が怪我をしていたのと、偶然この街出身者ということもあって、怪我の介抱とはなしついでのなりゆきで、捜査の助手を依頼する事になったのだ――半ば強制的なので、依頼というより命令であるが。そんな彼に、俺は今回の目的の場所を教えてやった。赤いレンガで出来ている、この街中では珍しく頑丈そうな建物だ


「あれだ。この街中で立地的にも建物的にも、一番まともだ。何か違和感を感じないか? 俺はあの地下に何かがあると睨んでいる。……無論、君にも手伝ってもらう予定だ」

「え……!? オレ……!? どシロウトのオレが、この建物の中の捜査をしろって言うのか!?」


 と彼は目を大きく見開いていたが、すぐに大人しくなった。彼は右の手首に埋め込まれたチップによって、動きを管理されている。言わば、見えない首輪によって繋がれている飼い犬のようなものだ。下手に逃亡しようものなら、チップから発せられる電撃によって昏倒する羽目になる。彼にそれを施したのは、俺が所属する組織の管理者だ。ある意味恩赦と見せかけて、飼い殺しにでもするつもりなのだろう――一職員に過ぎない俺には、詳細は良く分からないのだが。


 目的の場所はぱっと見不動産屋のように見えるが、出入りしている面々の大半は目元をバイザーで覆っており、真っ黒な出で立ちをしている。連中は皆額やら頬やら顎やらに傷跡が見え隠れしており、何か、胡散臭い。


「ああ。表向きは〝内部見学〟……だがな。君が先日やらかした件は大目に見てやるから、我々に協力し給え。俺の指示に全て従ってもらうぞ」

「……てめぇ……卑怯だぞ!!」

「今おかれている自分の立場を考えてもみろ。地べたを舐めたいのなら、俺は止めないが?」

「……くそっ!」


 彼は組織に弱みを握られている分、逆らえない。長いまつげに覆われた二重の中に収まったウルトラマリンブルーの瞳が、下から噛みつかんとするばかりに睨み付けてくる。まるで、手負いの獣のようだ。そこで俺は何故か、背筋に何かが這いずり回るような、妙な感覚を覚えた。別に未成年者をいたぶるような趣味はないのだが、彼は嗜虐心を煽り立てるような雰囲気を持っているようだ。胸の内に沸き起こった謎の快感を振り切るように、俺は組織から預かっていた紙袋を取り出した。かさはあるが、思ったほど重みはない。変装用の服だの靴だの入っているようだが、どういうものかまでは知らされていない。


「時間があまりない。早速だが、これに着替えてきてくれ給え」

「え!? 何だこれ?」

「君はここの出身者なんだろう? ばれないよう、変装した方が良い」

「……分かったよ」

「十分で着替えろ。分かったな」

「……」


 彼は紙袋を渋々受け取り、小部屋と思われる所へと、吸い込まれるように姿を消していった。


 ◇◆◇◆◇◆ 


 数分後、支度を終えた少年が部屋から出てきたのだが、どこからどう見ても、赤いワンピースに身を包まれた可憐な少女だった。真っ赤なリボンが蝶々のように、カツラの頭頂部に止まっている。彼女・・は口元が明らかに引きつっていた。


「……おっさん。これで気が済んだか? あんたの言う通りにしてやったけど?」


 どこか、いら立ちを無理して抑え込んでいるような声だった。普段着慣れていない服だからか、動きがどこかぎこちない。それも無理のないはなしだった。まさか、いくらなんでも女装させられるとは、誰も思わないだろう。この様子だと何か誤解されているようだから、早目に撤回しておかねばなるまい。


「文句があるなら組織に言い給え。俺が準備したものではないからな」

「ちぇっ……オレ、てっきりおっさんの趣味かと思った」

「馬鹿言え。そんな趣味は持ち合わせておらん」


 クッキーベージュ色のゆるふわロングヘアーが、華奢な背中にこぼれ落ちており、彼の気高い色の瞳に大変良くあっている。それは赤いビロードのワンピースにも良く映えていて、違和感なさ過ぎるのが却って驚きだ――言っておくが、俺にはそういうものを愛でる趣味はない。

 

 彼はマルフェアナ出身者にしては、やけに気品のある顔立ちだった。掃き溜めに鶴とは、きっとこういうことを言うのだろう……そう思いたくなる位、今の服装は、彼には大変良く似合っていた――本人は大変不服に違いないだろうけれども。


 (思ったほど違和感がないな。これならば、大丈夫だろう。犯人も油断するに違いない)


 そのまま黙って大人しくしていればツンツンとした美少女で通せるのに。彼ときたら、くすんだ色をしたソファの上へと、黒い靴を履いた足を乗せるようにして両膝を立てているものだから、スカートの中身が丸見えだ。透き通るような足が膝上までむき出しになっていて、目のやり場に大変困る。


「……おい。君はあくまでも〝令嬢〟なのだから、しおらしく足を閉じ給え。広げたらはしたないだろう……」

「……けっ。オレはやらされてるだけだけどな!」

「気絶させて施設に放り込んでもいいのだが?」

「……ちっ!」


 せっかく恵まれた美貌を持っていても、育ちがでてしまう。勿体ない気はするが、仕方がない。恐らく、まともな教育を受けてなさそうだ。どこまでやり取り出来るかは不明だが、今は彼と行動を共にしないと、仕事に支障をきたす。それは大いに困る。


 (この坊主、オツムは悪くなさそうだが……一か八か、かけてみようか)


 俺がこれから先、作戦をどう進めていくか、頭の中で考えをまとめていると、眼の前に立っている少年はカツラの毛先を指に巻き付けつつ、何か言いたげな顔をしていた。何も喋らなければ、何もしなければ、一輪の薔薇の花のように、愛らしく美しい娘で通せるのに、頗る残念だ――もう一度言うが、俺にはそういうものを愛でる趣味はない。


「おっさん、オレにこんな格好までさせたんだから、 絶対に犯人を見つけ出せよ」


 と、彼はその艷やかな赤い唇にどこか蠱惑的で不敵な笑みを浮かべた。


  ――完――

 

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