【KAC20242】菜虫化蝶(なむしちょうとなる)

一帆

菜虫化蝶(なむしちょうとなる)

「家を出たいんだけど……」と大好きな人に言われたら、あなたならどう答える?




私は、一度目は、「あんたが、一人で暮らしていけるとは、到底、思えない」とせせら笑ってその言葉を無視した。

二度目は、「一人で暮らしていくってどういうことかわかってんの?? 無責任なことは言わないで」と怒って、しばらくの間その話題に触れられないくらい怒鳴り散らした。

三度目は、「私のことが嫌いになったのね。だから、出ていくっていうんだわ」と泣いて、泣いて、泣きまくった。

四度目は、「そんなにいうなら、雪が溶けたら、不動産屋さんに行って、一度、相談してみたらどうかな」と、物分かりのいい姉を演じた。



 そして、雪が溶けだしたある日、私と弟は、近くにある小さな不動産屋さんに出かけた。


「本日、内見できる物件がいくつかありますから、とりあえず、見て、それから考えるというのはどうでしょう?」と、対応してくれた女性ー山野さんに言われて、物件を内見することになった。




「この物件って室内の写真がないでしょ? それはね、空きがでたらすぐ借り手がつくから、我々も写真をとる暇がないというかなんというか……」


 山野さんは、室内写真がない理由を誇らしげにしゃべる。


「まあ、とにかくとても人気が高いんです。まだ築2年ですから、内装も水回りも問題ないと思います。どうでしょう?」

「うん、まあ、そうね……。シュウはどう思う?」


 私は物分かりの言い姉の仮面をかぶって、当たり障りなく答えた。


「うん。部屋の中、明るいね」


「この部屋は、まわりに建物がありませんから、6階だというのに見晴らしがいいんです」と、山野さんが窓に近寄った。確かに、カーテンのない窓の向こうは空だ。青い空が広がっている。


「とても日当たりがいいのもオススメポイントです。また、歩いて15分のところに駅があって、病院もスーパーもコンビニも近くにあります。生活環境としては便利な方だと思いますよ」と山野さんが窓を開ける。穏やかな風が入り込む。その風をうけたせいか、弟の顔つきが少しだけ上気したような顔つきになる。


「……………ここにベッドを置くのはどうかなぁ。姉ちゃん」


 弟が私のそばを離れて、山野さんがいる部屋で床を指さした。


「そんな窓のそばにベッドを置いたら、冷気がきて体が固まるわよ」


 今日は物分かりのいい姉を演じようと思っていたのに、思わず、否定する言葉が口からこぼれた。楽しそうに部屋の中を見ている弟が気に入らなくて、ディスる姉なんてないよなぁって思うけど、仕方ないじゃん。許してよと心の中で詫びる。弟が少しだけ悲しげな顔をして、窓の外を見る。


「そうかなぁ……。ここにベッドをおいて寝転がったら、空がよく見えるような気がするんだけどなぁ……」

「まあ、そうかもしれないけど、あんた寒がりじゃん?」

「そうだけどさぁ」

「それに、今日は天気がいいから、この部屋もポカポカしているだけで、こんなに窓があったら寒いかもよ?」

「ここの暖房はガスファンヒーターがついているので、冬でもあったかで問題ないと思います!」と、山野さんが私と弟の会話に入り込む。


 (いやいやいや。そういう話をしているんじゃない)

 

 私は、物分かりのいい姉の仮面をかぶりなおすと、「…………、あの、台所とか洗面所とか見せてもらえます?」と話題をかえた。


 お風呂はちょっと広めで、弟が「おっ。すげっ」っと声をあげたのを私は無視したのに、「このお風呂、実は自動でお湯をはることができるんです」と山野さんが親切に教えてくれた。それをきっかけに、弟は山野さんと話し出した。


 もう、私は蚊帳の外。

 弟が「この家に決めた」と言い出すのを、複雑な気持ちで待つしかない。

  

 私は、さっき山野さんがあけた窓に近づいて、外を見た。

 そういえば、今日は、季節を七十二に分けた七十二候でいうところの菜虫化蝶。冬の寒さを耐えたさなぎが蝶に生まれ変わり、空を自由に飛ぶ季節。

北の国のこの地では、まだ菜の花は咲いていないけれど、少しずつ、春の風がふいている。うん。独りぼっちになった私にも春はきっと優しいはずだ。




 「……、姉ちゃん、僕、ここに決めたよ」


 そういわれたときに、「わかった」って心から笑って言ってあげたいな……。



                              おしまい

            






 



 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20242】菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 一帆 @kazuho21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説