お化けを見たことのない友人


 これは友達から聞いた話なんだけどね?




 大学生になったばかりのE奈には悩みがあった。

 それは、彼女が初めて実家を出て、一人暮らしを始めたのだが、その家のこと。

 家探しは親に任せきりにしてしまった。

 そのバチが当たっているんだろうか、と彼女はため息をつく。

 駅チカ、治安も悪い話を聞かない、日当たり良好で近くにコンビニなどもあって夜も暗くない。

 セキュリティだっていい所にしてくれたし、家賃も半分払ってくれている。

 親には感謝しかない、と彼女は思っている。

 この物件はE奈の両親が、まだうら若き我が子である彼女のために住みやすく、安全で安心で暮らせるように両親がいろいろ探し回ってみつけて手配してくれたものだった。

 だから、特に悪い点なんて、何一つ見当たらなかった。


 E奈が実際に住んでみるまでは。

 この家に住んで初日にE奈が幽霊を見るまでは。

 本当に優良物件だったんだ。

 夜な夜な幽霊が現れること以外は。


 E奈は今、夜な夜な家で起きる怪奇現象、心霊現象に悩ませているのだった。

 家に帰るのが憂鬱だ、と眉尻を下げながら眉間にシワを寄せ、彼女はもう一度大きく深い溜め息をついた。


「どうしたの?なにか悩みごとぉ?」


 友人のA子に横から声をかけられて、E奈はそちらを見やって、困ったように笑った。

 その乾いた笑い声の理由を心配したA子に問いただされて、E奈は観念して打ち明けた。

 そういう怪談話を耳にしたことはあるが、まさか自分に起きるとは思っていなかった。

 こんな話をして嫌われたり、嫌厭されたり、もしかしたらイジメられたりするだろうか。

 E奈は友人に話してしまってから、急に恐ろしくなってしまった。

 不安になりながら、恐る恐る友人の反応をうかがい見ると、A子の態度は想定外、E奈の思いもよらないものだった。


「えぇぇぇ!いいなぁぁ!」

「うえぇぇぇぇぃっ!?」


 A子の反応に、思わずE奈も驚きの声をあげる。

 さらにA子はE奈を驚かせる発言をした。


「ねぇ!今日、E奈の家、行ってみてもいい?」

「えぇ……私は一人で家に帰るの嫌だから助かるけど、A子は怖くないの?」

「全然怖くないよぉ?あたし、おばけって見たことなくてさぁ、一度でいいから見てみたいと常々つねづね思ってたんだよねぇ。いやぁ、E奈のおかげで長年の夢が叶いそうだわ」


 心の底から嬉しそうな表情で、はしゃぐ友人をE奈は珍獣でも見るかのような目でみつめた。


「へぇ……めずらしいタイプだね。私は、今まで見たことなかったけど、一生見たくなかったよ……そして悲しいかな見てしまった今も、おばけは金輪際見たくないと思っているよ?」

「マジかぁ……めずらしいタイプだねぇ……」

「そうかな!?一般的な感性だと思うけどねっ?」


 各々の感性と、人それぞれ一般的という言葉の概念の大きな違いを痛感しながら、二人は困ったように笑った。


 そして、その日、E奈はA子を連れて帰宅をした。

 E奈とA子は問題の物件の近くにあるコンビニで待ち合わせをしていた。

 なるべく早く帰るつもりだったのだが、お互いバイトやサークルが長引いたせいで、二人が家に着いた頃にはとっぷりと日が暮れきってしまっていた。

 E奈の顔色はすこぶる悪い。

 それも仕方がない。

 またあの光景を見ることになると思うと、まだなれないキャンパスライフで疲れた彼女の足取りは、一段と重くなる。

 引っ越してきた初日、E奈が見たのは、今でも現実だとは思えないものだった。

 E奈は歩きながら、A子にその日に彼女が見た出来事を話した。


 それは引っ越してきて最初の日。

 新しい家の独特の香りに、これからの自身を待ち受ける生活に思いを馳せる。

 自身の未来に不安と希望が入り混じり、胸を打つ強い鼓動がやたら主張する感覚。

 それは、まるで新しいゲームを始める時のワクワク感や、真っ白い雪に自身の足跡をつけていく背徳感や優越感に似ているかもしれない。


 せっかくの一人暮らし。

 それらしいことをしてみよう、と夕方、コンビニにお菓子やジュースなどを買いに出た。

 帰ってきた頃には、夕暮れ空は、しっかりと夜に様変わりしている。


「ただいまぁ〜……って言っても誰もいないや。今日から一人暮らしなんだもんねぇ」


 どの時代でもありふれたひとり言を呟いてからE奈は電気をつける。

 しかし、部屋の中はいっこうに明るくならない。

 普段ならパチリと音をたてて、すぐに明るくしてくれるはずの電気が、今はなぜか言うことを聞いてくれない。

 まさか、もう壊れたのか?と少し不動産屋や家自体に不信感を抱きながらも、何度か同じ動作を繰り返し、どうにかつかないか試みるが、電気はパチリとただむなしく音をたてるだけ。


「えぇ……こういう場合、どこに連絡すればいいんだろう?」


 今の時間も把握したくて、E奈がポケットからスマホを取り出す。

 スマホの画面の明かりに、ほんの少しホッとしたのもつかの間のことだった。

 スマホの明るさで、照らされたE奈のすぐ目の前に何かが見える。

 それは、この家に来てから見覚えのない何か。

 スマホの明かりをそちらに向ければ、その正体は容易に確認できそうだった。

 けれど、E奈はそうはしなかった。

 できなかったの方が正しいかもしれない。

 それを確認してはいけない気がした。

 確認したら、もし、見てしまったら、もう為すすべもなく、発狂してしまう気がしたから。

 E奈はそのまま家を飛び出し、その日は24時間営業していたファミレスで夜を明かした。

 翌日、見間違いだったかもしれない、と思って家に帰った。


 その日は、前日に寝れなかったせいもあって、少し横になったつもりが夜まで寝てしまった。

 寝ぼけながらも、おもむろにスマホをつけた時、E奈は大きく目を見開かせ、彼女の顔はかわいそうになるほどに、ひどく青ざめていた。

 彼女の体はまるで流れる血も心の臓までもが凍りついたかのように動かず、指の先まで感覚を失う。

 真っ白になる頭の中に浮かぶのは、危険を知らせる非常ベルの音。


 何かがいた。


 やはりこの家には何かがいるんだ。

 きちんとは見えなかったけれど、今度こそ見間違いなどとは彼女自身でも言えない。

 なぜなら彼女は何かの一部を見てしまったのだ。

 E奈の目の端に映ったのは、彼女の瞳ではとらえきれないほど大きな手。

 大きすぎて全体像は把握できなかったが、その腕は異様な形で床に張りついていた。

 それは、まるで跳ねる瞬間のカエルのように、両腕は少し曲げられ、大きく開かれた手で床を押すようにも見えた。

 その両腕の奥に顔をがあるとわかる。

 腕のところどころに絡まる相手の真っ黒な髪の先が、部屋の闇に混ざって、どこまで続いているのかもわからない。

 E奈はそのまま恐怖が思考と心の限界に達して、意識を手放した。

 次に目を覚ました時、朝になっていた。

 それからは、漫画喫茶やカラオケ、ファミレスや友人の家を頼り、家には極力近づかなかった。

 それでも、いつまでも家に帰らないわけにもいかなかったE奈は何度か足を運んでは、昼夜問わず恐ろしい思いをした。


 そんなE奈の怪談話を、目をキラキラさせて聞いているA子。

 そんな理解できない感性をもつ友人をまるで信じられないという目でみつめるE奈は若干、少しだけだが、ドン引きしていた。


「ここだよ。いい?鍵開けるから先に入ってね?」

「オッケー!いやぁ!ワクワクするなぁ!!幽霊との遭遇なんて!E奈の家じゃなければ動画録ってサイトにあげるんだけど……さすがに友達の家だし身バレしたらまずいしねぇ?」


 二人の心臓は同じようにうるさいほど大きく音を立てているが、E奈とA子ではその理由は全く違う。

 同じドキドキでもE奈には恐怖のハラハラが混ざり、A子には興奮のワクワクが全面にでている。

 E奈が鍵を開けると、バァンと音を立てそうなほど躊躇なくA子がドアを開く。

 開かれたドアの向こう、A子の後ろにいたE奈の目に飛び込んできたもの。

 それは……。


 ワクワクしたA子が部屋に入った瞬間に霧散する何かの残りカスだった。


「……え?」

「お邪魔しまぁす!わぁ、けっこういい家だね!」

「………えぇぇぇぇっ!?」

「うわっ!びっくりしたぁ……急に大声あげてどうしたのぉ?」

「消えたっ!A子が家に入った途端、めっちゃ怖かった幽霊が消えたよっ!なんか霧散したっ!」

「えぇ……マジかぁ。何度目だよ、このパターン」

「何度目って?」

「うん。前もね?家に幽霊がいるって言われて見に行ったことがあったんだけど……その時もあたしが行った途端に消滅したって」

「すごいじゃん!」

「全然嬉しくないよぉ……いつになったら幽霊に会えるわけぇ?まったく!もっと根性見せろよ、幽霊のヤロー!」

「馬鹿言わないでよ!そんな根性見せられてたまるか!」

「仕方ない……せっかくE奈の家に来たし、コンビニでお菓子とかも買ったし……今日はただのお菓子パーティーだね!」


 そう笑って言ったA子は本当に明るくて楽しそうで、こういう根っからの陽キャなら、きっとこれから先も幽霊とは出会わないだろうな……と家を無事取り戻したE奈はホッと胸をなでおろしながら、そう思った。




 その後、もちろんE奈は、その物件で何事もなく平穏に暮らせたらしい。

 そして彼女の楽しいキャンパスライフはその日から始まり、恋に、勉強に、サークルに、友人と遊ぶことに打ち込み、青春を謳歌しているそうだ。

 けれどA子はこの話をする度に、残念そうに、こう言うんだそうだ。


「いつも、行っても見れないからさぁ……なんか目の前に人参つり下げられた馬みたいな感じぃ……」


 そして、そんなA子にE奈はきまって困ったように笑って、友人の肩をポンポンと軽く叩きながらこう言う。


「私は助かったけどね?うーん、A子の願いは応援してあげたいけど……でも、A子はこれからも見ないんじゃないかな?A子がA子である限り見ない気がする!でも私はそんなA子が好きだから……それでいいじゃん?」


 ってね。

 あれ、怖くなかった?

 ははは、気をつかわなくても大丈夫だよ。

 これは、友達から聞いた話だからね。





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これは友達から聞いた話なんだけどね? うめもも さくら @716sakura87

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