人間の手

彩霞

人間の手

 僕は、人間の手が好きだ。

 ご主人さまはその大きな手で、僕を優しくでてくれる。

 僕が前足で触ることも、舌でめることもできない場所に、愛情を持って触ってくれるから。


   ☆


 俺は、人間の手が嫌いだ。

 奴らが持っている武器の引き金を、その奇怪きっかいな手で引くのが恐ろしい。

 そうやって俺たちの仲間は殺されてきた。


   ☆


 私は、人間の手が好きだ。

 私を時折抱き上げてくれるのは、あの人の力強い手だけだけ。

 そこから見える景色は、高いところに上って見下ろすのとは違うの。


   ☆


 私は、人間の手が嫌いだ。

 侵略者たちは知らない。

 彼らの手で放り投げられた爆弾が、人間を殺すのと同時に、人間ではない私の仲間を何億と殺していることを。


   ☆


 俺は、人間の手が好きだ。

 懸命な手で、仲間から取り残された俺を助けてくれた。

 傷にほどこしてくれた手当を、俺は忘れない。


   ☆


 僕は、人の手が嫌いだ。

 父の手が、母の頬に振り下ろされるからだ。

 僕は見ているだけで、何もできない。


   ☆


 私は、人の手が好きだ。

 緊張で冷えた私の手に、あなたが柔らかな手を重ねてくれる。

 手からは、体温とは別の温かさが伝わってくるのが、とても不思議に思う。


   ☆


 俺は、人の手が嫌いだ。

 汚らしいことをした手で、あいつは俺に指図さしずする。

 どういう神経をしているか分からない。


   ☆


 私は、人の手が好きだ。

 彼女の手は、破れてしまったぬいぐるみを直してくれる。

 見事な裁縫さいほうの様子を見た者は、皆、何と表現したらよいか分からなくて、敬意を込めて「魔法の手」と呼ぶ。


   ☆


 僕は、人間の手が嫌いだ。まさに今、そう思った。

 乱暴者に捕まったせいで、僕はびりびりに破られる。

 無残むざんな姿になった僕を見た少年は「もう、いらない!」と言う。

 君がそうしたのに……。

 僕はひどく切ない気持ちになった――。


 人の手は、色んなことができる。

 器用で、温かくて、他者の手助けをしてくれることもあるけど、残忍さを持っているから、ときに相手を傷つけることも、ものを壊すことも、引き金を引くこともできてしまう。


 どうしてそんなことをしてしまうんだろうか。

 僕には分からない。

 手のない僕には、分からないんだ。


 びりびりになった僕は、人間の手を嫌いなまま消えてしまうんだろうか……。


 そう思っていたら、少年の母親がテープで僕を直してくれた。


「ごめんね……」


 ちいちゃな声だったけれど、僕には確かに聞こえた。

 彼女がいくら丁寧にテープで補修しても、元には戻らない。

 でも、器用で一所懸命な手のお陰で、僕は新しい姿になった。


「これで読める」


 少年の母親はそう言って、僕を両手で持ってページをめくった。

 かさついていたが、優しい手だった。


「この絵本に描いてある『好きな手』と思ってもらえるように、この本を大事にしないと駄目よ」


 母親はそう言って、僕を少年の手に置く。

 また酷いことをされるのかと思ったけど、今度は大丈夫だった。


「うん……」


 おっかなびっくり触れる彼の手は、僕を破いたときとは違う何かを持っていた。


 びりびりに破られるのは、僕が最後だといいな。


 そう思いながら、僕は少年の手を好きになりつつあるのだった。


(完)

 

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