【KAC20242】家賃1万円のアパート

八木愛里

第1話 住宅の内見

『都内にありながら、家賃1万円の破格の値段。最寄り駅へは徒歩5分、アクセスも良好』

 

 不動産のホームページを見ながら門司もんじ まもるは深く唸った。


 家賃が安いのは、懐に優しい。推しの地下アイドルのグッズをもっと買えるようになる。

 しかし、安すぎるのもかえって怪しく思えて、護は二の足を踏んでいたのだ。


 そのページの下部に小さく『条件あり! 詳細は担当者にお聞きください』と書かれた注意書きが目に入った。

 早速、電話で問い合わせてみたら、「現地で説明させていただきます」と言われた。条件さえ良ければ入居しようと考えた護はアパートを見たいと伝えると、なぜか夕方の時刻を指定されたが住宅の内見に参加することになった。

 

 現地に足を運んでみると、間取りはホームページの図面に書いてある通りだった。キッチンダイニングと寝室の2部屋で、狭すぎず、広すぎず、一人暮らしにはちょうど良い大きさだ。

 窓からは沈む夕陽が見えた。日当たりも悪くないようだ。


 うーん、と護は首を傾げた。今のところ特に問題点はない。

 案内人から「門司さま、わからないことは何でも聞いてください」と言われたので、一番の疑問をぶつけてみることにした。


「広告に載っていた『条件』ってどんな条件ですか?」

「後で現物をお見せしますが、説明はそのときに。今はお答えできません……」


 核心をつく質問をしても、はぐらかされてしまった。

 隠されると、早く知りたい。

 もったいぶって教えてくれないのなら、正解に迫る質問をするだけだ。


「もしかして、このアパートは欠陥住宅だったりするんですか?」

「とんでもない。当社の安全基準はクリアしてますよ」


 違ったようだ。

 さらに質問を続けた。


「家賃の他にアパートの管理費がかかるんですか?」

「安心してください。家賃は1万円ポッキリです。それ以上はいただきません」


 まだだ、と護は諦めない。


「もしかして……事故物件なんでしょうか?」

「いいえ。このアパートでは今のところ誰も死んでませんよ」


 そうかそうか。事故物件でないのなら、これはどうだ!


「何か、深夜に物音がするとか……?」

「物音はするかもしれないですね。その理由はこれから説明します」


 まさか、肯定された……!?


(心霊現象? そうだったら完全にアウトだぞ……!?)


 そう疑問を持ちつつも、案内されたのはトイレだった。


「現在、こちらのトイレは使用できません」

「え? トイレが使用できないってどういう……」

「トイレを使いたい場合は、共有部分のトイレをお使いください」


(やった! ついに欠点を見つけたぞ!)


 肝心のトイレが使えない理由は教えてくれなかったが、破格の値段の理由を見つけた護は、しめしめとほくそ笑んだ。


「そこに誰がいるの? 助けて!」


 トイレのドアが叩かれる音と同時に少女の声がした。


(これが例の幽霊か!?)


 ビクリと震えた護とは対照的に、案内人は余裕ありげにフッと微笑んだ。


「さあ、一緒に彼女を救いましょうか」


(彼女を救う!?)


 案内人が鍵を取り出して開錠すると、トイレを開けた。その拍子に、中から少女が勢いよく出てくる。

 そして、護の顔を見ると、駆け寄ってきた。


「助けて!」


 黒髪ロングの美少女が護に抱きついてきた。その瞬間、花のようないい匂いがしてくる。

 アーモンド型の黒目がちな瞳、桜色の唇。


(か、可愛い……)


 美少女に抱きつかれるとは、なかなかのおいしい状況だったが、悠長にしている暇はなかった。


 トイレの蓋がカタカタと動くと、緑色の皮膚の腕が出てきた。


(な、なんだありゃあ……!!!)


 護が驚いて固まっている間にも、案内人は緑色の腕をトイレの中に押し込み、手早くトイレの蓋を閉めた。激しく抵抗されているのか、トイレの蓋は細かく震えている。


「私が押し込んでいるので、門司さまはトイレを流してください! 「大」の方で!」

「……わかりました!」


 何が起こっているのかはわからなかったが、案内人から言われた通りトイレの「大」ボタンを押す。


すると……。


「ギ、ギヤアアアアア……!」


 トイレの蓋の向こうから断末魔の叫びが聞こえた。


「やったわ! ゾンビを退治したのよ!」


 護がやったことはボタンを押しただけ。

 それでもなぜか美少女は体を張った案内人ではなく、護のことを褒めた。



「ゾンビと戦った後は、しっかりと手を洗ってくださいね。ゾンビ菌が皮膚に長く付着すると、まれに皮膚が腐ってしまうことがありますので」


 案内人はさらりと怖いことを言った。


 洗面所に移動すると、護は念入りに手を洗った。

 ペーパーで手を拭きながら、案内人にそれとなく聞く。


「ゾンビ菌って、顔や首は大丈夫なんですか?」

「ご自宅に帰ったら、お風呂に入ってもらえれば問題ありません」


 護はゴクリと唾を飲み込んだ。


「あの……このアパートの条件ありってもしかして……」

「逃げてくる人に誘われてやってくるゾンビを退治してもらいたいのです。大丈夫、蓋をしてボタンを押せばいいだけですから。それに、ゾンビが活動するのは日が落ちてからですし……」


 いとも簡単のように言われたが、そんなはずはない。知らない人がトイレから現れるだけでも怖いのに、ゾンビまでやってくるとは。


(でも、彼女のような人を守るには……俺がやるしかないのか?)


 横からは期待のこもった美少女の目。


 護は乾いた口を開いた。


「俺は、ここに入居し…………ません!」



 護のいなくなったアパートでは、美少女は温かいお茶をすすった。


「……あーあ。失敗しちゃったわ」

「彼、押しに弱そうでしたけれどね。今回こそは上手くいくと思ったんですが……」


 美少女はゾンビの蔓延しつつある異世界から逃げてきた。


「早く、次の門番を見つけなくちゃ」


 彼女はこのアパートに寝泊まりしながら、門番の仕事をなすりつけられる人物を探していたのだ。


 晴れて自由の身になるために。

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