第2話 あぁ、麗しき薔薇の魔王城
「月刊ダークキャッスルガイドか。思えば今住んでいる城もこの本に載っていたな」
魔王の蒼白い手が懐かしさと共に魔王城情報誌の表紙を撫でる。
世界征服を目論む魔王御用達のその本は魔界にある某有名不動産会社が発行した物だ。
装丁はいかにも魔王情報誌といった風で禍々しい。
黒革の表紙は分厚くブヨブヨで人の肌を貼ったような手触りだ。黒の色も深く一度闇に紛れれば容易に見失ってしまうだろう。実際魔王はこの本を何度も失くして買い直した経験がある(ふとした表紙に影の中から見つかるのだが)。それでメイド長が管理する事になったのだ。中央には拳大の大きな一つ目がついていて、魔王の手が触れると億劫そうに瞼を開けた。その上にはたった今滴ったばかりのような鮮やかな血文字でタイトルが描かれている。
「早くしないと他の魔王に取られちゃうとか脅されて慌てて決めたんですよね。そもそもあれが良くなかったのでは? どう考えても営業の常套句でしたよ」
「さーて! 次はどんな魔王城にしようかなー!」
大声でメイド長の小言をかき消しながらページをめくる。
魔王もアレはよくなかったと反省している。でも仕方ないじゃないか! あの頃は魔王も若かった。魔界を出るのも初めてなら、魔王城を買うのも初めてだった。小洒落たスーツに眼鏡をかけたいかにもやり手の上級魔族に大人気の物件ですとか言われてつい焦ってしまったのだ。
だからこそ、今回は慎重に決めようと誓っている。
言うまでもなく魔王城は高価な買い物だし、引っ越しやら手続きやらも面倒くさい。
出来る事なら今回が最初で最後の引っ越しにしたい。
「大事なのは勇者共に煩わされない事だ。複雑な迷宮を備えているとか、周辺に住む魔物が強いとか、そもそもたどり着くのが困難だとか、その辺を重視したい所だな」
「中古の魔王城はかつて他の魔王が建て拠点としていた場所ですから。基本的にはそういった点は抑えられているかと」
「いやでも今住んでる城……」
平凡な迷宮は簡単に突破されるし周囲に住む魔物は雑魚ばかり。立地も平野のド真ん中で周色を色んな国に囲まれているからひっきりなしに勇者がやって来る。見た目や内装はこれぞ古風な魔王城と言った感じで文句なしなのだが、それ以外は落第レベルである。
まぁ、そんな城を選んでしまった自分が悪いのだが。
当時はろくに内見もせず見た目だけで選んでしまったのだ。
「何事にも例外はあります。というか、主のいない中古の魔王城という時点である程度はお察しかと」
「それを言い出したらおしまいじゃないか?」
「それもまた例外有りです。主が勇者に倒されたとか、新築の城に引っ越したという場合もありますし。なんにしても魔王城選びは慎重に行うべきかと」
「わかっている。だから今回は納得いくまでしっかり内見するつもりだ」
「メイド長の私としては勇者に対する防衛力以外の点も気にして頂きたいですね」
「例えば?」
「収納スペースの多さや日当たり、風通しの良し悪し、キッチンやお風呂場といった水回り等ですね」
「魔王城だぞ? そんなに気にする事か?」
「魔王城と言っても城は城。基本的には生活の場です。魔王様だって生乾きの臭い装備で勇者と戦いたくはないでしょう?」
「それは嫌だ! 勇者に笑われる!」
あの魔王臭いなんて噂になったら末代までの恥である。
「私も旧式のぼっとん便所なんか絶対嫌ですし。他の魔王が遊びに来る事だってあるんですから、生活面も気にするべきです」
「いやでも我そんなに友達いないし……」
「私にはいますので。友達に自慢できないような貧相な魔王城は嫌です。仕事のモチベーションに関わります」
「わかった。その辺のチェックはメイド長に一任する」
という事で二人で魔王城選びを開始する。
「お! これなんか良いんじゃないか?」
「築千年は流石に古すぎでは?」
「じゃあこっちは?」
「キッチンが狭すぎます。大体今時
一応これでも魔王である。その気になれば地獄の業火や荒れ狂う濁流を呼び出す事等造作もない。なんなら魔界から魔導コンロを取り寄せたり業者を呼んでリフォームしてもいい。が、そこまでする程の物件ではなさそうだ。
「わかったわかった。逆に聞くが、メイド長ならどれがいいと思う?」
「私は断然このお城ですね!」
どうやら目星をつけていたらしい。
メイド長がしなやかな手をかざすと月刊ダークキャッスルガイドのページがひとりでにパラパラとめくれる。
「薔薇の魔王城……」
いかにもメイド長が選びそうな物件である。
「見てくださいよこの物件! わざわざ魔界から土を運びこみ、城を含めた周囲一帯に魔界の薔薇を植えてるんです! まるで絵本に出て来るお城みたいでしょう? 私、こんなお城に住むのが夢だったんです!」
薔薇の魔王城のページには城の内外を写した魔法仕掛けの動く写真が何枚も掲載されている。城壁は鋭い棘の生えた太い茨に覆われて、鮮血色の薔薇の花に彩られている。
「我の趣味ではないが……。防衛面はどうなんだ?」
「その点は抜かりありません。魔界の薔薇の茨が勇者の侵入を妨げます。中には肉食の食人薔薇も混じっているそうですから」
「茨に苦戦している間にガブリ、というわけか」
「城の周囲も薔薇の迷宮になっていますし、虫系の強力な魔物も住んでいるようです。その辺の弱小勇者では城までたどり着く事など叶いません」
「なるほどな。確かにそれなら今の城よりは大分楽になりそうだが……。見た所内部の防御が手薄じゃないか?」
手薄どころか無いに等しい。
魔界の薔薇が守るのはエレガントなデザインの白亜の城だ。
周囲は薔薇の迷宮に守られているが、内部に迷宮化された様子はなく罠の類も存在しない。ごく普通の城である。
「元々この城はとある魔王が人間共から奪った城だそうですから。そのせいでしょう。へ~。茨姫とか言う伝説があるそうですよ?」
メイド長が目をキラキラさせて茨姫の伝説について書かれたページを向けて来る。
やはりこちらもいかにもメイド長が好きそうな恋愛物の逸話である。
生憎魔王はこれっぽっちも興味がなかった。
「なんでもいいが、城の中に迷宮がないのはなぁ……」
魔王城と言えば迷宮である。
迷宮がない魔王城なんかただの城だ。
と魔王は思うのだが。
「それがいいんじゃないですか! 前から思っていたんですけど、わざわざ城の中を迷宮化する意味ってありますか?」
「勇者共を疲弊させる為に――」
「外でいいじゃないですか外で! 掃除する私達の身にもなって下さいよ!」
「いやでも勇者は死んでも死体残らないし……」
「こっちの魔物の死体は残るでしょ! それにあいつら靴の泥も落とさないであっちこっち歩き回って室内だって言うのに平気で攻撃魔法放つし! 勝手にタンス漁るわ壺割るわで本当に最悪です! 本当、親の顔が見て見たいですよ!」
メイド長も勇者共には思う所があったのだろう。
ここぞとばかりに愚痴が飛び出す。
「気持ちは分かるがそれも含めての魔王城と言うか……。大体勇者共の手癖の悪さは迷宮のあるなしと関係なくないか?」
「迷宮がなければ回り道する事もないので被害が少なくて済みます」
そうだろうか。
勇者の中には人様の城を隅々まで探索して金目の物を物色する浅ましい連中が少なくないように思える。
それ以前にだ。
「それだと一直線に我の所に来ちゃうんだが……」
防衛もクソもあったものではない。
「別にいいじゃないですか。それともなんですか? 魔王様は外にあれだけ立派な迷宮があるのに城の中にも迷宮がないと勇者に倒されちゃう雑魚魔王様なんですか?」
「そんな事はないが……」
一応これでも腕には自信のある魔王である。
こんな防衛力皆無の城に住んでいるのだ。
そうでなければとっくに勇者に滅ぼされている。
正直その辺の勇者相手なら迷宮で弱体化するまでもないのだが、それとこれとは話が別だ。
魔王にとって魔王城とは浪漫である。
それこそ迷宮のない魔王城なんか他の魔王に笑われる。
と個人的には思うのだが、これも古い考えなのかもしれない。
最近は魔王城も多様化していると聞く。
実際、魔王城情報誌には魔王の常識に反するような物件が沢山の載っていた。
「じゃあいいじゃないですか! ねぇ魔王様ぁ~。このお城にしましょうよ~! 前の持ち主が女魔王だったみたいでキッチンとか水回りもいい感じですし!」
あぁ、だからかと魔王は納得した。
内装やらなにやら諸々含めて、この魔王城からは漢の浪漫を感じないのだ。
とは言え、自分一人で住む魔王城ではない。
むしろ管理の面から言えばメイド達の方が主役とすら言える。
魔王はう~んと長考し。
「まぁ、そこまで言うならとりあえず内見してみるか」
「やったぁ~! では早速参りましょう!」
メイド長が紹介ページの最後に記載された魔法陣を展開する。
巨大な羽虫が飛び交うような音と共に空間が裂け、薔薇の魔王城へと繋がる転移門が口を開く。
メイド長は待ちきれないという様子で転移門に飛び込んだ。
魔王も後に続く。
門の先は茨の迷宮と白亜の城の間に位置する庭園のような場所だ。
「ほら魔王様! 見てくださいよ! 写真で見るよりずっと素敵で……しょぅ……」
全身で喜びを表すかのように両手を広げながらメイド長が振り返る。
が、その喜びは花が萎れるようにトーンダウンした。
色とりどりの魔界の薔薇が朽ちた石細工に絡まる様は美しくも物悲しく、思っていたよりも悪い物ではなかった。
問題は別の所にある。
「確かに見た目は悪くないが。すごい匂いだな……」
むしろ臭いと言うべきか。
ただでさえ薔薇は香りの強い花だ。
生命力の強い魔界の薔薇となれば猶更である。
それが何千、何万と花開いている。
種類も多く、様々な匂いが混じり合ってとんでもない事になっている。
息をするだけで噎せそうになり、思わず鼻に手が伸びる。
「こ、これが良いんですよこれが! あぁ良い匂い! 最高です!」
あれだけ推した手前臭いとは言えないのだろう。
メイド長は頬を引き攣らせながら深呼吸をするのだが。
「――ふぁ、ふぁ、ふぁ……ファッキュー!」
マヌケ顔で鼻をヒクヒクさせたかと思うと特大のクシャミを放った。
「失礼しました。ふぁ、ファッキュー! ファッキュッ! ファッキュー! あ、あれ? 風邪でしょうか……」
メイド長は困惑しながら洟をかんだ。
「花粉症じゃないか? これだけ沢山薔薇が咲いてると花粉の量も相当だろう」
「花粉症!?」
メイド長は絶句すると。
「そう言えば目も痒いような……」
呟きながら涙ぐんだ目元を擦る。
ハッとして。
「そ、そんなわけありません! これは過労からくるただの風邪です!」
「我にはそうは思えんのだが……」
メイド長はどうしても認めたくないらしい。
個性的なクシャミを連発するメイド長を引き連れながら内見を続けるのだが。
「う~む。あちこち茨だらけで歩きにくいな……」
長らく放置されていたからか、茨は足元も覆っていた。
魔界の薔薇は茨も太く、気を付けて歩かなければ転びそうになる。
「ファッキュッ! これくらい平気です! 邪魔な茨は焼き払ってしまえばいいだけの事!」
「普通の茨ならそうだが。魔界の薔薇だからなぁ……」
魔界の植物は生命力が強い。
そう簡単には焼けないだろうし、焼いた所ですぐに茂るのは目に見えている。
ビリ。
嫌な音に立ち止まる。
「……棘に引っかかってマントが破れたんだが」
勇者対策には効果的だろうが、住む側としても苦労しそうである。
「気をつけて歩けば問題ありません! ふぁ、ふぁ、ファッキュー!」
ビリビリビリ。
思いきりクシャミをした拍子にメイド服のスカートの裾が棘に引っかかり盛大に破けた。
サキュバスだけあってメイド長の生足は息を飲む程妖艶だ。
サキュバスの美しさはそれ自体が魅了の魔法と同じ力を持つ。
(まぁ、魔王の我には通用しないが)
そう思いつつも魔王の目は意識しなければ生足に吸い寄せられそうになる。
魅了の魔法とは関係なしにメイド長は魅力的な女魔族なのだ。
セクハラで訴えられたくはないので自制する。
バツが悪いのだろう。
メイド長は真っ赤になって黙り込んでいた。
あるいは怒っているのかもしれない。
ブルブルと震えると八つ当たりの涙目でキッとこちらを睨みつける。
「ちょっと歩きにくい方が色々と訓練になるでしょう!?」
「わかったからもうちょっと脚を閉じてくれ……」
破れたスカートの向こう側に白い物がチラついている。
魔王は目を背けると修復魔法でスカートを直した。
「あ、ありがとうございます……」
「うむ……」
謎に気まずい雰囲気になりながら二人は茨だらけの庭園を突っ切って城へと向かう。
「……まぁ、そうだよな」
閉じた城門は茨に蝕まれ簡単には開きそうにない。
「ふぁ、ファッキュー! ああもう! なんなのよこの茨は! うざったい! 爆破魔法で吹っ飛ばしてやる!」
我慢の限界に達したのかメイド長が両手を突き出す。
「やめておけ。修理代取れれたくないし」
魔王は怠そうに指先を門へと向けた。
その手がスッと虚空を切ると、不可視の斬撃が茨だけを器用に断ち切る。
再び指先を門に向けてピンと弾く。
やはり見えない巨人に押されたように、ギギギィと悲鳴をあげて門が開いた。
「……嘘、でしょ」
中の様子にメイド長が絶句する。
城内は古城に蜘蛛の巣が張るが如く茨にまみれ、先も見通せない程だった。
城を傷つけずにこれらを取り払うのは容易ではないだろう。
「まだ続けるか?」
苦笑いで魔王が尋ねる。
「ファッキュー!」
怒り混じりの特大クシャミが薔薇の魔王城に響き渡った。
【KAC20242】魔王様、内見の時間です! 斜偲泳(ななしの えい) @74NOA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【KAC20242】魔王様、内見の時間です!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。