夢破れて春

わにのなみだ

序章

 「そこまで。」試験官のその一言で私を含めた受験生は一斉に手を止めました。震えながらもう一度、解答用紙に書いた受験番号を一文字一文字確認します。その後、落ち着く暇もなく試験官たちが回答を回収し始めました。私は試験監督たちが回収を終え、部屋を出て行ってからも頭を上げることができませんでした。

 白状すると私の回答はほとんど白紙でした。何もできず一矢報いることもできないまま試験が終わってしまったのです。私の苦しかった受験期間の少ない努力が実を結ぶことはありませんでした。

 試験監督たちが枚数の確認を終えた後、昼休憩の時間に入りました。私の受けた大学では学科試験の後、午後から面接の試験がありました。もっとも、学科試験で差のつけられなかった私に合格は絶望的でしたが一縷の望みに縋ってみるしかありませんでした。

周りに知り合いはいるはずもなく、他の受験生と同様に、私も黙って弁当を口に運んでいました。食欲はありませんでしたが、後のことを考えると、何かは口に入れておかなければなりませんでした。空気が重く、休み時間がやけに長く感じられました。

面接の時間が来るまで押しつぶされないように必死に息だけをしていました。もしかしたらまだ私にもチャンスがあるかもしれない、そう思い込むことでまだ倒れずにいることができていました。

 やっと休憩時間が終わり、一人づつ控室から受験生が呼ばれて面接に向かっていきました。監督官の後に続いていく受験生の背中を見ていると、やはり応援したくなってしまいました。

時間だけはあったので様々なことを考えることができました。面接で聞かれることは例年なら変わっていなかったので、定型のいくつかの質問を頭の中で繰り返していました。

どうせ受験に落ちてしまうなんて結果が決まる前にあきらめてはいけない、やれるだけのことはやろうと、そう自分の中で決意をした時、私の番が来てしまいました。

幸か不幸か、私はその面接中の最後の一人でした。すでに面接が始まって三時間が経っていました。


 案内されて面接室の前に置かれた椅子に座ると、まだ私の一つ前の受験生が面接中でした。控室とは違って廊下はとても寒く、そのうえ次に私の番が来た時のことを考えるとますます震えが止まらなくなりました。必死に不安を紛らわせようと深呼吸をしましたが、あまり意味はありませんでした。

足元には暖房用に小さなヒーターが置かれていましたが熱は伝わってこず、心許なく感じました。

間もなく一人の受験生が面接室から帰ってきました。後になってからだから思うことなのですが、出てきたその子はとても浮かない顔をしている気がしました。少し嫌な予感がしました。

ついに私の番が来ました。合否は決まっていたようなものでしたが、結果がまだ分かっていないこの時はまだもしかしたら面接で巻き返せるかもしれないと淡い期待を抱いていたことも確かでした。

私はノックをし、返事を待ってから面接室に入りました。


 それから始まったのは、思い出したくもないようなひどい時間でした。特別何かを言われたわけではありませんでしたが、面接官たちの態度から私が面接官たちに相手にされていないことがひしひしと伝わりました。長時間の面接の末に面接官たちも疲れ切っていたのです。

最初に一度だけ私の方を見たきり面接官たちは視線を手元のパソコンに戻し、そのまま最後まで私の方を向くことはありませんでした。空気が重く、顔をまともに見ることができませんでした。

投げかけられた質問に答えていてもまるで虚空に話しかけているような気分になりました。空気が重苦しく、のしかかってくるように感じられ、段々と悪循環に陥り言葉が出てこなくなっていきました。

 その時間が終わるとまるで「お前は取るに足らない人間だ」と言われたかのように思われて、私は完璧にくじけてしまいました。

面接室から出た頃には合否なんてどうでもいいと思っていました。もちろん本当は未練だらけで心の中では監督たちを罵ってもいましたが、それ以上に自分がしてきた努力が意味を持たないまま終わってしまったことがただただ悲しく、その時は言い訳をすることで傷を埋めることしかできませんでした。

 すぐにでも倒れこんでしまいたかったのですが、なんとか足を引きずりながら会場を後にしました。

悲しいから泣くというような余裕はありませんでした。心の中はぐちゃぐちゃで常に締め付けられているように感じられ、ただ立っていることに必死でした。

他の面接はもう終わった後だったのだと思います、試験会場のあった階から一階に降りても数人の受験生しか残っていませんでした。ほとんど全員がスマホで連絡を取っていました。気を許した、どこか優しい声でした。聞こえてきた会話の内容から家族に迎えに来てもらうために連絡していることが分かりました。

 私も母から試験が終わった後すぐに連絡するように言われていましたが、今はどうしてもそんな気にはなれませんでした。私の受験の結果を一番心待ちにしてくれていたのは母でした。

 その受験生たちを横目に私は校舎から出ました。

外に出ると、もうすっかり日が落ち暗闇があたりを包んでいて、電灯の明かりだけが帰り道を示してくれていました。二月の冷たい空気が肌から熱を奪っていきます。のぼせた体にはそれがとても気持ちよく感じられました。

これからどうするのかは考えていませんでした。母に連絡するなど到底できず、しばらくはただ歩き続けることにしました、正確にはそうするしかありませんでした。歩いている時だけは苦痛が和らぐ気がしました。

疲れや後悔などに揺さぶられ、ふらつきながらもなんとか朝通った道を戻っていきます。

校舎内と同様、敷地の中にはひと気がありませんでした。

大学の門に着く頃には、怒りの気持ちは体の熱とともに消えていました。私に残っていたのは全てが終わった後の空虚さだけでした。生ぬるい疲労が歩をさらに重くしていました。


これからどうしようか、と決して前向きではないまでも考えてみました。

もう私の、この大学を憧れていた気持ちは完全に失われてしまっていました。

いままでは純粋に憧れていました、その大学に入れば素晴らしい人間になれると信じていたわけではありませんが、心のどこかではそうなるように願っていました。だけれど結果的には、相手にもされないまま私の望みはたやすく打ち砕かれてしまいました。

私は受験期間中もずっと迷ったままなんとなくでこの大学を受験することを決めたのですが、受験が終わってやっと私がこの大学に本当は行きたかったのだということに気づきました。絞り出そうとしてもやっぱり涙は出ませんでした。

本当はすぐにでも倒れこんでしまいたかったのですが、こんな時にでも他人の眼を気にしてそうすることは気が引けました。そしてそんな情けない自分に気づき、また悲しくなるのです。私はどこに行く当てもなくふらふらと歩きつづけました。


 大学の正門が見えてくると、正門の前にはまだ人だかりができていました。大学内とはうって変わって、正門の外は信号や街の光で明るく輝いていました。

家族の迎えを待っている受験生たちがいました。正門の前の道には受験生たちを迎えに来た車が並んでいて、受験生たちはそれぞれの家族の車に乗り込んでいました。

その姿を見ていると、一人一人が試験を終えた自分の姿に重なりました。上手くいった人もいるだろうし、私と同じように上手くいかなかった人もいるかもしれません。

受験には受かる人がいれば、落ちる人がいました。それは他人に打ち勝つ戦いであり、他の人を蹴落とすという気持ちで立ち向かわなければならないと教えられてきましたが、今の敗れた私にはどうしてもそんなふうには考えられませんでした。

 

 私がまたふらふらとその群衆を抜けようとした時でした。

私の目の前で、路上に停めた車から出てきた保護者の方に呼ばれて、列から飛び出した一人の受験生が呼ばれた方へ駆け寄っていきました。

 今でもその情景が目に焼き付いているのです。その子の受験の結果がどうだったのかは分かりません。だだその子が保護者の方を見つけた時の、ふっと肩の荷が下りたように笑う、その情景に今でも忘れられないほど心を揺り動かされたのです。そこには様々な思いを抱えつつも帰ってきた子どもと、その肩に手を添えて温かく迎え入れる親がいました。

その様子が立ち並ぶ信号機の明かりに照らされて輝いて見えました。そのままその親子は車の中に入っていきましたが、私はその場に釘づけにされていました。

その光景は私がずっと追い求めていたはずの美しいものでした。

 しばらくして自分が立ちつくしていたことに気づき、また歩き始めました。その時初めて、それまで一滴も出なかった涙が染み出てきました。流がれ出る涙が眼鏡を曇らせます。息も荒くなって、まともに前も見えなくなりましたが、その一方で心はすっと軽くなっていきました。

涙はとめどなく流れ出ていくのに、なぜだか笑いが止まりませんでした。マスクをしていたから良かったものの、雑踏の中で笑いを隠すのに必死でした。

その時は信号機の光が屈折して道路がきらめき、コンクリートでできているはずの街並みが色づいて見えました。今までずっと探していた自分のやりたいことが少し分かった気がしました。

あの瞬間さえ忘れなければ、私は一歩一歩踏みしめて私の道を歩んでゆけるとさえ思いました。

 

 それから二週間後の朝、張り出された大学の掲示板には当然のように私の名前はありませんでした。


 あれから母や家族にも受験日に起こったことを伝えることはしませんでした。もう受験に落ちてしまったことは変わりませんし、あの日の出来事が私にとってどれほど大切なものなのかきっと分かってもらえませんでしょう、なによりあの忘れられない苦い思い出を適当にあしらわれるのが嫌でした。

 しばらくの間は眠ることができなくなっていました。それまでの疲労がたまっていてどんなに眠くて仕方がない日もすっきりと眠ることはできませんでした。未だにもやもやとした気持ちは心に残っていて寝苦しい時間が続きました。

時々どうしようもなく辛くなって、自分の気持ちを声に出して呟いてみました。

押さえつけていた気持ちを天井に向かって発してみると、案外絡まっていた気持ちがほどけていき、その後は少し泣いてから眠りにつくことができました。

寝ている間に嫌な夢を見た記憶はあるのですが、どんな夢だったかは覚えていません。ただ次に起きた時には気持ちがかなり楽になっていました。


 大学受験から二週間後、受験の合否が分かるまでの期間に、私の通っていた高校では私たちの学年の卒業式がありました。その時はまだ私を含めほとんどのクラスメートたちもまだ第一志望の大学の合否は分かっていない状態でした。まだ合否が分かっていないとはいえ、試験でつまずいた私は口に出さないまでも不合格という結果への心積もりをしていました。

私は特に友達が多いというわけではなかったので、自分が今までいた場所を離れる寂しさは感じても、特別卒業式で別れを悲しんだり泣いたりすることはありませんでした。

 式が終わりクラスメートたちが各々写真撮影を始めたタイミングで、私は沢村という親睦を深めていた数少ない友人のもとに向かいました。私が彼を見つけ声をかけると、一週間以上会っていなかったのですが、今までと変わらない様子で私に少しの間待っているように言いました。

彼は私と違い、多くの人に慕われていたのでひっきりなしに記念の写真撮影を求められていました。一通りそれらが終わった後、私たちは保護者や卒業生たちが入り乱れている廊下を抜け出て、いつも私たち二人が屯していたベンチに落ち着きました。

幸いその場所に人気はなく、二人きりになることができました。

 最初は会えなかった間のことや、今までのおもいでについて語り合いました。

「どうだ、卒業式で泣いたか?」

沢村は私にそう聞いてきます。

「いや全然泣けなかったよ。」

「そうだよな、俺も全然泣けなかったな。

この学校に良い思い出なんて大してないしな。だって、勉強しかやってこなかったよな、俺もお前も。」

「そうかもしれないね。」

私は何も言うことができないままその言葉が流れていくのを待ちました。なんと返せばいいのか分かりませんでした。

私たちがやっとのことで卒業した高校はいわゆる自称進学校というやつで、事実勉強以外の行事についての記憶はほとんどありませんでした。そのうえ私たちの世代は例の感染症の影響で、数少ない行事も飛んでしまっていました。

なので私たちを繋ぐおもいでのほとんどは、勉強に関するものばかりでした。私にとってその思い出はこの学校での生活がどれほど苦しかったかを裏付けるだけのものでしたが、テストの点数が毎回、満点近くだった沢村にとってはそのおもいでも少しは良いものではあったのかもしれません。


 それから自然な流れで、私たちはお互いの受験について話しました。私は受験が上手くいかなかったことを、そして愚痴程度に初めてそこで起こったことを話しました。

彼には私の心根を曝け出すことができたのです。

「まあ、まだ結果は決まってないんだからさ。受かってるかもしれないんだろ。悲観的に考え過ぎんなよ。」

澤村は優しくそう言ってくれます。

「そうかもしれないね。ありがとう。」

口ではそう言ったものの、私にはまだあの受験に関して前向きに考えることができませんでした。

その後、澤村はずっと我慢していたように言葉を続けました。

「でもな。もしダメだったとしてもその大学はお前と縁がなかったってことじゃないか?そのろくでもない試験官がいるような大学なんだろ。そんな大学なら行く必要無くないか。その程度の大学だったってことじゃないのか?」

沢村は浮かない様子の私を見て、気を使いそう言ってくれたのかもしれません。ですが私には彼がどこか別の方向を向いているような印象を受けました。

私たちがこの場所で過ごした辛い日々を耐えられた理由の一つとして、心のどこかに大学への盲目的な憧れがあったはずでした、澤村がそれを否定するような発言をしたことに私は驚かされたのです。

「そうかもしれないけどさ。他の、あの場所で人生をかけて頑張っていた受験生のためにもあの大学のことを悪く言いたくないんだよ。浪人生もたくさんいたんだ。だからさ、もし俺が受験に落ちてもそれは単に俺が努力不足だったからだけなんだ。」

沢村が分かってくれたのかどうかは定かではありませんが、一応は頷いてはくれました。

「お前がそう思うならそうなんだろ、でもその、お前なら大丈夫だ。きっと。」

「うん。」

しばらくお互いに黙ったまま真っ直ぐ前を見つめていました。何かをしているわけではないのですが、いつもこうして静かに二人で過ごす時間が好きでした。

「そういう沢村はさ、どうだったんだよ、医学部は。」

在学中、沢村は私よりも成績が良く学年内でも一位、二位を争っている程でした。私も沢村なら医学部を目指せると思っていました。

「手ごたえとかどう?」

私がそう聞くと、沢村は私、分かりやすく苦い顔をしました。

「あんまないんだよな、手応え。」

「大丈夫だって、お前ならきっと受かってるよ。」

その時の彼は自信が無さそうでしたが、私は彼がきっとその大学に受かっていると信じていました。彼がその医学部の受験を目指すためにどれほど塾に通い、努力してきていたかを少しは知っていました。

その時はそれ以上、受験の話に深入りはしませんでした。


 その後、二人で並んでしばらく歩きました。あんなに嫌いだった校舎も、もう訪れることはないと思うとどこか懐かしく思えます。

生徒通用門を通る際に、道の脇に植えられていた桜の木に目がいきました。例年ならこの時期にはもうほとんど満開の桜の花が咲いていたのですが、今年は開花が遅れているのか未だに芽吹いてさえいませんでした。

そのことをなんとなく名残惜しく感じながら、私たちは近いうちにまた会う約束をして、それぞれの方向に分かれていきました。


 それから数日が経ち、私の第一志望の大学の合否が分かりました。あの日の受験が酷いものだったので、結果は分かりきっていたはずでしたが実際に不合格という結果を突きつけられると、しばらくの間呆然としてしまいました。

 かといってそのまま立ち止まっていることを誰も許してくれませんでした。現実を受け止めているだけで精いっぱいだった私を今度は「これからの進路」という問題が苦しめてきました。私はその第一志望の大学以外に、私立大学を受験して一応は合格していたのですが、私の家庭があまり裕福ではないこともあり滑り止め程度にしか考えていませんでした。なのでこれから先、私が選べる選択肢は二つだけでした。

いや実際には私はもう自由なはずでした、これから大学に行くかどうかも、家族や世間を気にし過ぎない程度に私の好きにすればいいはずでした。目の前にはいくらでも道があったはずなのに、そうするしかないと思ってしまっていました。

とはいえその誰かが描いたような目の前の道を進んでいくことを、確固とした理由もないまま私もそうするしかないと思っていました。何もしなければ何も始まらないこともなんとなく分かっていました。

私はその私立大学に進学するか、1年間浪人してまた別の大学を再受験するかどちらかの選択肢が選ばなければなりませんでした。


 次の日からやっと短い春休みが始まりました。私はその短い期間の中でそれからの進路をどうするのか決めることを余儀なくされました。

初めの数日は、部屋の中で天井を見つめていると終わっていき、受験期に考えていたはずの、受験後にやりたかったことはまだ何もできていませんでした。私は何かを求めて、受験が終わった高校時代の友達に連絡してみました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢破れて春 わにのなみだ @waninamida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ