夢食

@machidaryuichi

夢食

 誰でも夢で食べられると思っていた。だから、夢で食べたいと思っていた。だけど、夢なんかで食える才能はなかった。目指した夢に食べられて挙げ句の果てには他人の夢を食べるようになってしまった。

 タイムマシンがあったら良かったのにと思うがあったとしてもどこまで戻れば良いのかわからない。それに、戻って自分を変えられる自信がない。

 眠って夢を見て、起きても夢を見られたら最高だと夢のようなことを思いながらまだ息をしている。



 アン、アンと女性の甲高い喘ぎ声がイヤホンから聞こえてくる。深夜、自室でアダルトビデオをパソコンで観る。巨乳が揺れる。床には丸めたティッシュが転がっている。

 佐藤さとう優太ゆうた、三十五歳。千葉県にある実家の一軒家に住む無職の男である。東京にある大学で文学部を卒業して県内の企業に入社したが三ヶ月で退職。それ以降は就活やバイトもせず自堕落な生活を送っている。

 彼には小説家になるという夢があった。大学在学中に賞を取りデビューをする。そして、印税生活を楽しむ。そんな淡い夢を抱いていた。しかし、その夢も歳を重ねるたびに薄れていく。夢から目を覚まして働ければ良いのだが彼の体は鉛のように重く、動かない。夢を諦め切れないのか小説投稿サイトに暇潰しで書いている作品を今も投稿している。

「はぁ」

 気になっていた女優のアダルトビデオを観てから優太は部屋の窓を開け換気してから小説投稿サイトを開く。窓から風はほとんど入ってこない。サイトには自分が連載している小説のタイトルが表示されている。ライトノベルと呼ばれる作品を優太は趣味で書いている。ジャンルは異世界ファンタジーだ。剣と魔法の世界で勇者の活躍を描いている。

 左手にレモンサワーの缶を握り、一口飲む。ジリジリと炭酸が舌を刺激する。

 ただの暇潰しとして作品を書き、自分が何者かになったかのような錯覚をするのが優太は好きだった。承認欲求からくる感情であるとわかっているがそれを小説以外で発散する術(すべ)を彼は知らない。

「この子は巨乳の金髪女の子にして」

 独り言を呟きながらこれから追加するキャラクターの設定を考える。ライトノベルはキャラクターを重要視する。話は二の次とまでは言わないがとにかくキャラクターが良くないと見向きもされない。それに自分の理想を描けるというのは快感だ。

 優太が目を留める。珍しく作品に感想が届いていたからだ。小説投稿サイトには作品に感想を送る機能がある。そこで批評をする人や応援コメントをくれる人がいる。

『シュガーさんの作品読ませて頂きました。キャラクターがみんな可愛くてそれでもシリアスさがある内容でとても面白かったです!』

 シュガーというのは優太のペンネームだ。コメントを送ってくれた人物のプロフィールを見てみると、名前は『サクラ』と言うらしい。多分、女の子だろう。作家を目指していることが紹介文に書かれている。

「作家志望ねぇ」

 前は優太もそうやって堂々と宣言していた時があった。そして、いつからかそうプロフィールに書くのが恥ずかしくなった。歳のせいだろうか。

 優太はサクラにお礼のコメントを返す。社会人としてこういうことがすんなりとできていれば良かったのにと思いながら。


 翌日、優太の小説専用TwitterにサクラからDMが届いていた。優太は小説投稿サイトとTwitterを連携しているのでそこから辿り着いたようだ。フォローまでされている。

『とても面白い作品だったのでフォローさせて頂きます!』

 フォローされてもなと優太は思った。彼女が面白いと思ったのは優太の作品であり、優太自身ではない。ただ、フォローを返さないのも偉そうな気がしたのですぐに返すことにする。DMにはお礼だけ送っておいた。


 無職である優太の生活リズムは乱れている。眠る時間は朝の五時、起きるのは昼の十二時近くだ。この生活リズムで優太自身困っていることはない。用事はないし、そもそも仕事がないのだから。社会人が満員電車に乗っている時間に優太は布団の中にいる。社会人が昼休憩する時間に優太は起きる。そして、家で朝昼兼用の昼飯を食べる。それが優太にとっての普通だ。

普通じゃない優太の普通は他人からどう見えているのか優太は気になった。


 一週間ぶりに外へ出た。高校時代の知り合いに呼び出されたのだ。夏の夕方六時はまだ明るい。秋山あきやまさとしは優太の顔を見ると昔と変わらない笑顔を向けてくる。

「また太った、お前?」

 相変わらず失礼な彼は長身でジムに通って鍛え上げた筋肉がスーツを着ていてもわかる。そして、その笑顔を振りまいて沢山の女と逢瀬を重ねているのだろうと想像できる。

「予約してあるから」

 そう言って先に覚は階段を上っていく。

 きっと覚が優太と友達でいる理由は優越感に浸りたいからだろう。童貞で働いてもいない、そんな弱い男と自分を比べて彼は快感を得ているのだ。そう考えると自分が生きている意味が少なからずあるのだと優太は思った。

「安心しろよ。今日も俺の奢りだから」

 それじゃなきゃ来ねえよと優太は内心思った。でも、態度に出してしまったら財布を出さなければいけなくなるのでグッと堪える。これも働いていない罰だと思いながら。

 覚が予約していた旨を告げて通される。店内はまだ六時過ぎということもあり空いていた。椅子に腰をおろしてからすぐに覚がメニューを開く。

「こんなメニューが多いと選ぶのが大変なのになぁ。ジャム理論を知らないのかよ」

 自分の知識をひけらかす彼に優太は上手く相槌が打てない。これが気の利く奴なら上手くできるのだろうなと優太は思った。

「俺が勝手に頼むぞ」

 俺が支払うのだから当たり前だと言わんばかりに確認してから覚は手を挙げる。素早く店員がやってきてハンディを打ちながら注文を受ける。

 注文をし終えた覚が時間潰しに丁度良いと思ったのか質問をしてくる。

「そう言えば、まだ小説書いてんの?」

 あんなことまだやっているのかという風に優太には聞こえた。多分、意味としてはそう言われているのだろう。それを隠そうとはしているものの全然隠せていないのは優太に対してあまり気を遣っていない、使う必要がない存在だと思われている証拠だ。

「最近は書いてないよ」

 あっさりと口から嘘が出てきてくれた。昔から優太は嘘が得意だった。だから、友達がいないのかもしれない。

「そうなんだ。まあ、そうだよな」

 既に出していた答えが当たって満足したのか覚は頷いて納得している。対面にいるはずなのに会話だけは優太がいなくても成立しそうだった。

「というか、いい加減働けよ。親が可哀想だろ」

 親が可哀想?

「こんなデカい息子を老人が養うなんて意味わからないだろ」

 意味わからない、か。きっと、優秀なお前にはわからないだろうなと優太は思った。

「……そうだね」

 共感、しているフリをする。優太は両親が可哀想だと思ったことがなかった。むしろ、こんな無能に産まれた自分が可哀想に思えた。

 共働きをして優太を養う。それが両親の生きがいだと優太は信じている。

「あれなら俺が紹介してやろうか。面接はしてもらえるはずだ」

 面接だけか。口添えしてもそんなに効力ないんだなと失礼なことを思ってすぐに消す。自分よりは地位が上の人間にそんなことを思っていたら優太のような人間は生きていけないから。

「ありがとう。でも、迷惑になるから」

「そっか。まあ、頑張れよ」

 幻聴なのか、後ろにせいぜいとついているように聞こえた。それから注文した酒や焼き鳥を中心としたつまみが運ばれてくる。

「あの子、可愛いな。LINE交換してくれねえかな」

 女性店員の尻を眺めながら覚が言った。

 店員を狙う覚に優太は苦笑しかできない。それと同時に今日出会ってばかりの人間とお近づきになりたいと思えるほどの自信が自分にあるのは羨ましいと思った。

「秋山ならいけるんじゃない?」

「どうだろうな。何回か通ってそこからってとこかな」

 満更でも無い顔で言う彼は気持ち良さそうにビールのジョッキを呷る。

「仕事終わりのビールはやっぱり美味い。これを経験できないのが働かない一番のデメリットかもな」

 気持ち良さそうにビールを飲む覚を見ても羨ましいと優太は思えなかった。ビールの苦味よりも仕事で味わう苦さが無理過ぎてゴールまで辿り着けないからだ。若くして営業部の部長をやっている彼にそんなことは微塵もわからないのだろうなと思いつつ優太はレモンサワーを飲む。酸味が喉を刺激する。

「佐藤は今、彼女いんの?」

 唐突に聞かれて優太はすぐに首を横に振る。彼女なんて今どころかできたことがない。これからできる可能性もない。残酷な質問だと思った。

「女遊びは楽しいぞ。金を持って身体を鍛えれば女がホイホイと寄ってくる。それで酒を飲みながら機械のように女の話を聞いていたら気づいたらベッドの上だ。仕事なんて所詮は女を釣る餌でしかない」

 酷い言い草だと思ったが無職で彼女のいない優太には否定できない。ただ、優太が働いていても彼のようにはなれないことだけはわかった。

「普段はツンツンしている女がベッドで喘ぐ姿が堪らないんだよ」

 それはアダルトビデオで毎日観ている。だけど優太が観ているのは全て女優の演技でそこには虚しさがあるだけ。覚が体験しているものとは雲泥の差がある。セックスに興味はある。性欲もある。それでもそれを風俗で満たしたいとは思えない。

「女の味を覚えないと男は駄目だぜ」

 そう言って覚は焼き鳥の串を手に取りワイルドに食べる。女の食べ方、そんなもの大学まで行ったのに学校では教えてくれなかったなと優太は思った。

 男同士語り合ったと言うよりかはサンドバッグにされたと言った方がしっくりくる。サシ飲みは二時間ほどで終わり、覚と別れた優太は帰路につく。

 頭が痛み、視界が歪む。酒を飲み過ぎたから仕方がない。つまらない話を聞いたのだから沢山食べて飲まないと割に合わない。フラフラになった足で近くのコンビニに入る。バイトの男の子の適当ないらっしゃいませを聞く。適当に言って時給が減るわけではないから賢い働き方だ。

 コンビニは無職に優しい場所だ。夜も空いているし、どこか歓迎してくれている空気がある。

 ロング缶のレモンサワー一本とペットボトルの水を一本、オレンジ色のカゴに入れる。あとはカップ麺を入れてレジに行く。「袋いりますか?」と言われて、手ぶらなんだからいるだろと思いながら答える。どこも無職がいるのに人手不足。意味のわからない世界だなと思いつつ優太はコンビニを出る。スマホでネットニュースを見れば誰かがまた足の引っ張り合いをしている。良いニュースは日本人メジャーリーガーの活躍くらい。投手と打者の二刀流を熟せている人がいる中、何一つできない無能だってここにいるのだから世の中にはやはり平等なんてない。これからも有能が無能を排除しない日本でいることを星に願った。

 帷のおりた中、優太はコンビニ袋を振り子のように振ってスキップをする。無職である罪悪感が自分にあれば良かったのにと思いながら。


 優太は将来の夢を聞かれるのが苦手だった。大きな夢を言っても小さな夢を言っても笑われそうだったから。だからできる限りの普通を目指した。結果、底辺になった。

 今まで普通を目指して生きてきたのに今になって特別を目指して生きてしまっている。逆行した生き方は身を滅ぼす。そのことを優太はまだ知らない。

 サクラからTwitterのDMが届いたのは覚と飲みに行った二日後だった。

『シュガーさんに私の書いた小説を読んで欲しいです!』

 随分と勝手なお願いだなと優太は思ったが暇なのでオッケーした。断っても良かったが断る理由が見つからなかった。

 昼間から小説投稿サイトを開いて素人の書いた小説を読む。サクラの書いた小説は恋愛小説だった。イケメンと美女の甘くて優しい世界がそこには書かれていた。

 優太はハッピーエンドが好きではなかった。人間は必ず死ぬのにハッピーエンドなどあり得ないと思っているからだ。人生はバッドエンド、この考えを覆すことができない。

 角砂糖のように甘い作品を読み終えてからTwitterのDMで感想を送る。

『風景描写が足りないのと起承転結の転が弱い』

 これは優太もよく言われていたことだった。それを改善できていればプロの作家になれていたのだろうか。そういう問題ではない気がする。

 優太はその勢いでサクラ@小説垢の今までのツイートを眺める。

 小説アカウントと謳っているが投稿しているのはカフェで撮った写真や顔を隠した制服姿の写真が多い。優太はそれを見て溜息を吐く。彼女も自分を何者かにしたいだけの存在であり小説をただの道具として扱っていることに反吐がでる。

 フォローを外そうかと思ったがもう少しだけ彼女に期待したい気持ちがあったのでやめておく。若い者に期待する、優太にできるのはこれくらいしかない。

 夕方、学校が終わったのか、DMが届く。

『シュガーさん、感想ありがとうございます! 風景描写苦手で笑 これから頑張ります!』

 とても前向きな文を受け取り優太は自分の部屋の白い天井を見上げる。

 きっと彼女は小説家になんかならなくても社会で上手く立ち回って周りから好かれる人生を歩める。女の子にとってそっちの方が断然良いはずだ。

小説は満たされない者が書くものだ。欠けているから奇妙な文章が書ける。感情を揺さぶる物語が紡げる。そう考えると彼女は満たされ過ぎている。

『頑張って』

 自分に対する呪いのように優太はその言葉を打った。


 優太は昔から学校が嫌いだった。それなのに高い金を払って大学まで行ってしまった。正確に言うなら親が金を支払った。大学に行けば良い会社に入れる。そう信じて疑わない両親とそれを叶える自分を手に入れたかったからだ。

 やりたいことは特になかった。だから大学に行ったとも言える。みんな、そんなものだろう。そう思っていた。しかし、実際のみんなは優太が考えるみんなよりも大人で未来を見据えていた。そして、優太が子どもなのだとわかった時には既に社会の梯子は外されていた。

 どこから人間は差がつくのか。その答えを皆知っているはずなのに知らないフリをする。答えは最初からだ。母親から産まれた瞬間、能力は決まっている。それを学校は否定する。正解を不正解とする場所が学校なのだ。

 唯一、学校で有意義なのはイジメだ。あれは人間の本能をそのまま表している。だから教師も黙認する。あれこそ教育だ。有能、無能は虐められる。普通を演じられなかった罰として。優太はちゃんと無能として虐められた。あの時点で線引きが終わっていたのだ。

 だから、学校は嫌いだが必要だと今では思う。

 優太が高校一年生の時だった。どうして虐めはいけないと思うと聞かれた。優太はこう答えた。「面倒だから」と。それを聞いた教師は笑った。その笑みに何が含まれているのかあの頃の優太はわからなかった。でも、今なら少しだけわかる気がする。確かにそうだなと思っている笑みだということが。

 虐めは面倒だ。虐めた側も虐められた側も見ていた側も損しかない。それでも人間はそれをせずにはいられない。他人の未来を奪うことが快感だと知っているから。

 優太にとっての快感は今のところ小説しかない。そのことは申し訳なく感じている。なぜなら優太も小説を道具として扱っていることになるからだ。自分にとっての快感、これをもっと早急に見つけなければ生きている意味がない。

 平日の昼間、優太は快感を見つけに行くことにする。太陽の光を浴びてパチンコ屋に向かう。子どもの頃はパチンコなんて絶対にやらないと思っていたのに無職となった今では平日の昼間に行けるのはパチンコくらいだ。

 十分ほど歩いて優太はパチンコ屋に着いた。店内は騒がしい音と眩い光で溢れている。席に座っているのは老人が多い。平日だから当たり前かと思いつつ台を選ぶためうろうろと歩き回る。当たりそうな台を選ぶというよりは打ちたい台を選んでいる。

 選んだのはエヴァのパチンコだ。普通のパチンコと違ってハンドルが台の中央に設置してある。両手を使って操作する。

 優太は千円札をサンドに一枚入れる。本当なら一万円札を入れたいがお金がないのでこれが限界だ。サラリーマンをやっていたら一万円なんて簡単に入れられるのだろうなと思った。

 玉貸ボタンを押してじゃらじゃらとパチンコ玉が上皿に流れてくる。ハンドルを回して左打ちしていく。初心者だった頃は回し過ぎて右打ちしていたなと思い出す。

 なかなかヘソに球が入らない。ヘソに入らないとスロットが回らない。釘に弾かれた球は吸収されていく。

 パチンコは社会に似ている。様々な釘に負けず耐えられたものだけがヘソに入り甘い蜜を吸うチャンスを得られる。しかし、スロットが外れれば釘に弾かれた者と同じ負け犬、いや負け球となっていく。

 優太の打つ球は全て負け球となっていく。そして、あっという間に千円が終わった。

 これでは快感を得られないと優太は思った。元々わかっていたがこれくらいの刺激では満たせない。もっと違う何かが欲しい。喫煙室でタバコを吸っている老人をチラと見る。険しい顔で白くて小さい棒を口に咥えているとギャップを感じる。

 タバコ。これも快感を得られる道具だ。ただ、ニコチンやタールが身体に悪いことは知っているからそれに優太は手を出せずにいた。こんな自分を未だ健康にしておきたいと思えるほどに優太は自分のことが好きだった。

 結局、一千円だけやってパチンコ屋を出た。コーヒーの自販機があったのでアイスのカフェラテを買う。少し待ってから小さな氷がたっぷり入ったカフェラテが紙コップで出てくる。

 それを取り出し優太は近くのベンチに座ってカフェラテに口をつける。カフェラテと共に口に入ってきた小さな氷を噛み砕く。ガリっと音が鳴る。こんなのんびりとした時間はサラリーマンをやっていたら送れないだろうなと優太は思った。

 人間は時間に追われすぎている。人間にとって大切な時間はそこまでないのにも関わらず。睡眠、食事、運動。そこに仕事が果たして必要か、優太は懐疑的だった。

 カフェラテを飲み終え、紙コップをゴミ箱に捨てる。不要なものは捨てていく。それは社会も同じ。会社でのリストラ、社会でのリストラ両方ある。

 男として弱い者は淘汰される。その現実を優太はよく知っている。学生時代から女にモテることなど皆無だった。もし、本気でモテようとしていたら人並みの快感を得られていたのだろうか。そんな意味のないことを考えてから立ち上がった。


 深夜、優太はいつも通りパソコンを開く。アダルトビデオの刺激よりも小説での快感を得ようと決める。やはり優太にはパチンコより小説が合っている。

 小説投稿サイトを開くとまたサクラから感想が届いていた。

『更新ありがとうございます! とても面白かったです!』

 何も内容がない感想に優太は驚いたが自分の作品が面白いと言われて悪い気はしなかった。適当に感謝の文を打って送る。

 サクラのようなリアルが充実している女の子が優太の小説を読む理由がわからなかった。きっとただの暇つぶしだとは思うが特別な意味を見出したくなる。これがライトノベルなら優太のことが好きでネットから始まる恋愛なんていう結論を出したくなるがそうでないのが現実だ。そのことは童貞の優太にもわかることだ。

 優太はまた明日、投稿する原稿を書くことにする。この物語がいつまで続くかはわからないが今のところ辞めるつもりはない。ストックがあればあるほど書籍化の打診があるからだ。一縷の望みに賭けるしか起死回生できないのだ。



 もしタイムマシンがあっても使わないと思う。過去に行って今までの努力をなしにするなんてことしたくないからと鈴木すずきさくらは考える。

 桜は中学生の時、虐められていた。容姿が他の女子と比べて良かったから。人間は普通でなければ排除される。排除しないと自分の生存が脅かされるから。そんなつまらない動物だ。

 相談したくても誰に相談すれば良いのかわからなかった。両親は働いていて、教師は自分のことを優秀だと思っている。桜も自分で解決できると思い込んでいた。

 ある日、身体が動かなくなった。朝、ベッドから起きあがろうとできなかったのだ。

 人間は脆いもので心が壊れると身体にも影響が出てしまう。

 このまま不登校になるのかと桜は思った。それと同時になんで私が不登校にならないといけないのかと思った。悪いのは私の容姿を妬むクラスの女子たちなのに彼女たちはブサイク同士仲良く教室で生きていられる。私は学校に行きたいのに未だベッドから出られない。そう考えるととても腹が立った。

 容姿は親から遺伝する。桜を虐めるくらいならブサイクに産んだブサイクの両親に文句を言えよと思った。まあ、それができないから自分が虐められているのかと納得した。

 顔は整っているのに桜の性格が歪んだのは顔が歪んでいる奴らのせいだ。

 高校生になったら何かが変わるのか。それまで息を殺しながら生きなければいけないのかと桜は溜息をついた。そんな時に彼女は小説と出会った。

 小説には桜の虐めなど無にするほどの嘘が描かれていた。ミステリーだと簡単に人は死ぬし、復讐は日常茶飯事。特に桜が気に入ったのは砂糖のように甘い恋愛小説だった。

 こんな恋愛、きっと現実にはないと中学生の頭でわかっていながら心のどこかでそれを必死に求めていた。

 小説を使った現実逃避に成功して桜は不登校にはならず無事中学を卒業した。

 そして、高校生になった桜は充実した学校生活を送っている。最近のマイブームはネット小説を適当に読んで感想を送ること。前までは読むだけだったがちゃんと誰かが見ていることを伝えたくなったのだ。

 高校は自分と近い偏差値の人が集まる場所だから居心地が良い。友達はみんな顔が可愛いし、彼氏はイケメンだ。中学で満たされなかった分まで高校では満ち足りている。

 ただ、そんな桜にも少し困っていることがある。

「うわぁ、またDM来てる」

 放課後、いつもの女子グループ三人で歩いている時に桜が口を開いた。その言葉に足を止める二人。

「桜が言ってた小説書いている人?」

「そうそう、私から作品褒めたら最初はそっけなかったけど最近だと小説以外のことも送ってきてさ」

 そう言って桜は友達の方にスマホを見せる。それを友達二人が顔を寄せて覗き込む。

『スタバの新作フラペチーノ美味しそうだね』

 桜がツイートしたことについての感想が届いている。リプライなら構わないがDMで送られると気持ち悪さが増す。

「桜に興味津々じゃん」

「ねー、付き合っちゃえば」

 適当なことを言う友達に桜は苦笑する。他人事だとそんな反応を自分もしてしまうだろうと思いながら。

「ネットの人は怖いなぁ。やっぱリアルが一番だよ」

 中学生の時には思わなかったことをするりと口から出せてしまう。

「そうだよねー」

 共感してくれる友達がいることに桜は安堵する。周りを見渡せば誰かがいてくれる。それだけで幸せを感じられる。小説なんかがなくても。


 小説家志望だったのは中学生の一瞬だけ。高校生になれば小説家になるなんて無理だということに普通なら気づく。桜の今の夢はできるだけ良い大学に入って立派な社会人になること。そして、好きな人と結婚することだ。

 夕食後、白を基調とした自分の部屋で勉強机に置いてあるノートパソコンを開く。

 小説投稿サイトには桜が書いた恋愛小説が表示されていてコメントが二十件ほど届いている。その中にはシュガーもいた。

「女子に寄ってくる男たち、か」

 甘い蜜にコメントという貢ぎ物を持って寄ってたかるユーザーに桜は溜息を吐く。どうしてこうも男は単純なのだろうか。

 今の桜にとって小説はTwitterのフォロワー稼ぎでしかない。小説を道具にしている。そうわかっていても寄ってくる男は腐るほどいる。若い女の肉体を求める獣たちが次々にフォローしていく様を眺めるのがストレス発散になる。

 童貞はキモい。優しい言葉をかけてあげる女子もいるが桜はそう思ってしまう。今の時代に合わないだろうか。そうでも構わない。キモい男とセックスするくらいなら死んだ方がマシだ。

 恋愛小説を書いている身として申し訳ないが現実の恋愛で奇跡は起こらない。ライトノベルで描かれる恋愛はもっとだ。理想郷は書くだけに留めておいて欲しいと桜は思った。

「ブロックしておこう」

 そう言って桜はスマホを手にしてTwitterを開く。そして、シュガーをブロックした。

 現実の人間関係もこう簡単なら楽なのにと桜は思った。

「女子は気が変わりやすい生き物なんだよ」

 桜はパソコンを閉じてからスマホを机に置いてお風呂に向かった。



 自分より可愛い人が嫌いだ。可愛いという言葉は自分に向けられなければ意味がないと思えるくらいに。土田つちだ愛美あいみは高校に入学するまで自分の容姿に自信を持っていた。そんな自信を打ち砕いたのはクラスメートの鈴木桜の存在だった。

 彼女はとても可愛かった。シンプルだけど強烈な個性だった。彼女の隣でその眩い光に焦がれる男どもを見るとガッカリした。ああ、所詮は顔なのだと。

 愛美の夢はアイドルになることだ。それは子供の頃から抱いていた夢であり叶えられる夢だとも思っていた。しかし、それを揺らがせたのは友達の桜だ。

 嫉妬した。だけど、尊敬もした。真に可愛いと男を自由自在に扱えることに。自分もこうなりたいと愛美は思った。

 尊敬するとその人を観察することが必要になってくる。だから愛美は桜と共に行動して彼女の魅力を深掘りする。

 フラペチーノのカップを握る小さな手が可愛い。少し八重歯が見える笑顔が可愛い。歩くのが少し遅いのが可愛い。可愛いのに愛美たちを可愛いと本心で言っていそうなところが可愛い。観察するとやはり桜は可愛いに溢れていた。

 これまでも彼女は恵まれた人生を歩んでいたのだろうなと愛美は思った。友達が沢山いて自分に好意を向けてくれる人がいる。不自由ない人生のレールがずっと続いている。そこに障害物などないと。

 彼女を排除したい、してみたいと一瞬は思った。しかし、桜を排除しても彼女には救われる人生が待っていると思う。きっと、桜の人生は自然と良い方に軌道修正されていくはずだ。それなら時間の無駄だ。仲良くして桜の友達でいる自分を手に入れた方が生きやすい。だから、愛美は桜と友達でいるのだ。高校生になったら純粋な友達関係なんてなく、打算が働いてしまうのが悲しいと愛美は思った。


 桜たちと別れて家に帰った愛美は自分の部屋でアイドルの歌を聴く。これが愛美のストレス発散だった。アイドルグループの中にもセンターになれる子は一握りだ。楽曲が変わってセンターになってもCDの売れ行きが悪ければ意味がない。アイドルは芸術ではなくビジネスなのだと高校生の愛美でもわかる。

 そんな荒波に向かおうとしている自分が愛美は好きだ。挑戦している自分に酔ってしまえるほどに自分のことが魅力的だと思う。だけど、本当に魅力ある者は自分に酔うなんて感覚があるのだろうか。いくら友達でも桜にそんなことは聞けないと思った。

 愛美はアイドルのオーディションを受けているが書類審査で落とされる。それでも希望を捨てないのはSNSの反応があるからだ。愛美は自撮りをインスタで投稿している。フォロワーは4000人。一般人としては多い方だ。投稿に可愛いなどのコメントが来ることが彼女にとっての快感だった。

「今日もあげとこ」

 愛美は独り言を呟いてから適当に部屋の中で自撮りをする。写真の愛美は不気味なほど綺麗に笑えている。一瞬、違う誰かが代わりに映っているのかと思うほどだ。ピンクを基調とした部屋が背景として映えている。満足げに彼女は撮った写真に少し手を加えてからインスタに投稿した。

「また、あの人からコメント来るかな」



 怠惰な人間が嫌いだ。怠惰な人間は皆死ねば良いのにそういう奴に限って長生きする。

 秋山覚は営業を一件終えてから千葉駅近くの喫煙所にタバコを吸いに行く。喫煙所内は覚ひとりだった。ライターでタバコに火をつける。最近では電子タバコやシーシャなどが流行っているが覚は紙タバコが好きだった。社会の余計なお世話で少なくなった聖域をこれ以上減らさないよう誰も見てはいないが存在を示すように紫煙をくゆらす。

 人間の心の内は汚いものだらけだ。日々、生活に必要のないようなものを売りつけているとそう思わずにはいられない。ニコチンやタールで誤魔化すことはできてもストレスの根本を取り除くことはできない。ギャンブルでも駄目だ。パチンコや競馬など試してみたが筋トレの方がマシだった。覚にとって一番のストレス解消法はセックスだった。

 女とセックスすることだけが覚の快感だった。


 夜、覚はマッチングアプリで出会った女と酒を飲んだ後、千葉市中央区にあるホテルに行く。会社と家以外で一番行っている場所はホテルと言っても過言ではない。

 美女はキスで楽しみ、ブスは脱がせて味わう。この考えを持っておくだけで覚はどんな女ともセックスを楽しめるようになった。

 喘ぎ声なんて必要ない。無理矢理出させてもそこには本物がないからだ。別に演技でも構わないから喘ぎ声を聞きたいという男もいるかもしれないが覚はそうではない。ブスが喘ぐものなら覚は口を塞いでしまうだろう。

 今日の相手は二十代後半のブスだった。マッチングアプリでいいねをしたらすぐにマッチングするくらいのブスだ。きっと覚の顔と肉体、年収に惹かれたのだろう。服をすぐに脱がせ前戯は短めですぐに挿入した。

 正常位で腰を振るとベッドがギシギシと鳴る。お椀型の大きめな胸は揺れる。

 気持ち良いと女は言った。こっちはゴムをつけているのであまり気持ち良くはない。それでも俺もと平気で嘘をついた。

 抱ければ誰でも良かった。もう埋まることのない劣等感さえ誤魔化せればそれで。

 先日、一番嫌いなタイプに飯を奢ってから覚はセックスの回数が多くなった。

 こっちが優太を見下せているはずなのに人生という大きな視点から見れば確実に負けていることが覚にあるからだ。それは学歴だった。

 覚は貧乏だった。勉強とスポーツ、文武両道でバイトも頑張ってきたが金には負けた。奨学金を借りようと思ったが親に働いてくれと頭を下げられた。仕方がなく覚は今の会社で働くことを決めた。

 社会人として働いて貯めた金で大学に行こうと考えたこともあったが周りが大学を目指していたあの時、大学に行きたかっただけだと気づいてやめた。選んだのは自分だ。そんなことはわかっている。でも、当たり前のように大学に行って卒業して無職でいる同級生が許せなかった。

 無職に当たっても仕方がないとわかっているので覚は目の前にいる女に正常位で自分をぶつけ続ける。

 さっきよりは気持ち良さを感じてくる。やはりセックス中に考え事をすると捗る。頭が冴えている。もうすぐでフィニッシュだ。

「一緒に行こう」

 そんなブスの言葉に頷いて覚は夜を終わらせる。そして、来ることのない朝をお前はどう迎えているのかと窓の外にある暗闇を見た。



 眠くなったので夕方から眠って午前一時に起きてしまう。生活リズムを戻せるかと思ったがそう簡単にはいかないようだ。無職はいつでも眠れるがそれが健康に良いかと聞かれればそうではない。眠りすぎは身体に毒だし、昼夜逆転は自律神経を乱す。太陽に浴びることができれば改善できるのだが優太は引きこもり気味なので太陽とは顔合わせができない。

 どうせこのまま布団にいても眠れないことは長年の昼夜逆転生活でわかっているので起きることに決める。スマホを手に取り、Twitterを開く。そして、優太は目を見開く。

 フォローとフォロワーにサクラの小説アカウントが見当たらないのだ。今までのやり取りも消えている。

 どうして?という感情が強かった。何か嫌われるようなことを優太がしてしまったのか、そう考えると冷や汗が出てくる。

 焦る優太はパソコンを開き、小説投稿サイトを検索する。優太の小説に送られていた感想を見て心を落ち着かせようとする。しかし、サクラから送られていた感想も全て消されていた。なんで、どうして、なぜ、なにが。そんな言葉たちが頭の中で波のように襲ってくる。サクラからの好意を受け取って返しただけなのに。

「ふざけんなよ」

 そう呟いてから優太は小説投稿サイトを消してアダルトビデオのサイトに飛ぶ。それから女子高生の動画を検索する。制服姿の女優が犯されているところを優太はゆっくりと楽しむ。

 最近、性欲が止まらない。男性器はずっと硬いし、抜いてもまたすぐに硬くなる。サクラと関わって覚と酒を飲んでからずっと続いている。これが本来の男としての反応なのかもしれないが不便だ。

 優太はオナニーが好きなのではなく夢精が嫌いで予防の為にオナニーをしていた。それが快楽の為に変わっているのが恐ろしく思えた。


 昼に起きた優太は散歩に行く。犬の散歩ではなく自分自身の散歩だ。太陽を浴びようと思ったのだ。社会のリードは外されたが古来より歩くように設定された足でコンクリートの地面を踏み締める。

 人間の身体は使わないと劣化していく。脳、腕、足は勿論、一度も正しい使われ方をされていない優太の局部は機能を保とうと頑張っている。いつか本当の使い方ができる時のために。

 平日の昼は人がいない。皆が学校や会社の建物内にいるからだろう。今、外にいる優太はマルバツゲームで一人選択を間違えてしまった人に似ている。

 働いていなくても朝飯を食べていなければお腹が空く。お腹の虫が暴れているので宥めるために近くのラーメン屋に入る。

 カウンター席に座った優太に店員が急いで水を持ってくる。それを一口飲んでから優太はメニューを開く。

 夏だけどラーメンという食べ物は不思議でクーラーの効いた部屋で食べるラーメンもまた絶品なのだ。それを知っている優太は迷わず味噌ラーメンを注文する。注文を繰り返す元気の良い挨拶を聞いてから優太はスマホを弄る。Twitterにサクラがいない。その違いが優太の中でとてつもない違和感となっている。

 しばらくして湯気を出す味噌ラーメンがやってきて優太はスマホをポケットにしまう。割り箸を手に取り割って麺を食べ始める。もちもち麺に味噌スープがよく絡んでいる。メンマともやしもバランスよく食べる。

 サラリーマンたちが休憩時間に牛丼をかき込んでいる中、優太はゆったりとラーメンを啜っている。無職の方が人間の重要で限りある時間という資源を多く持っているというのは皮肉だと思った。

 ラーメンを食べ終わり、優太は店を出る。昼食を終えた優太には夕食までやることはない。パチンコ屋にでも行こうかと思っていると近くの私立高校から鐘の音が聞こえる。きっと昼休み終了を告げる鐘だろう。

 優太の高校時代は無だった。何一つ、心踊る出来事はなかった。青春という言葉が他国の言葉に聞こえるほどだった。そんな風に過ごす者と青春を謳歌する者がいるのだから平等なんて言葉はまやかしだと思ってしまう。しかし、今となっては青春を謳歌できなかった時点で優太は負け犬だったのだろう。線引きは既に終わっていたのだ。それがわかってしまうくらいに優太は歳を重ねてしまった。そのことがどうも悲しく悔しかった。

 過去に戻れてもう一度、高校生活を過ごすとしたらどう過ごすのだろうか。良い大学に入るために猛勉強をするのだろうか、それとも今度こそ青春を謳歌するために自分磨きに力を入れるのだろうか。どちらにしても今より良い状態を作り出そうと頑張るのだろう。

 優太の人生はもう終わっている。まだまだこれからだという無責任な言葉はいらない。彼に必要なのは物語を終わらせるピリオドだった。しかし、現実にピリオドを打つ者は自分以外存在しない。臆病者の優太にそれはできなかった。

「俺は、あと何をすれば死ねるのかな?」

 嫌味なくらい綺麗な青空は優太を見下ろすだけで何も言ってくれなかった。



「やった! あの人からメッセージ来た!」

 愛美はインスタで待っていたメッセージが来てベッドの上でジャンプして喜ぶ。相手は『サトシ』という名前だった。

「可愛いよ、だって。嬉しいなぁ」

 サトシのインスタは自身の日焼けした鍛え上げた筋肉を写した写真が並んでいる。それを見て愛美は思う。抱かれたい、と。

「思い切り抱きしめて貰いたいなぁ」

 ハグは強ければ強いほど良い。ハグの強さこそ愛の大きさだと愛美は考えているからだ。

 誰かに愛されることが愛美の快感だった。承認欲求は人間には誰にでもあるが愛美はそれがとても強かった。多くの者に愛されなければ存在する理由がないと思うほどに。

 母親は真に愛されていなかったから浮気をされた。相手が母より若いという理由だけで。愛が数値で見えれば良かったのに、そうすれば最善の努力をするのにと愛美はいつも思っていた。

 愛の数値はわからないがセックスなら回数を数えられる。そう思った時には愛美は身体を悪魔に売っていた。快感を得て、罪悪感も得ているはずなのにそれに気づかないほどに。

 身体を売ったパパ活なんて学校の授業で教えて良いほど合理的なお金の稼ぎ方なのにと愛美は思っていた。女性はリスクが多い? そんなの集まった男に解消させれば良い。そのレベルの女になれば良い。達観していると自分でも思うがこれが現代の生き方の正解。みんな不正解を学校で習っている。

 サトシから再びメッセージが届く。内容はホテルへの誘いだった。住所などが書かれている。

 また、滅茶苦茶にして貰える。そう考えただけで下半身が疼くのを感じる。

「楽しみにしてます、っと」

 そんな返信をして愛美はスマホを置く。

 彼とやったらこれで何人目かなと子供の頃に少しやったゲームの図鑑集めに似ているなと思った。



「私と結婚してくれないの?」

 何度目だろうか、この言葉を彼に伝えるのは。喫茶店でコーヒーを飲んでいる時やレストランで食事をしている時、そしてベッドで彼と寝ている時にも質問したことがある。だけど、彼がこの質問に答えてくれたことはない。それには腹が立ったけど同時にまだ希望があることが嬉しかった。

 三十歳という年齢になってから齊藤さいとう京子きょうこは結婚を夢から現実なものに変えようと必死だった。今までだってパートナー候補はいつだっていた。しかし、妥協が許せなかったので自分から手放す男が多かった。今のパートナー候補は少し年上の営業の仕事をする筋肉質な彼だった。

「覚は結婚とか考えないの?」

 ベッドの上でことを済ませてから京子は聞いた。その質問に覚は首を捻ってから口を開く。その姿を見るだけで京子が欲しい言葉が貰えないことを想像する。

「俺はこのまま自由に快楽を求めていたい。きっと普通の生活だと満足できないたちだからさ」

 そんな我儘な覚の言葉を聞いて苛立つがすぐに納得してしまう。色々な男を相手していると本気度が肌を通してわかってしまう。彼はセックスには本気だったが結婚という女のゴールからは遠ざかろうとしていた。その答え合わせを終えて、彼は再び私の胸に優しく触れる。触れられるのは嫌いじゃない。熱を感じられるからだ。それでも、触れられなくて感じられる熱が欲しいと京子は思ってしまう。

 自分の性欲を仕事にしてみたこともあった。時給は良かったけど、汚いオヤジに触れられる度に命より大切な何かがすり減っているような気がしてすぐに辞めた。愛を金にする才能がないのだと思った。

 正常位で腰を振る覚を見ている自分が二人いる。快感を得ている自分と幽霊のように天井近くで傍観している自分だ。腰を振られる度、気持ち良いと気持ち悪いが交錯している。こんなことで気持ち良さそうにしている自分が本当に気持ち悪い。こんなものは本物の愛ではない。

 どうして彼らはラブホテルの愛だけで満たされるのだろうか?

 京子には不思議でしかない。別に子供が欲しい訳ではない。快感が欲しい時もある。それでも快感だけでは得られない何かが京子には抜け落ちている。

 腰を振り続ける彼にはこれから何かに使えるポイントが加算されているのだろうか?

 私は、男たちのただの捌け口でしかないという事実をこれからも受け入れなければならないのか?

「いきそう」

 ネガティブな感情に支配されていると彼の精力は尽きる。男は良いなと思う。ちゃんと形になって愛が満たされることを知ることができて。

「気持ちよかった?」

 尽きた覚に聞かれて京子は花束をプレゼントされたように笑う。そして、用意しておいた言葉を彼に送る。

「とても気持ちよかったよ」

 甘い声で甘いことを呟いてから気持ち良いってどんな感覚だっけと京子は思った。


 結婚という言葉は呪いだと思う。女にとっては特に。結婚しないと生まれてきた意味がないと思わせるくらいにその呪いは毎日、京子を苦しめている。多様性が尊重されると言ってもそう思わない人は結構多い。京子だって女として生まれて結婚できないのは欠陥でしかないと思う。まさか欠陥品に自分がなるとは思いもしなかった。学生時代はモテていたし、言葉を濁さず言えば男を手玉に取っていた。

 京子は化粧品を販売する会社に勤めている。男女関係なく美を求める時代になぜ美を求めているのかわからない自分がそれを売っている。化粧品を塗って人間とは違う存在になれるのだとしたらどれほど楽だろうか。

 子供の頃に書いた将来の夢でお嫁さんと書いていた頃が懐かしい。あの頃は無我夢中に好きなことを書けた。現実なんて知らずにただなりたい自分を思い描けた。毎日が楽しくて自分の存在意義なんて考える暇なんてなかった。

 高校を出て社会人となって働き、暇はなくなったはずなのに不安になる暇は残念ながら残されている。眠っても忘れられないよう京子の脳に残っている結婚の文字がプロジェクションマッピングのように会社までの道のりのアスファルトに映し出されてしまう。

 努力して、愛されることを願っていたのに安い愛だけで満足して満足できなくなって時間だけが流れていた。そんな京子を救うのはまた安い愛で冷静になったらまた時間だけが流れている。時間が流れて嬉しいのは働いて時給が発生している時だけだ。

 時限爆弾の秒数がもうすぐゼロになる。

 轟音を立てたトラックが曲がってきそうだ。

 時間を止められたら解決するのか、若い女を皆殺しにすれば愛で満たされるのか、そんなことを考えてしまう。でも、きっとそんなことはないとすぐにわかってしまう。私が私でいる限り、幸せはやってこない。早く夢から覚めよう。そう思って京子は赤信号を渡った。



 誰かが死ぬのが好きだ。誰かが死ぬとまだ生きている自分が誇らしく思えるから。

 夕方、親から貰ったお小遣いでカフェにいる優太はTwitterで流れてくる悲惨なニュースを眺める。そして、涼しげな汗をかいたアイスコーヒーを飲む。苦味が口の中に広がる。人の不幸は蜜の味なので味のバランスとしては良いかと一人納得する。

 人は必ず死ぬ。優太よりも頑張って必死に息をしていた人が必ず毎日死んでいるのだ。そう思うと働きもせずこんなにのんびりしている自分が生きているのがおかしく思える。やはり世の中はクソゲーだ。

 頑張って勉強して働こうなんて政府が税金を集めるための謳い文句だ。それを学校で子供に教えて価値観が合わなかったら不登校になる。今の社会で活躍する大人も学校で調教された人間ばかりなので嫌だ、嫌だと文句を言いながら働いている。それが正しいと無職に見せつけるように。

 国民負担率は約五十パーセントとなっている今の日本で働いている人間の方が優太には馬鹿に見えてしまう。社会から馬鹿にされているのは優太の方だと自分でもわかっているはずなのに。

 サクラに執着している自分が許せなくてストレスが溜まっている優太はアイスコーヒーと共に口に入る小さな氷をガリガリと噛み砕く。舌が冷たい。氷のようにわかりやすい冷たさなら鈍感な優太にも気づけるが人の冷たさというのはそうではない。言葉は優しく表情は笑顔でも裏には冷たさを孕んでいる。女は特にそうだ。女は怖い。だから女に近寄らないし、女が近寄ってもこない。女なんてフィクションだけにいれば良い。

 女性不信と言えるほど女と関わってこなかった人生だった。サクラは優太にとって一番関わりのある女性だった。そんな彼女との繋がりは絶えてしまった。純粋な悲しみと突然のことへの戸惑い。そして、裏切られたという感情が優太には芽生えている。

「さくら、彼氏できたの⁈ 良かったじゃん!」

 近くの席からそんな声が聞こえてくる。

 サクラ? 

 悪いことだと分かりつつも優太は耳を澄まして女子高生たちの会話を盗み聞きする。

「ちょっと、声が大きいよ」

「えー、でも先輩のサッカー部のエースでしょ。良いなぁ、イケメンと付き合えて」

「まあ、かっこいいけど」

 照れくさそうにさくらと呼ばれている子が言う。それを聞いてもう一人の女の子が口を開く。

「さくらは可愛いからなぁ。私と違って」

「そんなことないよ」

 優太はさくらと呼ばれた少女の顔を確認する。怪しまれないようにアイスコーヒーを手にしながら。確かに可愛い。長い艶のある黒髪、大きな瞳、小顔で端正な顔立ちをしている。美少女と言って良いだろう。

 彼氏ができたことによって友達に冷やかされているのだろう。あれこれと聞かれたさくらの様子を見るにまんざらでもない様子だ。照れているが嬉しいのだろう。青春がそこにはあった。

 アイスコーヒーを持つ手に力が入り、ボコっとプラスチックのカップが凹む。

 あんな青春を送りかった。優太は切実にそう思った。サッカー部のエースにはなれなかったと思うけど努力したら……。

 優太は本当に努力をしてこなかったのだろうか?

 そんな疑問が浮かぶ。努力が嫌いで努力から逃げていたのなら仕方ないが優太は勉強して進学校から大学に入学して会社に入社した。そして、社会人として優太は失格の烙印を押された。それは努力によって回避できたものなのだろうか?

 大人を信じてきた。大人の言う通りに頑張ってきた。そして、大人に裏切られた。教師は責任を取らないし、取る理由がない。親だってそうだ。親が悪いと言われることは今のところない。全てが自分の責任。

 本当にそうだろうか?

 優太が悪くて無職になった。優太がイけてないから女にモテない。優太が悪いからサクラから逃げられた。優太が、優太が、優太が、優太が、優太が。

「……俺が悪いのか」

 結論を出した優太は清々しい気分になる。酒を飲んだのと同じくらいの爽快感があった。

「そろそろ行こうかな」

 さくらと呼ばれていた少女が席から立ち上がる。

「彼氏?」

「まあ、そんなところ」

 曖昧な返事をする彼女は友達に手を振ってすぐに店を出ていく。彼女の背中はまるで私は貴方たちとは違うと次元にいると言っているようだった。

 空っぽになった容器をゴミ箱に捨ててから追いかけるように優太は店を出た。



「待って」

 ベッド上で愛美は焦茶色のゴツゴツとした手で制服を脱がされる。愛美はインスタで出会ったサラリーマンのサトシとホテルに来ていた。

 メッセージが来たときは驚いたが嬉しかったのですぐに返事をした。そして、今夜がきた。楽しみにしていたはずなのにホテルの部屋に入るとなぜか怖くなってきた。今までだって大人の男の人とセックスしていたのに。

「優しくするから安心して」

 言葉や雰囲気は柔らかいが彼の目だけは全く笑っていなかった。彼の黒目が光り輝く。

 まず、シャワーを浴びる前にやりたいと彼は言った。とても慣れた手つきで愛美の体を触る。上半身から下半身へと腕が伸びる。

 愛美が表情を歪ませると彼は白い歯を出して笑う。悪魔のような顔だった。物凄く怖い。今までのセックスでこんなことはなかった。乱暴な人はいたけどそれとは違う怖さ。一体、彼は何を発散させたいのだろうか。

 彼のものが愛美に入り、少し止まってから彼が腰を振り始める。最初はゆっくり、段々と早くなる。

「サトシさん」

 自然と彼の名前を呼ぶ。なぜか呼びたくなった。

「愛美ちゃん、愛してるよ」

 愛してる、その言葉を伝えるのが仕事のように上手い言い方でサトシは言う。愛美は自分の名前に愛がついているから「好きだよ」より「愛してる」と伝えるのかなと思いながら口を開く。

「私も愛してるよ、サトシさん」

 本心で愛美は言った。

「うん、ありがとう。とても気持ちが良い」

 なんでそんなに言葉と真逆の顔をするのと愛美はサトルの顔を見上げて思った。


「これ、今日のお礼」

 行為が終わってからベッド上で愛美はサトシから一万円札を三枚、合計三万円を受け取る。

「お金は大事だよ。だから、愛美ちゃんが俺とセックスしてまでお金を稼ぐことを俺は否定しない。俺は愛美ちゃんに満たしてもらった。だから金を渡している。そうやって社会は回っている。……大学に行って遊んでいる奴らより愛美ちゃんは偉いよ」

 サトシの愛美を肯定する言葉を聞いて愛美は安心する。

「俺は大学に行けなかった。金がなかったから。行こうと思えば行けたのかもしれないけど奨学金なんてただの借金だと思ったから。今思えば就職して正解だったけど後悔はある。金が夢を変える、金がないと夢は追えないんだ。オッサンの言葉を愛美ちゃんに覚えておいて貰えたら嬉しいよ」

 セックスと違って弱々しい彼の笑顔を見て愛美はコクリと頷いた。



 労働の大切さなんて言われなくてもわかっている。働いて金を稼げる能力があれば、社会で上手くやれる能力があればどれだけ良かったかと優太は思う。人生はよーい、どん!でスタートした徒競走だと思っていたのに優太より遥か前からスタートする者ばかりでみんな優太よりも足が速かった。もっと言えば、いつ、よーいどん!と言われたかも覚えていない。

 惨めさがあったんだ。大学を卒業して入社したら優秀な奴しかいなくて毎日が比べられて篩にかけられているみたいで。自分を責め続けていたら眠れなくなって心が壊れて身体が動かなくなったんだ。助けなんて誰に求めれば良かったのかわからなかった。気づいた時には退職届を提出していた。

 風呂場で泣いて、トイレで泣いて、部屋に篭って泣いた。

 お前らにわかるか、この苦しみが。

歯を食いしばった結果がこれなんだよ。

わかったら、救いの手なんて伸ばしているなんて二度と言うな。


 今、優太は追いかけっこをしている。さくらと呼ばれていた女子高生をだ。ストーキングと言っても過言ではない。

 元々、影の薄い優太は女子高生相手なら一定の距離さえ保てば簡単にストーキングができると踏んだ。

 住宅街に入り、距離をさらにとる優太。自分が行なっている行為を冷静に考えている。今の優太はただのストーカー、つまり犯罪をしている。捕まりたいと思っている訳ではない。だけど、さくらと呼ばれた少女のことが気になるのだ。確かめないといられない。好奇心とまた違う何かが優太の足を前へと進ませる。

 彼女が角を曲がる。このまま追って、彼女が待ち伏せしていたら優太は一巻の終わりだ。深追いは危険だと判断した優太は来た道を引き返そうとする。

「いた!」

 優太の耳に届くほど大きな声が聞こえてくる。きっと、彼女の声だろう。自然と優太の足が動く。彼女のいる方向に。

「大丈夫か?」

 気づいたら、そんなヒーローのような言葉を彼女にかけていた。

「はい、大丈夫です。心配して頂いてありがとうございます」

 彼女は自力で立ち上がって頭をペコリと下げて丁寧にお礼を言う。

「怪我がないなら良かったよ」

 さっきまでストーカーだった奴が偽善者へと変わる瞬間だなと優太は思った。

「家は近く?」

 優太は無意識にそんなことを聞いていた。

「はい。もう、すぐそこの家なので」

「そっか。じゃあ俺はこれで」

「あ、お名前を伺っても良いですか?」

「ああ、佐藤優太です」

「私は鈴木桜です。佐藤さんは優しい人ですね」

 チクリと優太の胸に棘が刺さる。さっきまでストーカーをしていた奴が優しいわけがないが他人からの見え方は違うのを優太はよく知っている。善意でしたことを悪意に受け取られ、人間関係が修復不能になったことがあるからだ。今回は奇跡的に上手くいったが二度とこんなことはないだろう。

「それじゃあ、お気をつけて」

 これ以上は駄目だと思って優太はそんなことを言う。

「はい、本当にありがとうございました」

 誰かに直接、お礼を言われたのは久しぶりだった。優太の胸が高鳴る。これが恋なのか、優太はそう思った。それと同時に遅咲きの青春を優太は味わいたいと思った。

 彼女と別れた後も優太は地縛霊のようにその場に止まっていた。未練があるから優太はそこから動きたくなかったのだ。きっとここが分岐点、足を踏み出せばどちらにしても取り返しのつかないことになる。

 快感を求められるのはどっちだ?

 頭の中でそんな質問がされる。制限時間はない。足を動かさない限りは半永久的に考えられる質問に優太はすぐ答えを出す。優太の足は桜の方に向かう。そして、進んだ。


 黒の表札に白で『鈴木』と書かれている家のインターホンを押す。しばしの沈黙があり、彼女が出る。

『はい』

「佐藤です。さっき、落とされた物があったので渡しに来ました」

 躊躇いなく、するりと嘘が口から出た。もしかしたら優太の天職は詐欺師だったのかもしれないと思った。

『落とし物ですか? 落とした物あったかな?』

 疑うのも無理はない。実際は何も落としてなどいないのだから。

『わざわざありがとうございます』

 インターホン越しの会話を終わらせてガチャリと彼女がドアを開けて現れる。その瞬間を優太は見逃さなかった。すぐにドアの隙間に腕を入れて彼女を抱くような姿勢を作る。

「なんですか⁈」

 戸惑う彼女を無視してドアを思い切り開けて、優太は桜の家に入り、力づくで彼女を家の中に戻し静かに鍵を閉める。玄関で優太は桜を抱きしめ続け口を塞いだ。

「ごめんね。でも、君が悪いんだよ。君がサッカー部の男なんかに抱かれようとしているから。そんな軽い男に君の処女を奪われるくらいなら俺が奪ってあげる」

 彼女は優太の手の中でモゴモゴと口を動かすが音は出ない。それくらい強く優太の手は桜の口を塞いでいる。掌の中に当たる唇の感覚がくすぐったいが気持ち良いと優太は思った。

「今も静かだけどこれからも騒がずに俺の言うことを聞いて欲しい。まず桜にはそこに仰向けになって寝て欲しい」

 優太が床を指差すと恐怖心で彼女の心を埋め尽くせたのか桜は口を押さえられたままコクコク頷く。それを確認して優太はニヤリと笑う。

「良い子だ」

 優太は口を塞いだまま彼女をゆっくりとフローリングの床に横たわらせる。

「制服は良いね、とても似合っている」

 そう言いながら優太は桜の制服のネクタイを解いていく。白く細い腕が妨害しようとしてくるがそれを上手くかわしながら片手で制服を脱がせる。すると、ご褒美のようにピンクのブラジャーと白い肌が現れる。胸の谷間からそっと人差し指を入れてみる。

 桜の表情が歪む。それを見て優太は笑顔になる。

「感じてる?」

 アダルトビデオでしか観てこなかったことを現実でできていることへの興奮がたまらない。優太の人差し指が桜の乳首に触れる。摘んだり、潰したりと自由自在だった。

 素晴らしい。これが生きているということか。性欲が食欲や睡眠欲に並ぶ理由が初めてわかった気がする。この快感を知らずして死ねるものか。

 桜の目からは涙が生まれて頬に向かって滑り落ちて行く。

 優太は少し動揺して聞く。

「桜、どうして泣いているの? これは人間にとって素晴らしい行為なんだよ。今、俺たちは素晴らしいことをしているんだよ」

「……やめて」

 怒気が孕んでいる言葉を桜は優太にぶつけるが無視して優太はスカートを脱がす。ピンク色のパンツが現れる。

「桜はピンクがとても似合うな、名は体を表すって本当なんだな」

 ブツブツと優太は独り言を呟いて手を動かす。人差し指はパンツをするりとすり抜け膣口に吸われていく。そして、ぐちょぐちょと音を鳴らしながら掻き回す。

「桜はとても温かいんだな」

 喘ぐ桜を見て優太は高笑いする。これまで無職でも生きてきた甲斐があった。それくらいのご褒美だと思えた。

「可愛いよ、桜。とても可愛いよ」

 今、世界中の誰よりも優太は鈴木桜を愛しているのだ。愛せているのだ。この世界には優太と桜の二人以外いなくて、これからも永遠を生きていく。そんなロマンチックな二人になっていこう。そんなありもしないことを考えながら優太は絶えず指を動かし続ける。

「……もう、やめて」

「やめないよ。やめるわけない。俺をブロックした報いだ。俺も君も初めてだから新鮮な気持ちでセックスができる、これはとても幸せなことだ」

 桜が優太の正体に気づいたのか目を見開く。

「……もしかして、シュガーさん?」

「そうだよ。シュガーだよ。君にブロックされたね。自己紹介が済んだところで甘い時間を二人で楽しもう」

 優太は桜相手に一方的な愛を確かめ続ける。

 見たか、覚。俺にだってセックスができたぞ。無職なのにセックスができたぞ。お前が汗水垂らして働き、稼いだ金を使ってジムに行き身体を鍛え、女をホテルに呼ぶ努力をしているのに俺は努力しなくてもセックスができたぞ。

 ザマアミロ。

 ザマアミロ。

 ザマアミロ。

 ざまあみろ。

 ざまあみろ?


 セックスが終わり、汗を共にかいた二人だけの世界も終わる。

「……警察、呼びますね」

 桜がこの場に不適切な人物を登場させようとする。そんなことをされたら物語が破綻してしまう。

「駄目だよ。これからも俺たちはセックスをするんだ。毎日が違うセックスなんだ。それが今の俺が見る夢なんだ。俺の夢を、夢を壊さないでくれ」

「……私の夢を壊しておいてよくそんなことが言えますね‼︎」

 激怒されて優太は放心状態になる。

「俺が、夢を壊した?」

 そんなことはない。夢を壊すなんて俺にはできないはずだ。でも、桜は夢を壊されたと確かに言った。聞き間違いではない。

「……俺が夢を壊せたのか?」

「え?」

 優太は悪魔のような笑みを湛えて両手で彼女の首を掴んでフローリングの床に押し倒す。

「俺が、俺が! 君の、桜の夢を壊せたのかと聞いている! そうなら、ああ、幸せだ。これ以上の幸福はない、快感だ」

「……なんで」

 震えて言う桜の疑問には答えない。答える必要はない。優太の中に正解が生まれたからだ。

 両手の力はさらに強まっていく。桜の抵抗がなくなっていく。絞殺しているのにそれを感じないほど優太は満たされている。こんなことが法律で禁止されているから人間は生きづらいのだと優太は思った。

 桜の身体が硬くなる。これから彼女は夏の暑さとは反対に冷たくなっていくのだろう。

「とても美味しかった」

 フレンチ料理を食べ終えたかのように優太は言った。


 人を殺したかった。人を殺してみたかった。それが実現できた瞬間には達成感が、そして時計の秒針が進むたびに後悔が押し寄せてきた。

 陽炎が揺れるアスファルトを歩き、優太は交番に自首する。交番前に立っているお巡りに声を掛けて「人を殺した」と言うと目を見開かれた。慌てるお巡りに優太は笑いかけた。    交番内で取り調べを受ける。取り調べで使う椅子や机を見てドラマみたいだなと思った。

 名前や住所、職業などを聞かれてからお巡りは優太に殺しの動機を聞く。

「どうして殺したんだ?」

「人を殺してみたかった。それだけです」

 優太の答えにお巡りは首を横に振った。怒りの感情を必死に逃がしていたのかもしれない。一方、優太はとても冷静だった。人を殺したという事実に優太では抗うことはできないと悟っているからだ。弁護士に頼んでも判決を変えられるとは思えない。それに変えられても困る。桜を殺せたのは世界で唯一、優太だけなのだから。

「親御さんを悲しませてしまったな」

 ポツリとお巡りがそんなことを呟く。こんな息子を持って可哀想だという両親への微かな同情を感じた。

「悲しんでくれないと困ります。こんな怪物を産んだ罪を感じて泣いてもらわないと」

 己の性欲を満たすために才能がない自分を産んだ罪を自覚しろ。性欲に囚われた負の連鎖は断ち切ってやったのだからと優太は思った。



 桜が死んだ。学校で担任から知らされた時はなんでと思ったのと同時にあんな美人でも死んでしまうのかと思った。いや、美人だから気持ちの悪い男に殺されたのかと愛美は冷静な頭で考える。どうやら、美人だから人生上手く行くというのは間違いだったらしい。

私の憧れだった存在は簡単にいなくなった。美人は不老不死なんかではなかったようだ。

 窓の外で蝉が鳴いている。

 これから彼女のいない夏休みがやってくる。彼女は今頃、早めに突入した夏休みを楽しめているかな? 

 プールや海に行けているかな?

 天国にお祭りはあるのかな?

 あっちで友達ができるかな?

 そんなことを友達として心配してしまった。



 朝、夢から覚めた覚は朝食を食べ終え、ホットコーヒーを飲みながらテレビを観る。朝のニュースには学生時代の友達の名前がちょっとした有名人として映っている。女子高生を強姦して殺したのだという。名前の前と後ろには無職と容疑者という肩書きがついていた。

 無職は普通ではない。働くということを放棄して他人に寄生して生きているのだから。いつ犯罪者になってもおかしくないと覚は思っていたので優太がしたことに驚きはしなかった。

 社会のレールから落ちた人間は再びレールに戻ることはできない。いつカーブがあるかもわからない難易度が高いレールを人間は必死に走らないといけない。なんのために走っているのかもわからずに。

「馬鹿だな」

 ポツリと呟いてから覚は会社に行くため、リモコンでテレビの電源を落とした。


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夢食 @machidaryuichi

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