憧れのマイホームを探して

月代零

ずっと住める家が欲しかったんだ

 彼は、色々な家の内見を繰り返していた。庭が広くていいなあとか、あの窓辺でお昼寝をしたら気持ちよさそうだなあと、あちこち見て回っては、あんな家に住めたらなあと、思いを馳せていた。


 しかし、実際にその家に入ることは、なかなかできない。内見というより、外見だった。なぜなら彼は、この街に住む野良猫だから。


 たまに、ごはんをくれたり、縁側で昼寝させてくれる家もあったが、大抵はしっしっと迷惑そうに追い払われてしまう。それに加えて、彼はちょっと気弱な性格で、街の野良猫たちとの縄張り争いに負け、他の猫たちからは隠れてひっそりと暮らさねばならず、ごはんにありつくことのできない日も多かった。


 人間に追われながらゴミ捨て場で残飯を漁ったり、街灯の熱で焼かれて落ちる虫を食べたりして、辛うじて生を繋いでいた。まだ小さくて力も強くないので、大きな獲物を狩ることはできなかった。


 その日は、雨が降っていた。身体が濡れて、寒い。こんな日は雨が当たらない場所でじっとしているに限るが、このところろくに食べておらず、お腹が空いて死んでしまいそうだった。


 今なら他の猫も少ないだろうし、食べるものを探しに行こう。


 そう思った彼は、なるべく濡れないように歩きながら、食べ物のありそうな場所を探した。しかし、そんな日に限って街のゴミ捨て場はきれいに掃除された後だし、食べ物をくれる人間もいない。


 彼は濡れそぼってよろよろと歩きながら、気が付くと広い庭のある大きな建物の近くに来ていた。そこは、いつもいい匂いが窓やドアの隙間から漂ってくる。「きっさてん」という、食べ物や飲み物を出す店らしい。

 こういう場所は、上手くいけば食べ物にありつけるが、動物が近付くことをよしとしないので、厳しく追い払われる。経験から、彼はそれを知っていた。


 でもその時は、ひどく気持ちが弱っていて、建物の窓に灯る柔らかな明かりに吸い寄せられるようにして、庭を横切り、窓辺に飛び乗っていた。

 窓の向こうには、彼と同じ猫がいた。白い毛並みに、頭や背中に灰色の縞模様が入っている。自分のそれとは違い、つやつやふかふかしていそうな毛並みは、一目で大事にされていることがうかがえた。


 その猫が、どうしたんだい? と、みゃあと鳴いた。その声でこちらに気付いたのか、中から人間が一人、近寄ってきた。


「あら、迷子かしら?」


 言いながら、その人間は内側にいた猫を窓から下ろしてから、窓枠に手をかける。また無碍に追い払われる。叩かれたり、石を投げられたりするんだと思って逃げようとしたが、その人間は窓を開けて、優しく彼を手招きする。


「外は寒いでしょう。こっちにおいでなさいな」


 その手に導かれて、彼はおそるおそる、建物の中に足を踏み入れた。雨風の当たらない室内は温かく、ほっと一息つくことができた。


 人間は乾いたタオルを持ってきて、彼の身体を包み込んだ。わしわしと擦られて、彼はぶるぶると頭を振った。この家の住人らしい灰色の縞々猫は、彼に興味津々といった様子で、ふんふんとしきりににおいをかいでくる。


 それから、人間はごはんを出してくれた。久し振りのまともな食事に、彼は喜び勇んで飛びつく。灰色の猫と分け合って食べた。


 その後、灰色の猫と一緒に家の中を駆け回って遊んだ。この家は広くて、長い廊下の間にたくさん部屋があったが、そこに勝手に入ってはいけないと言われた。

 それでも十分に遊べるくらい、その家は広かった。一階は広い一つの空間になっていて、二階に小さな部屋がたくさんある。階段を上り下りし、長い廊下を走り回るのは楽しかった。この家で暮らせたら楽しいだろうなと思った。


「さて、満足したかしら?」


 遊び疲れて、窓辺に置かれたふかふかのベッドに、灰色の猫と寝転んだ。他の猫と身を寄せ合って眠るのは気持ちよくて、心が満たされた。

 家に入れてくれた人間が、彼の頭をそっと撫でる。生まれて初めて触れた人間の手は、温かかった。彼は目を閉じたまま、ごろごろと喉を鳴らす。いつの間にか雨は止んで、明るくなった空には虹がかかっていた。


「あなたも自分の家が欲しかっただろうけど、あなたの行く場所はここじゃないから……」


 ああ、やっぱり追い出されてしまうのか。初めての内見に成功した人間の家は、とても居心地がよかったのに。悲しい気持ちになって人間を見上げる。


「肉体を失ったまま地上を彷徨っていると、悪いものになってしまう危険があるから。今のあなたの行くべきところは、あっち」


 そう言って、その人間は虹の方を指差す。


「少し休んだら、また新しい毛皮を着て生まれていらっしゃいな。その時は、あなただけの、温かい家に出会えますように」


 そして、彼は思い出した。自分がとっくに死んでしまって、行くべき場所がわからずに彷徨っていたことを。温もりを求めても、それを得ることは二度とできないのだということを。

 彼は立ち上がって、空を見た。でも、最後に家に入れてもらえて、たくさん遊べて楽しかった。灰色の猫も彼を見上げて、名残惜しそうに、悲し気な鳴き声を漏らす。

 その声を聞きながら、彼の身体は徐々に透けて、光の粒になって空に昇っていった。


 それが見えなくなるまで見送って、那由多はその場に残った灰色の縞模様の猫を撫でた。温かくてふわふわだ。


「ありがとうね、スペランツァ。あの子を見つけて――見送ってくれて」


 スペランツァと呼ばれた猫はうにゃあと返事をして、その手にぐいと頭をすり寄せた。


 この桜華堂には、時たまああいった迷子がやってくる。住人に害を成すものなら排除するが、救えるものは救ってやりたい。


 いつか、全ての猫たちが、外で飢えたり凍えたりすることなく、温かな家で生涯を終えることができるようになりますように。

 那由多は虹のかかる空を見上げて、そう祈った。



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