お母さん、背中に後光が指してるよ
@J0hnLee
4000字小説
『お母さん、背中に後光が指してるよ』
「連帯保証人なんてやめておいた方がいいんじゃない」
「大丈夫だよ、今野は大学時代から苦楽を共にした戦友だから。俺が困った時に金を貸してくれたんだ。自分だって困ってるのに貸してくれる男気のある奴さ」
「でも今野さんが払えなくなって雲隠れでもしたらすべてあなたが借金をかぶるのよ」
「あいつはそんな奴じゃないよ」
私が連帯保証人をやめさせようと説得するも、かたくなに拒否する夫。
最初から保証人になる気満々の夫をもう止める事はできないと思った。
こんなに熱く友達の事を語る彼を見たのは初めてだ。
そんな大切な人への援助を否定したら二人の友情まで否定しかねないと思った私。
「今野の奴ったら涙を流して喜んでたよ」
今野さんと会ってきた夫は嬉しそうに話す。
「今野さん、喜んでくれてよかったわね。友情がより深まったんじゃない」
「奴とは死ぬまで親友だよ。きっと今野もそう思ってるよ」
「そうねえ」
「君のおかげで会社がここまで大きくなったから連帯保証人になろうなんて余裕ができてきたんだと思うよ。君の経営戦略が今の世の中にぴったりフィットしたからだよね」
「このコロナ禍で私は学んだの、ここからが勝負だってね。ほらよくドラマで戦後の闇市のシーンあるじゃない。私はコロナ禍と闇市がリンクしたのよ。どんなにつらくても辛抱強く耐えてコツコツ商売した者が最後に勝つってね」
夫が肩を落として帰ってきた。
「今野が蒸発した。2700万円をかぶる事になった」
私は自分を責めた。
体をはって連帯保証人になる事を止めなければならなかったと悔やむ。
甘いよアンタ…もう一人の私が私を叱っている。
不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。
それよりも冷静に負債をどうするかを考え始めた。
「まあ人生こんな事もあるわよ。働こう、働いてコツコツ返していけばいいじゃん」
「本当は良い奴なんだよ。たまたま連絡の取れない所にいるんだよ」
「騙すより騙される方が良いって言うじゃない」
「今野は騙すような奴じゃない」
「でも行方不明なんでしょ」
「だから、たまたま連絡の取れない所にいるんだって」
夫は譲らない。
夫は人が変わったように競馬にのめり込んで行った。
私の目を盗んで家計のお金をくすねては競馬につぎ込む。
「今日は勝ってきたぞ、大当たりだ。みんなで飯でも食いに行こう」
「あなた、今野さんの負債をなんとかするためにコツコツ働いて返して行くんじゃなかったの」
「だから競馬でコツコツ当たってるじゃないか」
だめだこれは…とため息をつく私。
息子は私達の会話をリビングで本を読みながら聞いている。
夫は自分の部屋に帰っていった。
「お母さん、お父さん変わっちゃたね」
「そうねえ…どうしょうもないわ」
「もう僕も高校卒業だから大人だよ。ここまで育ててくれてありがとうね。お父さんと離婚していいよ」
「そうは言ってもね」
「この10万円、必ず100万円に増やして来るからな」
と言って夫は私の制止を振り切り飛び出していった。
高3の息子へのコロナ対策給付型奨学金10万円は、夫の無謀な賭けによりハズレ馬券となり風に舞った。
一応、結果報告だけする夫。
私は叱る気力もなく無言でいると、そそくさと彼は2階の寝室に雲隠れした。
入れ代わり息子が降りてきた。
「ギャンブルで儲かるはずがないよね」
「お父さんに言ってやって」
「何度も言ったよ」
「なんて答えた?」
「どの道にもプロがいるんだ。お父さんは競馬で飯を食ってる人を知ってる…だって」
「重症ね」
「でも僕は競馬を好きになる気持ちはわかるなあ」
「だめよだめだめ、隼人まで」
と私はたしなめた。
「僕は、ただただ馬が大好きなんだ。走る姿も美しいし、目が可愛いよね。だから高校卒業したら競走馬の調教師になりたいんだ」
「お父さんと違って将来をちゃんと見すえてるのね、隼人」
「もう進路指導の先生に相談して調教師の専門学校へ行く話が決まってるんだ」
「どうしてそんな重要な事をお母さんに言わなかったの?」
「もう大人だから」
「学費はどうするの?」
「奨学金も手配したよ」
「あなたは本当にあのだらしないお父さんの子供なの?そんなに用意周到で将来を考えてて。あっ、そこは私の遺伝子か」
「おかあさん自分大好きだね」
「まぁね」
息子は高校を卒業すると東京で一人暮らしを始めた。
寂しくて切ないけれど一人息子の前途洋々な旅立ちを祝った。
そしてろくでなし夫と二人きりの息苦しい生活が始まった。
息苦しい生活に耐えられず私は第二の人生を選んだ。
連帯保証人になる人はまた連帯保証人になると言う話を聞いた事がある。
もう体を張るのはやめた。
だって私の人生だもん。
また連帯保証人なったの!と目くじらたてるのはもう懲り懲りだ。
ちょうど息子も明るい未来への一歩を踏み出した事だし私もそれに右習えだ。
私は冷たいかもしれない。
それでもここで踏ん切りをつけなければ夫も私もだめになってしまう。
そんな気持ちが私の背中を押した。
「3年間は帰ってこないからお母さん元気でね。お父さんの為にも離婚は正解だったと思うよ。お母さんは気にせずに淡々と暮らしてね」
と新幹線のホームで言った息子の笑顔を今でも思い出す。
「会って話がしたいんだ」
四年ぶりに夫から電話があった。
四年も連絡してこなかったのに何を今さらと思った。
「もう、話す事はないんだけど」
「ずっと反省してるよ。君なしではいられないんだよ」
「ちゃんと四年間私なしで生きていられてるじゃない」
「生きた心地がしなかったよ。お願いだこれが最後だと思って」
「反省の態度が見られなかったらもう二度と会わないわよ」
「よろしく頼む」
閉じ込めていたはずの私の甘さがまた顔を出した。
息子が専門学校へ行く前に“お母さんはお父さんに甘いんだよ”と言われていたのにと自己嫌悪におちいる。
「本当にありがとう、来てくれて」
夫は先に来てファミリーレストランのボックス席に座っていた。
「何、その頭」
と私は開口一番言った。
夫は綺麗に剃り上げられた坊主頭になっていた。
お世辞にも形が良いとは言えない頭を眺めているとなんだかジャガイモを思い出して私は
プッと吹き出してしまった。
「なんだよ人の頭を見て笑うなんて失礼だよ」
「ごめんなさい。ちょっとジャガイモを思い出しちゃって」
「ジャガイモかよ、ひどいなあ」
もう絶対笑顔を見せないつもりだったのに、まさかの滑稽ビジュアルに隙をつかれた。
でもここは毅然とした態度を貫かなければと冷静になった。
「どうして坊主頭なの?」
「在宅出家講座に通って認定書をもらったから形から入ろうと思って剃り上げたんだ」
なるほどね、形から入る夫ならやりそうだと思った。
「どうして今まで音信不通だったのに連絡してきたの?」
「隼人がもうそろそろ、お父さんも十分反省した頃だし、お母さんの怒りも冷めたから連絡してみたらってメールがあったんだ」
「優しい子ね。あなたと大違い」
「そうだよな、家中の金をかき集めてギャンブルにつぎ込む男とは大違いだ」
「随分殊勝な事言うわね」
「反省したんだよ。こうして在宅出家してわかった事もあるんだ」
「まだまだね」
「えっ?何がまだまだ」
「あなたはいつも形だけでこれさえやっていれば良いと言う仏作って魂入れずなのよ」
「仏様の教えは十分実践しているつもりなんだが」
「そのつもりが危険なのよ。髪の毛を剃ったら仏様の教えがわかるわけじゃないのよ。宗教心は大切だけど宗教に依存してはいけないと思うわ。あなたはどうして連帯保証人になったのか、どうして競馬にのめり込んだのかもっと深く掘り下げなければいけないわ。それ無しに頭を丸めたってそれはただの依存よ」
「今野は良いだから引き受けたんだよ」
「そこよ、人を見る目の無さを疑いなさいって事。あなたは自分に甘い人とか自分を褒める人しか好きにならないし、敵と味方が分からない人なの」
「こんな事になって確かに人を見る目がないな」
「そうね。それからどうして競馬にのめり込んだの?」
「今野に裏切られた事で自暴自棄
になってたんだ」
「本当に自暴自棄になるしかなかった?裏切られる自分を反省する事が先じゃない?」
夫と会ってから一ヶ月が経った。
「お母さん、明日お父さんと二人で会いに行ってもいいかな」
と息子から電話があった。
ジャガイモ頭め…息子に仲裁してもらおうと手回ししたなと思ったが息子に会えるから良いかと快諾した。
「お母さん久しぶり、家は全然変わってないね」
「おかえり、よく帰ってきたね」
「お父さんと一緒に来たんだ」
夫は息子の後でもじもじしている。
息子に後ろから押されてやっと話しだした夫。
「先日は話を聞いてくれてありがとう。四年前のコロナ対策給付型奨学金を競馬ですっちゃっただろ、まっとうに働いて貯めた10万円だよ。受け取って欲しいんだ」
「ハイそこまで~。あなたが10万円なんて貯められるわけがない。それは隼人が出して
くれたお金でしょ」
夫はどうやら図星らしく下を向いた。
「それから、隼人…競争馬の調教師になりたいと言ったのは嘘よね」
「それもバレてたか、ごめんなさい。騎手になるって言ったら止められるかなと思って」
「小さい頃から武田豊人とハイパーセイチョーのポスター眺めて飛び跳ねてたから察しはつくわ。破竹の三連勝、令和の天才ジョッキー、村上隼人、あなたはすごい人ね」
隼人までが下を向いてしまった。
そして顔を上げて
「お父さんを許してあげて。携帯の連絡先を全部消したり同窓会も断って過去の栄光にすがりつく事を辞めたんだ」
と言った。
「競馬で失敗する人と成功する人か…真逆だね」
「お父さんはその失敗をバネにきっと僕たちを幸せにしてくれるよ」
「本当にあなたはお人好しね。いいわよ、もう一度やり直しましょう。隼人には足向けて寝られないわね、なんちゃってお坊さん」
お坊さんは両手を合わせて私を拝んだ。
「お母さん、背中に後光が指してるよ」
と隼人が言った。
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